陽人先生。私は幼稚園の頃からキリストや仏像を拝むのが嫌いでした。慣習により形だけは拝みます。妻は熱心なカトリック信者でマリア像を拝みますが今でも何故木や石を拝まないとあかんのかと思ってます。天照大神が降りて来られた霧島神宮には鏡が有るだけです。鏡を拝む事は何故か自分を拝む様な気がして心から拝めます。妻に何故キリストやマリア様を拝まないの?私の信仰を見下すの?と聞かれると私は彼女に The God is in my own heart. と答えます。が、実際何故そう思いながら60年近く生きて来たのか不明でした。即身成仏だったとこの法話で理解、大発見でした。ヨーロッパ人はエウレカと言う言葉を知っています。これはギリシャ語で見つけると言う動詞の現在完了形です。貴方は今日一人の人間を幸せにしました。多少の中道も判った気がします。なぜなら私は絶えず南無阿弥陀仏や南無観世音菩薩、アビラウンケンソワカなど全て有難い言葉と思ってます。シッダルダと同じ時代にヘラクレイトスと言う哲学者がギリシャにいました。彼の言葉にΤα πάντα ρεί.(タ パンダ レイ) 全ては流動すると言うものが有ります。これこそ諸行無常の事と理解しますが人は過去にすがりつく習性が有ります。ヨーロッパ言語の習得は便宜上動詞は現在形から学びますが実は動詞は過去形の方が先に作られてます。諸行無常を認めながら実行し難いと感じます。即身成仏をやっと妻に説明出来るようになりました。私は年に3、4回しか日本語を喋る機会が無いので長文をお許しください。スペインでは今日コロナウイルスによる戒厳令が出ました。死者も90人程になりました。私には持病が有り南無阿弥陀を唱える事で精一杯です。頑張って下さい。