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Yazu Town, Tottori Prefecture, “Seitoku Village” and “Moya Village”
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壇ノ浦の戦い後の平家 源氏の世の中で平家はどう生きたのか?【鎌倉殿の13人】
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Farmer narrowly escapes tiger attack
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伪装成一棵树整蛊妹妹,结果妹妹当场怀疑人生竟要揍我?【两只马儿-恶搞姐妹】
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Tottori Prefecture: “Ochiori Village” where all 15 residents have the surname “Heike”
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Күн бұрын
Пікірлер: 156
@joumon_jin
Жыл бұрын
ありがとうございます!
@vs2226
Жыл бұрын
$ありがとうございます。励みになります。
@dddrevie
2 жыл бұрын
凄いですね 良いのを拝見させて頂きました 私も両親が 平家落ち人集落出身です
@acbcbaa
Жыл бұрын
椎葉村ですか?
@いのみち-p6m
Жыл бұрын
平家に縁があると言われる人達が集まっていますね~。 私も母方が平家に縁があります。 口伝ですが、四国から分離して鹿児島へ逃れてきたらしいです。家紋は向かい揚羽。住んでる所はもちろん山奥です。 島津が源氏系なので、戦後までひっそりと閉鎖的に暮らしていたそうです。 山陰地方にも逃れていたのですね。 機会があれば、行ってみたいです。
@vs2226
Жыл бұрын
鹿児島へも逃れたわけですか。昔の人は大変でしたね。
@maze1192
7 ай бұрын
この近隣の村出身だけど、ここの集落はマジやで 国道が出来てトンネルが通過するまでは山の最奥に位置して孤立した場所だった
@n4589
2 жыл бұрын
落ち武者として逃げのびた地で人目を忍んで隠れ住んだであろう洞窟 当時を想像しながら見せていただきました 今でも大切にされているのが供えられている生花でわかりますね そう遠くはないところに住んでいるので一度は訪れてみたい処です
@vs2226
2 жыл бұрын
今回は動画にしていませんが、平経盛の墓といわれる宝篋印塔があります。じっくりと堪能して下さい。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
十津川村もそういうところだったのですが、、昭和50代終わり頃からすっかり消えていきました。
@全知全能のサイバーコングバービー
2 жыл бұрын
この情報ありがとーございます~☺️今後共に待ってます‼️
@fukuiti1940
Жыл бұрын
一度仕事で行きました。事情は知りませんでした。冬はかなり積雪があると思います。この鳥取の東部は、古き良き日本の面影を残す素晴らしいところです。
@noritoshisasada7930
8 ай бұрын
丸に一文字の家紋は源氏系に多いようです。 木曽義仲の家紋が丸に一文字です。 平家直系だと揚羽蝶になりますね。
@MF-kt4di
Жыл бұрын
私の祖母宅にも、落武者の墓や刀洗いの池などの言い伝えがあります。 生活が便利な今でさえも山奥の暮らしは中々厳しいです。 当時、逃げ隠れて山中を開拓して生活していた方々どんな思いだったのか気になります。
@vs2226
Жыл бұрын
「山中を開拓して生活」って今の時代には想像も出来ませんよね。余談ですが、私は今、猿飛サスケの動画を見ています。昔の人は大変でしたよね。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
落武者の里って、奈良だと十津川あたりを思い出しますが、梨をブドウ糖として使っていて、薬水という地名で梨が作られていました。三角にしか空が見えないところで。。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
しかも、鳥取の梨は安価でしたが、山深い薬水の梨は高価でした。 それでも、大台ヶ原、お伊勢さん、熊野詣、高野山、と、関西では一番深い山奥で修行の場でもあり、雪も積もり、人には不便で快適とは言えないけれど、一方で、自然が守られて、自然と共生できる強い人間が心身共に修行をすることで 便利な人間目線では気づかない根本的な価値観を見出すことにもなるし、、第一、阪神大震災までは、大峰山系の川の水が関西の田畑を豊かにしてくれてきた。。住まわれてる人にとっては、、街中の泥水と埃っぽい空気を吸ってよく生きてられるなあ、、と?思ってるかも。。
@SY-ht2kl
10 ай бұрын
それだけ源氏の制裁が厳しかったのだと想像します。命からがらと言う人たちも多かったと思います。 あとは、農民に紛れ込むことができたとしても武士の誇りがそうさせなかったのでしょう。 栄華を極めた平家の武士として、年貢を搾り取られる生活はとてもできなかったと想像します。
@levorgsubaruviora
Жыл бұрын
祖母の実家が平家隠れ里出身で平家子孫です。 祖母や親戚からよく伝えられるのはご先祖様がたくさん人を殺めて来たから子孫の僕らはよく怪我をする。と、まあ確かに親、自分含め親戚は大きな事故や怪我の経験が多いのです。因果応報ではないですが、ご先祖様の罪を我々が被ってると 各地にある平家伝説色々ありますが自分が知らない話を聞くとワクワクします!
