Рет қаралды 24,699
↓応援頂けるスポンサー様 お問い合わせはコチラから
toshihanai1971@gmail.com
2023年12月。中邑真輔が新日本プロレスからWWEに移籍してからもうすぐ丸8年になろうとしている。
中邑はWWEのスーパースターの一人として今も活躍中であり、現在は、かつて新日本にも参戦していたコーディ・ローデスとの抗争を繰り広げている。
そして柴田勝頼。彼は12月23日(日本時間24日)に「今日、新日本プロレスの許可を得て、AEWと契約を結びました」「私はAEWのリングをレスラーとしてのキャリアの最後の終着点にしたいと思います。私のレスラー人生をトニー・カーンとAEWに捧げます」とコメントし、新日本からアメリカのAEWへの移籍を発表した。
さらに日本のプロレスファンが大きく驚いたのは、その前日。新日本が棚橋弘至の社長就任を発表したのである。
中邑、柴田、棚橋。彼らはかつて「新・闘魂三銃士」と名付けられたものの、その呼び名は「闘魂三銃士」ほどには定着しなかった。そんな名前でくくらなくても、彼らはそれぞれが強烈な個性を発揮して今まで活躍してきた。
今回は、今からおよそ20年前、彼ら3人が「新日本 VS K-1 四番勝負」として出場した2004年5月4日の東京ドーム大会を中心に、そのころの新日本とK-1の関係を、「ワールドプロレスリング」の当時のプロデューサーであり、このたびの棚橋の新日本社長就任と同時に取締役社長室長に就任した松本仁司(まつもとひとし)氏の当時のコメントとともにふり返っていく。