山奥に残された大量の石垣・・・かつて存在した謎多き集落跡を調査【廃村探訪 - 長谷集落】

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historica

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Күн бұрын

Пікірлер
@ココペリ118
@ココペリ118 Жыл бұрын
今回の石垣の高さは城壁レベルだね。最後の方の石垣の石は大きいかったけど、どこから持ってきたんだろうね。どれだけの人が携わって作られたんだろうね。タイムマシンで覗いてみたい。
@hemuhemuful
@hemuhemuful Жыл бұрын
石垣の石の大きさに驚きました。人力とは思えないです。昔の人の辛抱強さは凄いですね。 アンドウさんからの境界線問題に「??」顔のオカヤスさんが最高でした。
@user-zo2xx8yw7y
@user-zo2xx8yw7y Жыл бұрын
あんどうさん、おかやすさんこんばんは♪見ごたえある石垣ばかりで驚くばかりでした。動画の始めあたりに土管が写ってありましたが耕作地用や生活用に水を引いてた物なんでしょうね。炭焼き窯も沢山あり、貴重な現金収入か物々交換の生活の基盤だったと思います。高度経済成長で炭を生活に使わなくなってしまったことで集落が無くなるあの時代はそれまでの日本の暮らしをいろいろと変えていったんでしょうね。オカヤスさんが言った集落が自然に還っていく様も良いね、に、今まで私は集落が朽ちて無くなっていくわびしさがなんとも切ないと思っていたんですが、先人の方々の暮らしは自然と共に生活をし、そこで生活しなくなれぱ、自然にお返しする暮らしだったことを気づかされました。それにしても和歌山の廃村集落の石垣は、どこも素晴らしいです。そして、時代に思いを馳せる事ができる素晴らしい動画をいつもありがとうございます🙇‍♀️
@nari-tech5052
@nari-tech5052 Жыл бұрын
仕事が終わってからの夕暮れ時、晩酌しながらhistoricaの動画を視聴するのがマイブームになってる
@madrimex11
@madrimex11 Жыл бұрын
今回もワクワクが止まらない導入部分から始まり、見応え十分の素晴らしい集落跡でした。頂上まで登るのは大変だったことでしょう。お疲れ様です。400年近く前の住民たちが、石垣に囲まれ、どのような日々を送っていたのか、想像を巡らせるのは感慨深いですね。それにしてもあれほど巨大な石を積んでいく作業、重機もない時代にどれほどハードだったか。。。頭が下がる思いです。次回も楽しみにしています。
@しんちゃんの何でもありちゃんねる
@しんちゃんの何でもありちゃんねる Жыл бұрын
一つ一つ積み上げて行く途方もない時と歳月、先人の労を想像せずにはいられない。廃れ行く現在の田畑にその姿がダブついて離れない。
@紅葉ba--bay6t
@紅葉ba--bay6t Жыл бұрын
historicaのアンドウさん・オカヤスさんこんばんは~ 一週間すごく長く感じました🥲 ミツバチの巣箱にも歴史があったんですね~ 凄い石垣の迫力が半端ないですね~素晴らしい。 なんで石垣の隙間にお茶碗おいてあるんでしょうね。建物跡もありましたね。 ほとんど耕作地だったようですが・・・炭焼窯跡もありましたね。 今回もお二人の楽しいトークを楽しませていただきました。 ありがとうございます。次回も動画配信楽しみにまっています。 お疲れ様でした。
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 次回もお楽しみに。
@きょんきょん-b5c
@きょんきょん-b5c Жыл бұрын
アンドウさん、オカヤスさん、はじめまして。二週間ほど前から拝見して、楽しくて楽しくて過去動画を見まくっています。これからも安全に気をつけて活動してくださいね🍀
@船木祥啓
@船木祥啓 Жыл бұрын
これって集落の詰め城跡がそのまま集落に移行したんでしょう。 石積みは、一人で持てる最大級の石~二人で担ぐ大きさ~4名掛かりで運ぶような大きさ石と考えると、ここの石組は畑の石積みレベルの大きさではないですね、まさしく石垣、5-6人以上で運んだような大きさがたくさん見れる。 戦国時代後期の石垣で桃山時代で織豊時代に抵抗していた勢力の拠点があったのでは?(寺院も含んで) 滋賀でも愛知の新城でももっと石が小さいですよ
@kayoko-n2j
@kayoko-n2j Жыл бұрын
配信ありがとうございます😊 すごく立派な石垣ですね。 ご先祖が苦労して築かれた村を、去っていかねばならなかった人々の事を思うと、切なくなります。廃屋も残ってないし・・・ これから暑くなりますが、体調万全で過ごされることお祈りしています😀
@miumiu436
@miumiu436 Жыл бұрын
こんばんは😃🌃 いつも感心するのですが、昔の人は凄かった❗ 暮らしぶりは過酷だったのでしょうけど、助け合いながら心はのどかで温かな時代だったんだろうなって思います☺️ お二人の掛け合いにも癒されます☘️ いつも素敵な動画を有り難うございます👼💝
@よし-o4q
@よし-o4q Жыл бұрын
待ってました✨
@akizuki101
@akizuki101 Жыл бұрын
かってに考察します。 頂上付近に松が植林されていないのは、かつては神社があり離村時に移転され更地になり、 神域(集落の共有財産)だったため個々個人が植林出来なかったからでわないでしょうか?
