【ゆっくり解説】 崇禎帝 大明帝国の崩壊を食い止めようとした皇帝 【明】

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鳥人間 中国史三昧

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明王朝最後の皇帝崇禎帝の生涯と滅亡に向かう末期の明朝について語ります。
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Пікірлер: 460
@madmotor
@madmotor 3 жыл бұрын
魏忠賢みたな極悪人が首をつって比較的安易な方法で死に、袁崇煥のような有能な忠臣が残酷無比な凌遅刑でズタズタに殺されるという天道是非。
@おもむろ-c7p
@おもむろ-c7p 3 жыл бұрын
皇帝としては「普通」の器だったんだな…… 傾国の君主は「普通」ではとても務まらないということがわかった
@ねこですよろしくおねがいします-t9r
@ねこですよろしくおねがいします-t9r 3 жыл бұрын
やはり袁崇煥の末路がそのまま明と崇禎帝の末路。呉三桂を筆頭に裏切りが頻発したのもわかる。でもただのアホ皇帝ってわけではないのが悲しい。特に公主の話は悲惨すぎんよお…李自成がちゃんと弔ってくれたのがせめてもの救いか…
@軍鶏しゃも
@軍鶏しゃも 3 жыл бұрын
滅び行く組織の動きって、独特の面白さがあって好き。当事者たちにとってはたまったもんじゃないが。
@rerepopo663
@rerepopo663 3 жыл бұрын
この時期の明はほんと絶望のベリーハードモードだよね・・・。 敵対勢力のヌルハチのカリスマ力だけでもヤバいのに、モンゴルまで清に吸収されて・・・。
@fox37812
@fox37812 2 жыл бұрын
ベリーハードどころかルナティック
@hirokage9427
@hirokage9427 Жыл бұрын
おまけにせっかく持っていたSSR級人材を自ら処分ときたもんだから勝てる訳ない
@gentaro0222
@gentaro0222 3 жыл бұрын
崇禎帝に最期まで付き従った王承恩は宦官には珍しく忠烈の臣として、あの徳川光圀も高く評価しているとのことです。こう言ってはなんですが、猜疑心の強さで殆どの家臣から見放された崇禎帝にとって、最期まで付いてきてくれた家臣が1人でもいた事は幸せだったのかもしれませんね。
@tevalleyluckman8746
@tevalleyluckman8746 3 жыл бұрын
皮肉なものだ・・・明朝最後の忠臣の象徴ともいうべき人物が、洪武帝が最も警戒した宦官だったとは・・・
@37564die
@37564die 3 жыл бұрын
そう感じる事ができたなら、ここまで見放されはしないでしょうけどね。
@ホーエンジョージ
@ホーエンジョージ 2 жыл бұрын
猜疑心の強い皇帝でしたが、一方で当時の明朝はもう信用できるに値する人材が枯渇していたこともありますからねぇ。 王承恩はそういった意味では、中国人ですが我々日本人が忘れてはならない志をまさに命を懸けて見せてくれたと思います。
@alexale4074
@alexale4074 Жыл бұрын
個人の力では国の運命はどうにもならない という例でしょうか
@七田谷
@七田谷 Жыл бұрын
万暦以前の国力と臣下なら全然違う結果だったと思う
@yuten1992
@yuten1992 3 жыл бұрын
崇禎帝来ましたね。 この皇帝の評価は難しい。すでに滅亡まっしぐらの明朝末期を支えきれず最後の皇帝となってしまったところだけ間違いない。 現在的な視点から歴史を評価すれば裏目、裏目が出てしまったのは間違いない。しかし、朝廷にあって、いまのようにTVニュースを見ることができるわけでもなく、内廷も外廷も誰も信用できない中で、人間不信に陥ってしまうのはやむを得ないと思う。袁崇煥のことも朝廷や北京民衆から叛逆の上奏があれば「そう」と信じてしまっても仕方がない。 結局、疑心が過ぎたのではなく、疑心を抱かずにはいられなかった環境の問題も大きいと思う。 万暦帝より前に即位していれば、明朝中興の祖と評価されるくらいの業績を成し遂げたのではないだろうか。
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 3 жыл бұрын
崇禎待ってました。  俺も崇禎の猜疑心は若年の頃の魏忠賢時代が影を落としているものと見ています。  袁崇煥の件も経験不足の所に袁のアンチに周りをガッチリ固められている状況ではホンタイジの謀略などとても躱しきれるものでは無かったでしょう。  余りに悲惨な運命は彼一代で終わらずに倅(朱慈煥)まで引き継がれてしまったらしく、康熙帝の時代に70代まで生き永らえたのに考えられない様な嫌疑で(あの康熙が⁉)凌遅刑にされてしまったのも目を覆わんばかりです。
@金澤華
@金澤華 3 жыл бұрын
満洲族の天下がほぼ決まりかけていた時期に三藩の乱を経験した康熙帝は大多数を占める漢民族統治の難しさや根強い漢民族からの異民族支配への反発を身をもって経験した。 本人にその気が無くとも叛乱の旗印にされかねない貴種はやはり根絶やしにしなくてはという意識は当然強いはず。 もっと時代が進み満洲族による中華支配が固定化すると明朝末裔を生かしても大勢に影響無いから叛乱を唆した張本人だけ処罰するねで済むけど。仕方ないね。
@fox37812
@fox37812 2 жыл бұрын
消したかっただけなら斬首で十分のはず
@kappanouen
@kappanouen 3 жыл бұрын
まあ、子供のころから魏忠賢とか見てたらそう(人間不信……てかこの場合は『臣下不信』というべきかw)なるわな😃💡(納得した笑)
@紅茶好き
@紅茶好き 3 жыл бұрын
袁崇煥が刑死したと言うのが明の終わりを印象づける 賢臣を用いながら疑心が勝るのは、何というか崇禎帝の褒められ無さを体現している様に思える