@vs2226
Жыл бұрын
子孫まで影響してしまうんですね。でも、いろいろなお話がここで聞けて勉強になりますね。とても複雑怪奇ですが。
@MrSisei
Жыл бұрын
はじめまして。 先祖が大正後期まで姫路に居り昨年訪ねました。資料文献は殆ど遺されていない状態ですが今年改めて訪ねようと考えております。 動画有り難う御座います。
@vs2226
Жыл бұрын
お役に立てましたか。ぜひ訪ねてみて下さい。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
姫路は、阪神大震災をきっかけに、、すっかりと街、山、道路自体が大きく変わり、人がスッカリ変わっています。。阪神大震災後、911テロ後、、中国からの民がどんどんどこからともなく、街や商店街を占拠する中で、、日本人は心斎橋商店から出て行き、神社や寺を不動産のように売り買いしていました。。 だから、、神社の周囲の石も昭和時期には創立時から殆ど変えてなかったのが、、.移民が溢れてからは、あちこちの神社で、氏子として建て替えをし、自分達の名前を掘った石に変えてるから、、どこもかも、新ピカになってしまいました。。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
一番、悲しいのは、、中之島に面してあった三井の彫刻と回廊の石でできたビル、、きっと、住友と合併し、解体され、どこかで昔からあったんだ!って作り直して、自慢してる人がいるのだろうな。。 やっぱり、、.中韓って嫌だなあ。。 韓国の慰安婦へのお金も韓国のマフィアがぶんどってしまってるから、日本政府がいくら出しても無駄なんだと思う。。 第一、、統一教会をKCIAが利用することで、日米でのスパイ活動でマネーロンダリングして為替利益を得て、お金持ちになったってことですが、、実際には、、動燃の始まりと、KCIAとの活動時期が同じということで、、しかも、、異常な事件が始まったり、飛行機が相次いで落ちたりし始めたり、学園紛争が火炎瓶などで暴力的?軍事的になっていった時期を考えます。。 おかしいよね?
@S-HappyField
2 жыл бұрын
全国にある落人伝説の一つですね。 夢はありませんが平経盛ではなく、その家臣の子孫くらいでしょうね。 私の親戚で「村重」という名字の人間がいるのですが、伝承によると先祖は荒木村重の家臣で、毛利氏の処へ逃げた後、村重を偲んで名字を「村重」にしたとか。 名前に歴史ありですね。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
江戸時代中期に、大国主命を祀ってある祠に、誰か重油をかけ黒くした大黒さんが打ち出の小槌と共にすり替えられ始めたと、昭和末期、阪神大震災前の出雲大社の資料館の物置に、いっぱい!大黒さんを撤去したものが所狭しとありました。大国主をダイコクと読んだのでしょうか。 それに、、寛政の改革だったか? 当時、通訳係だった人が武士をあっさり捨てて、鹿島神宮の婿養子に入り、そこの舅神主が、伊勢神宮宮司の選挙運動を盛んにして、婿殿は伊勢神宮の神主になり、幕末でも、伊勢宮司が歴史の記録を神社ごとに確認の回覧をしてたけど、伊勢神宮は一番最後に確認することになっていて、通常なら、ろくすっぽ読まずに返すのが、転記したり、改ざんしたりして、長く置いてたそうです。だから、、明治期のまだ、幕府時代からの人々は、 色んな説を出任せ、嘘っぱちとして石碑を建てたりするのに意見が揃わずに、 いたといいます。 飛鳥の石舞台も確か?その一つとして、森鴎外だったかが、誰か幕府関係者からの聞き取りで、記録していたと思います。 日本人は歴史を改竄せずに、出来るだけ真実に近しい状態で残し続ける、ということを続けてたので、、大陸では権力者が自身に都合のいいように改竄することに戸惑い、罪の意識を持つことが殆どないのかもしれませんね。
@ajadrew
2 жыл бұрын
Really interesting to read about The Cave of Taira no Tsunemori at 4:17 - good video & well filmed!
