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2022年11月29日に「居住地の自然と文化遺産の豊かさを顕彰する」という目的で、総本山から車で約50分の「長崎市永井隆記念館」を訪れました。
今回から2回にわたり、医師として、被爆者として、カトリック信者として、白血病と闘いながら平和の尊さを訴え続けた永井隆博士について紹介いたします。
記念館は原爆の爆心地から約620メートルの場所にあり、永井隆博士の自宅跡に建てられました。
博士の孫で、記念館館長の永井徳三郎さんにもお話を伺いました。
1945年(昭和20)8月9日、長崎医科大学(現長崎大学医学部)の助教授であった博士は、附属医院の2階で原爆の直撃を受け、重傷を負いますが、その後、病床で執筆活動を開始します。被爆から6年後の43歳で亡くなるまでに、17冊の著作を出版、原爆の悲惨さと平和の尊さを訴え続けました。