@七田谷
@七田谷 Жыл бұрын
魏忠賢時代があったからってのが大きいと思う。これがなければ袁崇煥を斬ることもなく忠臣の数も多かった筈
@金子貴之-i3y
@金子貴之-i3y Жыл бұрын
朱元璋からの血筋、玉座の位置にいる人間の特性の両方持ち合わせるとこの末路を辿るのだろうか。
@rerepopo663
@rerepopo663 3 жыл бұрын
崇禎帝はこの苦しい時期に文字通り全身全霊で明にこの身を捧げて尽くし倒して、ヌルハチを実質戦死に追い込んだ 袁崇煥を敵側のホンタイジが流した讒言を信じて処刑してしまったけど、もうこの時期の明はもう 袁崇煥裏切りルートも十分あり得る位兎に角絶望が蔓延ってたしホント虚しいよね。
@てっちゃん-t1k
@てっちゃん-t1k 3 жыл бұрын
中国だと、「忠臣ではあるが、『謀反の疑いあり』という讒言をついつい信じる主君に嫌気がさし、 本当に謀反・下野する」奴も結構いる。 袁崇煥は相当な忠臣だわ。
@名草雄大
@名草雄大 2 жыл бұрын
@@てっちゃん-t1k 袁崇煥は北斉の名将斛律光や蘭陵王高長恭と重なりますね。国に忠義を尽くし国防に務めながらも敵国の計略に乗せられた君主によって処刑されるに至るまで。
@KAWACHI102
@KAWACHI102 3 жыл бұрын
明を滅ぼした当の李自成ですら「崇禎帝は暗君ではないんだけどなぁ・・・」みたいなこと言ってるのが何とも空しくなる。 崇禎帝がもうちょい誠実な人に囲まれて育っていたらもう少しはマシな対策が取れていたかしら・・・
@miohayakawa2385
@miohayakawa2385 3 жыл бұрын
正しい臣下見出すこと、これがどれ位偉大な能力か、反面教師になりますね。 劉邦、この点だけは外さなかったよねぇ。
@yuten1992
@yuten1992 3 жыл бұрын
創業のときの功臣は評価しやすい。 群雄に過ぎない時代からの部下で、かつ天下を統一できた勢力であり、さらに裏切らず天下統一までしたがった者だけが歴史に残るから。 明日の命もわからない状況をともにしたものなら信用できる。漢の功臣だって韓信を除けば、多くは旗揚げ当初からの参加者。
@shiso_tempura
@shiso_tempura 3 жыл бұрын
李世民もこの才能があった。一流は一流を見抜くってのは、真実ですね。
@正木茂雄
@正木茂雄 6 ай бұрын
今孔明と言われた袁崇煥を残忍な、凌遅刑で処刑したので、臣下や人民が離反してしまいましたね。まんまとヌルハチの離反の計略に引っ掛かって‥有能な敵より、無能な味方が一番たちが悪い。
@原田美紀-j9t
@原田美紀-j9t 3 жыл бұрын
生まれた時代が悪すぎたとしか言いようがない。 この点はフランスのルイ16世に通じるものがある。 後、よろしければ袁崇煥も紹介して欲しいです。
@tai1068
@tai1068 3 жыл бұрын
戦場では勝てないから搦手で攻めるホンタイジがたまらない。
@shou-sho
@shou-sho 3 жыл бұрын
崇禎帝は兄が相次いで亡くなったから即位したわけで、ちゃんと帝王教育を受けていたわけではないんですよね。 そのため若いうちに人脈を育てるといったこともできず、信頼が置ける人物が宦官しかいなかった。 彼は朱元璋や永楽帝のような英傑ではないただの凡人だったので、勤勉であることしかできませんでした。
@hokkaido_wajd
@hokkaido_wajd 4 ай бұрын
もし16世紀半ばあたりに即位してたら、名皇帝になって明の中興の祖として評価されてたかもね。「皇帝の器としては【普通】だが、勤勉」というだけで明にとっては貴重
@渡邉和寛-x2i
@渡邉和寛-x2i 3 жыл бұрын
景山公園を観光した際、崇禎帝が自らを掛けたという木が残されていました。 中華の皇帝が最後には首を吊り死を選ぶというのは盛者必衰の言葉を思わずにはいられない・・・
@施宇洋-m4c
@施宇洋-m4c 2 жыл бұрын
実はあれが二代目 オリジナルは江青に四旧と見なせて、撤去された😥
@Doliehop
@Doliehop Жыл бұрын
明朝文化はまだ漢民族の植民地である韓国で継続されています。
@orororo-t4d
@orororo-t4d 2 жыл бұрын
凌遅刑はいくらなんでも流石にないでしょうよ。 裏も取らずにいきなり臣下を凌遅刑に処す辺り、もう崇禎帝と明朝の終わりが見えますわ。
@ノブシ-f5d
@ノブシ-f5d 3 жыл бұрын
李自成が丁重に葬っているのが何故か印象に残った。
@武田亥三男
@武田亥三男 3 жыл бұрын
高校の受験世界史では、この様な政治情勢や戦略分析はされない。大学受験には必要が無いからである。 だが、そのせいで殆どの高校生は歴史の深層に触れないまま世界史を修得したと評価される。これが歴史教養の軽薄さに繋がる。私も経験した事だが、我が国の高校生は真の教養教育を与えられて居ないのです。 勿体ない事です。
@bildup112
@bildup112 3 жыл бұрын
その通りだと思います。 歴史ってドラマだと思うんですが、その中に「なぜ王朝が滅び、交代していくのか」「滅びるまでの過程に何があったのか」という現代に通じる教養があるのですが、学校教育ではなかなかそこまでたどり着けないです。 このような良質な歴史解説動画を見ることが出来る時代に生きているのは、とても幸せだと思います。
@公束
@公束 7 ай бұрын
真の教養なんて与えたら自分たちに楯突くようになるんだから政治家は与えないよ
@マッチ-x1y
@マッチ-x1y Жыл бұрын
「真に恐れるべきは有能な敵より無能な味方である。」 ナポレオンのこの名言は、古今東西に通用する。
@safavid69
@safavid69 3 жыл бұрын
鳥人間さんの知識量には驚かされます...。検索しても出てこないことも多くて本当に助かります。 素朴な疑問なのですが、どうしてこんなにも詳しいんですか...?