@noname-dk7ri
2 жыл бұрын
熊本県の人吉にも落人村伝説がありますね。
@namiyoshichannel
Жыл бұрын
こんなところがあったんですね!暇なときに行ってみます☺
@vs2226
Жыл бұрын
遠征、がんばって下さい。
@まさちゃん旅チャンネル
Ай бұрын
昔はここて住めたのでしょう。やはり 買物するのが大変なんでしょうか。
@vs2226
Ай бұрын
今でも住人は居ますが、買い物は大変でしょうね。
@煽り烏賊-k5b
2 жыл бұрын
瀬戸内海沿岸部は源氏系、山間部や離島等に平家系が多かったと聞いた事があります。
@stersing1410
Жыл бұрын
瀬戸内海は海賊の住処。小早家ですら横山党と同じく当時のヤクザ集団海賊=武家ではない。同時に瀬戸内海地方は認知症や白血病患者が多い地域。和歌山県御坊市南側から三重県伊勢志摩南部にかけての線でもアルツハイマー病や認知症が多い。これらは日本歴史上においてそういう地域だからだ。
@煽り烏賊-k5b
Жыл бұрын
@@stersing1410 大変参考になります。 瀬戸内沿岸部でも近畿方面だとそうなんですね。 私としては、九州、四国、中国の山口広島辺りのつもりでしたので。
@stersing1410
Жыл бұрын
@@煽り烏賊-k5b 。日本書記は藤原不比等のねつ造書物であり古代朝鮮語で書かれた「ほとばしる・・・なんとか」というエッチな書物も近代の日本歴史学会(役員の中に白人のエミ●リー・ロス●チャイ●ルドがいる)による創作物であり彼らは日本史を捏造してきました(日本の要職に就いている歴史学者は韓国籍ばかり)。西暦711年までは日本の首都は神奈川県藤沢市にあった。ムー帝国からの民衆を引き連れ藤沢市に新居を構えた蘇我氏(天皇)は奈良で暗殺されるまでの期間 藤沢市で政務を執った(馬子も藤沢生まれ)。詳しくは、KZbinでかぐや姫学会で検索。400番台が主に面白い。
@akisasaki2200
2 жыл бұрын
大変参考になりました。と言うのは、動画の7分52秒で「落折のイチイ」と書かれた小さな塔があり、その上部に家紋がありました。私の理解するところでは、その家紋は阿波忌部氏直系、現在三木家の家紋かと思われます。平家は源氏との戦いで敗れ落人の身となりましたが、同時に、公家たちも衰退していきました。たぶん、全国の忌部氏も平家側に付き衰退していったのではないかと思っています。
@joumon_jin
2 жыл бұрын
スゴイ知識
@akisasaki2200
2 жыл бұрын
@@joumon_jin 返信ありがとうございます。「スゴイ知識」ではありません。これは偶然でした。たまたま、私は「日ユ同祖論」を勉強していて忌部氏にぶつかったのです。阿波忌部氏直系の三木家は天皇が大嘗祭で身に着ける麻の織物『麁服』(あらたえ)を作る家系でした。そこで目についたのが、先の家紋でした。因みに、忌部氏の子孫は全国にいますが、出雲にも忌部氏の子孫は住んでいます。
@stihlforever5948
2 жыл бұрын
@@akisasaki2200 三木家のお庭には日本国歌に出てくる「さざれ石」がありましたっけ
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
源平、蘇我氏物部氏、、でもね、、東大寺の大仏さんを作るのに、金を要求されて、聖武天皇は必死で探します。その時点で、石川ー金沢で金脈に詳しい一族が居て、青森で調達すれば良いとアドバイスしたそうですが、 聖武天皇の時点で、既に 蘇我氏も物部氏も姻戚になっていたと言いますから。。 それに、、おそらく?聖徳太子が活躍されてる時期ですら、既に、移民が入国してきてのさばってしまいかねない勢いだったのですから、、 多分、聖武天皇って、戦後は信心深いからお寺を建て、あちこちに遷都を繰り返した、、というけれど、、多分?渡来人らに脅されて、逃げ惑って、恐喝されてた、というふうに、私には思えるのです。東大寺の仁王さんの恐ろしい人相、おどろおどろしい体格、、十分に威嚇してると思われませんか? 電気のない時代に、真っ暗になると寝床でああいう顔が浮かんできて、しかも、家族や親しい人が次々と病死していけば、、蘇我氏と大友氏、藤原氏との確執なんぞ、力合わせて、外敵に向かわねばなりませんぞ、って気になりますよね。。 それに、、蘇我氏って、我、蘇るというので、、新約聖書のイエスの復活をのちに、中国系の人が文字に残したとすると、、。斑鳩の里も生かる我の里、、復活した里、、とか蘇我入鹿、蘇我馬子って、鹿という深山を自由に走り回り、可愛い声で鳴き、怖い時は湖に隠れ、旅する中で遭遇する動物の中では一番、ホッとできる対象だったと思います。熊や猿や猪ではなく、、スーっと鹿の親子がこちらを見ていた、、とこれは神の使いだな、近くに狼も熊も猿どもも居ない。。ってね。。馬子は多分、イエスの厩戸で生まれた御子というのに因んでるのではないだろうか。新訳の聖書のイエスとパウロって、ギリシア時代のソクラテスとプラトンの関係を再現したというふうに、明治や昭和時期まで、哲学か?というくらい難しいのに、単に歴史として子供にも聞かされ続けてたので、、蘇我氏というから、渡来人に思ってしまいがちだけど、、いかるが氏だったのかも?しれません?そういう風に、名前でも、説明文のように、直接的に誰それって名づけを直接的に呼ばず、北政所とか、、説明的に呼ぶ慣しが元々だと考えると、、 物部の大連って、、物流を掌握する大臣だったのではないかしら? 今でいう、経産大臣? 資本主義的な感性に秀でた少し、日本っぽくない才覚を持ってたのでとりたてられたのでしょうね。きっと、お金持ちだったと思います。蘇我氏もきっと、物部氏、藤原氏、平氏らの権勢に飲み込まれていったでしょうね?
@akisasaki2200
Жыл бұрын
@@長坂愛子-t4i 日本の古代史からイエスキリスト、パウロと続きソクラテス、プラトン。そして、古代豪族の権力闘争と資本主義的感性とは、いやはや、大変面白かったです。
@MrTakorosu
Жыл бұрын
懐かしい、ここにはコーヒー飲める喫茶店があるんですよね。 民家がやってるようですが。
@vs2226
Жыл бұрын
そうでしたか。気が付きませんでした。この集落でコーヒーを飲んでみたいですね。
@MrTakorosu
Жыл бұрын
@@vs2226 オーナーは川釣りの有名人らしいですよ。 県外からでも教えにくるとか?
