【ゆっくり解説 】邪馬台国はなぜ滅びたのか...

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古代史ヤバイ【ゆっくり解説】

古代史ヤバイ【ゆっくり解説】

Күн бұрын

「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
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Пікірлер: 82
@他力本願-s3g
@他力本願-s3g 11 ай бұрын
モモの種が一番多く発掘されているのは、吉備 盾築墳丘墓からは最多の水銀朱が発見されており、また特殊基台はこの時に原型ができたもの、だからと言って吉備に邪馬台国あるいはその当時諸国を従えていた王権があったとは考えにくく、また纏向遺跡には出雲、吉備並びに東海北陸の土器も発見されていることから、近畿に王権は無く、出雲の代表が総代を務める共和制連合があったと勝手に考えている、三輪山に大国主が祭られていることの説明にもなるしね!
@samosamo777
@samosamo777 11 ай бұрын
古代の日本が奈良と九州だけで成り立っているんじゃないかとさえ思える説ですね。実際は山陰にも山陽にも四国にも北陸にも中部にも勢力はあったでしょう。しかし記録に残ってるのが二つなので 人はまるで他の勢力が無かったかのような錯覚を覚えてしまう。 それがよく出ていた動画だと感じます。
@kinkin0421
@kinkin0421 11 ай бұрын
伊都国(福岡県糸島市)で入国手続きを行った後に、わざわざまた船に乗って出雲か倉敷あたりで荷物を降ろして、そこから徒歩で奈良に行ったとは思えないですね。2023年の現代でもそんな行程はありえない。水行10日・陸行1月とは帯方郡から邪馬台国(筑紫平野)までの総行程と捉えれば問題ないし、むしろそっちの方が妥当な考え方のように思えます。つまり「福岡から東京まで新幹線で5時間、距離は1000キロ」という表現を、5時間+1000キロと捉えるからおかしなことになるのです。 また「女王国の東の海を渡ればまた和種の国」というのも奈良県では説明不可能です。畿内説支持者は海とは伊勢湾のことだと言いますが、地続きなのに海を渡るはおかしいし、西日本全域を統一した畿内説邪馬台国が、伊勢湾の対岸を指して「和種の国」とはおかしな話です。はるか九州まで支配下に置いているのに、豊橋市あたりは別の国と言うのでしょうか?
@samosamo777
@samosamo777 11 ай бұрын
伊都国までの案内をしておきながら、邪馬台国はまた改めて帯方郡から説明しなおすのですか?皇帝から歴史書の編纂を任される陳寿がそんな頭の悪い人間だとは思えません。 大阪の人に東京の観光案内をするとき、新幹線で東京駅まで説明し宿泊ホテルを案内したら、浅草寺やディズニーはホテルからの説明でいいのです。  浅草寺まで5キロ(ホテルから)、ディズニーまでは400キロ(大阪から)とはならないのです。
@加藤信郎
@加藤信郎 3 ай бұрын
賛成!私は豊橋市に住む日本古代史大好き人間です。kinkin0421さんの言われていることは、。無理やりひん曲げたような説ではなく納得できます。魏志倭人伝をもとに考えるならば、畿内説はありえないと思います。人々の習俗、倭国大乱の後がさっぱり見つかっていないこと。また、安本美典先生の言われるように、筑後川周辺の地名がそのままの配置で奈良盆地にあることなどの点で九州説を採りたいと思います。元AGUのぶりん
@もとちょ男
@もとちょ男 18 күн бұрын
滅びてません。ヤマト国は東遷して大和朝廷になったと思っています。
@kouo3088
@kouo3088 11 ай бұрын
卑弥呼が巻向にいて、東海に句奴国があって敵対してたなら纒向遺跡から出土する外からきた土器のうち50%以上が東海地方の土器であることに対して整合性がとれない
@ロドリゲス-q1h
@ロドリゲス-q1h 4 ай бұрын
東海より先、関東でしょうね
@821marcello
@821marcello 9 ай бұрын
「隋書俀国伝」本文「都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也」 「俀国の都は邪靡堆(ヤマト)です。それは「魏志」のいわゆる邪馬臺なる者です」とはっきり記述されていますよね。これをどう理解しているんですか????
