【睡眠用】面白すぎて眠れない!知られざる江戸時代の驚きの食事事情!【ゆっくり解説】

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おどろき日本史見聞録【ゆっくり解説】

おどろき日本史見聞録【ゆっくり解説】

Күн бұрын

Пікірлер: 250
@umakara55
@umakara55 Жыл бұрын
「こんなんで足りるのか」と思われがちだが、実は献立だけ見てもわからないのが「量」だ。当時はデスクワーカーやサービス業で1日6合、肉体労働者は1日1升の米を食べていた。塩辛い少量のおかずで丼飯を平らげ、おかわりしたら漬物で2杯目を平らげて茶漬で〆る。これが普通。この食事傾向は食料供給が安定した江戸中期から、戦前までずっと続いている。長崎のキリシタン弾圧では捕らえた信者たちの食事量を「1日米1升から6合に減らしたら観念して棄教した」という記録があるし、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」で「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とあるのは、現代人からすると「四合も食うのかよ」だが、昭和初頭の当時としてはこれが「少食アピール」なんですよ。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
なお、戦時中は日に3合に改変された アスリートでも日に3合だと足りないのよな 個人的には山で8時間以上活動すると5合位は食えると 普段は2合でも余ってたのに
@田村わかな
@田村わかな 11 ай бұрын
1:03:10 1:03:11 1:03:11 !😅😅
@dhkbeans327
@dhkbeans327 11 ай бұрын
最近知ったんですが、当時の米は現代の様な品種改良はされていないのでタンパク質の含有量がかなり多かったみたいですね。反面、栄養素のバランスが悪くて味は良くなかったみたいですが…そのご飯に豆料理や薬食い(猪とかの隠れ肉食)を加えると結構な高タンパクで肉体労働者は小柄でも結構ガチムチだったのかな?
@hirose795
@hirose795 10 ай бұрын
@@dhkbeans327 小柄でもムキムキですよ 中国戦線での日本軍の記録映像とかで観れますが、身体能力が凄かった。 3mくらいの高さから飛び降りて難なく行軍してましま。
@サトケン-x9h
@サトケン-x9h 10 ай бұрын
落語家の三遊亭柳昇氏が兵役で陸軍に入ったらご飯が多くて食べ切れないほどだったのが厳しい訓練が始まるとたっぷりのご飯を食べきりそれでも足りないくらいだったそうです。
@tsumukita
@tsumukita Жыл бұрын
江戸時代は識字率が高いから、レシピ本や飲食店のガイド本とか庶民の間でなにかとランキングが好まれた事もあり、出版物がめちゃめちゃ多くて、おかげで当時の庶民の暮らしがつぶさに分かるって凄い事だよね。本当に文化が豊かに育まれた時代!
@asukas.7141
@asukas.7141 Жыл бұрын
再来年の大河ドラマは蔦屋さんの話なので、江戸時代の出版話がテーマになる見込み。 めっちゃ楽しみ〜❤
@dhkbeans327
@dhkbeans327 Жыл бұрын
茶屋の看板娘のランキングまであったみたいだから今で言うアイドルみたいな感覚だったんだろうな。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
うまいものランキングもあるが、看板娘で売れると味も良くなるのと 近くの店も繁盛すると
@エンマンエンマン
@エンマンエンマン 11 ай бұрын
茶碗蒸しの原形と言われている、卵フワフワは其のレピシ本にも書かれているみたいです。 江戸時代前の酒は濁酒だったが、江戸時代になって炭素の化学反応を利用して、清酒が生まれたのもこの頃。 鰻屋に頼まれて平賀源内が決めた「土用の丑の日」当時の田んぼの用水路には、日本鰻が未だ沢山いただろう。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p 11 ай бұрын
@@エンマンエンマン 江戸中期が、醤油と清酒の転換点で 赤酢の寿司の発祥点だったのよな 奇跡のはじまりみたいな
@kazuy940
@kazuy940 Жыл бұрын
朝から炊きたてご飯、汁物、漬物だけでも自分から見たら豪華すぎる…。
@momadgjmptw76
@momadgjmptw76 Жыл бұрын
今じゃ 吉野家 旅館の世界遺産
@セイワケンソウ
@セイワケンソウ Жыл бұрын
タイムスリップしてきたのかな?
@gradiusvicviper492
@gradiusvicviper492 Жыл бұрын
すげえわかる。俺なんて食パン焼いてバター塗ったトースト2枚と牛乳だぞw
@山田太郎-h1d
@山田太郎-h1d Жыл бұрын
同じ!