@軍鶏しゃも
@軍鶏しゃも 2 жыл бұрын
新書なども相当読み込んでると思いますよ。古代中国王朝に関しては中公新書が結構いい本を複数出してるのでおすすめです。
@カルボーぺぺろん
@カルボーぺぺろん 2 жыл бұрын
図書館に通いましょう
@うんこ-r7o
@うんこ-r7o 9 ай бұрын
こんな情報を簡単に知れる現代って最高だな
@三宅猫之助
@三宅猫之助 3 жыл бұрын
人を疑うことをしない君主はダメだけど、疑い過ぎる君主もダメなんだよね……
@原田美紀-j9t
@原田美紀-j9t 3 жыл бұрын
「過ぎたるは及ばざるが如し」ですね。
@AtsushiMizobe
@AtsushiMizobe 2 жыл бұрын
@@原田美紀-j9t 崇禎帝の場合は、仕方なかったとは言え「過ぎたるは及ばざるに如かず」(by大久保利通)でした。
@武闘派のび太
@武闘派のび太 2 жыл бұрын
袁崇煥が後金に寝返るくらいなら寧遠城を死守するわけがないことすらわからなかったのだろうから、英邁な君主の素質があったとしても、発揮できなければないのと同じだ。自分は学生時代に中国旅行で紫禁城に行き、景山にも案内された。そこでガイドが「崇禎帝はこの木で首吊り自殺をしたと伝えられています」と説明を受けたのが懐かしい。首を吊るときの崇禎帝は、春秋時代の呉王夫差がそうだったように、あの世で袁崇煥に会わせる顔が無いと思ったのだろうか。
@古の生もの
@古の生もの 3 жыл бұрын
万暦の時代に崇禎帝が統治して張居正とタッグを組めていたら、というIFが頭を過ぎりますね。 ガチガチにしごき上げる張居正と教えを真面目に学ぶ崇禎帝なら明はもっと持ち堪えていたかも。
@モダン調の二段熟成カレー辛
@モダン調の二段熟成カレー辛 3 жыл бұрын
29:55~崇禎帝が最期に首を吊って自害したのは『松の木』だったと言われている(らしい)んですが この『松の木』というのにもおそらく意味があって 古来中国で高貴な人の墓に植える木というのがそれぞれ身分によって決まっており 「天子⇒松、諸侯⇒柏、大夫⇒柳、士⇒楡」とされていました   つまり、崇禎帝は墓など望むべくもない最悪の事態に至ったこの時、最後の瞬間においても大明帝国の皇帝、大中華の天子であるという「節度」と「矜持」そして「冷静な思考」(ひっくるめて平たく言って『見栄』(^_^;))を維持していたわけです😘
@覇王花-r9u
@覇王花-r9u 3 жыл бұрын
うーんこの明王朝最高や!段々熟んでドロドロしていき、最後はぼとりと地に堕ちる果実の様な妖しい魅力がワイを惹きつける…。 頑張り屋さんだけど別段優秀なわけでもなく、跡を継いだ時点でもう王朝の命脈が尽きていた何とも不憫な人ですねぇ。
@聡福地
@聡福地 3 жыл бұрын
お前様のような明朝好きは存外多い。拙もその一人
@himatstosh6236
@himatstosh6236 3 жыл бұрын
俺も
@liumol8715
@liumol8715 3 жыл бұрын
明朝最高です!ヾ(*´∀`*)ノ
@hokkaido_wajd
@hokkaido_wajd 5 ай бұрын
明が一番好き。次が清
@高倉正
@高倉正 2 жыл бұрын
抗い難い運命の星のもとの生まれた「彼」の中華皇帝としての重すぎる十字架...それを十分すぎる程、感じさせて下さる内容に、うp主の創作意欲を感じさせて頂きました(いいえ、創作ではないのですね、歴史的事実と共に歩むその姿勢を感じました)  感謝いたします。
@madmotor
@madmotor 3 жыл бұрын
明の、崇禎帝の最期は「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がとてもしっくりくる惨めさ。 崇禎帝は現代に例えるなら、やる気はあるが無駄な会議が多く部下を叱責してばかりの、経営の傾いた元名門企業の最期の社長といった風情だ。
@heiho_ita
@heiho_ita 3 жыл бұрын
正統帝や万暦帝みたいな明の継投が酷すぎるんだよね。
@てっちゃん-t1k
@てっちゃん-t1k 3 жыл бұрын
明の末期は待遇の悪さから、後金(清)にヘッドハンティング(引き抜き)される 武将も多かったと聞きます。
@hirokage9427
@hirokage9427 Жыл бұрын
今まさにそういう人物が父親が一代で築き上げた会社を崩壊に導い てく過程を見てますね 某大きなモーター会社
@MUSASI40
@MUSASI40 Жыл бұрын
無駄な会議をなくすための会議をやる ダメ企業 みたい
@クロシロ-x8n
@クロシロ-x8n 3 жыл бұрын
猜疑心が強すぎて誰も信用できなくなってかえって大いに欺かれる事になるのがなんとも皮肉極まりない
@naoki080808
@naoki080808 3 жыл бұрын
末路は悲惨だが、部下を過酷に扱い過ぎた、自業自得の感は否めない。  しかしそういう点も含めて、明の皇帝らしい人物だなぁと思います
@ヨーク公リチャードプランタジネット
@ヨーク公リチャードプランタジネット 3 жыл бұрын
滅びの時期になって、創業の賢君と(良くも悪くも)似た人物が現れる点では徳川幕府みたい ただ徳川幕府とは比べられない程に人材の枯渇と腐敗が凄まじかったんだなぁ まぁ後世から見たらある意味中華史上最も面白い時代なんですがねぇ
@jodasow
@jodasow 3 жыл бұрын
慶喜は「こういう時期だからこういう人でないと」として、前将軍からの指名もひっくり返して選ばれましたからね。危機対応の体制がかえって傷口を広げるパターンですね。
@韓非-h4u
@韓非-h4u 3 жыл бұрын
社員は悪くありませんから!
