『武田勝頼の最期』度重なる裏切り、天目山での自害

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SENGOKU BANASHI【Mr.BUSHIDOU】

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Күн бұрын

▼参考文献
武田勝頼 (中世から近世へ)
amzn.to/3PN5bEe
徳川家康と武田勝頼 (幻冬舎新書)
amzn.to/3D6NSq1
武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る (PHP新書)
amzn.to/3NUverz
武田氏滅亡 (角川選書)
amzn.to/3NSzFTM
武田氏家臣団人名辞典
amzn.to/3N52MCS
※※※※※※※※※※※※※※※※※
【目次】
00:00 前置き
01:00 天正10年(1582)2月1日
04:30 浅間山 48年ぶりの大噴火
07:28 穴山梅雪の離反
11:29 最後の軍議~滅亡
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#戦国武将 #滅亡 #武田勝頼 #戦国時代 #歴史 #穴山梅雪 #浅間山

Пікірлер: 135
@pawakobe
@pawakobe Жыл бұрын
4:36 真田丸の 草刈正雄昌幸「富士や浅間が噴火しない限り、武田は滅びませぬ!!」 ナレーション「翌年、48年ぶりに浅間山が噴火した」 これほんとすき
@32mack82
@32mack82 3 ай бұрын
よくできた話ですね。脚色の妙かと。
@kazutoshiist
@kazutoshiist Жыл бұрын
4日前、勝頼が自害した場所の景徳院へ行ってきました。何とも言えない空気を感じ、奥さん、16歳の子供と 三人の自害の場所に手を合わせました。死ぬ前に三人とも歌を詠んでいるのですが、もう切なすぎる。
@user-wy6uf6lg4m
@user-wy6uf6lg4m Жыл бұрын
穴山梅雪略してアナ雪と武士道さんがさらっと言ったところで笑ってしまいました🤣
@user-rs7tx7hj6t
@user-rs7tx7hj6t Жыл бұрын
1ゲット 勝頼は父の信玄、祖父の信虎が好き勝手やって来たツケを払わされた感がありすぎて悲壮感がすごい涙
@user-xh5jm9ji8x
@user-xh5jm9ji8x Жыл бұрын
真田丸での、『浅間山が噴火しない限り』と言った直後、大爆発したのは大爆笑でした。
@user-cg6up3lc7n
@user-cg6up3lc7n Жыл бұрын
どうする家康の勝頼、最後まで凛々しく最高でした。
@user-ls8jx2xn3y
@user-ls8jx2xn3y Жыл бұрын
長篠の敗退、北条ではなく上杉を選んだ外政、高天神を見捨てた件、新府城の賦役と土豪の集まりである武田家にとっては厳しいことが起こりすぎた。
@bb-8128
@bb-8128 Жыл бұрын
真田丸での「富士や浅間の山が火でも噴かぬ限り…武田の家は安泰にございまする」からの火山ドォン!は当時笑ってしまった…笑
@sunadorist3028
@sunadorist3028 Жыл бұрын
なんで火を噴いてしまうかのう、浅間山めぇ!!!
@netdm21
@netdm21 Жыл бұрын
​​@@sunadorist3028火山ですから噴火することもありますよと信繁の畳み掛けがさらに(笑)
@user-gt8kc9vg2v
@user-gt8kc9vg2v 2 ай бұрын
後、動画とは関係ありませんが、この浅間山は江戸時代でも噴火して大飢饉の原因を作ったんですよね…。もしかして今度この山が噴火したら日本に何か凶事がおこるのでは?
@nc6994
@nc6994 Жыл бұрын
天目山では土屋昌恒、小宮山友晴、阿部勝宝 勝頼公は少なからずでも忠義を尽くした家臣達も最後の奮闘がありました。勝頼公は少なからず時代のタイミングが合わなかったですが、私は今でも最強の武将と信じています!個人的に武田贔屓になっちゃいますが、勝頼公は好きな武将の一人です!