@yamato3228
@yamato3228 Жыл бұрын
​@@gradiusvicviper492 豪勢な食事だね
@minakokataoka7112
@minakokataoka7112 Жыл бұрын
食事場は時代だけでなく生活地域や流通によって違うというまとめも素晴らしいし、途中もいい質問しますね。卵が貴重な時代に天ぷらの衣は。なんて。とても勉強になります。
@ru-ko112
@ru-ko112 Жыл бұрын
静岡県丸子の近くに住んでいます 東海道五十三次にも描かれていたという丁子屋もすぐ傍です なんだか誇らしいですね
@はなたん-r8h
@はなたん-r8h Жыл бұрын
近所の農家の人の話を聞いていると、無農薬で作った野菜は自家消費、形が揃っていて見た目がきれいなのはJAへ出荷、余り物は近所に分配、って感じですけどね☺
@たけしやまだ-v2f
@たけしやまだ-v2f Жыл бұрын
え! 安心安全な無農薬は自分で食ってて、市場に出してるのは毒かよ! ふざけんなよ!
@鈴木正勝-j4s
@鈴木正勝-j4s Жыл бұрын
日曜日の昼、視聴しながら居眠していた(笑) 鰻をその場で焼いてくれたんだ。ウラヤマシイ🤤
@エンマンエンマン
@エンマンエンマン 11 ай бұрын
江戸時代位から庶民にも玄米、雑穀米、麦から白米に変わった。蕎麦も団子状から麺状に変化、砂糖は未だ高価だったが、醤油、味噌、味醂 も庶民にも届く。小松菜のお浸しは人気、大根の煮物、天麩羅、蕎麦、しじみ、魚の干物や酢じめコレらメニューは、今でも現代の日本人は好きだね
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ 9 ай бұрын
砂糖は薬屋扱いだったとか。
@スイカ-y2s
@スイカ-y2s Жыл бұрын
うちの先祖も武士だったけど、農業もやっていたみたい また普段は粗末な服装だったけど、『道中着』といって立派な着物も用意していたとか。
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ Жыл бұрын
江戸詰め屋敷内長屋に住まいの方達は庭に畑を作っておかずや家計のたしにしてたとか。
@りか-d4h
@りか-d4h Жыл бұрын
家庭菜園は当たり前だったようです。道中着(みちゆき)という文化は戦後までありました。 東海道線では服が傷まないようにズボンを脱いでステテコになってから座ったそうです。長距離移動する人はそれが普通だったとか。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
​@@りか-d4hステテコに腹巻でカンカン帽ってのはそれだったのか 確かに東京から帰るなら外見を気にしない人もいたのだろう
@りか-d4h
@りか-d4h Жыл бұрын
@@シュウ-y2p 今の価値に直すと背広は30万くらいしてたそうなので、貴重品だったのだと思います。 傷まないようにする知恵だったんでしょうね。
@あんあん-v7r
@あんあん-v7r Жыл бұрын
つまり お腹がすく動画❤
@tukaikasumi4223
@tukaikasumi4223 Жыл бұрын
上杉鷹山って「成せばなる」のくだりくらいしか知らなかった。 これ程の功績を教えて頂きまして感謝致します。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
為せば成る、為さねばならぬ なる業は 為らぬとすつる人の儚き だっけ?
@mebiusu1000
@mebiusu1000 Жыл бұрын
それぞれの時代の食事事情は同時に政治とか輸送等の事情の浮き彫りな気もするので、興味深いです(あくまで気がするだけ)
@MASA-cb7lr
@MASA-cb7lr Жыл бұрын
「半農半漁」の暮らしも取り上げてほしいです。興味があります。
@nanbankassatsu
@nanbankassatsu Жыл бұрын
本当ですね。
@KoikeTakizou
@KoikeTakizou 10 ай бұрын
江戸のスイーツといえば、吉宗公の好物とされる安倍川餅を忘れてはならない。 江戸の頃からあった安倍川餅の店、石部屋は今も健在。 近所だから時々食べに行く。
@ゆうこ-u9g
@ゆうこ-u9g Жыл бұрын
京都で『ぶぶづけ(お茶漬け)でもどうぞ』と言われたら、『早く帰れ』という意味らしいですが『おぶぶ』だけなら上がっても良いのかな? 3回断ってそれでもと言われてようやく上がらせて貰うとか、通路ですれ違うときも、3回譲り合うとか、まどろっこしい風習もいっぱいありますよね😅
@ちゃんトト-z9b
@ちゃんトト-z9b Жыл бұрын
幼い頃 隣の同級生の家で夕方いつまでも帰らない私に お母さんが呼んでたよとおばちゃんに 言われて帰ったら そんな事はないって 遠回しって傷つくんだよね。夕方は お家にお帰りなさいと 言えば そうだなと わかる。ぶぶ漬けって聞いただけで やらしい
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ Жыл бұрын
茶菓子や食事はすすめられて2回断り3回目に頂く、はこちらでも有りますよ。北関東の田舎、開拓農業地帯です。
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
❤気遣いと言う愛を感じて暮らすのでしょうが、関東人にはめんどくさい
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
​@@ちゃんトト-z9b😮これさ、全員がいつもなのかな?人によるんじゃないのかな?よっぽどの時とか
@オリーブ-f3v
@オリーブ-f3v Жыл бұрын
55:10 そういえば、孤独のグルメの「がーんだな。出鼻をくじかれた」の店も、煮込みと小豆かんを一緒に売ってたなあ
@gs9030
@gs9030 Жыл бұрын
もう何年も白米オンリーで食べてない 玄米と雑穀が混ざってるのが好きなので たまに誰かがご飯炊いてくれるんだけど、真っ白だとびっくりするようになってしまった
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
雑穀おいしいですよね?