@haru-entmotaku
@haru-entmotaku 3 жыл бұрын
明の滅亡から三藩の乱で清の時代が確立するまで、濃い時代ですね。袁崇煥、ドルゴン、呉三桂。他にも魅力的な人物が多いですね。
@heiho_ita
@heiho_ita 3 жыл бұрын
崇楨帝面白かったです😃 一生懸命やったのはわかりますが、明朝末期の敗戦処理はあまりにもキツいですね。李自成も崇楨帝は特別に暗愚ではないと認めてますしね。 崇楨帝の猜疑心は朱元璋や永楽帝の明朝の遺伝なんかなと思ってしまいます
@もちもち-f9z
@もちもち-f9z 3 жыл бұрын
これが滅びの美学か… 末期の王朝ってなんでこんなに魅力的なんだろうか
@前原勇介
@前原勇介 3 жыл бұрын
袁崇煥を処刑した一事だけでも、崇禎帝は亡国の君主の悪名を免れないだろう・・。秦の胡亥、西晋の懐帝など、敵と味方の区別ができない奴が、亡国の君主の条件の一つではと思ってしまう・・。
@anaheimmechatronics564
@anaheimmechatronics564 3 жыл бұрын
23:08 黒い服着てるドルゴンマジで格好いいし悪役感ある
@呉志
@呉志 3 жыл бұрын
ドルゴン いや、ワイは、漢民族に優しくしたり、皇帝の墓も荒らさんかったで
@ダイワ暁スカーレット
@ダイワ暁スカーレット 3 жыл бұрын
崇禎帝には崇禎帝なりの、とてつもない苦悩があったんですね…。 祖先の行いを一気に背負うことになり、信用できる人間も本当に多くはなかったにしろ、信用してよい人間は内から外から狙われるのは地獄でしたね。 それでも、明朝なのか崇禎帝なのかは分かりませんが、最後までついていく人がいるというのは、彼の人徳のひと欠けらが成しえたものだったのかな、と思い拝見させていただきました。 李自成も、風見鶏のように時勢で左右される官僚や人民が欲しかった訳ではなく、むしろ崇禎帝と彼を慕う人々をそのまま受け入れられれば、まだ清に対抗できたかも…。 結果として、李自成は自分を苦しめた人間たちを引き込み、形上でも救おうとした人をやっつけた形になった訳で、一種の世の中の不条理を感じましたねぇ。
@金欠雑兵
@金欠雑兵 3 жыл бұрын
即位3年で袁崇煥を処刑とは、 この皇帝に忠義を尽くしても、決して信頼されないと誰もが思うだろう。 決断は速かったが、その決断は悪手ばかり、 皇帝を諌めたら、不興を買いかねないと思えば、従うのが賢明と考えるか。
@いさむ-c8t
@いさむ-c8t 3 жыл бұрын
崇禎帝には洪武帝の馬皇后、イワン4世のアナスタシアのような皇后はいれば・・・時代は変わったかもしれません。
@バトー-l8x
@バトー-l8x 10 ай бұрын
270年続いた帝国が自分の代で滅びるなんて、どれほどの無念だったんだろうな。察するに余りある。 朱元璋に申し訳ない気持ちと絶望で一杯だったろうな…。だが殉死を強いたわけでもないのに最期まで付き合ってくれた友人が一人でもいてくれたってのは、幸せやな。
@成子坂
@成子坂 3 жыл бұрын
崇禎帝は部下や業績の不振の原因を自分で見に行かないで、何だこの数字は!とキレ散らかしている上司のように映りました。5:20のエピソードも香りの方向を辿って確認しに行こうよと思います。(公務が忙しいのでしょうけど…)在位17年で宰相が50人もの人物が就任する「崇禎の五十相」なども多疑以前に狭量から来るものなのでしょう。これでは部下がこの人の為にとは動かないです。生い立ちなど同情できる所もあるのでしょうが、自業自得と思う所の方が強いです。
@くろ-b9b
@くろ-b9b 3 жыл бұрын
長く続いた王朝の最後の王(皇帝)が本当の昏君って例は案外少ないですよね
@shoggori
@shoggori 3 жыл бұрын
将官のピンハネは笑えない。ピンハネをした彼らも明自体が滅びれば自分たちの身が危うくなることは分からなくはないだろうに、それでも目先の金銭を選んでしまうものなのだろうか?