@cosiga3580
@cosiga3580 Жыл бұрын
本多忠勝も武田が滅んで、武勇を争う相手がいなくなってつまらなくなったと嘆いたとか聞いたことがありますね。
@user-gt8kc9vg2v
@user-gt8kc9vg2v 2 ай бұрын
コメ主の方、お気持ちはよく分かります!俺も勝頼が好きなだけでなく、三國志の魏延文長と同じくらい同情もしてるんです。
@bakera
@bakera Жыл бұрын
今年5月の連休には静岡でなく、あえて山梨に行き新府城跡などにも訪れました。ミスター武士道さんの解説を拝聴し、改めて武田家視点からの歴史に想いを馳せて楽しんでいます。
@eyesgd6786
@eyesgd6786 Жыл бұрын
チャンネル新参者ですが、内容が解りやすいし、先生の滑舌もいいので、歴史コア好きにはたまらないです。😂
@user-wp6or9iw1w
@user-wp6or9iw1w Жыл бұрын
大河ドラマ真田丸で勝頼の最後までのお話と家康が廃墟になった甲府を訪れたシーンが描かれてましたね・・武田家が滅んだのにちっとも嬉しくない!って言っておりました・・虚無感と喪失感・・自分の手で打ち取れなかった悔しさ・・積年の想いがあったのであろうと・・今回の大河ドラマではそこまで描かれないと思いますが引き続き観ていきます。
@user-nr9up4vj7q
@user-nr9up4vj7q Жыл бұрын
「真田丸」で徳川家康を演じていた内野聖陽さんは「風林火山」では山本勘助を演じていました。「風林火山」での山本勘助は幼少から少年期にかけての武田勝頼の教育係的な立場でした。か
@user-lc4eo5pf3r
@user-lc4eo5pf3r Жыл бұрын
これは、家康の役者事情と三谷幸喜の洒落た演出だと。 家康役の内野聖陽さん、風林火山で武田家軍師山本勘助演ってましたから..。
@taichiman1342
@taichiman1342 Жыл бұрын
甲州人として、この時の話を聞くと勝頼公に申し訳なく思ってしまいます。ご先祖様たちも望んで裏切ったわけではないでしょうけど。勝頼公家族の眠る景徳院に手を合わせに行ったことがあります。山中の静かな場所です。家康がこの年に彼らの菩提を弔うために造営を命じたらしいですね。
@user-bb5wv8bn2m
@user-bb5wv8bn2m Жыл бұрын
武田家の末裔です。メッセージを拝見し、涙が出ました。ありがとうございます。
@cleaner9773
@cleaner9773 Жыл бұрын
武士道さんの解説を見ていても思うけれど、信長って畿内や尾張、美濃など肥沃な土地を領有していて軍事力で圧倒的に武田家を凌駕しているけれど、その上で一切隙を見せず武田家や上杉家に調略をかけて、何か起これば内部から自壊するような準備までしているわけですから凄いですよね。武田家を土壇場で裏切った武将たちだってその場で決断したってことじゃなく、もうずっと織田家からさまざまな調略を受けていたわけですから。 で、浅間山の噴火が起こった。これは単なるきっかけで、やはりその機会を無駄にならないようにずっと以前から備えていた信長の凄まじい戦略眼というか、謀略の上手さを感じますよね。
@jsuzu7747
@jsuzu7747 Жыл бұрын
勝頼のことは教科書レベルの知識しかなかったけど、以前「英雄達の選択」の勝頼特集を観て、見方が変わりました。聞けば聞くほど、こういう運命の人なんだなあって思ってしまいました
@user-hc8id9kh9k
@user-hc8id9kh9k Жыл бұрын
思っただけですが。。。脚本は史実とは違っても、それで大河観て歴史に興味を持つのは良いと思いますが。。。。
@dindon1969
@dindon1969 Жыл бұрын
それを言ったら氏真もそうじゃない? 実は瀬名に惚れてたとか糸(早川殿)を当初は蔑んでたとか バカげた設定や描写が多かったが、 勝頼と似た境遇だったのに、 あまりにも対照的な人生を送った氏真。
@user-zl8rv5uu3g
@user-zl8rv5uu3g Жыл бұрын
勝頼は長篠戦以降たった9年で武田家を滅亡させたとかいわれてるけど、信長だって似たようなものだからね。 むしろ長篠戦で大敗したのにそれだけ保たせたのは凄いと言いたい。
@megane-tetugaku
@megane-tetugaku Жыл бұрын
戦続きと城普請で領民や家臣は疲弊して、武田勝頼を見限ったとの話も有りますね。 元々裕福な状態じゃないのに、無理をし過ぎた。
@MM-ms2gy
@MM-ms2gy Жыл бұрын
勝頼の役者さん、演技上手いよね
@KokonTouzai-Rekisi-Channel
@KokonTouzai-Rekisi-Channel Ай бұрын
演技派ですものね。 系統的にはアクション俳優なのでゴールデンカムイという映画では日本陸軍の軍人としての殺陣が似合ってました。
@usai21
@usai21 Жыл бұрын
浅間の山の噴火も『多聞院日記』で奈良の僧たちも「やべぇ」ってなってたみたいですね。
@user-ub7tt4gl8y
@user-ub7tt4gl8y Жыл бұрын