@nicholettis8989
@nicholettis8989 Жыл бұрын
私は玄米オンリーです。不思議な事に体調がよくなりました♪
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
@@nicholettis8989 おー!すばらしい!
@gs9030
@gs9030 Жыл бұрын
私も玄米オンリーで行きたいのですが、苦手なのが居るんですよw なので、玄米を自分用に炊いて冷凍しておいたりします プチプチ食感が大好物です🥰
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
@@gs9030 そしたら、アマランサスとかも、美味しいですよ?
@砂姫婆酒樽
@砂姫婆酒樽 Жыл бұрын
父母の幼少は戦後だったが 父は大きな農家だったので 裕福なベジタリアン的な生活  母は温かいご飯は朝だけ ツグミを捕まえて食べたり 夕飯は冷やご飯と祖父の行商の売れ残りだったそうだ
@アディー
@アディー Жыл бұрын
1:58:00辺りからの出汁の話で濃口醤油を使ってるから塩分が強いって話してるけど、薄口醤油の方が塩分濃くて、濃口醤油の方が風味やコクがあります。 なのでここについては逆の内容ですね。
@nabesen
@nabesen Жыл бұрын
日本人には炭水化物からタンパク質を合成する遺伝子が大活躍してたから米を一食で一升食べていた(飛脚) 幕末に飛脚を撮影した写真みると恐ろしい程にガチムチな筋肉量で満足にタンパク質取れないのに何故筋肉維持できてたのか不思議に思われていた
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
🎉あぁ!ありがとうございます!やっぱり、そうなんですね?じゃなきゃ、できないですよね、あの体。
@FangTheNot
@FangTheNot 11 ай бұрын
そんな遺伝子無いよ笑 オカルト過ぎだろw
@通勤電車どっと混む
@通勤電車どっと混む 9 ай бұрын
なんで無いって言い切れるの?研究者か何か?
@FangTheNot
@FangTheNot 6 ай бұрын
​@@通勤電車どっと混む実際そんな遺伝子無いもん。 マイナスイオンとか水素水みたいな一時期流行ったオカルトやでそれ。 穀物食からタンパク質合成するのは人間の遺伝子じゃなくて人間の腸内細菌のせいやし。 むしろなんで人間の遺伝子でタンパク質合成できると思ってんの? 草食動物も熱帯地域のほとんど植物食しかしてないのにムキムキな人らも独自の細菌叢でタンパク質合成してるって論文出てるのに。 なんで日本人は人間の遺伝子の効果内で植物からタンパク質合成してるって言えるん?そんな論文1つも出てないのに。 ついでに書くならそもそも江戸時代は結構タンパク質摂取してるよ。畜肉こそほとんど食べてないけど豆腐や魚は普通に食べてたし。
@灰色山猫
@灰色山猫 6 ай бұрын
馬や鹿じゃあるまいし、そんな遺伝子は無い。
@arthurc5497
@arthurc5497 Жыл бұрын
薩摩の肉食といえばえのころ飯というワイルドな犬料理がありますね 琉球でも犬は食べましたがヤギと同じように汁に仕立てるのが普通で、ポリネシアにみられるような丸焼きローストというのは非常に独自性が高いように思います
@ミーコちゃん
@ミーコちゃん Жыл бұрын
今は栄養が偏ってるが長生き  不思議だね😅✨
@reree942
@reree942 11 ай бұрын
もし今の立場で江戸に生きていたなら女の私も6合くらい食べてたのかなぁ…でも朝から味噌汁作るなんて無理だし当たり前に家電なんてないのだから当時の庶民の人たちってすごいなぁ
@noselfidentityelementparticle
@noselfidentityelementparticle Жыл бұрын
今の納豆は食べた人が醤油蔵や味噌蔵、酒蔵に入ると蔵の菌が納豆菌にやられるとか言われてるから、その当時から忌避されてることはなかったんですか?!今の菌が特別で強いからですかね?!