@0721-b9f
@0721-b9f 3 жыл бұрын
その程度の人間しか残らなかった。そして、そう言う人間を処分できたのは三藩の乱までかかってしまった。
@fox37812
@fox37812 2 жыл бұрын
いざとなったら投降しちゃえばいいからね 皇帝は国無くなったら一族終わりだけど臣下にそういうのはない それがわかってたから、臣下を信じられなかった部分もあると思う
@wuyaofeng965
@wuyaofeng965 2 жыл бұрын
袁崇煥の最期に泣いてしまった。。。
@solar_space_satellite
@solar_space_satellite 3 жыл бұрын
崇禎帝が描いた計画通りに事が動かぬと 自身ではなく臣下を断じた辺り、 表向き聡明なように見えて 実は王莽のような意識高い系の暗君かな 万暦帝がもう少し賢かったとしても 崇禎帝の代で滅ぶ運命だったのかも
@001lonestar7
@001lonestar7 3 жыл бұрын
現場を知らない、妙に頭だけは良い意識高い系は ただの"困ったちゃん"
@yuten1992
@yuten1992 3 жыл бұрын
@@001lonestar7 中華皇帝って宮廷にいなきゃならず、現場に出られないのよ。
@001lonestar7
@001lonestar7 3 жыл бұрын
@@yuten1992 さん 現場を知る努力はして欲しいかな。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 3 жыл бұрын
@@yuten1992 日本も足利将軍は公家化してからは将軍自らが出陣するのに朝廷も動員しためんどくさい儀式やらなきゃいけなくなって、信長が義昭に親征させられなかったという話もありますね。
@fox37812
@fox37812 2 жыл бұрын
@@yuten1992 永楽帝は自分も戦場出てた (長男を摂政として残していった)
@bongabonga7102
@bongabonga7102 3 жыл бұрын
この真っ正面からの肖像画って明末あたりから流行り始めた構図なんですかね
@姓名-c7t
@姓名-c7t 3 жыл бұрын
世界的に見てもかなり写実的な絵やし証明写真みたいな感じにしたかったんやろか
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 3 жыл бұрын
言われてみれば………そういう視点で肖像画を考察するなんて考えた事も無かった………
@Dust_of_Mount_Taishan
@Dust_of_Mount_Taishan 3 жыл бұрын
それでも崇禎帝はホノリウスとは違うと言いたい! 確かにどちらも能臣をむざむざと処刑してしまったが、せめて自分で動こうとしてるしな… にしてもローマも中華王朝も「名君」「暗君」の差がハッキリしてる(凡君は埋もれるからしょうがないが)。 それにしても、英明で忠実な社稷の臣とはなんと得難きことか。 嗚呼、悲しきかな。
@higonokami1988
@higonokami1988 3 жыл бұрын
ホノリウスは領民すら見捨てたからな その一点だけでも崇禎帝の方が100万倍はマシ
@toribakataisyou
@toribakataisyou 2 жыл бұрын
日本にも同じような猜疑心の強さでせっかく優秀な弟たちに恵まれたのに本人の死後3代で完全に耐えた家がありました。 源頼朝の家です。 源頼朝と崇禎帝は猜疑心で家を最終的に絶家させたという意味ではよく似ている。
@RR-pm8ie
@RR-pm8ie Жыл бұрын
奥州藤原氏とかもそうですかね?
@tokusimaxx4325
@tokusimaxx4325 Жыл бұрын
義経は兎に角範頼は惜しいですね
@しゅん-w6f
@しゅん-w6f 3 жыл бұрын
多疑に始まって多疑に終わったのか、運命を感じさせる
@mithrilfan
@mithrilfan Жыл бұрын
味方さえまるで信じない崇禎帝がガチで忠誠心を評価したのが「正史に列伝ある唯一の女性」秦良玉だった。(彼女自身、処刑覚悟で身辺整理してたが…)
@名無し-b8y
@名無し-b8y 3 жыл бұрын
袁崇煥殺さんかったらあと五年は延命できたかも…っておもったけど李自成くるから駄目だわ
@終点雲雀丘花屋敷
@終点雲雀丘花屋敷 3 жыл бұрын
司馬遼太郎の『韃靼疾風録』を読んで知ってたけど、袁崇煥が可哀想すぎる
@Taka18782
@Taka18782 3 жыл бұрын
袁崇煥を処刑したあたり、秀次を切腹させた秀吉と被るねえ。それで求心力を急速に失っていく点も。
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 3 жыл бұрын
崇禎帝はあまりにも、あまりにも登場が遅すぎました。それにつきます。 せめて鄭成功と邂逅できていれば・・・・・いや、あの疑り深さではなぁ・・・・・ でもまともな感性の持ち主があの碌でもない環境で成育したら疑り深くもなるよなぁ。
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 3 жыл бұрын
弘治帝の次くらいに皇帝になれてれば名君になれた人だと思います。
@basilbasilicum
@basilbasilicum 3 жыл бұрын