最大版図形成したのに崩壊するのもあっけないってのが無情すぎるし、国衆の存在感のデカさよ 一度裏切り起きたら雪崩のように… 祖父も災害続きで「あいつが暴君だからだ!」という風評も重なって集権化の志半ばで追放されて、その孫も「災害=あいつはもう終わり」ってなったのも運命なのか… 勝頼も巡り合わせ次第では仁科盛信みたいに戦場で華咲かせて武将らしく散るとか、義信を信繁みたいに盛り立てるなんてのもあったと思うと虚しい
@user-nr9up4vj7q
@user-nr9up4vj7q Жыл бұрын
義信が生きてさえいれば、勝頼は「諏訪四郎勝頼」と呼ばれて、武田家の一家臣的な立場として義信に仕えていたと思います。 勝頼の立場は武田からは軽く見られ、母方の諏訪家からは仲間外れ扱いされていました。生まれながらにしての微妙な雰囲気や立場も勝頼の生涯に影を落としてしまったようにおもえます
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
義信が生きていてそのまま武田家を継いでいたら、勝頼は戦も上手だし内政においても自分の身内に肩入れしないで村同士の争いを裁いた事からそれなりの力量はあると思うので信玄の代の信繁、島津家における義弘のポジションとして大活躍していたかもしれませんね。
@nagisamiya5101
@nagisamiya5101 Жыл бұрын
火山が噴火はもう運命でしかない……
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l Жыл бұрын
兵卒にまで恩賞として甲州金をばら撒いて士気を高めていたが、 鉱脈が枯渇し以前のように気前良くバラマキが出来なくなり士気が落ちていたとする意見がある。 大敗してから立て直しに為に軍備を買い揃えたり新府城築城を始めて領内では徴税が厳しくなったり臣下は普請に駆り出されたりと不満が鬱積。 織田と和睦を目指したが不調に終わり御館の乱での仲介失敗と外交で失策を続けて周囲が敵ばかりになった。 あとは調略で切り崩され自壊。
@user-uk8lz9os9y
@user-uk8lz9os9y Жыл бұрын
家族をとても大切にしていた勝頼。 嫁に迎えた北条夫人と子を連れて諏訪湖、諏訪大社へ新婚旅行に行ったとの逸話や 肖像画では本当に珍しく家族全員揃った3人の肖像画を描いてもらったそうですね。 勝頼は大好きな武将の一人です。
@2GOTAMA
@2GOTAMA 3 ай бұрын
そうなんだ。 優しい人だったんだね。
@agtak1578
@agtak1578 Жыл бұрын
今まで腐るほど取り上げられていた時代の話だけど意外にも信長が勝頼の首に対して罵ったり蹴飛ばしたシーンが一度もない。是非やってほしいのですがね。
@yukosugihara9778
@yukosugihara9778 Жыл бұрын
浅間山のドン!!で真田丸を思い出してクスッとしてしまった 武士道さんの話を聞いて勝頼スピンオフ又は2時間SPドラマを見てみたくなりました
@cancan5892
@cancan5892 Жыл бұрын
天道は、美しき流れと言い換えられて、大河ドラマ”信長King of Zipangu“で祈祷師役の平幹二朗さんが、常に信長を説得する時に、使ってましたね。諏訪大社の焼失は、当時の人には精神的支柱の消失と同時に、やはり天道の一環と感じられたでしょう。 戦上手の勝頼が、最後は戦うこともできず自害に追い込まれるのは、どんなにか無念だったでしょうね。😢
@aburaage2023
@aburaage2023 Жыл бұрын
勝頼は信玄にはなりませんでしたね 領土を信玄時代より拡張しましたがそれ故に敵も多く作ってしまったり(御館の乱での北条氏)、広い領土をうまく統治できなかったり 家臣の離反も止められなかったし 暗愚なイメージが付きまといますが最近の研究ではイメージが変わったのはいいことですね
@user-ve5hl9br3l
@user-ve5hl9br3l Жыл бұрын
諏訪から新府に移動したときの兵力減少って、勝頼がもともと諏訪の人なのに地域を捨てた形になったことが影響するのかなぁ 数万の織田軍相手に8千じゃあどうしようもないですけども
@larc26
@larc26 Жыл бұрын
歴史だと勝頼の最後が悲しい… どうする家康では武田勝頼が信玄よりも強いてイメージで描かれてたので滅ぶところも見てみたい
@kokmr0522
@kokmr0522 Жыл бұрын
真田丸の勝頼役の平さんの演技も良かった!! どうする家康の真栄田さんの勝頼ももちろん素晴らしいです! 勝頼は同盟相手に恵まれませんでしたね。。。 タラレバですけど、上杉も景勝ではなく景虎が継いでいたら、 武田、上杉、北条で織田徳川に対抗出来たかも。
@user-mm3ky9mh1e
@user-mm3ky9mh1e Жыл бұрын
影虎なら モロ 北条宗家と 組んで早急に 武田領に侵略してきた可能性もあるし。 難しい所
@kokmr0522
@kokmr0522 Жыл бұрын
@@user-mm3ky9mh1e 確かに北条も織田と婚姻同盟結ぼうとしてたようですから 景虎が上杉継いで織田と停戦、北条と共に織田・徳川と通じて武田を攻める可能性もありますね。
@massa_0324
@massa_0324 Жыл бұрын
真田丸で小山田信茂は温水さんが演じていてあっという間にいなくなりましたね それと吉田鋼太郎さん演じる織田信長もあっさりお亡くなりになったので当時居なくなるの速って思いました。
@user-bd3if9oj8m
@user-bd3if9oj8m Жыл бұрын
