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110年ほど前、静岡県の鍛冶屋に生まれた本田宗一郎が今回の主人公。いたずらっ子の宗一郎は小学生の時、村にやってきた自動車を見て大興奮。車好きが高じて16歳で上京、自動車修理工場で働くことになった。
でも、やらされたのは子守りや掃除など雑用ばかりで車には触らせてもらえなかった。それでも諦めずに頑張って修理の仕事を覚え、出張先の岩手で消防車を直して村人たちに大いに喜んでもらえた。
22歳で浜松に戻り独立。自分の修理工場を持つようになった宗一郎のもとに、腕の良さを見込んで次々に仕事が舞い込んできた。でも、宗一郎は修理ではなく一から自分の手でものづくりがしたくて、エンジンのピストンリングを改めて学校に通うなど苦労して開発、会社はさらに大きくなっていった。
しかし、戦争による空襲で工場は焼けてしまい、戦争が終わっても宗一郎は何をすればいいかわからなくなってしまった。そこに持ち込まれたのが発電機を回すための小さなエンジン。宗一郎は自転車に付けられるように加工して販売。バタバタと呼ばれるエンジンは大ヒットした。
念願の自動車製造を始めようとしたとき、国は自動車メーカーの数を制限する法律を作ろうとしていた。宗一郎は諦めず社員にハッパをかけ、四輪の世界にも乗り出した。また、世界一速いエンジンを作ろうと世界のレースに出場。F-1でも優勝するなど世界にHONDAの名を轟かせるとともに、環境に優しいエンジンを開発するなど、技術のホンダとして確固たる地位を築いた。