@MrToracyan
@MrToracyan Жыл бұрын
アップお疲れさまです。 今回は立派な石垣でしたね。 いつも思うのですが、何を生業に生活していたんでしょう? 高度成長期の離村なら、どこかに現役時代の映像があるかも?
@shizukana-gaijin
@shizukana-gaijin Жыл бұрын
日本の森での逃避行、ありがとうございました!杉の成長は早く、この村には何も残っていません。お寺がなくなってしまうのは悲しいことです!その場所の神々は、あまりうれしくないでしょうね!
@奥田圭亮-k5h
@奥田圭亮-k5h Жыл бұрын
もはや城郭ですね。 山城が廃城になりそこに人が住み着いたのでは無いでしょうか?
@wanderersamurai1038
@wanderersamurai1038 Жыл бұрын
石垣が多様な積み方がされてるところからして、長い時代を経て造成されていったのが伺い知れますね。このまま埋もれていってしまうのは惜しいですねぇ。いつの日か宇和島の段畑のような活用ができたらいいですね。
@山田緑-n2h
@山田緑-n2h Жыл бұрын
こんにちは、山の中の集落はどこでも石垣を積んで、すまいや畑をつくって土地確保して生活してたんですね。こんな山奥にどうやって石を運んで立派な石垣を積んだのでしょう。当時の人々の体力と知恵に驚きます。ヒストリカさんの動画を見るみまで山間の集落の事よく知らなくて。お二人の会話も楽しいです〜。説明を聞きながらみたことない昔を想像してる。いろんな土地を紹介してください。とっても楽しい動画です
@kenggl
@kenggl Жыл бұрын
紀州の石垣🇱🇷素晴らしい🔥
@昇天ドラゴン
@昇天ドラゴン Жыл бұрын
先人達が築いた財産を、また有効活用できればいいですね。
@doriita1522
@doriita1522 Жыл бұрын
お疲れさまです 石の大きさ石垣の高さに驚きました ここ行ってみたいなと思いました 矢場とんはちょっとハマりました笑 ゴーラですがそういえば身内のところは四角と丸の両方ありました そんな経緯があるとは知らず勉強になりました
@スズキン村田
@スズキン村田 Жыл бұрын
この長谷川沿いの長谷についてを記載していたウェブでの記録は一つだけありましたが…その方のウェブ取扱にてリンク禁止、廃村訪問は危険なため当方のサイトでは一切オススメしないと書かれてましたので。リンクも貼りません。その方の廃村探索方法は、明治や大正や昭和初期などの古地図にあった地名を確認した上で、現在の国土地理院では消えている箇所の探索なようです。 我々でもやれる方法は…現在の字地を調べて、この字地の登記簿がこの長谷集落にあるか?くらいですね。明治や大正の旧登記簿は、このエリア管轄地の総務省がもってるデータにはありますので。 いずれにせよ、ここが城郭かどうか?のウェブ上での確かな証拠はないですね。城跡マニアさんの記録にも、長谷集落には触れてません。
@f.michiko
@f.michiko Жыл бұрын
今までこちらの動画を見てきましたが、住宅や畑の跡地には杉を植えることが多いのですね。 やはり土砂崩れとか防ぐために?