この時にも浅間山は、噴火したのは知らなかったです、江戸時代の天明の飢饉の時期にも噴火しているのは、教科書では、知っていたけど😅
@user-gp5lc6ec6f
@user-gp5lc6ec6f Жыл бұрын
センゴクの天正記かな?あれで勝頼期の国造りについて触れてからこの人の捉え方が変わりました。
@user-xh5jm9ji8x
@user-xh5jm9ji8x Жыл бұрын
甲陽軍鑑での『強すぎる大将』というのは、この点では当たっていると思います。荒木村重みたいにはなれなかったんですね。
@kaburimet
@kaburimet Жыл бұрын
天下をとる時には『天の時、人の和、地の利』を揃える必要があると言われますが、勝頼にとってその全てを失ってしまってしまったのは時代が悪かったのかなと思います。時代が時代なら名将になり得たのかな?と思いますね。
@user-hy3xt9lv2o
@user-hy3xt9lv2o Жыл бұрын
かつよりさん、明日どうする家康が退場かな?かつよりさん、なくなる話解説動画ありがとうございます
@vg8146
@vg8146 Жыл бұрын
武士道さん大好きです!武士道さんのおかげで大河ドラマを楽しめています🎉いつも更新されるのを楽しみにしています😊大変だと思いますが応援しています。
@aube-purple
@aube-purple Жыл бұрын
武田勝頼はヘタレではないし、生き残るために頑張っていたけど信玄が偉大すぎたし、特に穴山梅雪の離反は大きい。不遇ですね。
@user-mn7ro5jh3q
@user-mn7ro5jh3q Жыл бұрын
信玄は死ぬ前に負の遺産を残し過ぎましたね。
@gdjkguuu
@gdjkguuu Жыл бұрын
今回の大河武田の滅亡少ししか触れなさそうで怖い
@se1261
@se1261 Жыл бұрын
岡部元信を出して高天神崩れしないの○○過ぎる(ヽ*´◯`*) ってか正信帰ってこいホンマぁ状態だし歩き巫女は取り敢えず出奔しただけ?だしタイミング的には高天神の戦いが新編成の良い顔見せな感じだろうと思っていたので。
@user-ub7tt4gl8y
@user-ub7tt4gl8y Жыл бұрын
岡部が勝頼期になっても出番あるからある程度触れる…とは思う(氏真衰退の時でも朝比奈差し置いて出番あったし)
@user-hc1yr6ft6n
@user-hc1yr6ft6n Жыл бұрын
明日の26回タイトルが富士遊覧で あらすじが武田滅亡後・・・な訳でナレか回想になるかと
@user-lk1ks3dv1n
@user-lk1ks3dv1n Жыл бұрын
何やかんやで武田を滅亡させてみたいなナレーションだろうな
@user-tg1ph2ol5e
@user-tg1ph2ol5e Жыл бұрын
忠臣・小宮山友晴のエピソードも是非紹介して下さい。
@user-si9lf8pm4s
@user-si9lf8pm4s Жыл бұрын
勝頼が亡くなるまで田中城で抵抗し続けた依田信蕃が結構好きです
@yk842
@yk842 Жыл бұрын
穴山梅雪がアナ雪と略されてることを知らなかった 勉強なります!
@user-rh5mb9ur8q
@user-rh5mb9ur8q Жыл бұрын
今回の穴山梅雪役がイケメンで和みキャラの田辺誠一(54)さんだからな。穴山梅雪も田辺誠一さんの演技のおかげで単なる裏切り者から評価が変わるかもしれない。
@user-on9jd4nj9g
@user-on9jd4nj9g Жыл бұрын
今回も丁寧かつ具体的な解説、視聴させて貰いました。 さて、勝頼が真田・岩櫃に逃げようとして側近に止められた話は、私感ですが真田を持ち上げる為の逸話ではないでしょうか? ・単純に地図を見て、直線距離でも甲斐から岩櫃まで遠すぎる ・織田方は諏訪から甲斐に攻め込んでいるので、街道筋は織田方に制圧されていた ・直線距離で行くなら、秩父・浅間・嬬恋の山々を越えなければならない なので、状況的に小山田の岩殿に逃げるしか選択肢は無かったかと。 まあ、荒木村重みたく妻子・家来かなぐり捨てて一人だけ岩櫃に逃げるのは出来たかもしれませんが、昌幸がそんな勝頼を受け入れるかどうか・・・「勝頼様あろう方が、そんな身なりで一人落ちのびてくるとは思えん!!早々に立ち去れ!!」なんて言いそう。
@cosiga3580
@cosiga3580 Жыл бұрын
素人目には北条に後ろを取られている岩殿城より、同盟を結んでいる上杉を頼ることも考えて北上した方が良いように見えますが、 色々出来ない理由があったのかも知れませんね。
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q 11 ай бұрын
浅間山が噴火してるから、その近くを通るのは危険だと判断した可能性もありますね。
@m.i.9104
@m.i.9104 Жыл бұрын
武田滅亡は義昭主導による甲相越三和が達成出来なかったのが大きいですね、大河でもそこら辺を絡めると少しはリアリティーが出たのではないでしょうか?とも思いますね。
@dindon1969
@dindon1969 Жыл бұрын
最新回見たんですが、 あくまで忠義を宣言してる梅雪に 裏切ってもいいよと答える勝頼には呆れました。 梅雪の裏切りがあっても平気と答える勝頼って 現代の研究を無視した描写ですね。 それとも「なくてもダメだった」という見方でもあるんでしょうか?
