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音楽がより分かる!純正律って何が凄いの?平均律より良い?純正律にまつわる誤解とは?【音楽談話116】
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ハ長調とニ長調はいったい何が違う?調の性格とは?調が変わると何が変わるの?純正律ではできない事とは?クラシック音楽の疑問に答えます!
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実はプロでも純正律での演奏はほぼ不可能!なのにどうして学校の合唱部や吹奏楽部では純正律を指導するのか?【音楽談話117】
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車田和寿‐音楽に寄せて
Күн бұрын
Пікірлер: 120
@kazuhisakurumada
5 ай бұрын
バロック時代では様々な音律が重要だという話をしましたが、18世紀の哲学者であり作曲家であるルソーはバロック音楽の事を以下のように定義しました。 「バロック音楽とは和声が混乱し、転調と不協和音に満ち、旋律が耳障りかつ不自然、抑揚が難しく動きが不自然な音楽」 これは当時の音楽に求められていたものが、決して「純粋」な美しさだけではなかったことを示唆しています。そのような転調が複雑な音楽に対応するために、純正律ではない様々な音律が作られ実践で用いられてきました。 純正律の話をすると「機械には可能だ」という言葉を目にする事が度々ありますが、僕は音楽というのは機械ではなくて人間がやるものだと思っています。それは音楽が人間の感情を伝えるものだからです。そして「人間の不完全さ」も感情を伝える上では大きな要因となります。それは受け手も「不完全」な人間だからです。だからそこに様々な類の「共感」というものが生まれます。
@R洞主人
5 ай бұрын
バイオリンを調弦する場合、隣接する二つの弦を同時に五度・五度で調弦いたしますから、純正な五度を感じながら調弦した場合、ピアノと合奏する際に不具合が生じます。ですから、バイオリンでも、平均律的に五度を狭くして調弦する。しかし、バイオリニストは純正な五度の響きが判るわけです。 何故判るかといえば、二つの音を鳴らせば、自ずと澄んだ響きに持ってゆくことが出来るからです。そのとき、何セント低くするとかを意識するのではなく、響きでそれを判断するわけです。 弦楽四重奏においても、一つ一つのコードを澄んだ響きに持ってゆく訓練というのは可能です。それも、何セント高く低くという意識ではなく、響きで判断するということです。しかし、それを常時、すべての音楽において継続的に行うことは現実的ではありません。 車田様が6:16で仰有っている合唱の響きについての指摘は、私が申し上げた上記の事例と同様のことだと思います。 合唱の指導者が純正律云々といっていることは、車田様が指摘している音律の次元のことではなく、単に、綺麗に響きを合わせなさい、という程度の指導であると考えます。しかし、そういう意味の指導において、純正律という言葉が用いられることについては、確かに問題無きにしも非ず、と感じます。
@RiderMasakana
5 ай бұрын
おっしゃる通りだと思われます。 自分は管楽器と合唱経験者ですが、常により美しいハーモニー、響きを求めつつ演奏して来たし、今もそうです。 今では周りの音、響きを聞きながら無意識に音程を修正しつつ演奏出来ていると思っています。 そして、それが平均率か?と言われると平均律ではないし、まして純正律などであろうはずがないと思います。
@prossi4802
5 ай бұрын
オケ奏者ですが、「平均律でなければダメ」とか「純正律じゃなければダメ」などと極端な考えはしていません。和音は、メロディがあるところではメロディ内の和声音に合わせて作っていきます。その場合は平均律で合わせることに近くなるでしょう。しかし曲内で和音だけで構成する部分は意識せずとも純正に合わせていきます。だってその方がキレイで気持ちいいから。
@RiderMasakana
5 ай бұрын
同感です。
@RiderMasakana
5 ай бұрын
管楽器奏者ですが、 純正律で演奏する・・・そんなことは無理、無意味と理解しています。 しかし実際に演奏する上でハーモニーの演奏時には少しでも美しい響きを得る為にピッチを修正します。 それが、その瞬間純正律の和音になっているってことかと思われます。 楽器にはそれぞれ運指というものがありますが、実際に演奏している時には全体の音を聞きながらうなりを極力生じない音程調整をされながら演奏されていると思われます。 しかしながら決して純正律で演奏しているわけではありません。 恐らくオーケストラで厳正に平均律で演奏してもらうと、とんでもない演奏になると思われます。 多分、やってみてくれと言っても耳栓でもしない限り出来ないと思います。
@maricieisvaha
5 ай бұрын
純正律平均律や基準ピッチの問題のまえに、鍵盤楽器の調律というもの自体が ピアノの弦長などの問題でフルコン等大きなピアノとアップライト等小さい弦の短いピアノとでは、高音部低音部に広がるほど計算理論値との誤差が大きくなっていき、中央部以外では同じ高さに調律されません。 弦長に対して物理的な弦の太さの比率のため、短いピアノはより広めに調律した方がきれいな響きになり、弦の長いピアノでは理論値に近く あまり広がらずに調律されます。 同様に理論値に近い電子楽器と合奏する場合などはどこかの響きを犠牲にして、いずれかの高さに合わせているのが現状ですね。主役の楽器がどれなのかにもよりますね。 オルガンはパイプとして木管や金管が使われ、とくに金管由来の音を鳴らした時に奇数倍音が特徴的に出てその不協和感が音をきわだてるエッセンスとして効果的に使われています。
@hiroyukiohara_official
5 ай бұрын
問題なのは「平均律」の対義語として「純正律」という言葉が用いられていることではないでしょうか? 鍵盤楽器との共演でない場合、もしくは共演であっても、合唱や管弦楽は「平均律」で演奏はしないし、する必要もない。ですが、それは「純正律でやる」ことを全く意味していない。この辺りを誤解している人が多い気がします。
@hehehe3591
5 ай бұрын
弦楽器は弦の太さがあり、管楽器は管の内径があるので、ある音を鳴らしたときにその倍音、3倍音、4倍音・・・・は正確な2倍・3倍の周波数にはなりません。なので純正律で調整して5度音程の音などを同時に鳴らしても完全にはハモらないこととなります。その2音の基音、倍音で理論上同じ周波数になる音同士でもわずかに周波数が異なるからです。
@midnightblue5379
5 ай бұрын
名前が純なうえに正だから、そういうのが本物だと思いたいんですよ。部活ってそういうおかしな世界だから。
@澤田歩-i6u
5 ай бұрын
バイオリンは割と純正な和音を響かせることができますが、ここぞという時には強調したい音を高めに取ったりします。その方がカッコイイからです。バイオリンで機械の様にひとつひとつ完璧にすべてを純正に取れたとしても、のっぺりとした音楽になってしまうのでは、と思いました。オ−ケストラやカルテット、デュエット等では相手に寄り添ったりします。割と自由なのかなと思っています。
@ludwig1960yokkun
5 ай бұрын
とても参考になりました、ポッキー、ではなく。私アマオケで主にシンバル、大太鼓を担当しております。音楽の流れの「そこ」に合うような音色が出せるように心がけています。幻想交響曲や教会のステンドグラスの鐘を作ったこともありましたが、442Hzでチューナー頼りでした。私はまずバスドラとシンバルの音が混ざって聴こえるように、そして管弦楽と混ざるようにと、心がけていますが、なかなか、、、、、。
@ybt720
3 ай бұрын
アマチュア合唱で純正律にこだわり、和声の練習ばかりなので、歌うことの意味に迷っていましたが、とても納得しました。これからは歌に豊かさを求めて歌おうと思わされました。良い学びをありがとうございます。
@fermidirac5059
5 ай бұрын
とても勉強になりました。 ありがとうございました。
@htkwmt
5 ай бұрын