@momadgjmptw76
@momadgjmptw76 Жыл бұрын
納豆菌 黄砂に乗って飛んで来てたの 最近知った 蒸れた足をムシロでくるんだ 毎食一品 世界の旅人が選ぶワースト飯不味い国 ○ンゴルの飯は全て獣くさいらしい UKはご馳走に思えるくらい 日本カレーもUK経由だし カツカレーはバカウケらしいけど
@tugmi8055
@tugmi8055 Жыл бұрын
普通にやられて破滅してた 情報網もなければ検証する手段すら ないから広まってなかっただけ
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
銀の匙でも出てただろ チーズ製造で納豆食うなと もやしもんでも発酵蔵に入るときは納豆を食べないようにねと教授が言ってる
@yfotewo
@yfotewo Жыл бұрын
3食も食べてないし、ほぼ一種類の食事の現代の私より農民のがいい食事しててわろた。
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ Жыл бұрын
江戸近郊の農家は、野菜とかを産直みたいに売ってたから、結構裕福だったらしい。
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
賄い付きの仕事とかあるよ?乾杯ワークも悪くないよ?
@星真人-z9y
@星真人-z9y Жыл бұрын
今では特別天然記念物に指定されて食べることは出来ませんが、鶴は美味しかったという言い伝えが残っていますね。 食べてはいけない事は理解できても美味しかったと言われると、どんな味だったのだろうと興味が尽きません。
@眠り猫-f8k
@眠り猫-f8k Жыл бұрын
武士の献立という映画に鶴もどきなるものが登場します。映画の舞台でもある金沢に実在するそうで、いなだ(ぶり)の塩干しを昆布出汁などであつものにしたものです。現在も食べられるそうですよ。
@fmare1319
@fmare1319 Жыл бұрын
別の動画では鶴は不味かったと紹介されています。どちらが本当なんでしょうね?
@りか-d4h
@りか-d4h Жыл бұрын
味は料理人の腕前次第かも。
@ドミニクトレット-p7n
@ドミニクトレット-p7n Жыл бұрын
暴れん坊将軍でさつまいもの話出てきてたの思い出した😊 見てたの子供の頃だったからカライモって言ってましたねぇw
@金曜日のカンパネラ
@金曜日のカンパネラ Жыл бұрын
魔理沙、霊夢 たくあんや漬物、イブリガッコの歴史をお願いします🙏
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
大根は詳しい話無いかも 富士の東側ではよく育つと江戸時代には言われてる 野沢菜だと、京都で修行した坊さんが帰るときに種を持ち帰ったが、株にはならず葉っぱばかりが繁ったと
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
​博識だなぁ
@マグナム-o7i
@マグナム-o7i Жыл бұрын
一回炊いたご飯を3食使うとか、町民の食事って今流行りのキャンプ飯で使えるよね。
@nabesen
@nabesen Жыл бұрын
昭和の頃保温ジャー出るまでは江戸時代と同じだったよ。お昼ご飯は飯と味噌汁とお新香だけ!因みに炊き立ての温かいのをご飯(ごはん)と言い、冷めたのを飯(メシ)と区別。定食屋も普通に冷えた飯を客に出すのが当たり前だった。だからこそ、飯に味噌汁掛けて飯を温めて食べる方法があった
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
​@@nabesenそうだったねチャーハンや雑炊にしてもらってたわ❤
@Blue_star222
@Blue_star222 Жыл бұрын
@@nabesen​​⁠​⁠お味噌汁をかけたご飯に、そんな歴史が😲 今ではちょっとお行儀が悪いからと言われちゃう食べ方だけど、あれ結構好きなんだよね。特に、熱々のご飯を卵かけにして そこに熱々のお汁を注いだやつ。ご飯とお汁の熱でいい感じに卵に火が通って、塩気も口当たりもまろやかになって旨いんだ。
@綾子中村-i2o
@綾子中村-i2o Жыл бұрын
江戸時代の人達は、現在の日本の食事に驚くと思う。
@和田逸幸
@和田逸幸 Жыл бұрын
町廻り同心は大名屋敷から付け届けもあり極貧では無いようですが現代に直しても年収150万円くらいと言われています
@もさ-h2e
@もさ-h2e Жыл бұрын
