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無法松の一生 1943年製作
監督 稲垣浩
出演 阪東妻三郎 月形龍之介 永田靖 園井恵子
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/ 古典邦画集pd
明治30年、小倉に無法松と呼ばれる人力俥夫の松五郎がいた。
松五郎は博奕で故郷を追放されていたが舞い戻り、若松警察の撃剣の先生と喧嘩をして頭を割られ、木賃宿の宇和島屋で寝込んでいた。
そんな松五郎は喧嘩っ早いことで評判で、ある日、芝居小屋で仲間の熊吉と枡席でニンニクを炊いて嫌がらせをし、木戸番と喧嘩するが、結城重蔵の仲裁で素直に謝った。松五郎は意気と侠気のある男だった。
松五郎は堀に落ちてけがをした少年・敏雄を助ける。敏雄の父親は陸軍大尉の吉岡小太郎であり、これが縁で松五郎は吉岡家に出入りするようになった。しかし、吉岡大尉は雨天の演習で風邪を引き急死した。夫人のよし子は、敏雄が気の弱いことを心配して松五郎を頼りにする。松五郎は夫人と敏雄に献身的に尽くしていった。
やがて敏雄は小倉中学の4年生になり、青島陥落を祝う提灯行列の日に他校の生徒と喧嘩をして母をハラハラさせるが、松五郎は逆にそれを喜び喧嘩に加勢した。その後敏雄は五高に入学し、松五郎とは疎遠になっていった。小倉祇園太鼓の日、夏休みのため敏雄が五高の先生を連れてきて帰省した。本場の祇園太鼓を聞きたがっていた先生の案内役をしていた松五郎は、山車に乗って撥を取り太鼓を打つ。流れ打ち、勇み駒、暴れ打ち。長い間聞くことのできなかった本場の祇園太鼓を叩き、町中にその音が響いた。
それから数日後、松五郎は吉岡家を訪ね、夫人に対する思慕を打ち明けようとするが、「ワシの心は汚い」と一言言って、彼女のもとを去った。その後、松五郎は酒に溺れ、遂に雪の中で倒れて死んだ。彼の遺品の中には、夫人と敏雄名義の預金通帳と、吉岡家からもらった祝儀が手を付けずに残してあった。
Filmarksに投稿された感想・評価
芝居小屋での喧嘩、運動会での徒競走、祭りの夜の助太刀、祇園太鼓、そしてあの超アバンギャルドな嗚咽を誘うモンタージュ。題名からして死ぬしかない阪東妻三郎の人生が車輪となり、走りとなり、提灯となり、祭りと花火となり、喧嘩となり、そして笑顔となって泡のように湧き立って一挙に回顧される。
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恥ずかしながら名前くらいしか聞いたことのない状態で見始めたのだが、面白すぎてどんどんのめり込み、芝居小屋の場面の迫力くらいから驚かされ、その後の展開に非常に感激した。大変シンプルな、多くの作品の源流になるような作品であると思う。
僕が見たのは検閲後のカットされたバージョンであるのだが、カットされたことから恋愛というエッセンスが薄くなり、より松五郎の純粋さというのが際立つような形になっていると思う。
多くの素晴らしいシーンがあるが、運動会で走る松五郎と、それを応援する敏雄の姿のなんとも感動的な事。クライマックスの太鼓の盛り上がり、そこからの走馬灯、切ないラストなど、どこを見ても面白い。素晴らしかった。