@kentmike9428
@kentmike9428 Жыл бұрын
戦いがないうちは、「現状維持」が一番。多くの人々はそう思っていたのではないでしょうか。しかし、誰かが戦いを挑んできた場合、自分の命や平和を守るにはどうすればいいか。一人一人決断の時がきます。降伏すれば命が助かるのか?降伏より裏切りにより、現在より良い地位を保とうとするか。最後まで戦うか。勝てる見込みはあるのか?決断の時。  中央にいる武将は、すぐに命の危険はないが、前線の武将は命を懸けて戦わなくてはならない。 中央の武将が守ってくれるのか?前線で戦ってくれて、多少なりとも相手の戦力を削いでくれたらと中央は思うが、前線では全滅覚悟で戦うということ。  江戸時代まで、小国の集まり。それぞれに領地があり領主がいる。戦って死ねば、家族の命や生活が保障されるとか、逆に逃げれば、一生笑いものにされ生きるのがつらいとか。何かがあれば頑張れるのだが、何の保証もない時代。自分自身の選択で生き延びるしかない。  あんな大きな武田の所領が、一気につぶれる姿を見て。現代の大会社も組織は「人」。人をつなぎとめているのは「金(給料)」。人が裏切ればどんな大きな会社でもつぶれるとふと思った。  大会社の社長、上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉にはカリスマ性があったが、その息子は普通の社長。不出来ではないが、絶対裏切れない(この人に勝てる人はいない)という畏怖の念のようなものがなかった。裏切ったら、自分の命がない。自分の裏切りくらいで倒れる人ではないという思い。そんなカリスマ性がなかった。人徳とか心のつながり、恩義は今は考えないものとする。  信長は怖すぎた。かわいがられていても、失敗したり、必要なくなったりすれば、いつ殺されるかという恐れを持つ人が多かった。部下への要求(期待)が部下の能力を超えていたのかも。  家康の裏切りを許したのではない。必要だから残したに過ぎない。家康もいずれ必要がなくなれば殺されるとおもっていただろう、しかし、当座は生き延びる道を選んだ。
@eiichiawata1034
@eiichiawata1034 Жыл бұрын
戦国最強を誇り甲斐信濃駿河上野を領していた武田家があっけなく滅んでいくのは戦国の世のはかなさを感じさせます。今川家にも通じるものがあると感じました。
@toshichika720
@toshichika720 Жыл бұрын
新発田👍😍
@logbito
@logbito Жыл бұрын
ちなみに岩櫃城は群馬県の東吾妻町にあり、城がある岩櫃山に『潜龍院(古谷御殿)』というのがあります。 これは真田が勝頼を招く際に3日で建てたと伝わる館跡で現在は石垣のみが残ります。 これは真田が勝頼を受け入れようとしたともとられられます。
@souunnkyou
@souunnkyou Жыл бұрын
片手千人斬りの土屋昌恒の岳父は岡部元信。
@Jr-bj6of
@Jr-bj6of Жыл бұрын
穴山梅雪、略してアナユキ
@kaburimet
@kaburimet Жыл бұрын
ありのままに降伏してしまったんですね
@yk842
@yk842 Жыл бұрын
おやかたさまは ごゆるりと
@keigoukamidaimon3393
@keigoukamidaimon3393 Жыл бұрын
諏訪じゃなくて諏方ですか? この時代はどちらだったのでしょうね?
@user-yz1ce7tn1t
@user-yz1ce7tn1t Жыл бұрын
昔は信玄が滅ぼした諏訪家の血が武田家を滅亡させた事が通説の様でしたが、いろいろな巡り合わせで滅んだのでしょうね。私の考えですが、勝頼って人間的に好かれないタイプの様な… この人の為って家臣がいなかった感じがします。
@user-iz6hq1wk9j
@user-iz6hq1wk9j Ай бұрын
甲斐周辺は強敵が多すぎた、難所ばかりだし
@toshichika720
@toshichika720 Жыл бұрын
武田勝頼の最後かっこいいけど好き❤️好きな武将になった😊
@hirohase4208
@hirohase4208 Жыл бұрын
片手千人斬り。まさに一人テルモピュライ。
@user-lw7gr6rv4g
@user-lw7gr6rv4g 17 күн бұрын
昌幸も岩櫃城内に勝頼と家族や近習が住める御殿を建設していたんだよな!