お櫃に入れて暗所としても良く真夏の昼過ぎに白米が食えたよなぁ
@nabesen
@nabesen Жыл бұрын
当時は今ほど暑くないし、家屋が夏の暑さをしのぐ構造だったから。鉄筋コンクリート造りは本来暑い日本に不向き。土壁こそが湿度調整、断熱効果あったからジメジメすることもない。風の通りも良かったからね。蚊帳が無い場合どうやって安眠得ていたか気になる
@もさ-h2e
@もさ-h2e Жыл бұрын
@@nabesen 江戸庶民の長屋って入り口が一つ(2軒背中合わせが複数並ぶ)なので風通しはよろしくないのでは?ボロなので隙間風はあったかも…?笑 湿度だとお櫃の除湿作用も重要かもですねー
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
​@@もさ-h2eそれより、虫とのたたかい
@NEOgoglles.1
@NEOgoglles.1 Жыл бұрын
天麩羅は寺の坊主が精進料理として 食べていたのを当時日本に来ていた 外国人が口にしてこれは旨い!と絶賛し 寺=temple(テンプル)で作るから テンプル→テンプラに天麩羅の漢字をあてた説
@かなやわらはさまたあ
@かなやわらはさまたあ Жыл бұрын
カズノコの歴史について動画作って欲しいです。 足利義輝や足利義昭がカズノコが好物だったらしいですが、足利時代や徳川時代に、どうやって薄茶色のニシンの卵を黄金色に変えていたのか、カズノコの漂白の歴史について知りたいです。 現在のやり方は企業秘密らしいですが。
@osakanaification
@osakanaification Жыл бұрын
日本の食は世界一! ご先祖様に頭が上がりません。
@五十嵐広行-u7v
@五十嵐広行-u7v 11 ай бұрын
大陸から文明を与えらるまではドングリを拾って食べるしかなかった日本で、こうした文化が生まれたのは本当に嬉しいです。
@to5148
@to5148 10 ай бұрын
人間が食べるにはドングリって手間かかるんだが。
@メガネぶた
@メガネぶた Жыл бұрын
最初は「うちはつなぎに小麦粉使ってますぜ」の宣伝で二八蕎麦の旗とか出してたんでしたっけ、世界的に貧民の食べ物ソバやし
@user-fn3112ux4t
@user-fn3112ux4t 9 ай бұрын
ソバはそれだけでこねてもボソボソしてますよ
@xnain99
@xnain99 Жыл бұрын
農協はきちんと指定した農薬を使わないと出荷とかさせないとか嫌がりますよ。品質に保証出来ないから
@tukaikasumi4223
@tukaikasumi4223 Жыл бұрын
でも、使用薬物は自己申告制ですよね。
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ Жыл бұрын
​@@tukaikasumi4223抜き取り検査はしてますよ。茄子農家に手伝いに行ったけど、JAは厳しいから、収穫の2~4割は出荷出来ないよ。産直に出したり、近くのスーパーと契約して卸したりしてたよ。充分食べられるのに廃棄なんてもったい無いよね。
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
❤幅広い情報あっての事なんでしょ
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
❤幅広い情報あっての事なんでしょ
@bbmlukastudio
@bbmlukastudio Жыл бұрын
塩分凄そう。いや、稽古で汗かくからいいのかな? 野鳥は今の生息数と全然違うから貴重かどうかはわかんないよ。 コウノトリはどこにでもいたそうだし
@zubizuberpapa
@zubizuberpapa Жыл бұрын
ペリーは、饗応で出された食事の内容はともかく、出されたその「量」に不満だったようですね。お腹を満たせなかったのかな?(笑)
@はやぶさ寝台特急
@はやぶさ寝台特急 Жыл бұрын
多分、魚中心で、食べ付けてないので、不満を言ったかも⁉️。
@のばら木村
@のばら木村 Жыл бұрын
本格的な本膳料理で、鯛のお頭付き塩焼きを一人2尾ずつ(300人分)出したのに「めっちゃ質素」と書き残してるw まあ、本膳なので品数は凄かったでしょうが、食べられない物も多かった模様です。刺身や魚のワタや海藻の佃煮等の珍味は今でも海外の方には微妙ですし。
@mebiusu1000
@mebiusu1000 Жыл бұрын
ペリーをマタギの村に案内する程の柔軟性が有れば、「その時歴史は変わった」になってたかも?