本人が有能でも一人で国を治めることはできないわけだから人を見る目を養い重要な業務を任せられる忠臣を作らないといけなかったんでしょうね。
@須藤凜々花が好き
@須藤凜々花が好き 3 жыл бұрын
しょうがないとしか言いようがない 滅亡へのドミノはすでに倒されており「誰がこの王朝を滅ぼしてくれるのか」という感じだったのかもしれない
@としお-l8n
@としお-l8n 3 жыл бұрын
崇禎帝と朱元璋は、似ているのと同時に非常に対照的だと思います。 始まりと終わり。 共に生を受けたのは王朝の末期。 一方は生まれながらに全てを失い、全てを手に入れた男。 もう一方は、生まれながらに全てを手にし、全てを失った男。 そして二人とも猜疑心の塊で部下に過酷。 とても興味深いです。
@thor0610102
@thor0610102 3 жыл бұрын
崇禎帝の動画、ありがとうございます。 袁崇煥が皇太極の計略に填められて、無実の罪で処刑される場面は北斉の斛律光が韋孝寛の計略で殺された故事に驚くほど似ていますよね…。 皇太極も中国の歴史には通じていたと思うので斛律光の故事を参考にしたと思いますけど、崇禎帝は自分がその計略を仕掛けられるとは思ってはいなかったんでしょうね。
@heiho_ita
@heiho_ita 3 жыл бұрын
李自成も崇楨帝は暗愚ではなく一生懸命やったのは認めてましたね。
@海咲蒼維
@海咲蒼維 3 жыл бұрын
危険が差し迫っているときに我が身可愛さで悪さや、お金を渋るって… ほんとにこの時期の明は本当だめだったんやなぁ…
@fox37812
@fox37812 2 жыл бұрын
中国人にとって皇帝への忠誠より自分の一族を後世に繫ぐ事の方が重大だからね 皇族は国が滅べば族滅ほぼ確定だけど貴族や将軍はそうでもないしね
@原田美紀-j9t
@原田美紀-j9t 3 жыл бұрын
明朝の人物繋がりで、土木の変の後、モンゴル軍と戦い、これを撃退しながらも、処刑された悲劇の宰相・于謙もやって欲しいです。
@野村広-j1t
@野村広-j1t 3 жыл бұрын
逃げた皇子のうち、朱慈煥は70代まで生き、告発によって清に凌遅刑で殺されました
@手塚研正
@手塚研正 3 жыл бұрын
1708年 75歳でしたね 明の復活を企図した廉でだったかな
@クロシロ-x8n
@クロシロ-x8n 3 жыл бұрын
@@手塚研正 「謀反を起こした事実はないが、謀反の心を抱かなかったことはないとはいえない(朱某雖無謀反之事,未嘗無謀反之心)」 なんというか岳飛の「莫須有(あったかもしれない)」罪と同じぐらい理不尽ですね…
@air5042
@air5042 3 жыл бұрын
鳥人間様、今回もありがとうございました。 崇禎帝が恐らくどれほど努力しても、復興する事はなかったとは思います。既に命脈は尽き果てており滅ぶのも時間の問題ではあったのでしょう。 彼の猜疑心も、彼自身の若年期の混乱の中で増幅した結果であり一概に責める事は出来ない気がしますね。
@tevalleyluckman8746
@tevalleyluckman8746 3 жыл бұрын
同感だよ。崇禎帝はあまりにも過酷な運命を背負わされた人物だった。 最後に娘たちに掛けた言葉が悲しすぎる。
@MsSyage
@MsSyage 3 жыл бұрын
王朝にしろ建物にしろ、何代にもわたって傾き続けて、倒れる間際になって支えようってこと自体が無理なんだよなあ。どれだけ太い柱を用意しても、倒れ始めている建物を支えることができないように、どれだけ英明賢君であっても崩壊が加速している王朝をたてなおすことはできない。無事な部分を纏めて切り離すことはできるかもしれないが、元には戻ることはないんだよなあ
@shinburo8111
@shinburo8111 2 жыл бұрын
@@MsSyage 「無事な部分を纏めて切り離すことは出来るかもしれないが〜」 国家にそれやって成功した例って歴史にあったっけ?
@MsSyage
@MsSyage 2 жыл бұрын
@@shinburo8111 成功例はないけど、延命措置ではあるよ。晉や南宋みたいにね。その程度しか打つ手がないってこと。
@fox37812
@fox37812 2 жыл бұрын
@@shinburo8111 植民地全部放棄した日本とかその例だよ あとなんだかんだで今まで続いてる中華民国
@lockhart1794
@lockhart1794 3 жыл бұрын
登場時期が悪かったとはいえ結果論的に無能な働き者感が否めない 崇禎帝が悪いとは言わないが頑張ったけどだめだったねが通用する立場じゃないので同情はできないかな
@ボタスキー-r2h
@ボタスキー-r2h Жыл бұрын
財政の難しさ、ですね 何故なら増税アンド歳出カットをすれば景気が悪くなり、それが治安と経済の悪化を招く 失業者の1人が李自成な訳ですが 言い換えるとある程度のラインを越えるともはやどーしようもなくなってしまう性格があります なので実はやるべきことは1つしかなく経済を拡大させ、税収を増やすしかなかったりします が、当時の気候の悪化 所謂17世紀の危機などを踏まえると、、、詰んだ、としか言いようがない訳にて
@西坂卓也-g4b
@西坂卓也-g4b 3 жыл бұрын
李自成、最後の皇帝を皇后と一緒に丁寧に埋葬したり結構情に厚いところがあったんやな。 もう少し、臣下を信頼して大事な仕事を任せて結果を受け止めきれる度量があれば、明王朝ももう少し長く続いたかな?