@vs2226
Жыл бұрын
この秘境で釣りっていいですね。釣った魚はその場で料理して一杯やる、ってことですね。
@MrToracyan
Жыл бұрын
この近くにドライブイン平家がありましたね。
@vs2226
Жыл бұрын
最近、当チャンネルのコミュニティで画像を出しましたのでご確認下さい。
@ササカカオル子
2 жыл бұрын
平さんと言うことでしょうか?平家さん?ここではないですが、八つ墓村のように平家の残党を源氏に売った集落もあるとか…坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。1軒1軒が、とても大きいお家ですね。裕福な集落だったろうと想像します。
@vs2226
2 жыл бұрын
説明不足になりましたが、「わかさ観光ガイド」のホームページによると、平成23年現在の戸数は15戸で全戸が「平家」姓を名乗っていて、明治以前は「平」姓を名乗っていましたが、明治初期に平民の名字使用が許可された際に、「平家」姓に変えたと言われています。
@user-bb5yo1xw1jta
8 ай бұрын
私の義理のおばさんは、安徳天皇の御典医の末裔で、その叔母の子孫は医師です。祖谷地方の出身で、現在、その子孫は東京で、勤務医です。もう千年近く前に、源氏に追われて、京都から逃げてきました。
@niudou
Жыл бұрын
明治時代にはこの鳥取から活路を求め釧路を目指した人々がいるという歴史の潮を感じます…
@長﨑光幸
2 жыл бұрын
二階建ての無い集落かと思ったら、へいけ😮さん。 笑っちゃった。😊
@mb-tw4cj
9 ай бұрын
向かう浦で向浦、壇ノ浦に向かうで名乗ってたのはいましたね、 家紋は平家でした
@Uztakuchan
2 жыл бұрын
好きな人のご両親が鳥取のご出身です。勉強のため登録させて下さい。よろしくお願いします。
@vs2226
2 жыл бұрын
ありがとうございます。勉強にならない動画も投稿しますが、適当に見て下さい。
@Uztakuchan
2 жыл бұрын
@@vs2226 さん、ありがとうございます。
@菊力
8 ай бұрын
平家伝承は眉唾が多い
@user-A4fmZ9gF
2 жыл бұрын
香川出身ですが高校の時の先生が平家落人の子孫の方でした。名字はお寺さんのような字でした。私自身も母方の先祖に平家方の部下?外出する時に刀を持つ役を仰せつかっていた者の落人が居たらしいです。平家の子孫多すぎ問題は、私の母方の場合のように、その時平家方に味方していた者(平氏ではない)も含めて平家の落人と呼んでいるからだと思います。鋤も握った事がない貴族が山奥でイチから農民生活して生き残るなんて無理です。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
同時に、、江戸中期以降、、日本列島周辺にある雲海に浮かぶ島々に気づかないうちに渡来人が隠れ住んでいた。。それは、唐という政権がとっても民衆にとっては辛い社会だったようで、阿片?大麻?が必要な社会だったってことでは? で、、日本に密入国し、漁師として暮らせればと逃げてきた人が当時から多かったということではないだろうか? 大体!楊貴妃など美人、長寿への中国大陸での尽力って、、日本の武家社会では女性へ気が散るのは邪心として嫌われていましたから、、 それが、、ソクラテスやイエスなどの話しが大昔から姿を変えて伝承してたから、おそらく、アレクサンダー大王の凱旋というのも知っていて、武家たちは油断しなかったのではないだろうか。
@hiroakifuji5899
Жыл бұрын
全く同じだ・・・ 僕も平家の末裔ですが里が似ています。
@吟遊歌人
9 ай бұрын
モーニング娘のお姉さん格だった「平家みちよ」も田舎のこういう集落出身なんだろうな
@lastrunner1999
2 жыл бұрын
ここは市の道路を北上していくと、ダムの道のりがあり、ときどきドライブで使ってた。
@どず-x9c
7 ай бұрын
埼玉のとある部落も、平家の落人がやってきたのではないかという話があります。 やはりそこも、この場所のように川に沿って住居が並ぶ集まり方なので、とても親近感を感じました。
@あいうえお-n2p5x
2 жыл бұрын
1:12の「石破しげる氏の選挙ポスター」と「平経盛の墓の看板」と「平経盛隠遁の洞窟の看板」が同じ画面に映ってるのがシュールで、 その画面を何度も見返してしまいました☺鳥取県にこんな場所があったんですね、
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
いしばさんって、昭和の頃からすると、モンゴル系のジンギスカンみたいなイメージを浮かべます。