金管楽器(とクラリネット)は3倍音を使わずに吹くことはできません。無意識に3倍音を吹くと基音から純正5度高い音になります。 金管楽器奏者は5倍音が使えるなら使いたいのですが、それが長和音の第3音でないなら低すぎることも知っています。よって、長和音の第3音だったら5倍音を使い、それ以外では替え指の6倍音を使ったりします。 管楽器の音程は様々な理由で狂うことがあります。自分の音程が悪いと感じたら他の演奏者の正しそうな音に合わせます。響きの良い音程になるよう合わせます。すると純正音程になります。 音程が悪いのが自分なのか他者なのかを判断するのが音感なのだと思います。各自の音感を突き合わせてその曲のその部分用の音感に矯正していくというのは練習の目的の重要な要素でしょう。到達点が純正音程なら、突き合わせる元となる音感は純正音程からなる音律である方が近道に思えます。金管楽器奏者が3倍音で無意識に純正5度を出したら、他の奏者は音感にしたがって無意識に純正5度が最も望ましい音程だと感じられると音合わせが楽になるかもしれません。 とはいえ、全音が2種類ある純正律が音感を育てるのに適しているとも思えません。純正5度を含む音律としてピタゴラス音律もありますが、音感がピタゴラス音律か平均律かで違いが出るかはわかりません。 絶対音感がある方々はピアノの調律通りの音感になっているように感じます。それも、ただの平均律ではなくてピアノのインハーモニシティ(スチール弦の倍音が高くずれる現象)を含む音感になってはいないでしょうか。ピッコロはチューニングを高めにするという話を聞いて違和感を感じたことがあります。インハーモニシティと関係あるかはわかりません。
@kangol525
5 ай бұрын
俗にいう純正律で演奏するって、調律の話じゃなくて、和音を純正律で取った時の響きにするっていうだけじゃない? こんなこと言ったら、平均律だって無理。 純正律寄りか平均律寄りかってこと。
@syntax1987
5 ай бұрын
良くも悪くも整えすぎているんだと思うんですよね。そして、その整っている状況がスタートラインみたいなところがある。そういうところまで徹底できてないと床につまようじが落ちているのと一緒になるわけです。 今回の内容のようなことを第一線で活躍していらっしゃるプロの方々が発信することは大きな意味があると思います。ありがとうございます。
@sugi2710
5 ай бұрын
車田先生の御説に全く賛同致します。僕も吹奏楽経験者ですが、生徒の頃から「純正調で合わせなさい」というのに疑問を持っていました。(平均律の)鍵盤楽器に合わせるのも大変なのにと。 確かに「要所要所の」和音を合わせる事には意味があるし、きれいになるとは思っていましたが。 しかし、「旋律を演奏」する時と和音の時と音程を変える?、どうしたらいいんだ?と迷いましたが、明確な方法は示されませんでしたし、分かりませんでした。つまりテキトーにやってました笑… 大学生くらいになって分かったと言うか、感じられて来たことなのですが、いわゆる吹奏楽の強豪校?は、「純正調で合わせられる」のではなく、個々のプレイヤーの音色が良いのです。だからきれいな響きが作れる、車田先生がおっしゃるようにプロ奏者は、もっと音色が良いし、幅がある?というか、良い響きを出せるような吹き方、歌い方が出来るのだという思いに至りました。 この予測?には今ひとつ自信がなかったのですが、今回のお話を聞いて、それほど間違っていなかったのだと思いました。ありがとうございました😊
@orimupitsuku
5 ай бұрын
大変面白かったです。オルガンと合唱との関係など、どうなっているのかと素人なりにずっと思っていたのがすっきりしました。 ちょっと話は逸れるかもしれないけど、絵画でも純粋で彩度の高い色だけでは絵は描けず、プロになればなるほど単体で見ると汚く濁った色を上手く使います。 ドラクロワなんかは毎日制作後にパレットに残った絵の具を全部混ぜて汚い色になったものを容器に移して、翌日以降の制作に使っていたという話を聞きました。そんなことを思い出しました。
@pecopeco33-p3k
5 ай бұрын
とても興味深いお話でした。 まずは基本的な知識として、平均律、純正調を把握しておくことは大切。 そのうえで演奏のその都度都度うまれる瞬間の和音に合わせて合わせて行けるような感覚や技術を養う事はそれ以上に大事だと思います。 さらにその研鑽の上でその瞬間瞬間の各奏者の誤差から生まれる響きはアコースティックや生演奏の魅力と言えるかもしれません。あとはそれが結果的に心地よく聞こえるのか、不快な音痴に聴こえるのか。コレが音楽をする上での腕という事になるのかもしれませんね。
@ここ-s3s6u
5 ай бұрын
話を聞けて良かったです。 ありがとうございます。
@summer1982orch
5 ай бұрын
吹奏楽や合唱の指導者は9割以上が素人です。素人なので音楽づくりの優先順位がわからず、音楽理論を聞きかじって見よう見まねでやって「指導してる感」を出している人が多いです。純正律による演奏効果を過大評価するのもその一つ。少し考えればわかりますが、純正律で正しい音程を撮るにはまずチューナーの真ん中の音程が取れないといけません。純正律はそれを基準に高めとか低めを取るわけですから。アマチュアの奏者で耳だけでスケールやって常に442Hzの正しい音程をとれる人がどれだけいますか。それが取れないのになぜ「それより低め」に取れるのでしょうか。正に絵にかいた餅だと思います。
@ぴあのと珈琲.n3c
5 ай бұрын
⭐️「目指せ純正和音」と近づくように部分的に頑張る事と、ほぼ不可能なのだけれど1セントも狂い無く正確に「ビンゴ純正律音や和音」を奏でようとする事、その違い ⭐️そこばかりにこだわって練習に時間を使うのではなく、もっと重要な、温かみを生む良い響きの音を目指したり、各声部の旋律を大切に… よくわかりました。 また、完璧な純正音にこだわり過ぎると、感情のたかぶりや、人間的な音の震え(嘆きとか悲しみ、爆発的な喜びなど)が失われる恐れが有るのだと理解できました。 ポッキー、その後も確率がどうだったか、宜しければまた教えてくださ~い😊笑
@hidekisatou8
5 ай бұрын
サックスの故阪口先生からは、和音の構成によって指使いを変えるように指導を受けました。自然に良く聞けるように調整していくのが大事ですね。スライド管も組み合わせてますから。
@tssakai4776
5 ай бұрын
純正律は数ある調律法の一つに過ぎないと私は思っていますが、 「純正」という言葉のイメージで一番良い物と思っている人が少なからずいるのかもしれませんね。日本人は潔癖症が多いですからね。
@JackieMatthews610318
5 ай бұрын
「純正律という音律」を求める話になるからこそ、そんなの無理という結論になるのも当然だと思います。 場面ごとに「純正音程」を目指すこと自体は方向性としてはアリだと思うし、逆にそれを「ここでは目指さない」ということもあって良いのだろうと思います。 そうした取り組みの中で、音程による響きの多様な楽しみに敏感になっていくことは良いことだと思います。 ただ、それが厳密な…?というか数値的に正確な「音律としての純正律」に合っていなくてはならない、と決めつけてしまうのだとしたら、それは全くナンセンスでしょうね。
@masakihasegawa5968
5 ай бұрын
合唱をやっています。 割と純正律(純正調)のことを指導されています。「長和音の3度は低めだ」「短和音の3度は高めだ」と言われ続けて何十年か経ちます。でもいつも「音色がパート内で合わないことの方が…」「声の浅さの方が…」などとも思いながらハーモニー練習をしています。 ただ指導者側から考えると「音楽に数量的な目盛りで指摘しやすい」のではないかと思います。また「ただ漫然と歌うないように」「パートの中も他パートも聞いて」を違う言葉に言い換えているのかもしれません
@ムナカタシンジロウ
5 ай бұрын
そもそも「純正律」という言葉が良くないと思います。コトバのイメージとして、まるで唯一かつ究極の正解であるかのような誤解を生む。とある動画では、学校に純正律と平均律のピアノを持ち込んで、それぞれの和音を鳴らして「純正律はきれいでしょう。これが本当の音楽なんですよ」などと子供たちを「洗脳」していたけれど、ほんと、こういうのは止めてもらいたい。純正律の音階で曲を演奏したら、メロディーラインにインパクトのない、間の抜けた、しかも不自然な演奏になることが多い。だから実際は誰もそんなことはしない。 そうじゃなくて、たとえばコラールの節目のフェルマータの付いた長い音などで「純正な響き」をつくろうとすることは当たり前にやられている。 先生もおっしゃるように、そのことと「純正律で演奏する」ことを混同すべきではない。