@asiulikuc8609
@asiulikuc8609 11 ай бұрын
寿司の一貫は現在の2個分。食べにくいから半分に切った。元祖ファーストフード。銭湯前に出店していた。 だから一貫で2個なの。いまもJRに入っているの立ち食い寿司も2個ずつ頼まなければいけないのはその名残。
@橋本哲夫-n6k
@橋本哲夫-n6k Жыл бұрын
身分制度ではなくて役割分担だったのだそうです。
@Адмирал_Поповский
@Адмирал_Поповский Жыл бұрын
現代日本が海上封鎖で食料が輸入できなくなったら、3食全部さつまいもになるよ。(⁠ㆁ⁠ω⁠ㆁ⁠)高い栄養価、食物繊維、日持ちするし、腹持ちもする。さつまいも、偉大だな。
@藤井聡洋-s3b
@藤井聡洋-s3b 11 ай бұрын
ご飯🍚はいいね👍😊
@echigo-no-neko
@echigo-no-neko Жыл бұрын
9:07 丸亀城の天守閣(香川県)です… 🏯
@素人旅行乗り物食べ歩き
@素人旅行乗り物食べ歩き 11 ай бұрын
初めまして🔰 霊夢さんと魔理沙さんのやり取りが面白かったです❤ 将軍の食事マナーを初めて知りました😊 果物が置いてあるのに食べてはいけないとか、甘党の私にとってはきついなと思いました🥲
@伊藤健一-g2y
@伊藤健一-g2y 11 ай бұрын
剣客商売の受け売りだが、江戸時代の鰻の屋台、ぶつ切りの鰻を串刺しで、溜まり醤油や味噌つけて焼いて食べたっての、いっぺん食べて見たい。
@michaelreed388
@michaelreed388 Жыл бұрын
😅玄米、黒米、野生米ミックスを冷凍して食べています。結果真っ暗いご飯。
@クマのプー太郎-f4z
@クマのプー太郎-f4z Жыл бұрын
さつま揚げが食べたいな
@ねこまた-u6n
@ねこまた-u6n Жыл бұрын
さつま揚げではなくてんぷらと呼んでました
@茂一戸坂
@茂一戸坂 Жыл бұрын
井伊の薬喰いって味噌漬けの牛肉の事?
@chihiro-m1x
@chihiro-m1x 3 ай бұрын
江戸時代の夏は 現代と比べて幾分 涼しかったにしても、朝に炊いたご飯が傷んだりしなかったのだろうか??って思います😅
@娘ちゃんねる抹茶味z
@娘ちゃんねる抹茶味z 16 күн бұрын
ちょっと傷んだくらいならザルにあげて水をかけて臭みと滑りを取って食べてましたよー 味噌汁ぶっかけて食べたら気にならないですし 独身男ならメシは朝昼で食べ尽くして、夕餉は酒で済ますのも一般的でした
@tkuro274
@tkuro274 Жыл бұрын
農民でも庄屋とかいいもの食ってそうなんだよな。なんせ戦時中でもコメとか食ってたんだぞ。「昔はお菓子なんかなくてねえ。果物ぐらいしかなくてねえ。」・・・戦時中だよね?
@tkuro274
@tkuro274 Жыл бұрын
ちなみに実話。なんせうちの父と母がそう。なんせド田舎だったから。(だからって戦争と無関係ではなかったが。)
@ケイ-s6r
@ケイ-s6r Жыл бұрын
庭があれば 大概 果物の木は 植えてるからね。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
栗は普通に山に クルミも川に行くとと 本当は食物を見つけられる観察能力なのよな
@メシクラウド
@メシクラウド Жыл бұрын
戊辰戦争の怨み、忘れまじ。
@にゃーがいる
@にゃーがいる Жыл бұрын
イボ鯛ってエボ鯛のことだろうか。私が訛ってるのかな?
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
越後人には不明ですね
@arthurc5497
@arthurc5497 Жыл бұрын
ヒとシが入れ替わったりイがエに訛ったりするのは東京方言の特徴です
@taka8192
@taka8192 Жыл бұрын
おでんが🍢入ってないぞ。砂場、伊東にあるぞ。
@ねこまた-u6n
@ねこまた-u6n Жыл бұрын
さつまいも=唐芋 隣の おばあさんが薩摩芋を「といも」と呼んでたのはこれだったのか
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂チャングムの誓い😂
@サトケン-x9h
@サトケン-x9h 10 ай бұрын
ただ江戸の町民でも商家は質素な食事で身体を使う大工とかの肉体労働者のほうが魚等のタンパク質を多く食べてた。やはり食うもの食わんと体力が続かん
@TAー坊
@TAー坊 Жыл бұрын
様々な食材売り惣菜売り細分化されて皆仕事にはありつけてたわけだ。初期の鰻は味噌ダレとか、醤油が広まるまで
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
江戸時代は、歩いていける所までが商圏 魚は悪くなる前に売り切らないとだからよりシビア
@金曜日のカンパネラ
@金曜日のカンパネラ Жыл бұрын
確か? 大火事が有ると 大工さんや左官屋を地方から大量に呼び出しんたんだよな
@隼-v9v
@隼-v9v Жыл бұрын
徳川家康も天ぷらを食ったらしいから ぷらっと来た天竺浪人説は違うと思う。
