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二番目に購入した鉄瓶は、Yahooのオークションで見つけたもので錆があるが、ほほ未使用と思われる。
出品説明文には10年以上前の南部鉄瓶モダンデザインとあったが、南部鉄瓶でこんなのあったっけ?とネットで調べていたら山形の「鋳心ノ工房」増田尚紀氏デザインによるという、こんなふうな蓋と鉉(つる)と摘(つまみ)以外は瓜二つの鉄瓶を見つけた。
(2024年記)う~ん、 今見ると仕上げも良く熱い摘みの欠点が解消されているようでいい感じ
流石にIH対応とうたっているだけお湯の沸く速さは先に購入した先の水沢の南部鉄瓶よりも早い。
ただ、お湯が沸いた後に鉉が狭いために摘みに手が入りにくいし熱くて蓋が持てない。
そんな訳で現在販売されているのは鉉のデザインが四角くなり摘も木製になっているのかな。
まあ、要は工夫次第。
ということで、硬いアフリカのブビンカというカリン系の木材を加工してヘラ状のものを作ってみた。
・・・その後盛岡の工房にも似たデザインのものを発見!
詳細はもう少し調べられたら後で書くかもしれない?
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2022年10月30日
メルカリの10月の鉄瓶の販売履歴を見ていたら次の画像を見つけてついに由来が判明した。
山形の工房の鉄瓶ではなくて盛岡の鉄瓶工房で合名会社 照亦製作所 照光堂のものだった。
ところがすでにこの工房は無くなっていて創業が1877年/明治10年から2008年までとのこと
「南部照光堂(照亦製作所)屋号の「照光堂」は、創業者 照井亦八により命名照亦製作所の始まりは、明治後半盛岡市六日町(現肴町)に御茶と旅館業を営んでいたのが始まりです。御茶の販売と共に茶器を扱うようになり、隣地に鉄瓶工場も持っていたが、その後工場は江差小路(現南大通)に移転し、昭和30年代に、その経営に参加した手づくり村オープンと共に、盛岡市にあった他の工房と共に移転した残念ながら照光堂(照亦製作所)は、2008年に閉鎖」という書き込みのあるサイトを見つけた。
「盛岡手づくり村の照光堂の工房があった場所に別の南部鉄器の工房が移転し、鉄瓶の製作をしています。
照光堂でお一人で鉄瓶を作られていた職人さんも、そちらで働いていらっしゃいます。」という2013年3月12日付の「南部鉄器 すき焼き鍋通販サイト」の 口コミでも情報を見つけた。
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それと第十銀行創立五十年記念(1927年)鉄瓶が金澤千代吉作の他にも同一デザインの照光堂のものが存在するオークションの画像を見つけた。
金澤千代吉が関わっていた同一デザインの黒い鉄瓶の有坂作のものをオークションで落札しそこなったことが2回あるが
照光堂と金澤千代吉か有坂(昭和50年代に歴史を閉じた)は何らかの繋がりがあったのかな?
今でもYahoo!のオークションで照光堂を検索すると高級な砂鉄鉄瓶から立派な茶釜、鉄器で作られた栓抜、急須、灰皿、栓抜きなどの家庭用品まで多数ヒットする。
照光堂はかつて広範囲は活動をしていた事が推察される。2008年に閉鎖されたということだが、その出品された内容を見ると、かつて有坂にいたようなすごい名人が照光堂にもいたのだろうな。
妄想は楽しいけれど、情報が少なくてちょっともどかしい
2024年5月14日
使用音楽:Correle Carna - Cumbia Deli (KZbin オーディオ ライブラリから)
使用音楽:Josef Suk, Serenade, Op 6 - A Far Cry(KZbin オーディオ ライブラリから)
使用音楽:Park Bench ジングル(iMoveライブラリから)
使用機器:Nikon D40、D70
使用機器:iPhone 13 Pro,iPhone 14 Pro 、14インチMacBook Pro M3、iMovie