こんにちは!黒檀の戦士限界民なので、この動画が投稿されて感無量過ぎる… うるぴー氏に祝福あれだ。あんたの歩く先々で地面が揺れりゃあいい 見てわかる以外の情報が無くてミステリアスな所がより一層、長い年月の間、彼の魅力を引き立てていますよね。 通常はこちらから仕掛けるまで戦いが始まらないのですが、吸血鬼プレイをしていると最後の見張り台を訪れた直後から問答無用で敵対してくる。ドーンガードクリア後吸血鬼のファクションに入った事が要因のよう。 内部データを覗くとツンのキャラデータをベースに作られている事がわかりますが、ムアイクという前例がありながら、吸血鬼絶対許さないマンなのが黒檀の戦士に意図的に付与されている設定なのかは気になる所です。 多くの人が吸血鬼とモラグバルを好きでは無いので、そこに深い意図は無いのかも知れませんが…吸血鬼に対するヘイトスピーチが彼のボイスラインに収録されています。 ボイスラインと言う点では、彼はある程度体力を削り続けると殺さないでくれ、と命乞いをするんですよね…初見だと、あれ?死にたいんじゃなかったんかい!と、強大な黒檀装備から発せられるその情け無い台詞に驚いてしまいます。 まあその台詞は多くのキャラクターからの使い回しかも知れません。勝利かソブンガルデ(ry 殺さないでくれ!は真のノルド様式美です。彼はレッドガードでありながらそれを理解できる素晴らしいキャラクターです。 ただ、戦いの中で発せられるこの台詞はそれ自体というより、プレイヤーへ彼の謎に対する新しい視点を与えてくれます。 彼はよくサブクエストで出会う死にたがりオールド・オークと同じような考え方をされがちですが、死にたがりのオーク達(元祖ウンブラもこのファクションに入れておきます)ははっきりと「死」に関する語句があるのですが、黒檀の戦士は一度も、「殺してくれ」や「死にたい」とは言っていなかったのです。ただソブンガルデに行きたがっているのです。それらは同じように聞こえるかも知れませんが、ノルドの皆々様におかれましては辞書に勝利かソブンガルデかしか無く()、この死生観は世界観的に非常に大きなポイントです。 黒檀の戦士(真のノルド)はプレイヤーという試練を前にして、死にたかったことは一度もなかったのではないでしょうか。彼がこの戦いで得たことは、好敵手であるプレイヤーとの名誉ある戦い、そしてその後に待つのは死ではなく、酒を飲み交わし、武を競い合う。その頂点に君臨するショールまで続く栄光に満ちたソブンガルデでの更なる試練です。ハッピー! 黒檀の戦士はソブンガルデを理解できないオーク達とは一味違うのかもしれません。 No challenge to face.(挑戦すべき試練も…)には、Except for you. You are my last challenge. Only you can send me to Sovngarde with honor.(お前だけだ。お前が最後の試練だ。誇り高くソブンガルデに送ってくれるのはお前だけだ)と続きます。日本語訳にも確かにそこの間には「…」があります。原文英語版音声のNo challenge to face.(ハァ…)的な行間の取り方があらわれています。。。 そして「最後の見張り場所」で待ってくれているらしい黒檀の戦士さん。おそらくこれは誤訳と思われます。(以前最後の見張り場所についてうるぴーさんの動画でも触れられていましたね。)原文では、「my last vigil」これは非常に難儀で古めかしい英語。 黒檀の戦士限界民にとっては、中でも「my」というのがポイントで、my があるのと無いのでは全然違ってきます。ただでさえ黒檀の戦士固有のものが少ないのです。「私の最後の見張り場所」ってなんだよ。とにかく、あの場所は彼にとってただ見晴らしが良い、ドヴァーキンを崖から落としやすいという戦術的価値以外にも、自分のものだと言うくらい意味のある場所ということです。 そうすると「vigil(ビジル)」の解釈が気になってきます。現代の意味で英語から直訳すれば、夜通しの番や看病、儀式的に執り行われる通夜のことでしょう。 黒檀の戦士は「自分の」通夜をするのか?ちょっと変ですね。これは最早、vigilがなぜ通夜を指すようになったのかという、語源から理解しなくてはなりません。 語源はラテン語にあり、「vigilia(ビジリア)」です。 これは中世の騎士の習慣からなり、従士から王付きの騎士へと任命される際に王の為に栄誉を持って死なめという覚悟を示すべく自身を死者として扱い、定命の者としての人生に別れを告げ、終生を騎士として仕える神聖な許しを得るために断食と告解をし、徹夜で騎士の祈りの儀式を行う事が由来です。先ず潔白を示す白い下衣を、血を流す覚悟を示す赤い儀礼用のサッシュを、鎧に身を包むと、死者の証である黒いローブを身にまといます。 それは神聖たる王に迎えられ、自身もそれに仕えるものとして祝福を受ける為のもので、これもまた儀式・宗教的な死生観であり「死」への意味合いも大きく違ってきます。中世では転じて、又は同様に、死にゆくものに対してビジリアを行いました。そのように中世にて執り行われた「旅立ちの為の荘厳な儀式」というものがこのvigiliaの語源です。日本語の宗教的な直訳だと「徹夜祷」、意味合いや絵画等の翻訳を尊重するなら「騎士の祈りの儀式」です。それは更に英語で表現され、現代では殆ど前夜祭の為の徹夜、夜警の意味合いの方が強くなっているので、元々最期に行うビジリアをわざわざ「last」で装飾したのでしょう。「最後」というより、「最期」ですね。 つまり、黒檀の戦士は「私の最期の戦士の儀式場」で待つと言っているのです。定命の身体に別れを告げ、ソブンガルデに行く準備はもうバッチリ!!! 死にたがりオークとは本気度が違います本気度が(((殺さないでくれ! そんなノルドの死生観的ミスリード、マイナーで古めかしすぎる「廃」ファンタジーな決闘場所の命名、誤訳などなどに苛まれた黒檀の戦士。 エボンアームのストーリーは次回作に持ち越すべく黒檀の戦士から意図的に削除され、カンストプレイヤーの鏡として、ツンの独自戦闘データの派生であり、炎、氷、雷、毒耐性50%をより少ない仕組みで実現するため、ノルド中心のスカイリムで物語的なコントラストを持たせるため、さまざまに彼の説は絶えませんが、 しかしやはり、そんな注解が無くとも彼のソブンガルデガチ勢っぷりはその高難度戦闘を通して多くのプレイヤーに伝わり、Skyrimとプレイヤーの世界を繋ぐキャラクターとして多くの興味を集めています。。。うんうん、よかったな。 最早、黒檀の戦士に神聖な意思を感じざるを得ません。 もし黒檀の戦士がレッドガードの神の化身なのであれば、もし神の化身でなくとも、その民であるレッドガードとしてショールのおひざ元へ赴く事、その先でショールに挑むことは世界観的に更に大きな意味をはらみますね。 黒檀の戦士限界民の超長文をごめんなさい。 これだけの時間がたっても、黒檀の戦士、ひいてはskyrimの愛すべき出来事を紹介してくださって、感謝に感謝しかありません。今回も素敵な動画をありがとう。