@サワムラ博士
5 ай бұрын
最後、チョコレートの向きすら正確に合わせることができないのに1セントのズレを合わせるなんて...、というシニカルなメタファーが込められてるように感じました。笑
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
ウマい‼︎ (巧い🤣🤣🤣) (美味い☕️😋🍫)
@ライゼンデア
5 ай бұрын
座布団 差し上げたい🎉
@たかなみ-c2b
2 ай бұрын
今更ながらのコメントで申し訳ありません。 小生はアマチュアの下手の横好きのOb.奏者ですが、ちょっとぐらいの音律のズレは響きでカバー出来るし、周りと仲良くなる豊かな響きを演奏者は目指すべきだというのが小生の信条です。オケの本番では管楽器のそれぞれの特性や奏者が音がズレている「アレ?何かおかしいな~?」と気づく感度が違います。あまりにも半音近くズレているのに気づかず演奏していると直接指摘しますが、限度もあるので、ズレのゆらぎで許容出来るぐらいのハーモニーに持っていく為に自分から音を似せてあたかも合っているように聴こえさせるように心がけてます。仲間がいなければオーケストラ、アンサンブルは成立せずただの自己満足のテクニックのアピール合戦になってしまいめちゃくちゃになります。 木管だとフルートやクラリネットは押さえるキーが減る高い音になるとどうしても音程は低めに聴こえますし、焦ると肩にチカラが入り余計下がる悪循環に陥ります。だから自分からその楽器に寄り添い、「ココはソチラの音程やビブラートの波長に合わせるから極力皆で寄せていい響きを作りましょう」と言うようにしています。それによりみんなで寄り添いあい音程が完璧じゃないけど「ゆらぎ」のいい塩梅の心地よい響きが生まれる、と思います。 多少純正5度のメジャーの和音、マイナーの和音の知識だけあれば、あとは奏者の「アレッ」という感覚がしっかりしているか否かとも思います。 ところで、吹奏楽指導で音程ばかり押し付けでしまいにはチューナーにマイクつけっぱなしで演奏指導し、ハーモニーディレクターばかり使う指導も蔓延しており、それが「アレッ」と思う感性を鈍らせているとも感じ、この指導はやめてもらいたいとも感じております。ゆらぎと周りをよく観察して音楽の豊かな響きを出す教育自体が非常に難しいのはわかりますが。コチラは由々しき問題です…
@nicochin3
5 ай бұрын
伝統的なパイプオルガンの音律について学ぶ人がもっと増えるといいなと思います。ヨーロッパには津々浦々に教会があり、教会にはオルガンがあって、そのオルガンは古い音律を今でも守って使い続けている物が多く、人々は教会へ行くだけでその響きを聞くことができます。しかし日本にはそれがありません。これはクラシック音楽の理解や演奏において大きなハンデです。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
その古い音律は、何という音律なのですか? 純正律?
@nicochin3
5 ай бұрын
@@sH-cr5zc いくつかの基本的な音律を組み合わせて構成されている場合が多く、パイプオルガン1台ごとにそれぞれ少しづつ違うので、例えば「ハンブルグの聖ヤコビ教会のパイプオルガンの音律」というような呼び方になります。いろいろなパイプオルガンの音律について調べると、当時の人たちの考え方が見えてきて、オルガン曲のみならず、クラシック曲全般の勉強にとても役に立ちます。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
@@nicochin3様 詳しく回答していただき、ありがとうございます😊😊 古くから、様々な音律があるのですね。聴き分ける自信はありませんが、ヨーロッパのパイプオルガン、聴いてみたいです。
@ebikoge
3 күн бұрын
「純正律」というキーワードで動画を見ていると、作曲当時響いてた曲と現代の平均律で響いている曲は違う(利便性のために和音の濁りを許容した劣化版)!みたいなことを言ってしまうチャンネルもありました。私は趣味でピアノを弾いてることもあり、少しもやもやしてたのですが、車田さんのチャンネルに辿り着いて良かったです。車田さんは、説明する順序の考慮や、背景に知識があるだけでなく、「事実」と「車田さんの実感」と、「歴史上の推定事実」をきちんと分けて説明することにも配慮されているように感じ、非常にフェアな印象を受けました。
@toruishihara3369
5 ай бұрын
前回の動画で純正律というものを初めて知りました。実際の演奏では純正律で演奏するのはほぼ不可能というのはその通りと感じました。純正律を追求しようとして大事なものを忘れてしまっているとすれば残念と思いますが、それぞれの人が自分の価値観で音楽に向き合うのも自由という気もします。いろいろな音楽の在り方があって、全ての人が自分の価値観で楽しめればいいのではないかと思いました。 話は少しそれますが、動画の中で通奏低音に触れられていたのに非常に興味が湧きました。通奏低音についてはずっと気になっていて、それをメインのテーマにした動画を作っていただけると嬉しいです。
@katoy844
5 ай бұрын
興味深い説明ありがとうございます。私はギターしか弾いていないので、構造上12平均律しか知りませんでした。音律とは違いますが、コンサート会場のアコピを使うと明るい音色になるようにA=441Hzに調律されていたり、音楽には様々な工夫があるようですね。
@st-god.k28
5 ай бұрын
問題になるのはメジャーの3度ですよね。 前回車田さんが仰られてたように楽曲の最後の和音くらいでしか純正律にするのは不可能ですよね。
@HSEISYU
5 ай бұрын
参考になる動画ありがとうございます。本当に素朴な疑問で、車田様か他に視聴者で経験がある方がいたら教えてください。 まず、動画で示されている5度の2セント(半音で言う 2 %)のズレは、すべての和音のズレの中で最も小さいズレですよね。この5度のズレが気になったことは一度もないのですが、例えば3度の和音で14セントのズレ、最も重要な属七を作る自然七度である短7度に至っては平均律と31セント(半音で 31 %)もズレがあり、これは前回の動画の汚い和音の例として出てきた「純正律のレとラの和音」の18セントのズレと比べても2倍近いズレがあり、素人が効いてもはっきりズレが認識できるレベルのズレだと思っています。 で。ここからが質問です。私はピアノを弾くので、一人でピアノを演奏する分には30%ズレてると言われてもそういうものだと受け入れているので何も問題がないのですが、オーケストラなどの合奏ではどのようにしているのでしょうか? まず、各楽器の倍音は基音に対して純正で音が鳴りますよね。また、倍音を使って音を鳴らす金管楽器は倍音の性質上、基音に対して勝手に純正の幅で「鳴ってしまう」わけですよね。この時点で平均律に合わせることはできなさそうです。他に、フレットのないバイオリンやコントラバス、トロンボーンでは、演奏者が(開放弦以外を弾く時に)「耳で他の楽器の音に対して和音が最も綺麗になるところに合わせて演奏する」と、これも勝手に基準音に対して純正の幅になってしまうと思うのです。逆に平均律に合わせて演奏するためには、自分が一番綺麗に和音が響いていると思う高さから、頭で考えて逆に少し高くしたり低くしたりズラして演奏しないといけないと平均律にならないと思うのですが、バイオリニストはこのような操作をしているのでしょうか?2セントの差は多分気づかないので問題にならないのですが、素人でもはっきり違いを聞き分けられる3度の14セントや短7度の31セントのズレの時にどのように演奏しているのかが気になります。オーケストラでは楽器間でも平均律と純正和音を出すものが混在していることになり、他の方のコメントでも吹奏楽で音の高さを合わせることに全力を出しているという情報もあるのですが、では合奏をする時に「綺麗に響かせようとする」時には一体どの楽器のどの音の高さに合わせるものなのでしょうか?