@moomin88886
Жыл бұрын
うちの父親の家紋がアゲハ蝶ですが、 最後にでてきたアゲハ蝶は平家の家紋になるのでしょうか? という事は私達の家系は平家一族ということ? いつか行ってみたいです。
@vs2226
Жыл бұрын
ぜひ行ってみて下さい。アゲハ蝶というのは動画のどのあたりでしょうか。
@moomin88886
Жыл бұрын
7:47のところの看板の中央にあります。 中四国地方には平家の落人の話、結構聞きます。 広島の小さな集落が平家の落人だったとか聞いて驚いたことあります。
@vs2226
Жыл бұрын
@@moomin88886 なるほど、よく気が付きましたね。最初にチラッと見たときに何のデザインかな、と思っていました。調べてみるといろいろな説があるようですがアゲハ蝶の家紋は平氏一族が使っていたようですね。
@marute0857
Жыл бұрын
アゲハ蝶は平家の家系と関連付けたい武士も使ってましたよ。 例えば池田家ですね。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
家紋って、男の子で父親を継ぐときは、男紋、日本の神道系の家でよくある女が継ぐ家では女の子が女紋、でも養子に行くときはそれでも、実家の紋を持って、行きますから、、○紋だから平家、源氏というようなことは少ないです。 しかも、、婿入り、嫁入りする時には、新たに作った道具に紋を入れるので、戦時中、戦争が続いたり、江戸から明治になって、政府自体にお金がない時に、 名家でもそういう贅沢の余裕があるなら、国立銀行の資金も必要なわけですから
@mickymitti6101
2 жыл бұрын
私は45代前平貞能の子孫ですが、苗字は平では有りません。平は有り得ないのでは無いかと。隠れ住んでいて平は使う筈は無いかと。
@vs2226
2 жыл бұрын
なかなか難解なことの様ですね。
@kmitti-1923
2 жыл бұрын
ところで、「平家」と有りますが、読みは【へいけ】又は【ひらや】又は【たいらけ】又は【たいら】家、ですか?確かに西日本は平家に協力した場所では有りますが、その場所に辿り着いても地元住民の協力無しでは食料・生活等出来ないのでは無いか。当時は別の苗字を使用していたか、又は苗字無しで〇〇兵衛とかの名前だけを使用していて江戸か明治に成って苗字を付けたか、それでも全戸が同族は考えられない。血が濃くなるし、他から嫁を貰えば隠れ住んでいるのが分かってしまい、皆殺しに成るかも知れない。私は貞能が宇都宮家に仕え、結城氏に頼まれ白河の関に行ってそれから東北の地、現在の福島・宮城に行った理由を知りたく、足取りを追った事が有りましたが、仙台に向かう途中に平貞能と源義経が一緒に居た場所が有ります。細かい話は長く成るので省略しますが、(そこで義経の子供が生まれた)仙台近くで貞能と一緒に行った子孫たちは未だに鯉幟は勿論平家と分かる祭事等しないと言っていました。因みに貞能と一緒に行った結城氏の子孫と一緒に行った他の子孫は仲が悪かったらしい。まあ、元々平家と源家だから子孫にとっては源家が天下を取っていれば源の子孫を強調して生き残りをかけて、何代か後、一緒に東北の地に来たことは忘れて・又は忘れさせたのではないかと。
@ichirokage4186
2 жыл бұрын
明治になって表したのでは?
@小沼浩一
2 жыл бұрын
歴史上の有名人で言えば、例えば明智光秀の子孫も薩摩の桐野利秋も長州の木戸孝允も明治維新になってから遠祖の元姓を名乗っています。 それは別段、珍しい事では無いのです。 ちなみに私の家統も本姓は五代前の当主が明治維新を機に室町時代中期の元姓に戻しました。 この動画の関連で言えば、例えば東京都新宿区の某寺院の門主が平(たいら)さんを名乗る人で、その人の先祖が関東平氏の千葉氏と三浦氏で、やはり明治維新を機に元姓に戻したとの事です(私とは幼少期からの知り合いです)。 平家落人伝説の有る宮崎県椎葉村の住民も複数家が明治維新で平さんに戻しています。 何でも無い極普通の事だと言えます。 あなたの曽祖父又はその父親が明治初期、平姓に戻さなかったのは恐らく別な事情が有ったからだと推測出来ます。多分、本家は元姓に戻したが、あなたの先祖は本家でなかったからなのでは?
@kmitti-1923
2 жыл бұрын
@@小沼浩一本家とは何代前から分かれた事を言うのか?私は平貞能の直系ですが。直系だから平に戻さなければ成らないのですか?
@cs.630
2 жыл бұрын
新入り差別がないならパートナーと共に暮らしたい雰囲気。 老後も自然を見て穏やかに暮らせそう。
@Tatu-o4w
9 ай бұрын
積極的に集まりに参加して適度に愛想振りまいて、とにかく和を乱さないように【郷に入れば郷に従え】を実践すれば大丈夫ですよ!