@jynsawai1631
@jynsawai1631 Жыл бұрын
お疲れ様でした🙇 まず 朝食の 850円あの量で 安いですね❗ 今回の集落 今までで 1番大きかったと 思うんですけど‼️石垣が 素晴らしかったですね❗昔は 住んでる人も 多くて 賑やかな 声が 響いていたんでしようかね。タイムスリップしてみたいです😄 今日も 楽しい動画有難う御座いました🙇
@kokoned288
@kokoned288 Жыл бұрын
お二人が頑張って探険してくださるので楽しんでいますが何があるかわかりません、きおつけて探険して下さい🙏
@F修子
@F修子 Жыл бұрын
なんか切ないですね。
@naosuke1010
@naosuke1010 Жыл бұрын
これはもう完全に山城レベルですね。 むしろ、下手な山城を超えている感じです。 城マニアの私的には、これで堀切や曲輪の跡とかがあれば山城認定ですね。
@ct3501
@ct3501 Жыл бұрын
山城跡をベースに村が出来たんじゃないですかね。堀切とかは別の用途に改良されていて山城時代の姿残してないかも……。
@大路紀子
@大路紀子 Жыл бұрын
毎回 楽しく見させていただいております🎉 ありがとうございます😊
@user-Thunderbird2
@user-Thunderbird2 Жыл бұрын
アンドゥ氏の鹿垣域の考察は、 進撃の巨人みたいで面白かった。
@Gekitakubaibai
@Gekitakubaibai Жыл бұрын
元和(げんな) 大阪夏の陣、家康死去の頃
@四面楚歌-y1d
@四面楚歌-y1d Жыл бұрын
やったー🙌朝から刺身定食食べれて良かったですね〜なんで刺身の味とか、最後の味の感想は無いのが寂しいです。でも今回の棚田のレベルは立派な城跡レベルで。何十年かかってどれくらいの人の規模が暮らして生活していたのか知りたかったけど見聞録がないことにはどうしようもないですね!食レポは端折らないでくださいね!食レポ割愛🙅はダメ
@NagiSakura009
@NagiSakura009 Жыл бұрын
お城とは? 元和???? インサートの説明からすると文献には残っていない集落なんですかね? 江戸期以前の検地帳はおろか近代以降の1960年代でも消息不明って珍しい気がします
@ct3501
@ct3501 Жыл бұрын
元々は昔の山城跡とかでは無いんですか? よく判りませんが……。
@マリ-i4e
@マリ-i4e Жыл бұрын
山間部にはよく石垣が作られていますが、どこも立派ですね。昔の人の技術と努力、労力に敬服します。消滅してしまうのは残念ですが、時代の流れには如何なるものも逆らえない、という事ですね。 いつもオカヤスさんとアンドウさんの掛け合いが面白くて見てしまいます。でも、山中の探索も大変な事ですが、お二人の努力に敬意です。
@robaicci5854
@robaicci5854 Жыл бұрын
たまたま土木関係のバイトして 庭の木1本を根こそぎ取り払う作業をしたことがあります。 高さ約4~5m位の普通の低木でしたがユンボを用いても2~3人で1時間程要しました。 傾斜地で石垣積む労力も去ることながら それ以前に森の木の伐採から始めたのでしょうか。 今の日本の山は杉ばかりになっていますが400年も昔はどんな山だったのでしょうか、すごく気になります。
@淳子土屋-z9j
@淳子土屋-z9j 2 ай бұрын
こんばんは。オカヤスさん、アンドウさん、いつも素晴らしい動画をありがとうございます。南河内のおばちゃんがまた再訪してコメントを失礼致します。いきなり凄い石垣で一瞬 山城かと思ってしまいました。でも石垣の状態をみせて頂きますと明らかに違うし、器の破片がありますから、立派な住居跡だなあと感心しきりです。上に行く程立派なので、恐らく上には村の長が住まわれていたのかなあと推察致します。和歌山県は台風や津波被害があるから石垣文化が群を抜いて素晴らしいのだと思います。矢場とん(笑)って仰る器は神具かなとみました。よくわからないスペースは、案外 神様の通り道かも?私の昔の実家には廊下の行き止まりに不思議なスペースがあり、母が神様の通り道 だと言っていました。神棚は別にありましたし、お社やお地蔵さんが邸中(庭等)にあるお家がありますが、お家の中にも神様の通り道があるのが一般的でした。私は畑のしし垣についてアンドウさん派(先の考え方)でしたが、オカヤスさんの考え方もありやなあと思います。アンドウさんの後の考え方はありそうだけど…多分感覚的には腑に落ちないです…というのは、その場合は畑の所有者は集落の方々の全員になり、あちこちに畑を作る必要がないからです。しし垣は畑仕事をする方が必ずしも作ったとは思わてなくて、しし垣の専門がいて、報酬に作物を頂いていたのではないかと思います。おばちゃんの推理を沢山披露させて頂きありがとうございます。