@Dradlo
@Dradlo 3 жыл бұрын
マルクス・アウレリウスにすらなれなかった崇禎帝… アントニウス・ピウスの超劣化版の万暦帝… 個人でどうにか出来ることと出来ないことが同時に押し寄せてくる絶望感が凄まじいですね… だから王朝末期はクセになる…(ビクンビクン)
@大場華太郎-s8b
@大場華太郎-s8b Жыл бұрын
崇禎帝「そなたは何の因果で、皇帝の家に生まれてしまったのか・・」 愛娘に剣を振るう・・😭😭 宋の神宗「そなたは何の因果で、皇帝になってしまったのか・・」 あの世で六男にぼやく・・😵‍💫😵‍💫
@monyasi5288
@monyasi5288 3 жыл бұрын
やることなす事すべて裏目に出る姿に涙が出ますよ…。 無能な働き者呼ばわりされる事もありますが もう状況や周囲の人間が末期過ぎて、仮に崇禎帝の能力が 洪武帝や永楽帝級だったとしても復興は無理だったんじゃないでしょうか。
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 3 жыл бұрын
「碧血剣」で王承恩が「世が世なら洪武・永楽と並んだ」と評していたのを思い出しました。  流石に洪武・永楽は褒め過ぎでも、大半の明朝の皇帝や亡国の君主よりは優れた人だと思います。  「無能な働き者」論も、貴君の言う様に状況が誰が何をしても駄目だったと思います。
@Doliehop
@Doliehop Жыл бұрын
私は、救急治療が可能であることに同意します。もし救急治療が行われた後、数代の皇帝が善政を行えば、明朝の国力は回復する可能性があります。 また、中国の歴史においては、永楽帝が北京に都を遷したことが、明朝の国運短命化の原因であるという説も存在します。
@mastsu379
@mastsu379 3 жыл бұрын
崇禎帝はやる気はあったけど能力が伴わなかった。特に家臣を信頼できない人物は名君にはなれないな。
@sake_cooling
@sake_cooling 3 жыл бұрын
感想としては、ホントに物悲しいとしか言えん。 猜疑心の理由に気持ちはわかるとしても、それで自らの首を絞めることになるというのは・・・。
@v6w95fkucqpe1igfyzei
@v6w95fkucqpe1igfyzei 3 жыл бұрын
絶対王政を目指すのは分かるが… 力足りぬ王では悲しいかな… それが自身で理解していたのか微妙な所… やること成すこと下手を打ち最期まで『何故だ』と思い続けながら生きてきた印象…
@iexander
@iexander 3 жыл бұрын
魏忠賢はいつ見てもこの世の終わりみたいな顔してるな
@anaheimmechatronics564
@anaheimmechatronics564 3 жыл бұрын
敗戦して処刑は、敵にすぐ降伏するようになるという弊害がある
@よう15さん
@よう15さん 3 жыл бұрын
崇禎帝は長期の内政の腐敗(広大な代々の親王家領が国内に広がり、過酷な徴税で民の恨みを買う。わずかな賢臣は居たものの、ほとんどは私服を肥やす讒言ばかりの臣下。)、 王朝が長くなると、内部の構造の利権化が固定し過ぎて、何かを変えようとするのは厳しい。 崇禎帝の猜疑心は神経質な事もありますが、ほとんどの臣下が腐敗している中、ほんの僅かな賢臣を信用し続けるのは実際難しいと思いますよ。 王朝の中盤ぐらいまでなら、まだ有能な臣下が多い状態でしょうが、明朝は無能な皇帝の時期が長く、つまりは無能な臣下が多かったとも言えるので、 王朝末期を自覚してる皇帝と言えども、臣下の多くが腐ってる状態で、何かをすれば、何かが上手く行かずで悪循環になりがち。 これが王朝の寿命なんでしょうね。 徳川慶喜にしても、家康公以来の賢君と言われながらも、結局、古い制度に縛られて、抜本的に変えられないまま、幕府は滅んだんだし。 それに袁崇煥が生きていたとしても、そもそも後金に攻め滅ぼされた訳じゃなくて、内部の反乱で滅んでる訳だし、 長城線の防衛自体は最後まで保ってたんだよね。
@日常ポロネーズ
@日常ポロネーズ 3 жыл бұрын
うう、やっぱり首○りのところで号泣してしまった。現代社会でも首○りでの自殺は問題になっているが、皇帝(国のトップ)が自殺したと考えると心が痛む。いや、むしろ命は大事にしろという戒めかもしれない。 因みに、明朝の崩壊の原因を作った万暦帝は、一説によると紫禁城から全く出ずに政務も疎かにしたらしい。1970年代頃に墓の調査が行われて、万暦帝のものと思われるミイラが見つかって、中国共産党の調査団によって“ガソリン”で燃やされたとか。
@ruri8sda264
@ruri8sda264 Жыл бұрын
(猜疑心も持ちながらも)人に任せるということで劉邦の右に出る中華の皇帝はいない印象。
@梧楼七姫
@梧楼七姫 3 жыл бұрын
北京紫禁城北側に、景山公園、明思宗殉国処があります。当時の首吊りした木は何代目かの物ですが、崇禎帝の自殺当時が偲ばれます。メイシャン煤山と明時代は呼ばれていたようで、非常時用に石炭が埋めてある山だどか…北京故宮行った時は皆さんも足を伸ばしてみてください。^^
@maxmai33
@maxmai33 2 жыл бұрын
朕御极十七载 三邀天罪 致虏陷地三次 逆贼直逼京师 诸臣误朕也 朕无颜见祖宗于地下 自去冠冕 将发覆面 朕死 任贼分裂朕尸 勿坏陵寝 勿伤我百姓一人
@吃瓜群众-l8i
@吃瓜群众-l8i Жыл бұрын
勿伤我百姓一人!😭
@aoitan-ch
@aoitan-ch 3 жыл бұрын
疑うこと自体は悪くなくて疑った結果が排斥なのが良くないんだよなー 権限の分散とか制度的な異動とか税制とかシステムで対処すれば明君になれたかもしれない
@NT-iv9os
@NT-iv9os 3 жыл бұрын