@ke1n612
9 ай бұрын
隠れて生活していたはずなのに名字が平家ってどういうことなんでしょう
@杉山保-b9l
2 жыл бұрын
福井県大野市の山奥、穴馬にも平家のゆかりの地名があり、平家の落人であると聞いている。また、すざましい一向一揆時代と思うが僧兵から逃れるために倒木を倒し、道を塞いだと聞いている。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
多分、、平家の落人の里ということです、、生きづらい中国大陸から逃げてきた密入国者が住み着いていたにではないだろうか? 通りすがりの人が言葉が違うと噂が広まるといけないから? 山賊となって、時々、旅人を襲っていたのかもしれません。。
@hitachinokunigenji
2 жыл бұрын
平家のご子孫の集落ですか。素敵ですね。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
平家って、平氏というので、、兵だったのかも?しれませんよ。 源、みな元? 元々から居てるという意味だったのかも? もしくは、、水もと? 湖、池、川の近くで田圃と共にあった一族という意味だったのかも? 平安の時期に、既に、、貴族らは没落し、江戸時代の貴族って気位は高いけれど、貧乏のどん底だったというし、、調子のいい時は、酒、女と節操のない人たちも多かったようで、王朝文明に憧れてる中国大陸の人たちとは、日本の文化史では全く、違った成長の仕方をしていったという風に思うのです。 つまりい、、⚪◯の末裔って自称してる人はまず、偽物だと考えた方がいいというにが正直なところです。本当にそういう立場なら、、逼塞してなきゃいけないので、、江戸時代の後半の武将らが明治期にも残ってるということはあり得ても。。でも、、日本では、身分が高いほど生きづらく、民の重責を担わされるのですから。。雅とか豪勢とは無縁の世界で暮らし続けてきたということでは。。
@hitachinokunigenji
Жыл бұрын
@@長坂愛子-t4i 平家平氏源氏橘氏菅原氏は天皇の子孫ですね。苗字や家紋、戸籍や菩提寺に行って調べたりすると良いですよ。平氏も源氏も公家になった者と武家になった者があります。平家は平清盛の子孫なので武家です。なので「兵」というのは間違いではないですね。
@katsuyama7810
Жыл бұрын
個人的には住人15戸というのも不思議な表現ですが、 各戸が平家というのも不思議な話ですね。違和感しか感じないです。
@かっちゃんチャンネル-v4p
2 жыл бұрын
地元の集落(字、あざ)に名字が「戸田(とだ)」だけのところがあります。
@vs2226
2 жыл бұрын
それは興味ありますね。何世帯ぐらいあるんでしょうかね。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
昭和50頃には、確かに、クラブの合宿などで蚕部屋だったところで安く、涼しく過ごさせてもらったのですが、、そういうのは、国鉄の車窓から、お墓が自分達の田畑の日当たりの良い電車沿いによくありました。 大きな昔からの家では、お墓は自分家にあることが多く、武士たちは転勤族ですから、お寺が必要ですが、農家や土地の人たちは自分家でお墓を持っていたから、、昭和30代には、こんもりとした土があれば、土葬かも?と怖くて避けて通ったものです。火の玉もよく聞きましたし。。 関節からリンが発火して光るのだろうと、怖がることはないと、いう人がいたり。。大阪でも、あちこちに田畑があり、お墓もありました。 北摂に2001に行った時には、薪で火葬荼毘する場所があり、多分?本当には火葬してないのでしょうが、何か、勉強のためか?荼毘の真似事をされていて、一晩中、順にねずの番をして、その上に墓地に葬ると仰ってられました。
@隆浩-p4i
Жыл бұрын
平家とは伊勢平氏の一門朗党をさす呼称で氏でも名字でもないので名字の場合子孫でなく朗党の方が名字とした可能性が高いですね 平氏一門なら平が氏であり名字ですから
@huihui1842
Жыл бұрын
なかなか行くことはない所だよな
@noritakaakamatsu9713
2 жыл бұрын
「平家」ってなんと読むのですか?「ひらや」?
@vs2226
2 жыл бұрын
わかさ観光ガイドのホームページによると「へいけ」となっています。
@noritakaakamatsu9713
2 жыл бұрын
@@vs2226 姓が「へいけ」ですか?それとも「たいら」?
@vs2226
2 жыл бұрын
「へいけ」です。
@noritakaakamatsu9713
2 жыл бұрын
@@vs2226 それは珍しい。。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
たいらの将門、、。たいら?が元々? 家は一家という意味なのかしら? 源氏は氏なのにね。。本当に、、.よく考えると面白いね。
@タオ坊
Жыл бұрын
東北に皆さん瓜実顔した一部地域が有ると聞いた事が、、。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
古代の縄文人と弥生人との骨格も頭の骨の形も違い、鼻筋の骨から後頭部の頭蓋刻の形が推測できると昭和30頃ですが博物館の先生たちから聞きました。 家康の時期はまだ、武士は力を要るので顎が張っていたそうですが、江戸の終わり頃になると、、朝鮮系?支那系の細面の将軍になって?慶慶って、細面ですよね。その前の家茂は和宮とのことがあり、お顔は残されていないそうですが。。? 金閣寺も建て替えられた時には鳳凰がつけられて、三島由紀夫も和宮伝説には作品を残し、でも、、和宮の婚約者だったという皇族は、世界大戦?で海軍将校として船に乗っていたけれど、酷い扱いだったということですよね? 歴史の真相を知って、日本人としてのアイデンティティが共有できることが、、こんなにも列島改造されてしまって、可能なんでしょうか?
