【稀代の奇演?】でも演奏そのものはマジメ… ティンパニの音の修正・改変って「あり?」😕 ピエール・デルヴォーの未完成【ヒストリカル解説 Vol.136】Pierre Dervaux 話:徳岡直樹

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徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life

徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life

Күн бұрын

Пікірлер: 8
@YoshiyukiMurai-xv5xv
@YoshiyukiMurai-xv5xv 7 ай бұрын
初めてコメントします。 もう25年以上前になりますでしょうか、当時所属していたアマオケでボロディン「中央アジアの草原にて」を演奏することになった際の話を思い出しました。 当時の私は選曲に関する責任者で、初心者にもとっつきやすいこの曲を団内の多数の意見をもって採用された直後に 打楽器パートより当時の私にとって冷徹なセリフを投げかけれました。 「じゃあ23インチのティンパニも必要ですね。F#が出る曲なので。」 他の曲は団所有の26インチ・29インチのティンパニで事足りました。26インチのF#はデッドな響きしかしない”無茶ぶり”満載のサウンドになってしまう。 ティンパニは本番直前での調達では練習に対応できない。日頃の練習の時点から23インチのティンパニを借りるのは費用面で相当な負担でした。 なぜそれを選曲時点で発言してくれなかったのか。私含めた幹部は頭を抱えました。 しかし指揮者は言いました。「ここは1オクターブ下げて演奏するの。知らないの?」 私は中央アジアのF#を1オクターブ下げて演奏する音源を知りません。 当時の指揮者は団の財政状況を把握していてこのような発言をしてくれたものだと認識しております。 それ以降、選挙区の度に打楽器のパート譜を穴が空く位チェックするようになったのは言うまでもありません、、、
@トッカータ-y6g
@トッカータ-y6g 7 ай бұрын
ピエール・デルヴォーの名前を聞いて思わずコメントいたしました。小学生の私が初めて買ったドーナツ盤がコロンヌ管との「軽騎兵」序曲でした。後半に入る場面でレコードをB面に変えなければならない面倒がありましたが、あの軽快な行進曲に心の底から魅了されたのを憶えております。その後、新世界交響曲やダンディのレコードを聴いてきましたが未完成は知りませんでした。                徳岡様の演奏家目線でのお話、毎回楽しませていただいております。今後も音楽に関する興味深いお話をどんどんお聞かせください。
@neo5982
@neo5982 7 ай бұрын
ティンパニの「音程こそあるものの、程よく曖昧」であるという魅力を最大限に活用した例ですね。
@napoleonalex6978
@napoleonalex6978 7 ай бұрын
ティンパニー奏者だったマエストロの音楽講義を聴講できたのは、とても有り難いことです。個人的意見として、作曲時楽器の性能という制限があった以上は、現代の楽器の性能に応じて修正をすべきだろうと思いました。実際にD-D-Gで叩かれると、その説得力は歴然でした。
@Herizara
@Herizara 7 ай бұрын
D-D-Gと演奏しているCDですが、おそらくベーム指揮SKDの1979年ライヴがそれに該当するだろうと思います。ヘンスラーから正規盤が出ています。グレートと一緒に演奏した日のものです。そして再現部の後半(ちょうど動画で紹介してある部分の再現)では低いFisのような音も聞こえてきます。
@Herizara
@Herizara 7 ай бұрын
すみません、ヘンスラーではなくProfilでした。お詫びします。KZbinにも音はあります。
@atm-naokimusic
@atm-naokimusic 7 ай бұрын
ありがとうございます。晩年のベームの「未完成」はライブ音源を数種類持っておりますので確認してみます。
@deshapon
@deshapon 7 ай бұрын
いつも楽しみに見させて頂いております。素晴らしい蘊蓄に富んだ内容にいつも興味津々で感激いたしております。実は以下に書いた部分を後で読み返してみて徳岡先生が批判されているように思われるかもしれないと思い、それは本意ではないので、このパラグラフを冒頭に付け加えました。以下の内容、先生の今回の動画に対して反対しているわけではないということをご理解下さい。  作曲者が書いた楽譜の変更は、きっちりした研究と納得のいく理由付けがなければしてはいけないという事はその通りだと思いますが、多分、徳岡先生の思いよりは私の方が変更是認の幅が広いのではないかという気がします。昔の楽器の限界が持つ作曲上の制約が非常に大きいと思うのが理由です。ここではティンパニが問題にされていますが、徳岡先生もおっしゃっているように金管楽器が特に問題です。ウエーバーの「魔弾の射手」序曲のように作曲上の工夫で問題を解決しているものはもちろんそのままで良いのですが、現代のオケを指揮している指揮者からすれば書き換えたくなるような金管のパートは多いのではないでしょうか。  理由があれば楽譜を書き換えても良いのでは無いかという思いは、私が讃美歌という素人に毛が生えた程度の作曲者が一部に混じっている曲集に触れることが多いということに原因があるのかもしれません。プロの音楽家と違い、作曲者が自分の頭にある音楽を楽譜にするときに採譜に誤りが入り込んだ可能性があるのです(特にリズム)。日本の讃美歌委員会は学究的な人が多くて、楽譜忠実という理念を明確にしていますが、教会の現場では自然な流れで慣例的に楽譜と異なる演奏になっている場合もあります。  最終的には、やはり演奏に皆が納得できるかどうかだと思いますが、賛否両論があるのは一部の人たちがそれを受け入れているからで、全員が否定するような演奏はともかく、賛否両論あるような演奏は存在を否定されるべきではないと考えます。  古楽はピリオド楽器でなければとか大編成のオケでやるのは間違いだとか、演奏の内容以前のところで拒否するのはどうかなと思います。当時はこう演奏されていたということと、そのような演奏でなければいけないということはまったく別だと思います。楽譜を読み、頭の中でその曲の理想的な演奏を思い浮かべて、実際の演奏をそれに近づけるという作業をするとき、作曲者の時代では出来なかった理想的な演奏が、現代のオケでは出来るということもあるのではないでしょうか。  私は、実は最近の名盤と言われる演奏よりも、昔の定番であった50年ぐらい前のいわゆる当時の決定版の方に感銘を受けることが多いので、「昔はこれで良かったけれど、今はこれでは通用しない」という言い方には反発があります。「そう言うなら、それらの演奏より感銘を与える演奏を聴かせて下さい」と言いたいところですが。
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