@パインカンシルスキー
@パインカンシルスキー 3 ай бұрын
上方の「始末」で思い出したけど、当時大阪に本社を置いていたドーナツチェーンでバイトしていた時、先輩から休憩時に賄いとして食べられるドーナツやドリンク(商品として出せるものはもちろん、本来は高価格で賄いの対象外だけど品質基準外で売り物にならないものも食べられた)を頂くことを「昔は“ご供養”って呼んでいたんだよ」と教わったことがある 今では社員すら教わらないことだと思うけど、「始末」と同じように食材となった命への感謝、無駄にしない気持ちを込めてそう呼んでいたのかなと いまだにふざけて頂き物とか飲み会等での大皿料理に「あ、じゃあ最後の一個は私がご供養させていただこうかな」と言ったりすると周りから「何すかそれw」と笑われたりする みんな遠慮し合ってなかなか皿が片付かない時など、エレガントに最後の一個を取りやすくなる便利な言葉よ その会社で社員となって働いた後、転職して今は別の会社に勤めているけどお客様に対する心構えや数値管理など、実務的なものから心の在り方まで今の仕事でも役に立つ事をたくさん教わった
@サトケン-x9h
@サトケン-x9h 10 ай бұрын
豪華な食事を食べてたと言われる大名や将軍は味噌汁もお吸い物も含めて温かい物は食べれなかった。暗殺を防ぐために同じメニューを三食かそこら作りランダムに毒見役が試食してから届けられるから冷めてからしか食えなかった。そのへんは町民のほうが恵まれていた
@娘ちゃんねる抹茶味z
@娘ちゃんねる抹茶味z 16 күн бұрын
将軍はともかく大名でそこまでしてたのは上半分くらいですわ 江戸後期の下半分は赤字でヒィヒィ言うてたので『出されたモン食え』って感じです 皿数は従来通りでも食べちゃいけない料理があったとか(次の食事に出すので)
@友之森田
@友之森田 Жыл бұрын
農村や漁村に、城下町等で、違うからね。
@クマのプー太郎-f4z
@クマのプー太郎-f4z Жыл бұрын
享保ってキョッホー!な時代だったのですね。
@伊藤健一-g2y
@伊藤健一-g2y 10 ай бұрын
おやこんなところに木久扇さんが
@とらうとサーモン
@とらうとサーモン Жыл бұрын
飽食になったからなんだろうけど…お米、売れない。。。 白米は美味しいのになぁ。。。 食べられるようになるまで手間がかかる主食なんだけど、手間をかけてでも食べる価値あるよ? 少しでも若者に美味しいお米食べてほしいなぁ。。。
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ Жыл бұрын
美味しいお米は買うと高い…😭 ホームセンターの安い米は、自分は不味すぎて食べられず9kg以上捨てた事がある。実家が米農家でラッキーだった
@とらうとサーモン
@とらうとサーモン Жыл бұрын
@@スズにゃんママ さん、田んぼから自分で造ろう(๑•̀ㅂ•́)و✧!(笑)
@スズにゃんママ
@スズにゃんママ Жыл бұрын
@@とらうとサーモン 実家の米作り、手伝わされてますよ。報酬は現物支給の美味しいお米😄
@とらうとサーモン
@とらうとサーモン Жыл бұрын
@@スズにゃんママ さん、ウムウム😄 それが1番お米の有り難さを感じられるですね(*^^*) 採れたて新米は採った人にしか味わえないですからねヽ(=´▽`=)ノ
@アオノセカイ
@アオノセカイ Жыл бұрын
本当に美味しいお米はおかずなくてもいいぐらい美味しいもんね。
@にゃーがいる
@にゃーがいる Жыл бұрын
よく「焼き魚を少し」とか「魚の煮付けを少し」とか言われますが、少しってのは例えば干物を半身だけ、とかいう風に、家族でわけわけしていたんでしょうか。それとも小さいお魚の、例えばめざしの焼いたのとかハゼの煮付けとかってことでしょうか。他の文献でもこの「魚を少し」って書き方が多いんですよね。
@ミントチョコ-h6q
@ミントチョコ-h6q Жыл бұрын
😊牽制して居るのさ。豪遊してないよ?って。慎ましやかにくらしてますって。
@momadgjmptw76
@momadgjmptw76 Жыл бұрын
御家人斬九郎の母君 まさじょ殿のお取り寄せ せんりつ主水のご飯 屋台のそば 鬼平のねこ殿の賄い、船宿での小鍋 紋次郎の麦とろカッコミ 座頭市の宿場のめしやで 勝新太郎の めし丼にめざしと漬物と 汁をぶっかけてかっ込む食べ方が お行儀の悪い見本のような 食べ方がカッコ良かった あさりどぜうきそばうんどん 牛豚鶏がなくて卵牛乳すら食べれない 飛脚の肉食実験での結果が宇宙人
@守-b8u
@守-b8u Жыл бұрын
4足獣を禁止されてたのは江戸市中だけで 他藩市外にでれば取れれば食されてたのになんで日本は獣を食べなかったなってるんだろ?養殖もない時代に放牧だけで頻繁に肉食ってたほうが不思議だぜ
@りか-d4h
@りか-d4h Жыл бұрын
675年、天武天皇が牛・馬・犬・猿・鶏を食べることを禁じて以来それは解除されずに来た。だがそれでは持たないので「滋養の薬」として肉を食べる文化があった。たまには精をつけるってやつです。肉は特別薬扱いなんですよ。他藩でも常食はしてなかったようですよ。
@シュウ-y2p