@ronkon1000
@ronkon1000 Жыл бұрын
資金源の枯渇がな
@nocoaqua
@nocoaqua 5 күн бұрын
アナ雪😂 覚えやすい
@cchat7863
@cchat7863 Жыл бұрын
勝頼主人公の大河、見たいです。
@user-mm3ky9mh1e
@user-mm3ky9mh1e Жыл бұрын
同じく
@32mack82
@32mack82 3 ай бұрын
織田と直接対峙する木曾義昌からしたら、後詰を要請しても勝頼が応じない時点で、織田と対戦しても出先の自分たちはトカゲの尻尾切りになることがわかります。人質を見捨てる判断は正に苦渋の決断だったでしょうが、家を守るため寝返りせざるを得なかったと思います。こんな決断をさせられ、勝頼に対し憤懣やる方なかったと思います。
@KokonTouzai-Rekisi-Channel
@KokonTouzai-Rekisi-Channel 5 ай бұрын
時代の流れには逆らえなかったのだ
@rionofu7171
@rionofu7171 Жыл бұрын
今年の大河ドラマは不自然な創作が多く内容が当てにならないので、武士道さんの解説が頼りです。頑張ってください。
@user-xh2tt8bm4w
@user-xh2tt8bm4w Жыл бұрын
真田を頼っていれば。。。
@user-mm3ky9mh1e
@user-mm3ky9mh1e Жыл бұрын
それよな
@user-pe2ou5ex9q
@user-pe2ou5ex9q Жыл бұрын
千人斬りに付け加えると、斬っては下を流れる満川(みつるがわ)に蹴落としていき、満川は敵兵の血で三日三晩赤く染まり「三日血川」と呼ばれるようになりました その三日血川が訛り、現在の名前の日川(にっかわ)となったと言われてます
@billyshears1135
@billyshears1135 3 ай бұрын
at this moment nobody knows she will win a gold medal in the Olympic Games
@MK-kb9bp
@MK-kb9bp Жыл бұрын
滅ぼした?滅ぼされた?言い方によってその武将のイメージが変わりますね😢
@pinkpink-cf2cw
@pinkpink-cf2cw Жыл бұрын
高知県の山間には、武田勝頼がはるばる落ち延びてきたという伝説が残っています。 「武田勝頼土佐の会」で調べてみてください!
@user-kh3ow3dr8k
@user-kh3ow3dr8k Жыл бұрын
小山田信茂が処刑されたのって土壇場ということもありますが、やはり古くから北条とのつながりがあるからではないかと思います。武田攻めの論功行賞で北条家は上野はじめひとつも土地を貰っていません。小山田を許せば北条の与力扱いになる可能性が高い。ただでさえ甲斐国内の河内は穴山に安堵している手前、小山田の郡内も安堵すると甲斐を治める河尻秀隆の取り分が少なくなってしまいますからね。これ以上北条家の勢力圏が広くするのを織田家がよしとしなかったのだと思います。もしかしたら北条経由では小山田は内通して話をつけていたのかもしれませんね。
@user-lf5xl7ii3k
@user-lf5xl7ii3k Жыл бұрын
優れた武将、家督を引き継いだ時の状況は厳しいのは間違いない。しかし、勝頼政権で長篠の敗北で重臣や歴戦の兵や将が大量に死亡して、形だけの軍の編成はすぐ整えたがまともに織田軍と戦える戦力にはなれなくなった。その後に岩村城の重臣の秋山もほぼ見殺し状態 一番問題なのは御館の乱で北条と敵対した後に、無駄に戦う必要のない北条の戦線に力を入れた事。しかも、終始押せ押せ状態で和睦も持ち掛けやすい状況なのに一切しなかった。それに対して織田徳川方面の前線を疎かにして、前線の部下達にかなり負担を強いている。高天神城の見殺しや、木曽穴山の裏切りがその例。無駄に戦線を広げ過ぎ。高天神城は一気に陥落したのではなく何年もかけて付城を建てて徳川軍が厳重に包囲をしてる。北条方面に力を入れなければいくらでも助ける機会はあったはず 正直言って武田が滅んだのは勝頼政権の戦略面の方針のせいだと思う
@qierterng1112
@qierterng1112 Жыл бұрын
内容がほぼ真田丸の第一話なのだが・・・ どうする家康は半年たっても、真田丸の第一話に到達していないということか? 真田幸村より徳川家康の方が長生きなのに、このドラマあと半年で本当に終わるの?