@user-st5vz3fi6l
5 ай бұрын
属7はウネリが生じることで、ドミナントの緊張感が演出されます。縦の純正律で合わせてしまうと終止感が損なわれてしまいます。そう考えると、縦横の関係性も含めて分かりやすいと思います。
@HSEISYU
5 ай бұрын
@@user-st5vz3fi6l つまり、オーケストラでもあえてズレたままの方が好まれるということですね。ありがとうございます。
@RiderMasakana
5 ай бұрын
管楽器を演奏しますが、和音にはそれぞれ特有の響きがあります。 オーケストラなどで演奏する場合も瞬間的にハーモニー、和音の響きは掴めますし、自分の音がハーモニーの正しい位置にあるかどうかは感覚で分かりながら演奏していると思います。 そういう中でも和音や音程によってはうなりの生じない純正音程でハーモニーを構成することはありますよ。 その方が美しい和音もありますから。 その時、その時ではないでしょうか。 平均律か、純正律か、で片付くような問題ではないと思いますし、だからこそ音楽は奥が深いのだと思っています。
@user-st5vz3fi6l
5 ай бұрын
@@RiderMasakana 純正律の話って基音だけ(倍音を含まない)の音での理屈が1人歩きするから厄介なんです。 シンセのノコギリ波のような無限に倍音を含んだ音の場合、平均律が最もウネリが消えます。 プロの場合は、属7などは個々が響きのある音色を作って平均律に近づけてたりとか、1度はアタックは平均律で入って減衰に伴って純正律に近づけたりとか、ピッチだけでなく無意識的に音色のコントロールもしています。 ただこれ、やってる本人達も知らず知らずにやってることが多いです。
@HSEISYU
5 ай бұрын
@@RiderMasakana その時々で工夫するということですね。管楽器奏者の方からの情報ありがとうございます!
@Mariageshokaikoh
5 ай бұрын
とある大学吹奏楽団でクラシックの大曲を編曲して演奏する楽団にいましたが、毎回ピッチを合わせる事にものすごい体力と精神力を奪われ、トップパートだけでなく下のパートであってもものすごいプレッシャーで押しつぶされて、その楽団を退団しました。 B♭トランペットでチャイコフスキーの白鳥の湖を吹くとものすごい数の♭の調にしなければならず、ピッチ調整の嵐でした。 唯一の解決策はその楽団を退団することで、やっと体調は少し落ち着けました。まだ、こういった音程調整に全てを掛ける楽団じゃないほうが僕には合っていたようで、管弦楽団、別の楽団でのびのびと演奏できましたし、一度プロのオーケストラを指揮させていただく体験をいただきました。純正調で合わせようとして魂をすり減らすような音楽はもうこりごりです
@Greenthumb-x4s
5 ай бұрын
昔の吹奏楽は編曲物でシャープ系の原調をフラット系に移調してあるものが多かったのですが、今は原調を変えることはほぼなくなりましたね。 オケのクラシック曲を吹奏楽用に編曲している時点で原曲とは別物になってるんだから、響きの良い調に移調するのはアリだと思うんですけどね。 私も吹奏楽で白鳥の湖をサックスで演奏してアホくさくなったひとりです。今はオケでやってますが、今度はオデットと王子のパドドゥでフラット6個を弦楽器で弾くという地獄を見ていますw
@ktk2501
5 ай бұрын
最終的には響き・楽器や声部の相互の関係で「どう聴こえるか」ですから。。。 合唱なんかだと、余程うまくないところだと、伴奏なしで試唱させてみると、歌い始めと終わりで、4分の1音(下手すれば半音近く)下がっていたりします。 曲中の転調ごとに、機械的に(純正律に従った各音の)ピッチが正しい・・・ように歌うことほとんど無理でしょう。 電子音源などで、実験的に・・・ということはできるかもしれませんが、実際にやってみたらどう聴こえるのか・・・
@ptptsoushu
5 ай бұрын
うん十年前に高校吹奏楽部だった時和音を響かせる練習してたんですが、実際曲の中でこれができる気がしなくて、できてる人はすごいなあって思ってました。でも誰もできてなかったんですね(T . T)。 長年のモヤモヤ晴れました。ありがとうございます
@cuprum_29
5 ай бұрын
素人からすると、音律の違いなんて聞き比べないと分からないし、チューナーが示してくれる平均率でゴリ押すのが楽だし、より正確な響きが欲しい時だけ平均率からズラすぐらいで良い 全ての素人が限られた練習時間で、長い時間をかけて訓練されてきた音楽家の耳を習得することは不可能なんだから、チューナーを正解とした方が嬉しい
@野上妙子-v5l
5 ай бұрын
なかなか難しい話ですね。私は今ほとんど楽器を演奏することをしておりませんので、あまり分からないですが、聴く側の判断では、良い演奏、悪い演奏の違いはわかりますね。
@partyumd4371
5 ай бұрын
純正律信仰は宗教だと思っています。
@tsyshito
5 ай бұрын
純正律を徹底しようとするとちょっとずつ高さの違う音を区別して扱う必要がありますが、西洋音楽に純正三度が採り入れられて以降も音名が分離されていないあたり、そのような取り扱いは土台無理だったということなのでしょうね
@WanderBird1962
5 ай бұрын
以前、近所の少女たちが歌う四重唱を聴いたときに、その純正な和音の美しさにものすごく感動したことがあります。 多人数によるアンサンブルでは難しいかもしれませんが、1パート1人の重唱や室内楽では基本、和音は純正にとった方がより美しくなり説得力が増すケースが多いのでは。 もともと西洋音楽の3和音というのが、残響の多い教会音楽から生まれたわけですし、基本3和音を純正にとろうとするのは人間の本能的な行為のように思います。 一方で横のメロディラインをより情感豊かに歌おうとすると導音の半音を狭くとり、いわゆるピタゴラス音律に近づくわけで、結局先生の言われる「その場面ごとにもっとも感覚的によくなるように演奏者がピッチを調整する」というのが適切な方針ではないかと自分も考えます。 曲によっては逆に和音が濁ることが一種の表現となりますね。バッハの平均律クラヴィーア曲集は、♯♭の少ない調は純正律に近く、多い調ほどピタゴラス音律に近づく(和音が濁る)ヴェルクマイスター音律を想定して書かれたと聞いたことがあります。実際ヴェルクマイスターに設定した電子ピアノで最後のロ短調を弾いてみたことがありますが、通常の12平均律で弾いたときよりも、あの曲の陰鬱な曲調にぴったりの緊張感を出すことができるように感じました。
@kinnkanntei
5 ай бұрын
同意見です。 誤解を恐れずある程度以上の人向けに書くなら、「音程はなりゆき」です (^^)」
@キャロットスネーク
5 ай бұрын
純正律の「和音」は確かに美しいですが、純正律による「旋律」は気持ち悪いですよね。 旋律を美しく聴かせようとすればピタゴラス音律に近い音程感になると思います。 その時点で3度や7度の音程の取り方が真逆になってしまいますね。 アマチュアの演奏ではよく破壊的な音程で演奏してしまう人が現れますが、破壊的な音程を矯正しようとして理論的な説明すると「平均律」や「純正律」という言葉とともにその理論が話されるといった流れでしょうか? それが伝統的に繰り返されてきた結果、純正律が神格化してしまったのでしょう。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