@nightfriday4829
Жыл бұрын
まぁ多分平家の血筋というより平家の関係者達の子孫とかかな? にしても一時は日本の政治の中枢にいた人たちの子孫が追ってから落ち延びて結局数百年中枢に戻れずじまいで今なお山奥に住んでるとは哀愁を感じるなあ
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
あり得ないです。。戦争で徴兵され、武士という家からは真っ先に志願?将校の学校に入学しましたから。。 本当に、世界大戦では、特攻隊など、結果的にいうと、日本人青年を抹殺するための目的としか考えられない戦略があり、残された婦女子は、同盟軍だったタイ人将校や清国、満州国のつながりの軍人と結婚しなくては、まず!日本人男性は戦死してるか負傷兵が殆ど。島津家のおとのさまのまつえいのかたでも生還しても自分の実家を名乗らず、やはり、満州系の女性に婿入り婚してます。 戦勝者侵略者が、旧家、元藩主を名乗り始めた時期です。 多くの日本人は、苗字どころか名前すら変えられた人も多かった。芳夫と芳という風に、生還するとは、男子として卑怯で恥じるべし、という感じだったのかもしれません。
@marikotoyoko
Жыл бұрын
平家と言えば、中学校時代にくの字の形をした4階建ての防音校舎の二重になっている二階の窓際に黒い学生服姿で肘を付いてこんな話をした奴がいた。 『あいつ中学校に来ていないぞ。』 田舎の小学校の同級生に平って名字を持つ男がいたんだ。そして、小学校には来ていたけど、中学校には顔を出さなかった。当然、平家の末裔だろう。そして、何らかの金とつてがあって暮らしていたんだろう。今思うと不可解で不思議だし鎌首をもたげてくるものがある。でも、日本には、どこにも田んぼや畑があって日本人の生活を支えてくれているのが分かる映像だ。それが嬉しいなあ。どこかさ。体か心の中に共鳴するモノがあってさ。寂しい道の真ん中で信頼できる顔見知りの人に会ったような感じがする。だけど、最近、そんな先祖代々の田んぼを売ってそのお金を持って海を隔てた韓国にわざわざ行って盗人詐欺師に渡してしまう日本のお母さんの話を聞くと寂しい気持ちになった。遠い昔日本国内で行われていた源氏や平家の争いが形を変えて日本の国と他国の勢力との闘いの場に移ったんだ。騙されると寂しいねえ。また、そんな騙されている人を見ると悲しくなる。r4/12/27火1655世.
@vs2226
Жыл бұрын
なかなか興味深いお話でした。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
このお話こそ、共感できる。。 そう、、韓国KCIAが黒幕として関与してるのには違いない。 ただ、、韓国人は中国セレブと連動して手下として活動してきてる数千年間のしがらみと習慣で、身動きできない人たちが多いのだと思う。しかし、、昭和40時期に、磯村尚夫アナ?だった頃、ニュースセンター9時でよく映ってた中国人の多さ、、一人っ子政策してるのに、、、彼らは頭数で侵略外交をするのだろうか。 中国内の政治の失敗での人口爆発の悪影響を日本が被ってる気がします。 それに、、顔や言葉には中国訛りが感じられないが、 「警察に言うぞ」って、、阪神大震災以降、911テロ以降、あちこちで聞くと結構な人が聞かされましたが、、やはり、、警察にマフィア暴力団人材が入ってることを彼らは知ってるからそう言うことを言って喚いてたのだろうか。。
@atmbktn
9 ай бұрын
平家と平氏は、ちがうんです!
@atmbktn
9 ай бұрын
難波六朗のし孫の先祖も!すんでました!
@ねこ金マタタビ
2 жыл бұрын
北条も平
@くまちゃんはゲイ脳人
Жыл бұрын
奈良の丘崎がいた集落みたいやな…..
@兼松保
2 жыл бұрын
別に珍しくもない。檀ノ浦で滅んだ「平家」が全ての「平家」ではない。俺の先祖も落人だしな。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
落人になって、隠れ里で済んだと言うことになってますが、、 そんなにも日本では武士の数が多いことはなく、むしろ、農民が戦で褒賞をもらおうと参戦し、普段は畑をしていたと言うことではないでしょうか。 日本の身分制度で戦後、士農工商と身分制度だと暗記さされてきましたが、 圧倒的に一次産業の民が日本には多く、武士は江戸時代になって戦がなくなると 大名ですら、商人の両替商や米問屋などにお金を借りる。借用書は書くが、返されない覚悟、挙げる覚悟で用立てる。 武士というのが実は、国を守る傭兵でもあったと言う側面。。 将軍に情報をもたらすのは、忍者でもあり商人でもある達者な人たち、鳶らが杉材を運ぶついでに、言付けを頼まれたり調べたり、、水軍とも海賊でもある荒くれから海外の情報を、、 武士から明治になる時期に多くの商家が出たということ。。 身分や地位、権限を売却し、樋口一葉の父親はそれを買うが、既に、役人として報酬が約束されない時期、、商売を始めても失敗続き、、 その時に、おそらく?韓中系の人物がセレブとして近づいてくるが、、この手法は昭和でも阪神大震災をきっかけなるまでは、同じパターンで近づいて来て、阪神大震災、911テロをきっかけに暴力的な下剋上が介護制度や病院内で繰り広げられ、警察も結構、地上げ屋と連動して驚いたが、、きっと、中国の4000年の紛争史では当たり前のことだったんだろう。。 ともかく、、地球が人類の激増にねをあげてるっkとが問題として、昭和期のカトリック作家らは言ってたし、中印大陸の政権はしっかりしてほしい。。。 増えて住みにくいから他国に侵入、、というには日本人には堪え難い。。
@ravenvein
Жыл бұрын
そういえば「平家ホーム」を「へいけほーむ」と呼んでましたが「ひらやほーむ」が正解でしたな。
@KARAOKE_BAKA
Жыл бұрын
イイとこすね。 ワシのネームも偶然、 スティーブン・平 です🦧
@山本誠司-v8m
Жыл бұрын
ここは、探偵ナイトスクープに出たんじゃないかな。
@vs2226
Жыл бұрын
本当ですか?