@SY-sw9tu
@SY-sw9tu Жыл бұрын
勝頼と氏真は誰が転生したとしても内外環境的に無理ゲーだと思う
@masato1963
@masato1963 Жыл бұрын
景虎側につかず結局北条が離反してしまう、領土は広げたが分不相応気味で高天神城などを救えなかった、など 大名としてとは問題があったと思います、再評価されるほどの人物なのかなと感じます
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
勝頼はあの世の信玄に恨み言を言ったってバチは当たらないって正直思います。 勝頼のミスも多々あったとはいえ、結局信玄が信長と敵対し、もう関係修復がほぼ不可能な状態にするという莫大な負の遺産を残した結果武田家が滅んだのですから。
@user-lf5xl7ii3k
@user-lf5xl7ii3k Жыл бұрын
負の遺産?具体的に負の遺産って何? 勝頼が後を継いだ時には殆どの家臣が勝頼についていっている。織田との敵対路線は勝頼の部下に宛てる文章を見てもかなりノリノリでヤル気マンマンだったのがわかりますけど。悪いけど殆ど勝頼のせいだよ。滅んだのは。長篠の敗北。無駄に北条と戦って戦線の拡大。
@cosiga3580
@cosiga3580 Жыл бұрын
まあ、信玄もあの時点で死ぬとは分からなかったから恨み言を言われても・・・ 浅間山噴火もあるし、信玄としては「恨むなら天を恨め」としか返しようが無いだろうなあ。
@katsumi-na1198
@katsumi-na1198 Жыл бұрын
長篠でボコボコにされて10年持ち堪えたのは凄いのか滅びの美学なのか?、織田信長と戦ってボコボコにされて生き延びた家ってあったかな?
@kwan954
@kwan954 Жыл бұрын
某歴史バラエティ番組で家を滅ぼした戦国三愚人として武田勝頼、今川氏真、北条氏政が紹介されてましたが全員家康絡みだったので徳川幕府が長期安定政権を築いたために家康を神格化した反動で不当に評価が下げられてしまった面があるかもしれないと思いました。
@user-jf7ez1hg3q
@user-jf7ez1hg3q Жыл бұрын
勝頼さん弟の五郎信盛さん奥さん息子の信勝さん本当にお気の毒な最後です。悲劇すぎます。信長残虐非道な人間ですね。
@masanobuokuda5837
@masanobuokuda5837 Жыл бұрын
躑躅ヶ崎館、今の武田神社の宝物館で、北条夫人が味方の裏切りを恨みつつ勝頼の勝利を祈願する願文を見てじーんと来ました。
@user-lw6gn7uu8r
@user-lw6gn7uu8r Жыл бұрын
勝頼の最期は父信玄の負の遺産によるものが大きい気がする!! 個人的に勝頼自身による敗因は、御館の乱に中途半端に介入して、北条との関係が悪化してしまった事ぐらいかな?
@clai47tere1sar
@clai47tere1sar Жыл бұрын
信長はなんで「武田を根絶やしにする」なんて方針を掲げたのかなぁ? 結果を見れば織田方が圧倒したけど、お互い大勢力どうし、どちらかが滅びるまでやり合うとかしんどいやろ。 勝頼好きなだけに和平して武田が生き残る道はなかったんかなぁとか考えてしまうわ
@m.i.9104
@m.i.9104 Жыл бұрын
恐らく戦国諸将の中で唯一勝頼のみが天下を目指したからでしょうね、信玄の負の遺産で一番大きかったのは「瀬田に旗を立てよ」だったかも知れません。
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めて、信長は当時親交があった謙信への手紙に「武田とは金輪際外交しない」と書く程に激怒したらしいです。
@user-ow1ww6cf7p
@user-ow1ww6cf7p 2 ай бұрын
@@user-qc2lq4gu8q でもそれは信玄がやったことで、勝頼に対して信長がそんなに憎しみがあったとは思えないんだよなー。 晩年の信長は大きい大名を潰して織田の直轄地を増やす方針だったんじゃないかな? 足利幕府を反面教師にして
@Kodomoband2
@Kodomoband2 Жыл бұрын
現代の会社にもいる。営業や計算やら非常に優秀で早い人材だが、上司として管理職はできない人。 勝頼はそんな人物だったのでしょう。 最近は再評価されているが、あの武田家をわずか9年で潰したのは事実。 武田信玄ならば絶対にこんなことはなかったであろう。
@kaburimet
@kaburimet Жыл бұрын
でも歴史にはその時々に色々な情勢があるので。現代においても『リーマンショック』等の予想外が起きるもの。勝頼は上杉や北条、はては東北方面や毛利方にも使者を出して一大包囲網を作ろうとしていたと現代においての研究に出ていたので、理想論ではありますが、上杉側だけでなく他の諸大名とかの横槍があった場合、意外と逆転があった可能性がありますね。もしくは家康が信長に油断あればまさかの連携して織田方を滅ぼすなんていうifな出来事もあったやもしれないので信玄はかつて今川義元とも連携時協力していた時期もあるが、どうしても北部の謙信との睨み合いがあったので動けなかったと言われてますが、一応室町幕府再興という名目でこの両者が協力し、北条も同盟関係にあった事からこの間に北部及び南部の警戒をしてもらって京まで攻め上る等の策があれば違った結末を迎えていたのかもしれないと考えてるとまたなんだかんだで9年も生き残らせた勝頼もまた信玄に並ぶかそれ以上の才覚を秘めていた可能性もあるかもと考えます。結果論としては確かに彼が最後となるのは仕方ないし、そい以上に当時での資料でしかわからないこともありますから。