@恵口百山
@恵口百山 5 ай бұрын
魏志など中国史書は、時の王朝都合で編纂され、辺境の邪馬台国は、聞き齧りで適当に書かれたもので、更に伝承を繰り返したもの。細部まで信頼することは無意味ですな。邪馬台国の主な姿を捉えるための参考にして、詳細は日本国内の考古学的発見と神社縁起、民間伝承をメインに考えるべきでしょうな
@kinjisi
@kinjisi 10 ай бұрын
台与の都したところは書いてないわけで、卑弥呼の死を持って邪馬台国は終わったのかもしれん。都じゃなくなっただけかもしれん。
@mog999mog
@mog999mog 11 ай бұрын
ヒミコが魏に送った使者が、魏から「お前の国の名は?」と聞かれて「ヤマトの国でございます」と答えた。 魏は卑しめを込めて「邪馬台国」と漢字を当てて書いたというのが真実だと思う😺
@user-dv3fo5dm6c
@user-dv3fo5dm6c 10 ай бұрын
真実というか普通の考察ねそれ。中華思想だろ
@user-tl2pi1jb9c
@user-tl2pi1jb9c 11 ай бұрын
卑弥呼はヒメミコ(姫巫女・皇女)だと思っている(私見)
@アサヤス-w8v
@アサヤス-w8v 11 ай бұрын
仰る通りだと思いますよ。 『ヒミコと言う名前』じゃ無く、『女性のミコと言うポジションの人』と考える方がシックリ来ますよね。
@kei.suzuki
@kei.suzuki 11 ай бұрын
民俗学者の宮本常一はヒミコ=ヒメノミコトの略という説を唱えていました
@user-gz7ni5em4l
@user-gz7ni5em4l 9 ай бұрын
ヒミコはヤマトと無関係なのでヤマトを基準に考える時点で間違ってますよ。
@アサヤス-w8v
@アサヤス-w8v 9 ай бұрын
@@user-gz7ni5em4l 無関係とは言い切れません。 後の筑後と肥後にまたがって「山門(ヤマト)」と言う地域が有ったのは確かです。 「上代特殊仮名づかい」では「山門」と「大和」では、「乙類の卜」と「甲類の卜」と、音が違うから「全く成り立たない」という話が在りますが、実際は古代の文字で「甲類・乙類」が曖昧に使われて居る例は数えきれない有る様ですからね。
@アサヤス-w8v
@アサヤス-w8v 11 ай бұрын
なぜ歴史学会のお偉いさんまで、「邪馬台国」をヤマタイ国と呼び「ヤマト王朝」とは全くの別モノと考えようとするのでしょうね。 奈良の勢力が九州の勢力を倒したのか、九州の勢力が奈良に移動したのかは別として、どう考えても「邪馬台国」は「ヤマト国」と読むのがスムーズな考え方でしょう。 「筑後国の山門(やまと)郡」と「肥後国の山門(やまと)郡」は隣接しているので、両方を合わせた地域が「山門国(やまとこく)」だったと考えるのが、単純に考えてシックリ来ます。 「大和」を普通に読むと「ダイワ」「タイワ」としか読めませんし、少なくとも強引に「ヤマト」と読むのは、どこかの地名を拝借している可能性が高いですからね。
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z 10 ай бұрын
私は言語学者でもないので確かなことは言えませんが、中国文献の国名を日本語の音読みで考えることはとても危険だと思いますよ。 私は中国上古音、中古音を比較し魏代の音韻を予測しましたが、とてもヤマトと言えるような発音にはなりません。 中国文献にはあくまで漢字で邪馬壹国、または邪馬臺国という国があり、その音韻も解明されておらず、それが日本のどこを指しているのかも全く解明されていないと言うことが科学的な見方だと思います。 ビックネームのヤマトと呼ぶことがスムーズかもしれませんが、科学的な根拠もなく安易に創作される歴史観を見過ごして良いものか疑問に思います。
@アサヤス-w8v
@アサヤス-w8v 10 ай бұрын
@@user-fk5kf9nm9z まず「邪馬壹国」に関する記載がある唯一の書物は、『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝の倭人条(略称が「魏志倭人伝」)だと思いますが、3世紀末に記した三国志はすでに原本がなく、現存する最古のものは12世紀の宋の時代の版本だと思います。 12世紀に作られたモノが、3世紀の発音をそのまま残して書かれて居るとは思えませんので、『魏代の音韻』で考えてしまった場合は相違が有っても不思議な事では無いでしょうし、原本から9世紀も後に書かれたモノを以て議論するのであれば、『科学的根拠』なんて証明のしようもないでしょう。 また、筑後国と肥後国にまたがる広い地域に山門(やまと)と言う地名が有った事は事実ですし、近畿地方に大和国(やまとのくに)が有ったのは事実なのですから、仮に「邪馬壹国」が別の場所の事を指すのであれば、魏志倭人伝でなぜ山門や大和が記載されて居ないのでしょう?