@山本誠司-v8m
Жыл бұрын
@@vs2226 何十年かぶりに訪れる。今年放送だったかな。みんな、平家さんて言ってたような。
@apno.3950
Жыл бұрын
歌手で昔、平家みちよっていう人がいたな。
@tetsu2121
6 ай бұрын
直系傍系どうでも良い、とは申しませんが、そこにことさら拘泥する必要もないと思います。 遠い昔から言い伝えられた伝承を信じ、プライドを持ってそれに恥じぬ生き方をする。 それこそがご先祖様たちが願われる我々の生き様ではないでしょうか。
@かず-j1o
2 жыл бұрын
友人に豊臣方の落人集落の方がいました。 苗字を後藤から、高橋に変え。祖先の残酷な戦の仕方で 7代、祟ると言い。俺が、その、最後の子孫だと。 そいつも、士道の気質持っていましたね。 でも、若くして、病気で死んでしまいました。合掌。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
将軍の落人の里というと、、妙心寺の叔父さんのところから、決心して信長を 襲った光秀ですが、、信長の遺体は見つからないままで、ずうっと、、切腹したはず、という伝承でした。でも、昭和40代後半、白山信仰の参道が山深くあり、 そこで博物館の先生と宿泊した時、。深夜、数代前の村長さんのお葬式があり、たまたま、京都の仏教大学?から夏休みで帰郷してた学生さんの実家がその村で一番、古いお寺で、.栗の瓦(水、雪に強いそうです)の立派なお寺でしたが、 お昼に案内して頂いたのですが、御住職は大切なお葬式でお留守でしたが、夜、提灯と籠が4つのお葬式の参列を見て神妙な気持ちになりました。 とっても山深く、猿や熊に遭遇するので、油断できない所ですが、、.どこの家も織田家でした。昭和30年代から山のお寺に宿泊し、昆虫や鳥、植物、星の観察に週末に連れって貰い、どこも坊ちゃん便所で、電気もなく、蜘蛛の巣なんて当たり前でしかも衛生上、離れてあるから夜道も真っ暗で足元に何か居ててもわからない。。トイレができない子は、夜中に寝床で大をした子もいるくらいです。 朝は空気が薄く、冷えるので、低血圧だと苦しくなる。 でも、、早朝から、カッコウやキツツキの声にも出会え、夜はフクロウの声が不気味です。 瀬戸内海の無人島の沼島に泊まった時は、翌朝はミミズだらけで、爪先だって歩いても踏みます。しかも、、YMCAの指導者は、裸足で歩くように指示し、怖くって、お漏らししてしまったことをおもいだします。 多分?沼島ヌシマも無人島として、戦後にYMCAが購入したところに丸太小屋を作って連れってってもらったのだと思います。 お茶も貴重だし、ご飯も貴重でお腹がすいたし、魚も取れないしで、、夜中は真っ暗で、、涙。。
@backt6956
2 жыл бұрын
後で付けたんやろ🤣
@vs2226
2 жыл бұрын
そうみたいですね。明治以前は「平」の姓でしたが、後に「平家」に変えたと「わかさ観光ガイド」のホームページにありました。
@ぼん柴犬
2 жыл бұрын
まったくワケが分からん┐('~`;)┌
@vs2226
2 жыл бұрын
コメント欄が複雑怪奇です。
@ぽっぽ白神
2 жыл бұрын
平家の子孫アピール多くて草 どこまで本当なのか🤔 まぁ俺の先祖も平家の子孫だったって言われてたらしいが
@vs2226
2 жыл бұрын
なかなか難解です。
@rtyrty8116
Жыл бұрын
平家や平氏とも関係のない平姓の人がある日かっこつけて平家の子孫を名乗りだし、それが子や孫に伝わっているケースもありそう
@kuritamobiletruth
Жыл бұрын
住民全て平家との事だけど、その確認が動画中で全くされて無いね。表札すら映さないのは何故なのかな。
@vs2226
Жыл бұрын
なぜ人が住んでいる家の表札を全部撮影しないといけないんですか?もう一度、動画の概要欄をしっかりと見て下さいね。
@長坂愛子-t4i
Жыл бұрын
でもね、、確かに昭和50ごろにはまだ、字とかいう田舎では、同じ苗字の家ばっかりというところがあり、困らないのか気になった。 下の名前で呼び合うとか言ってたと思う。 クラブの合宿で安く大きな座敷があり、みんなで一緒に居れる家があり、良かったよ。こういうところ。。 しかも、田畑や飲水などの湖や池があって、水泳できたりね。。楽しかったよ。
@freeway104
2 жыл бұрын
姓が「平家」? 「平タイラ」ではなくて?
@vs2226
2 жыл бұрын
「たいら」から「へいけ」に変えたそうです。
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