@シュウ-y2p Жыл бұрын
両国橋超えると
@NEOgoglles.1
@NEOgoglles.1 Жыл бұрын
11:37 歌川国芳画「誠忠義心傳ヨリ 斧寺重内之妻」
@石原剛-l1p
@石原剛-l1p Жыл бұрын
士農工商は元々中国の言葉で士は武士じゃなくて士大夫だしね。
@rn5750
@rn5750 6 ай бұрын
ウナギも江戸時代からあったんだ‼️
@salmon_runner
@salmon_runner Жыл бұрын
私、ウツで引きこもりの58歳 一日一食と言うか食べなくても平気汗
@ちゃんトト-z9b
@ちゃんトト-z9b Жыл бұрын
そうですか 私もそんな感じ 食べると 元気出る じっとしていても 最低1日1食はしないと きつい 図書館なら 黙っていても適した所。涼しい 閉館前の1時間から冷房切るから 情けない。また明日で買い物して帰ります
@トュモローネバーダイ
@トュモローネバーダイ 5 ай бұрын
江戸時代のロマンは異常
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂信玄餅 GODIVAのチョコレート リキュール
@田中徹-o5m
@田中徹-o5m Жыл бұрын
納豆ご飯😊
@rn5750
@rn5750 6 ай бұрын
お米🍚は江戸時代から食べられていたんだ‼️
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂😂丸亀製麺 天婦羅食べ放題 紅葉の天婦羅 飯蛸のおでん 紅生姜の天婦羅
@Falken0014
@Falken0014 10 ай бұрын
アレ、当時公家って結構貧乏で天皇家ですらその権威を利用してる幕府から援助は有れど飯は結構貧相じゃなかったっけ? 流石に庶民よりはいいけどちょっと裕福な江戸住みの町民にすら劣る食事で、勅使とかは毎年年賀挨拶で受けれる幕府の饗応が何よりの楽しみって聞いたけども
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
沖縄ブルーシールアイス 琉球コーラー ちんびん ひらやち ルートビア A&wの さんぴん茶 あまがし くんぺん
@suzutomonomaki
@suzutomonomaki Жыл бұрын
薄口醤油が濃口より塩分濃度高いって思ってるのと、納豆の解像度の低さはどうにかならんものか…
@OKa-jo8xq
@OKa-jo8xq Жыл бұрын
現代なら薄口醤油の方が塩分濃度は高いですよ
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂野火止 札幌の大通り公園 大友亀太郎 創成川 小田原藩士
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂😂肉吸い うどん ニシンそば北海道 鰊の甘露をのせて食べるのよニシンそば
@眠り猫-f8k
@眠り猫-f8k Жыл бұрын
某美食家「なにっ!!つぐみだと?」
@正露丸-g8p
@正露丸-g8p Жыл бұрын
武士は食わねど高楊枝
@tositachi306
@tositachi306 Жыл бұрын
mochi
@ジャミーラ-k8y
@ジャミーラ-k8y Жыл бұрын
お米はお百姓さんの財宝。とにかく、御上に年貢なんて出したくないわね。食べたきゃ自分で作れ、よ。
@rn5750
@rn5750 6 ай бұрын
江戸時代は刀⚔を使ってたよね😐😐
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂時そば?😂
@Jcat417
@Jcat417 Жыл бұрын
でもらえるランダー
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂鴨南そば😂
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂😂千歳空港にもめんよう最中売っているらしい!ブルーシールアイス
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂sssサイズとLLLサイズは農民がSMLのサイズしか見栄えが悪くてとか言われて買ってくれない農協が😂
@rn5750
@rn5750 6 ай бұрын
「切腹」は今の自殺行為だよね😐😐
@丸フォイ-m1e
@丸フォイ-m1e Жыл бұрын
ファーストフードじゃなくてファストフード
@isaomatsumoto1642
@isaomatsumoto1642 Жыл бұрын
っっゔ
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂柿の葉寿司 手鞠寿司
@Hime26
@Hime26 6 ай бұрын
😂商家の娘?吉本せいの生活が😂
@砂姫婆酒樽
@砂姫婆酒樽 Жыл бұрын
江戸落語の時そばやそば清は 演芸場で、客に対するステマと思うのは、深読みしすぎか?
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