スミマセン、ピアノ教室に通ったことがある程度の素人なのですが質問してもよいでしょうか? そうしますと、弦・菅などのオーケストラ奏者は、ピアノ協奏曲を演奏する時と、謂わゆる交響曲やバイオリン協奏曲(ピアノ抜き)を演奏する時とでは、同じドミソでも微妙に違う音の高さで演奏している、ということなのでしょうか? ピアノは始めから否応なしに平均律で調律されているので、ピアノの音律(音程?)に合わさざるを得なくなりますよね。それに対してピアノ抜きの場合は、ピアノの音律に固定されない分、自由度が高くなり、同じドミソでも音程の幅がもう少し広くなったり狭くなったりするとか……。 言葉が足りず、要領を得ない質問で申し訳ありません。今回の動画を視聴して、皆様のコメントを読んで初めて「ピアノのドミソ」ではないドミソがあることを知りました。そしてオーケストラ奏者の方々が、最も美しい響きになるように全体の音とのバランスを考えながら音を作り、演奏していることも初めて知りました。何人かの方が仰っていましたが、純正律とか平均律とか、実際の演奏場面では、そう云う話ではないんですね。要は最も美しく、心を震わす演奏になることが大切ですものね。 前回は、純正律に拘ることの無意味さ、今回は、人間が完全に純正律で演奏し通すことなどあり得ない、と云ったお話でしたが、改めて演奏する上で何が最も大切なのか、私なりに理解しました。始めは難しそう!と怯んだのですが、繰り返し視聴し、皆様からのコメントを読んでるうちに、あまりの奥の深さに結構ハマり込んでしまいました😊😊 そして、前回の解説で先生が最後に仰ったことですが 『人間とは不完全なもの。でも、その不完全さの中に、それぞれの人の持ち味がある』 この言葉は音楽に留まらない深いもので、私は心から感動しました。 🎵😊❤️😊❤️😊🎵
@私の愛馬は凶暴です
5 ай бұрын
動画の中でおっしゃられていた「同じパートの楽器でもピッチがズレている」わけなんで、多分、ピアノと他がズレても音色が違うし余程でなければ「それも味」ってことでは。 また、オケの各パートでのピッチのズレも、ピアノの同ピッチのはずの弦を「わざと」少しズラして音色などを調整するの調律のうちなと同様なのでは。 なのでそれらズレは完全排除すべきものではないという動画中の話に通じるところでしょう。そう考えると原理主義的に純正律を狂信するのもなあということなんですが・・・
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
@@私の愛馬は凶暴です様 お返事ありがとうございます😊 音をズラすにしろ、合わせるにしろ、オーケストラの皆様は優れた耳の持ち主なのですね‼︎ ピアノの聴音とは次元の違う耳の良さ。また、その本当に微妙な違いを音にしてしまうところが凄い。もちろん歌手の方も同じです。前回の解説で、車田先生がオルフェオの歌唱をする際に、半年かけて純正律で歌う練習をした、と仰っていましたが、そのような微妙な音を歌い分けてしまうとは、改めてプロの凄さを実感。 今回は本当に、今まで考えたことも無いことを、たくさん知ることが出来ました。ピアノの平均律ではない音の世界。そしてピアノには無い音の響き。 そして何より、そういった音を聴き分ける・演奏し分ける凄い人達がいて、そのような方々の生の声をコメント欄を通じて聴くことができて、本当に有り難いこと、この上ないです😊😊
@kazuhisakurumada
5 ай бұрын
オルフェオを純正律で演奏することなどありませんので誤解なさらないように・・。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
@@kazuhisakurumada様 申し訳ありません、完全に私の勘違いでした。平均律ができる前の時代に「純粋な三度を響かせる」調律を、純正律だと思い込んでいました。いや、本当にスミマセン。穴があったら入りたいです。 ミーントーンという音律なのですね。オルフェオを検索しましたら、先生の公式ブログがアップされたので拝読しました。 私はピアノの平均律がドレミの全てだと長年思っていたので、このような音律で成り立つ世界があるのは、何とも不思議な感じがします。
@user-vxymoqm
5 ай бұрын
いつも御教授ありがとうございます。 クラシック音楽は奥が深いですね。 私は理論に弱いです🙏🙇
@dunsford3291
5 ай бұрын
難しい話題でしたが、結局のところ音律は音楽の一つの見かたというか、要素であって、これが全てではなということと理解しました😅 私のような素人の聞き手にとっては、数セントの違いなど分かるはずはありません😂 私は、聴いている音楽が自分の感情を響かせてくれたら、それで満足です😊
@れろらりる-u4p
4 ай бұрын
仰る通り、管楽器で例え同じ音を吹いていても運指が異なれば出ている倍音列はそれぞれ異なります。
@エルマー-l6n
5 ай бұрын
すごい考えさせられる動画でした。 吹奏楽は特に純正律に合わせるのに何時間も使うことが多いです。 ハーモニーディレクターと呼ばるのを使って音程合わせをするのが正しいという宗教的な信仰があると思います。 そのせいで、どこの学校も無機質でつまらない演奏が多いと思います。 私は、純正律は部分部分で上手く使うことがいいのかなと思ってます。 和声を魅せたい時だったり。 メロディックな部分や、複雑な和声の時などは、純正律とかをある程度無視すべきだと思います。
@いと-i8p
5 ай бұрын
指揮者登壇前にコンマスが音出して一斉にチュ-ニングが始まるのは何度も見てきましたがアマチュア吹奏楽では学校やイベントなんかでも即演奏の記憶しかなく裏でそんな機械使ってたんですね。 昔から吹奏楽に躍動感を感じたことがなかったのはそんな調律原理主義のせいなんですかね。 ジャンル違いですが世代的にもYou & Explosion Bandの洗礼受けてるんでスィング感の無さが・・・。 それこそヴァントのクナ8(リューベック教会)4楽章の導入部なんて、おお~思いっきりスィングしてるやないけ!!でお気の五指(当のヴァントが響き過ぎと嫌ってる録音ですがシンフォーニーホールでのライブのイメージそのままなんで後年の物よりこっちが好きですね)。 時期は春のG1 真っ盛り、天皇賞やクラッシクなど格のあるレースでは自衛隊や消防庁はたまた警察などの吹奏楽隊による生ファンファーレがあって毎年楽しみにしてるのですが、格下のG1の時は地元の大学の吹奏楽部とかで正直何回聞いてもん・・・としか。 こんなところにも教育とか組織とかの構造的なものがあるんですかねえ。
@エルマー-l6n
5 ай бұрын
@@いと-i8p 吹奏楽コンクールのシーズンになると顧問の先生や音楽担当の生徒が鬼の形相でピッチ合わせやハーモニー合わせに大量の時間を割いてるのが実情です。 そのせいで、コンクール時期が苦しいと思う生徒も多いと感じます。 おっしゃられている吹奏楽の躍動感のなさや、純正律の問題は、知識のない顧問や生徒がそれっぽく練習してる感のためにやってるのではと思います。 特に強豪校と言われる学校ほどこの傾向が強く、全国大会の動画がKZbinに上がっていますが、退屈この上ありません。 そういった強豪校を評価してしまっているので、その他の学校も正しい練習法だと錯覚して脳死で取り組んでいるのだと思います。 私は、今年コンクール指導の予定があるので、こういった正しい知見を広められるように取り組んでいく予定です!