@user-ow1ww6cf7p
@user-ow1ww6cf7p 2 ай бұрын
そんな単純なものではないと思います。 信玄が勝頼の立場(父親が信長を攻めたタイミングで死んで跡を継ぐ)でもそんな変わらなかったと自分は思います。
@dindon1969
@dindon1969 Жыл бұрын
瀬名を過度に美化したいがために ありもしない愚か者役にされてしまった勝頼が哀れです。 ふざけんな古沢良太。 そんなことは自分のオリジナル作でやれ。
@user-ib5le3mm1j
@user-ib5le3mm1j Жыл бұрын
何か「その時歴史が動いた」みたいな語りになってますよ(笑)
@syuku99
@syuku99 Жыл бұрын
武田の滅亡って、国衆の連合という国家形態考えると毛利と全く同じですよね。毛利もあと数日遅かったら離反が続いて滅亡してたんだろうなという。中国攻めもほぼ同じ攻め方してますから…毛利滅んでたらその後の日本史全く変わる
@wataaa3
@wataaa3 Жыл бұрын
1ごめ
@user-yl6tn8dk1h
@user-yl6tn8dk1h Жыл бұрын
近年、武田勝頼の評価が変わったと思うけど、事実を積上げると、長篠の戦いで重臣を失う程の無謀を強行した時点で、名君とは考えられない。倍以上も兵力差あるのに何故凸るんだよ。。。
@user-qc2lq4gu8q
@user-qc2lq4gu8q Жыл бұрын
私は強行ではなく、最近出てきた山県昌景や馬場信春、内藤昌豊ら重臣達が決戦を進言した、そうでなくても決戦派の家臣が大多数を占めたからそれを受けたんじゃないのかという話が実像なのかもと思ってます。 当主の意見を通しやすい環境だった織田家とかと違い、武田家は豪族達の連合体という政治体制。 そんな中で勝頼が決戦を強行なんてできるのか? 武田家家臣達は名門意識や独立心、領土欲が強い者が多かったらしい。 そんな彼らが守護代の家臣筋という素性が怪しい身であり、東美濃攻めでまともに戦っていない織田や、織田と同様に素性が怪しく、三方ヶ原で破った徳川を相手に戦いもせずにノコノコと撤退する事を主張するのか?という疑問があるからです。 この時の勝頼の出陣の目的は、家康の長男・信康が城代を務める岡崎城の奉行、大岡弥四郎が家康に不満を抱いて武田に内通し、武田軍を岡崎城に迎え入れようとする謀略を受けた岡崎城乗っ取りだったらしいです。 しかし、大岡の謀反が家康に露見して岡崎城乗っ取りは頓挫。 ならば三河と遠江の分断を狙って今の豊橋付近にあった吉田城を攻めて失敗した上での長篠城攻めです。 ここで撤退したら、武田は織田・徳川の後詰めが来ただけで戦いもせずに尻尾を巻いて逃げたと信長や家康が喧伝し、三河や遠江の国衆達の離反が更に加速するだけの結果になったと思います。 甲斐や信濃の国衆達も、信虎や信玄の時代からの重税で困窮する中わざわざ遠征したのに、戦果無しの撤退じゃ恩賞が貰えない。 戦の費用は家臣達の負担であり、その出費は戦の後、城下町や村で米や銭を略奪したり、城下町や村で攫った人や、討ち取った兵から剥ぎ取った鎧兜や刀などを売り払って取り返すのにそれができなくなる。 更に武田領の金山は、当時の採掘方法ではほとんど金が取れなくなるほど掘り尽くしてしまっていたらしいから、家臣達の出費を勝頼が補填できない。 その事を不満に思った家臣達が何をしでかすか分からないと思います。 仮に撤退して国衆達の離反が加速しなかったとしても、武田と織田の国力差は開く一方。 仕切り直した時には今以上の兵力で織田が徳川の援軍に来るかもしれない。 織田が畿内を完全に平定したら、織田の方から武田領に侵攻してくるかもしれない。 そうなると徳川も呼応して武田領に侵攻してくるからもう打つ手が無い。 ならば決戦するべきか、しかし兵が窪地に隠れているのか正確な数が分からない。 更に真偽は不明だが佐久間信盛が寝返ると言ってきている。 だが、浅井家、朝倉家が攻め滅ぼされ、伊勢長島の一向一揆が鎮圧された今、これ以上の織田の躍進を止める為にはここで信長を討ち取る、討ち取れなくても痛手を与えて武田攻めを躊躇させたい。 そしてそれができるのはまだ織田が畿内で本願寺勢力と戦って、武田相手に全軍を向ける状況ではないのに信長が出てきた今しかないと判断したのだと思います。
@user-tp1im1py9m
@user-tp1im1py9m Жыл бұрын
致命的な外交音痴に、跡部や長坂ごとき小物を重用したツケ。もう少し親父時代の重臣たちの意見に耳を傾けてたらもう少しマシな最期を迎えられたのかと。武田贔屓としては、なまじ勝頼自身がそこそこ有能だっただけに残念でならない。
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