私は崇禎帝が袁崇煥を処刑(しかも凌遅刑という残酷な方法で…)した事で、この皇帝はどうしても好きになれません。 ただ魏忠賢の専横を目の当たりにし、臣下も互いに内部抗争ばかり行なっていたのでは、人を信じるという気持ちになるのも難しいのかなとは感じました。 もし万暦帝や、せめて天啓帝より先に即位していたら、変わっていたのかも?と歴史の奥深さを感じますね😢
@手塚研正
@手塚研正 3 жыл бұрын
特に凌遅刑で処刑された者を出した家系は基本的にはその王朝の存続している限り官職につくことを許されなかったという話もありますよね
@SOQUID_ENGERGE
@SOQUID_ENGERGE Жыл бұрын
首を吊った崇禎帝とそれを見て跪く王承恩の絵を見ると悲しくなってくる😢
@おじゃる麿
@おじゃる麿 3 жыл бұрын
漢帝国以降の中国の帝国って、同じことを無駄に繰り返しているように感じる。 腐敗を防止できていない。
@ほんだあかし
@ほんだあかし 3 жыл бұрын
ホンタイジの死で明が期待した清の内部分裂が起きるどころか、内部分裂を回避するために一致団結して明にぶつかる方へ舵取りされたのが皮肉ですね
@ゴンベエ-c1l
@ゴンベエ-c1l 3 жыл бұрын
秀吉の唐入りが無ければ明王朝はもう少し延命できたのだろうか? どっちにしろ北方からの圧力には耐えられなかったかもしれないけど。
@Doliehop
@Doliehop Жыл бұрын
大明が豊臣秀吉を打ち破り、日本人が100年間中国に入ることを恐れるようになったという主張は笑えるものです。
@牛島巌-r7g
@牛島巌-r7g 3 жыл бұрын
真面目で平凡な人が、滅亡確定の王朝の皇帝になったと言う感じですね。 色々欠点はありますが、奮闘したことは認めてあげたいです。
@TAKE-rr9zt
@TAKE-rr9zt 3 жыл бұрын
今回は冒頭の茶番の切れ味が、いつにも増してヤベェ…(笑) やる気と能力はあったのかもしれないが、資質を伴っていなかった、という印象でしょうか 全てが崇禎帝の責任とは思いませんが、トップが他人を信頼して仕事を任せるコトの出来ない組織はキツいでしょうね… 肖像も動画の冒頭では 「万暦帝に比べて聡明っぽく描かれてんな~」 と思えましたが、次第に目に狂気を感じるように…
@手塚研正
@手塚研正 3 жыл бұрын
その点では世宗嘉靖帝の前期の治世に繋がるところもあるかもですね
@呉万越
@呉万越 Жыл бұрын
頑張ってる感は伝わるんだけど袁ちゃんに対する仕打ちが酷すぎて昔から好きになれない
@Kaito5327
@Kaito5327 3 жыл бұрын
建国の成功譚よりも、傾国の滅亡悲話こそ教訓とすべきだ。
@うんこ-r7o
@うんこ-r7o 9 ай бұрын
逆に誰だったら明復興できたんだろw
@rarararararararara
@rarararararararara 4 ай бұрын
崇禎帝の即位した時点では手遅れだったから誰であっても無理だよ。
@ダンカンエドワーズ
@ダンカンエドワーズ 3 жыл бұрын
袁崇煥が哀れすぎる・・・
@seattleslew2332
@seattleslew2332 3 жыл бұрын
民衆には宇宙大将軍も袁崇煥も同じということか・・・
@ベルベル公爵
@ベルベル公爵 3 жыл бұрын
おー楽しみにしてた崇禎帝だ。 登場した時期といい最後といい本当にかわいそうだと思う。 リクエストなんですが、北京政府の人物とかチベットのソンツェン・ガンポとかダライ・ラマ13世を解説してほしいです。
@mmmqb
@mmmqb 3 жыл бұрын
国が滅ぶのはいつだって理由があるんですねぇ。袁崇煥が哀れでならない。 話は変わりますが、どこかのタイミングで狄仁傑を取り上げていただきたいです。太宗の次に安定していた武則天の時代を支えた名宰相を是非お願いします。
@karihakozaki
@karihakozaki 3 жыл бұрын
1.魏賢忠が綺麗に粛清したお陰で政務に取り組む臣が1軍半か2軍レベル 2.崇禎帝本人も魏賢忠の影響で人を信頼・信用することができない状態 3.その上崇禎帝個人の処理能力を上回る数多くの内外の諸問題 状況も非常に厳しい上に、崇禎帝に関しては運も味方しなかったのは非常に痛かった 袁崇煥を処刑せずに後金(清)との戦いに集中させて時間を稼ぎ、内乱を何とか治めたら ワンチャンあったかな・・・という印象です 批判はあるにせよ、最後まで明を守ろうとした姿勢は評価しなければいけませんね
@karihakozaki
@karihakozaki 3 жыл бұрын
×魏賢忠 ○魏忠賢
@ulojjyu
@ulojjyu 3 жыл бұрын
ドルゴオオオオオオオオオオオン!!! 臣はドルゴンの回をお待ちいたしております
@知る世の中
@知る世の中 3 жыл бұрын
時代・洋の東西も違いますが「ヒトラー最期の12日間」を思い出しました。
@user-es5qi7hp5z
@user-es5qi7hp5z 3 жыл бұрын
余りにも悲し過ぎる最期
@Doliehop
@Doliehop Жыл бұрын
最も壮大なのは南宋最後の戦いでしょう。左丞相が幼い皇帝を抱えて海に飛び込む場面は、三部作にすると虚構の『ロード・オブ・ザ・リング』よりもずっと見応えがあります。中国は5000年の歴史があり、三部作の大作映画にできる要素が非常にたくさんあります。
@宮下弘明
@宮下弘明 3 жыл бұрын
小氷河期のアジア圏は日本も含め地獄だなあ…
@naughtnaught
@naughtnaught 3 жыл бұрын
疑い深いなら疑い深いなりに、何が必要で何が不要か、正常な判断力と正確な知識、それを与える人材を見極める能力があればね...... でも、本人もこれだし、全部腐敗してたらもう駄目だ(*_*)
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