@user-st5vz3fi6l
5 ай бұрын
@@エルマー-l6n 管楽器は弦楽器よりもピッチのズレが濁りになりやすい(響きとして成立するズレ幅が狭い)ので、同じ高さの音を出してる人同士のピッチを合わせる事は重要です。その上でハーモニーには色々な取り方があるという話ですね。 純正律至上主義を否定すると、今度はチューニング無視の“バカ鳴り至上主義者”が湧いて出てきますのでご注意ください。 どちらも、吹奏楽界隈あるあるです。
@yasushifukai4212
5 ай бұрын
原始時代に、火を囲んで唄を合唱していた頃は感覚的に気持ちのいい和音が重なると、気持ちがたかぶったり霊的な感情にとらわれたりしたのでしょう。 時代がくだって楽器が進化し肉声と合わせる様になると音律という技術が生まれ、就中純正律が理論の中心的支柱となったのでしょうか? それでも、和音進行で生じる「矛盾」との調整のために、平均率が工夫されていったとの解釈で間違っていませんか? 音楽のスタートが、いい音で気持ちを伝えるという動機からなので、鑑賞させていただく時には素直に演奏に聴き入りますね。 ところで、シュアーのマイクも素直で敏感にいい音拾いますねー。
@ken3bos
5 ай бұрын
前の動画は観ていないですが、車田先生がここで仰っていることは(当然ですが)全て正しいと思います。バロック以後の楽曲を純正律で演奏するのは不可能。音律と和音の話がごっちゃになっている人がいる、音色など他に大切なものがある、など。 ただ、吹奏楽などの指導においては「純正律スケール練習」が行われていたりします。楽団全員で各調性のスケールを軸に和音の響きを学ぶものです(ごっちゃの原因?)。私はそれ自体が「無意味」なトレーニングだとは思いませんし、たとえ完全5度の2セント差は軽微でも長3度の13.7セント差を知っておくことなどは、近代現代の楽曲を演奏する際であっても役に立つ一つのファクターにはなるのかな、全く否定するものでないのかな、とは思います。
@user-st5vz3fi6l
5 ай бұрын
響きと濁りの境界線を体得する機会がほとんど無いんだと思います。どっちも"うねり"ですので。 プロの音ほど個々の音に倍音がたくさん含まれてるので、フォルテを縦の純正律で合わせると、ビブラートかけたような大きなうねりが生じてしまいます。シンセサイザー使うと、サイン波(倍音全く含まない)に比べて、ノコギリ波(倍音無限に含む)は平均律の方が響かせやすい事が確認できます。サイン波はどっちでも響きの範囲に収まりますので、純正律も効果的です、
@s.michael1242
5 ай бұрын
いつも動画、ありがとうございます。わたしは幼い頃からリコーダーをやっていて古楽器(奏法)から音楽に興味を持ったのですが、アンサンブルなどで一部に(でも強力な)純正調至上主義のような演奏・指導があって謎だったのです。本物のレガートについても、先生のお考えに納得します。個人的には、これは日本の(音楽)教育の欠点のように感じるのですが、ヨーロッパではいかがでしょう。ポッキーのドイツ・クオリティーのように、海外では正確であるかよりも、おいしいか(価格にみあって)が大切だと誰もが分かっている気がします。日本は美しく過剰包装した中からちっちゃなお菓子が出てくるような。音楽も似ている気がします。
@shigsu8250
5 ай бұрын
音楽に何が大切か、とても分かりやすい解説。ありがとうございました😋
@郁也中田
5 ай бұрын
他の事に注力した方が総合的に良い方向に向かう気がします。
@k.kawasaki5966
5 ай бұрын
とても勉強になりました。今後の演奏に生かしたいと思います!
