人間は、ピアノやバイオリンを圧倒的に引き離しての最高の楽器。しかもこころの状態がわかる表情付き。皆さん素敵でした。詩もよかった。「大事なことは見えない」。「この命にありがとう」。音楽は力を与える。言霊は沁みわたる。視線は心をを映す。現代の総合芸術(Gesamtkunstwerk)があるとしたら、こんな動画がその萌芽なのだろうと思わせる。最後に、私は、この歌詞のような場面においては、構造主義の文化人類学者Claude Levi-Straussの言葉の文脈で捉えることにしています。The world began without man, and will end without him. これで大事にする心とあきらめる心が持てる。まあ、さっぱり感ですね。今回も、ありがとうございました。ハーモニーが素晴らしい。
コーラスをやっていた亡き母が、皆さんの歌声を聞いたら、涙を流して喜んだでしょうね🤣😂父も、🎼歌は好きでした。何の声楽の素養もなかったけど、母と一緒に、歌の演奏会とかも、仕事をリタイヤしてから、よく聴きに行ってました。その昔、NHKののど自慢で、若かりし頃、Jambarayaを英語で歌って、🤩🤩合格したというのが、歌に関する唯一の自慢でした。 その当時はとても珍しく、英語の歌を歌えるということ自体が、「尊敬」された時代でした。😜🤪😝だから、それもあって、🔔キンコンカンが鳴ったのでしょう。別に、何も大したこと無いんですけど。皆さんから見たら、お笑いでしょう。🥴😵😵💫 戦後のアメリカのベースキャンプでも、英語の歌を歌って、米兵に慕われていたそうです。だから、父の影響で、昔のアメリカの歌やアメリカ映画の音楽を私たちきょうだいも、よく耳にふれて育ったのです。✨🎈 どちらかというと、スポーツ系だったのですが。アイスホッケー以外はすべて、やったそうです。父の若い時代は、戦後でも、アイスホッケーは、日本では行われてなかったと思います。 ⛷スキーはやったそうですが。(戦死した次兄は、🏉ラグビーで全国制覇したって自慢してましたが、その当時、どれだけの高校生ラガーがいたのか、何回試合をやって、全国優勝したのかが問題です・・・・。) 一番得意だったのは、⛹♀バスケと🤺(これは、フェンシングですが)剣道だったそうです。絵🎨も、得意だったようですが。リタイヤ後、アマチュアながら、いろんなところで、入賞、受賞をし、地元の京都では、一応画家として認められ(🎻千住真理子さんのお兄さんの、画家で、京都造形短大の学長?だった、千住博さんにほめてもらったといって、たいそう喜んでいました。千住博さん自体は、父をほめたことなど、覚えておられないことでしょう)横浜に本部のある、International Modern Arts という美術家協会の理事まで務めていました。 (心房細動になって新幹線に乗って、横浜にいけなくなり、やめましたが。でも、私の信心に守られて、自然に治ったのです。😳😳前立腺がんにもなりましたが、ずっと十何年も、通院だけで命を長らえ、いつのまにか、治療を受けつつ、いくらいってもやらなかった題目をあげて、完治してしまったのは、驚きでした!)🧵🪡🧶🪢