@ある-m1m
@ある-m1m Жыл бұрын
配信お疲れ様です。 やはり石垣が素晴らしいですね。城の石垣級のしっかりとした石組み。オカヤスさん比でもわかる巨大さ。逆に城の石垣を組むのに石材集めと同時に、山の村落の住民が駆り出されたこともあったかもしれないですね。 地主神の石塔に元和の年号があり、400年近く昔からこの神様が土地を守り続けているのですね。 炭焼き窯跡が結構あったのも嬉しかったです。 鹿垣についての考察も、動物から作物を守るには集落の真ん中に畑を作る、そういうのもありかも。 これからもお2人ご安全に。
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
いつもありがとうございます! あれを人が築いたと思うと途方もないですね。 先人の偉大さを垣間見ました。
@hope515
@hope515 Жыл бұрын
那智勝浦町に行ったら海鮮は必須事項ですね🐟
@F修子
@F修子 Жыл бұрын
マグロが美味しいよ
@Guardian016
@Guardian016 Жыл бұрын
記録なき集落に幾世紀の歴史ありですね。
@ササカカオル子
@ササカカオル子 Жыл бұрын
和歌山県の石垣がスゴくて、本当にどうやって?そして400年以上前からある集落とは!やっぱりhistoricaは2人でナンダカンダ言いながら推測し楽しい会話を聴きながら観たい動画です。400年前から昭和まで現存したのに歴史的資料がないとは…日本行政ってどうなってるのかな?残念です。だからこそhistoricaさんの活躍を期待してます!お疲れさまでした(^-^ゞ
@masaw5702
@masaw5702 Жыл бұрын
和歌山は、立派な石垣が多いですね。炭焼きが大きな産業であった時代には、そこまでしてここに集落を作る必要があったのでしょう。 例えば東北とか、九州とか、まったく異なる文化圏の集落も見てみたい気がします。全く異なる事情に基づいた生活が見えてくると楽しいですよね。
@neu_historica
@neu_historica Жыл бұрын
コメントありがとうございます! 東北はいつか行ってみたいですね。
@指人形
@指人形 Жыл бұрын
段々畑っていうやつですね、石は三又(みつまた)という道具を使って積みます、3本の丈夫な木の上部を纏めて縛って現代のウインチみたいに使います、水汲みのつるべ(ロープで滑車使って桶で水を汲むやり方)みたいな、昔の人達の頭脳は今の人達と違って、無いものを失敗しながら新たに作って、自分達で名前も作っていますね、上部は日本の里山という名前にはキツイかも知れませんけど雑木林ですね、追伸、熊が胴長靴を咥えて歩いてます、今日釣りをしていて行方不明だった人が亡くなっていたのを、発見されました、バラバラ状態なのか、頭部の後に他もね、その熊は駆除されましたけど、御二方も御安全に
@田中博幸-r1d
@田中博幸-r1d Жыл бұрын
850円が一番驚きました。
@hogohogehage
@hogohogehage Жыл бұрын
住居用に水平とった土地が 元和の時代から土砂にも埋もれず 現在まできっちり残ってる 一方・・・止めときます 杉の根の力ってのもあるかも知れませんが もったいないですねぇ
@nitro2525k
@nitro2525k Жыл бұрын
もはや城だね
@yukioh427
@yukioh427 Жыл бұрын
1615年? 江戸幕府の一国一城令による 廃城の痕跡かな❓🤔🤭 極秘の痕跡かも😁🙊
@nanami.4679
@nanami.4679 Жыл бұрын
1区画、大切に住む人々に安値で譲ってくれないかなぁ。 インフラ整備して住みたい人多いと思う
@小林ジジェク
@小林ジジェク Жыл бұрын
朝食が豪勢。那智勝浦ですか。 大量の石垣。丁寧に積み上げられた石垣。集落。 何百年間と積み重ねられた時間と人間の暮らしなのかな。
@平田弘明
@平田弘明 Жыл бұрын
山城跡じゃない
@kouka.18
@kouka.18 Жыл бұрын
廃村になるのはやはり、戦後高度成長や不便な生活でなるんだろうなぁ わざわざ…山の中にいる意味が無くなったからかなぁ
@user623wdt
@user623wdt Жыл бұрын
氏神様
@user-ew9ev3oj1t
@user-ew9ev3oj1t Жыл бұрын
お疲れ様です♪
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