@yoshikazuono9696
5 ай бұрын
車田さんが仰るようなことは先ず全き正論で、音楽という藝術の《声》のお仕事の人からよくぞ言ってくれたという感じなのでその説得力とともに感謝です。古来、暫し参照を試みようとしてきた古ギリシャの数理と物理現象的音の関係を音楽の枕として用い純正律に触れてのお話は、実に奥深くありますよね。器楽と声楽との間で、ハーモニーもそうですが、やはり倍音の包み方はトーンの味わいに来るelementとして把握している点が響き方に対して決定的に重要だという風に音楽的に納得がいきます。きっとヨーロッパに生き残るガリア由来の多数のハーピストの方々も、「うん、そうだよ。」ということでしょう。
@yoshikazuono9696
5 ай бұрын
また、素朴だが大切なことに、《音》は減衰しますからね。笑 それぞの旋律の波長との最小公倍数は、とかやっている内に音は空間の空気と和解し、何かしらフォールディングしトーンを生命の時間に残し消えちゃいます。
@yoshikazuono9696
5 ай бұрын
それから、最近フランスの楽団がデジタルではあるが録音した、グラスオーケストラの音源を聴いたら澄んでいて面白かった。これらのピッチ調整と調律は興味深いです。
@yoshikazuono9696
5 ай бұрын
もう一つ作曲家視点から。 白鍵のみを用いた平均律で合わせておいて、それに最もマッチするE aug5のフリジアンスケールを基調音階として作曲しているが、オープンチューニングと擦り合わせたフレーズのために、ピッチを純正律よりにレギュレーションを入れていくと#♭なしのテンションを交えてもクリアな段々と音律が澄み渡って聴こえてくるが、4度のインターバルの音程と5度のそれのみを調律の基調としてさえ実はピッチ測定すると、それは 少しだけずれているがそれがよい響きだったりする。波長と波長がキャンセルしないポイントは割りととれる。このことはスライドを用いる響きと奏法上に深く作用してくる。アンサンブルなら ペダルスティールは音空間上、背景に聴こえる透明さにフィットするくっきりしたチューニングが合うのだろう。自身の考えでは、というか感性では純正律は志向する音と調律のものは、アンサンブル上では、より背景へと退く音定位が自然な響き方になったりするのかな、と。
@yoshikazuono9696
5 ай бұрын
それから、Rootに対して5thが2cent程ずれると純正律とは言わないというお話に出てくるその2centというピッチは、例えばA=440でA音を鳴らし、そそれを聴いた後で、今度はA=442でA音を鳴らしたのを聴いても、「何か殆ど同じだな。。」と感じるのが世界一般の耳だが、それらの音を同時に鳴らすとその2centが空間上に作用したその音程の差違を現象する境界から主体的に折り返し、その臨在をトーンに表象し直す。つまり、同時に鳴らすと聴者は 現象学的還元して結果、A音は抽象するが、それが440でも442でも音場に作用する丸め込んだトーンにさようした響きの違いとして聴き取れはするのだ。同時にならされると一つの音を空間への判断、それは位相差を知覚出来、他方で音の時間への判断はトーンとして知覚するという知覚のパーティカクテル効果から、GivenとGiftを生命あるものの感覚にそっと内包させる。
@H1RAD0N
5 ай бұрын
純正な響きが難しいのは、移調楽器と曲の調性の関係を考えると分かりやすいのではないかと思いますが、やっぱり無理かなぁ〜
@kopepeboninn
4 ай бұрын
ボーカロイドなら 純正律は可能でしょうか そうであったとしても、やはり好みは人それぞれなんでしょうね。
@gposted
5 ай бұрын
1セントもずれずに演奏するのが不可能と言うなら平均律も不可能なのではないでしょうか。その上で特にベルリン・フィルなどトッププレイヤーの演奏を聞くと、明らかに金管の和音がぴったり揃っています。明らかに純正律に近いピッチコントロールをしていることが簡単に確認できます。平均律を意識しているプレイヤーなどいないのではないでしょうか?
@みちみち-q9b
5 ай бұрын
和音が揃う=純正律とは限りませんよ。そもそも古典派以降の音楽では、和声が重視され、そこで多く使用される属7の和音を純正律でならすとすると、すごく濁ったように聞こえます。 つまり、普段から聴き慣れている和音は実は純正律からするとすごく濁っているという可能性もあるのです。 しかし、逆をいえばこの濁りのおかげで他の調に移調ができるようになりました。つまり音楽の可能性が純正律の音楽から広がっていったのです。 金管が揃っているように感じても、曲によっては、それは純正律の響きではない可能性があると思います。
@gposted
5 ай бұрын
@@みちみち-q9b 確かにそうですね。ですが平均律を目指して演奏しているわけでもないと思います。実際の演奏では純正律でも平均律でもないピッチコントロールをしているということでしょうか。(もちろんピッチ以外も重要ですが)
@みちみち-q9b
5 ай бұрын
@@gposted 楽曲、編成によってケースバイケースではあると思いますが、基本は平均律を目指していると言っても間違いないのではないでしょうか。 というのも、古典派以降の音楽はそのほとんどが平均律を前提に作られています。例えば、何か独奏楽器にピアノが伴奏をつける場合ピアノは平均律で調律されているため、独奏楽器も当然それに合わせます。ここで独奏楽器の奏者は、自分は今平均律で演奏しているという自覚がないことが殆どなのではないかと思います。 つまり、無意識のうちに平均律で演奏するように訓練しているわけです。平均律のひずみに慣れているという方が近いでしょうか? ピアノの演奏で多くの人が違和感なく演奏、鑑賞できるということは、平均律がそれだけ我々人類に浸透している証拠であると思います。
@summer1982orch
5 ай бұрын
プロなら状況判断して瞬時に音を合わせられます。相手のピッチが高くても低くても、音の立ち上がりが早くても遅くても。何の楽器でもどんな奏者でも。純正律とか平均律とか考えている人は恐らくいません。そんな単純なものではないです。オーケストラの音は常に変化します。チューナーのように正確な耳があるから音が合うのではなく、奏者たちが長い経験から獲得した技術があるからこそです。
@RiderMasakana
5 ай бұрын
オーケストラや吹奏楽などで演奏することがありますが、平均律や純正律など考えたことも有りません。 どちらかなのかと結論を導くことが無謀に思えます。 透明感のある純正なハーモニーは魅力的です。 しかし、六度や七度を含む不安定な和音の響きも欠かせません。 それをどう構築するのかということが音楽作りの醍醐味じゃないかと思っています。 同じ楽曲の演奏を聴き比べてもそれぞれ異なるし、それが音楽の楽しみなのではないでしょうか。
@summer1982orch
5 ай бұрын
今まで出会ったプロの指揮者たちは誰一人純正律で取ってくださいなどと言わなかったし、和声がどうのこうのとも言わなかった。オケ奏者なら知らない人はいない有名指揮者達の事です。出来もしないことを要求しない。頭でっかちな理屈を言わない。ああ本物の指揮者はそうなんだと思いました。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
演奏するオーケストラの皆様が一流なので、音律や音程のことなど敢えて口に出すことも無い?……オーケストラの皆様が、演奏全体を聴きながら、最も美しくなるようにバランスを考えながら音を出していることを初めて知りました。純正律とか平均律とか、そう云う話ではないのですね。 私の知り合いにオーケストラ奏者は皆無なので、今回、このコメント欄を通じて弦・管の方々の貴重なお話は本当に勉強になりました。 ありがとうございました😊🎵
@大森太郎-p8p
5 ай бұрын
純正律って、水で言えば蒸留水みたいなものなのかと思いました。 美味しくはないですよね。
@musasikonkon634
5 ай бұрын
和音の濁りは人間の耳が不完全なフーリエ解析装置みたいなものと書いてあったが、個人差もあるが、中には耳の構造がすごい人もいるのでしょう。?半音の50分の1を聞き分けられる、?
@arigatouokagesamade
4 ай бұрын
音楽は、聴衆が感動するかしないか・・・😁
@まめ-p8r
5 ай бұрын
真ん中マイクですね
@木村真季-g4o
5 ай бұрын
私は中高と吹奏楽部でしたが、純正律信者が多く存在していることをこの動画で初めて知りました。ご苦労様です。ちなみに、正確に音程をとって声を合わせるというだけなら、初音ミクなどのボーカロイドが完璧に指示に従った演奏をしてくれるので、興味のある方々は究極を追い求めてみてはいかがでしょうか。KZbinで動画をあげればバズるかもしれません。私は興味ありませんけどね。
@柿沼雅紀
5 ай бұрын
あらためて音楽はartであり、最後はheartが喜べば良しと言うことですかね?
@nousagi_tetz
4 ай бұрын
個人的には多重録音が嫌いです 同じ奏者が同じクセで演奏している音を気持ち悪く感じます また コードで考えれば皆さんご存知のⅠ Ⅳ Ⅰ Ⅴ Ⅰでドドドシドと演奏する時 メロディーとしてはこのシは高めに奏するのが綺麗なんですけど 和声を重視するなら低めに取るんですよね ここをどう解決するかⅤなのにⅤ7風にしたり ソとレを上げたり それは純正律とは違いますよね
@user-hz2tp2gc7v
5 ай бұрын
よく吹奏楽コンクールの全国大会で(特に一般の強豪)完璧に整った演奏をする団体がありますが、正直聞いていて面白くない演奏だと感じることがあり、また多少雑多なところがあっても味がある演奏の方が心が動くことがあります。 完璧に囚われすぎるのも美しくないですね。
@poocen-h5b
5 ай бұрын
キーが変わるごとに調律し直ささなきゃならなくなるからね。現実的でないよ。複雑な音楽になると、お手上げでしょう。このために平均律が生まれたんだと理解してますよ。中途半端だけど、平均律がまあ、いいんじゃないのかな。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
例えば、純正律の音楽の代表的なアーティストはEnyaですが、彼女の音楽は『癒し系』と言われてます。つまり、純正律の音楽を目指している人は、強い感情を伝えたり受け取ったりするのとは、違うものを求めているのではないでしょうか? 先生も仰っているように、現実のコンサートで、その演奏が本当に純正になっているかは甚だ疑問ですが、『純』『正』に触れていることそのものが価値になっているような気がします。音によるデトックス効果!とでも言いましょうか……。 結局、最後は個人の好みの問題のような気がします。音楽に何を求めるかは、人によって違うから。 因みに私は平均律派。そもそも純正律か平均律か、聴き分ける耳もないし、私は心が揺さぶられるような強い音楽が大好き。そういった多彩な表現が可能なのは平均律だからです。 🎵😊❤️😊❤️😊🎵
@michihirokabata2519
5 ай бұрын
入っている方向… なんか、車とかの故障で修理に出すとメカニックの前では正常動作する、みたいな。w もしかすると、タバコじゃないけど口でくわえるチョコの方が上で正常、なのかもしれない。 パッケージの写真も、SCHOKO&KEKSはチョコが上、ポッキーはチョコが下だし…
@グルネン
5 ай бұрын
真実を正確に理解・咀嚼しないで、自らの思い込みを盲目的に信じる。 信じる者は果たして救われるのか?
@MountShip
5 ай бұрын
結局・・・・ビジネスモデルとして擦り込まれた結果ですかね・・・・ 音楽産業、音楽指導、競技としての音楽技術・・・ 必要悪のような気もします
@sukasuka601
5 ай бұрын
勘違いしてました!勉強になります
@shufurukawa5529
5 ай бұрын
純正律の演奏は不可能と言いますが、今は周波数を指定して歌わせることのできるボーカロイドがあるので、実際に純正律で歌った場合はどうなるのか聞くことができます。それを聞いて純正律は素晴らしい、と思う人もいるでしょう。ボカロの歌声に合わせて歌うことで純正律で歌うのが実現できるのでは。
@editedname5228
5 ай бұрын
全てを純正律にすると 「和音」はキレイになりますが 「旋律の美しさ」が失われてしまいます。
@アンアン-e2y
5 ай бұрын
動画とは関係ありませんが リクエストがあってコメントしました。チャイコフスキーの交響曲5番も是非お願いします。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
いいですね! 私も『ロシア物』大好き😊❤️😊
@shufurukawa5529
5 ай бұрын
部活の指導での「純正な和音を目指す」ことは集団で一つの目標を目指す教育の一環だと思います。「美しい音」は抽象的ですが「純正律の音」は具体的です。指導する際には具体的な基準が欲しいのではないでしょうか。
@便利は不便
5 ай бұрын
素人の立場からコメントします。 純正律は、単に解なしの数学の話のように聞こえます。 実際には単音にもいろいろな周波数成分が含まれていて、すでに純正律を語るには汚れすぎと思います。この様々な周波数成分や、ビブラートなどがますます汚していく訳です。 純正律を推すならこういう不純成分を排除しなかればならないのではないかと思います。 スピーカーシステムで単音を再生できるかというとそれも現在の技術では無理な話ですくなからず歪成分が入っています。 車田先生のおっしゃるとおり、純正律は、限られた状況で、それに近いことしかできませんということなのだと思います。
@HSEISYU
5 ай бұрын
純正律はむしろ数学の解として導かれる産物で、平均律が純正律(=数学的な正解)からズレざるを得ない方法だということからこの論争が始まっています。そもそも「純正律」とはそれぞれの音の高さをどのように設定するか?という設定方法の話であり、一部の和音のズレを完全に消すが他の和音にしわ寄せがいく「純正律」か、均等にズレが分散する「平均律」かを選ぶという話ですね。単音については、弦をはじいた瞬間に出る雑音成分(色んな周波数成分が含まれる)と、弦が共鳴できる倍音成分(数学的には全て純正の成分だがズレもある)に分けられますが、雑音成分はすぐに消えるので無視されることが多く、基本的には長い間音が出続ける倍音成分同士だけが考えられることが多いと思います。その瞬間になっているすべての(雑音成分を除く)楽音成分が綺麗な整数比かどうかで「純正」かが決まるということです。バイオリンみたいに弦をこすり続けるため雑音成分がずっと続くような楽器もあるにはありますけどね。
@kasankesi7075
5 ай бұрын
以前取り上げていた日本の合唱問題と繋がってる気がします。 純正律という言葉を使うけど、求めてるのは無個性的な統一感なのでは。 それと、純正律の取り方って民族音階とかの地域性にも繋がるのかなぁなんて思いました。 さらに、専門的なディープな話にとても興味があります。
@HG-qj1us
5 ай бұрын
車田さんが仰る通り、一聴衆の私にとっては、純正律など音律は気にしていません、と言うか50年クラシックファンですが、それは知りませんでした。ただ作曲家の感情を演奏家がいかに解釈して聴かせてくれて、感動できるかどうかです。 それに加えて、プロの方々にお願いしたいのは、300年続いたクラシック音楽の伝統や格式、作曲者の思いを100年先の我々の子孫に正しく伝えてもらいたい。 音楽を再現しているプロフェッショナルの使命です、お願いします。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
そうですね! 何百年にも及ぶ長い歴史の中で、天才達が生命を削るようにして創造し、淘汰され、そして現代の私達の耳に届く西洋のクラシック音楽。人類の至宝ですね😊 演奏家の方々に果たされる使命。そして忘れてならないのは、聴衆にも果たされる使命がある!ということ。良い音楽を「良い」と受け容れることの出来る感性と、良い音を聴き分けることの出来る耳が必要ですね。貴方のコメントを読んで、常に聴衆の私はそんなことを考えました。 今回は、プロの演奏家と思われる方のコメントが沢山ありますね。その見識の深さ、専門性の高さには脱帽しました。日頃の努力と研鑽が、言葉の一つ一つに溢れ出ています。そのような方々から、私たち聴衆は素晴らしいものをたくさん頂いているのですね。本当に有難く、嬉しいことです😊😊
@HG-qj1us
5 ай бұрын
@@sH-cr5zc さん、コメントありがとうございます。 仰る通り、我々一般聴衆も過去の音楽を再現している現在の演奏家達をしっかり育てていく使命がありますね。今私が出来る事は、具体的にはコンサートに行って、私なりの評価をすることや音楽媒体を購入して経済的援助をすること、同時に私自身が楽しむ事と思っています。今から楽しみにしていることは、10月のフランクフルト放送交響楽団の来日公演、11月のウィーンフィル来日公演で五嶋みどりさんとの共演です。チケットは買いました。
@sH-cr5zc
5 ай бұрын
@@HG-qj1us様 🎼😊🎵
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