@アサヤス-w8v
@アサヤス-w8v 10 ай бұрын
@@JohnDoe-rc2bz それなら、強引に「大和」の字を当てた理由が説明が付きません。 「和(わ)」若しくは「大和(だいわ)」と言う地域に、「やまと」の人が移り住んだ(もしくは、やまとの国が移転した)と考える方が自然でしょう。
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z 10 ай бұрын
@@アサヤス-w8v 隋書には「其國境東西五月行南北三月行各至於海其地勢東髙西下都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」のように隋代の呼称と魏代の呼称が記されており、どのような意図で漢字表記が異なるのか今ではわかりませんが、魏志には「邪馬臺」と記述されていたことがわかります。
@アサヤス-w8v
@アサヤス-w8v 10 ай бұрын
@@user-fk5kf9nm9z 「隋書」も唐王朝二代目皇帝の時期(7世紀)に編纂したモノなので、隋書に書かれて居たから「魏志の原本」と一致するとは言えないでしょう。 特に「隋書」と現存する12世紀の唐代に書かれた「魏志」でも相違点が幾つも有る事を考えれば、「魏志」の原本を転記した際に誤った記載がされた状態の「第二版・第三版」を「隋書」や現存「魏志」双方が参考にしていた可能性も高いですよね。
@user-mf2kf2uv5c
@user-mf2kf2uv5c 11 ай бұрын
ずっと邪馬、台国かと思ってたけど無双オロチで"邪馬台"の戦いというのがあってそこで初めて邪馬台、国やと知った😮
@フレディポール
@フレディポール 2 ай бұрын
魏志倭人伝の卑弥呼の墓の直径は100歩とある。箸墓古墳は大きすぎる。
@神楽坂響子
@神楽坂響子 11 ай бұрын
553年には阿蘇山が大噴火したらしいから、鳥栖市や久留米付近に邪馬台国が有ったのなら、噴火の前の大地震とかで怖くなって、九州から四国や中国地方に周辺の国々ごと大移動したかも知れないですね。
@adgjmptw889
@adgjmptw889 11 ай бұрын
卑弥呼は比弥王(日本語音でヒメミコ)。女王、皇女、斎王を意味するヒメミコの元祖。
@masamasaict7312
@masamasaict7312 10 ай бұрын
茨城県説の方が面白い。
@高田健一-l7l
@高田健一-l7l 10 ай бұрын
邪馬台国というのは中国が日本の何かにそういう名称をつけたわけで、実際にそれが国かどうか不明である。個人的には滅んでないと思いますよ。邪馬台国は国ではないので現在も残ってます。
@ny-pb1tp
@ny-pb1tp 10 ай бұрын
卑弥呼と同時代の人と思われる、倭迹迹日百襲姫命(やまととももそびめ)の墓と言われるあのような立派な墓(箸墓)が大和にある。あのような立派な卑弥呼の墓がなぜ北九州にはないかと考えると、大和と邪馬台国は別の国と考えるか、年代の推定が間違っているような気がする。卑弥呼の墓とすればそれまでだが
@chartreux8673
@chartreux8673 11 ай бұрын
邪馬台国はあくまで初めて記録として登場する国家として有名である事と当時大陸と唯一アクセスが持てる九州北部に位置した特性はあったとしても、当時日本で覇を競うほどの国家ではなかったのではないか?と想像してます
@道生-m3r
@道生-m3r 11 ай бұрын
九州側から本州へ戦争した記録も 考古学的物証もありません 技術的先進地域で中国との交易で 当時の日本でいちばん豊かだった 元々裕福な地域は覇権を求めないよ
@ザコシャア
@ザコシャア 10 ай бұрын
勘違いしている人が多いが2世紀頃の九州は農業生産力が低く人口も10万強で本州どころか東日本に対しても圧倒的劣勢で先進地というのも幻想にすぎない
@kei.suzuki
@kei.suzuki 10 ай бұрын
2世紀までは北部九州が日本列島において最も活動が活発な地域だったのが、3世紀になると何故か畿内が上回るようになっていくんだよね これが九州から集団移住があったのか、在来勢力がそのまま大きくなっていったのか、それとも第三勢力が奈良盆地に本拠地を構えたのかは分からないけど
@ロドリゲス-q1h
@ロドリゲス-q1h 4 ай бұрын
纏向遺跡はすぐ側の唐古・鍵遺跡からの集団移転があった形跡があるとのことで、その唐古・鍵遺跡は弥生時代前期からの遺跡だから在来の勢力が大きくなった可能性が高そう
@稲葉23
@稲葉23 11 ай бұрын
壬申の乱で書物が焼失したように歴史を都合のいいように捻じ曲げようとするのはいつの時代も変わらなそうですね。 畿内説でほぼ決まっているのも学者にとってその方が都合がいいとか金が儲かるってのがありそう
@user-hirotaka0123
@user-hirotaka0123 11 ай бұрын
このころの中国は魏晋南北朝時代で国や皇帝がコロコロ変わっていた時代だからしっかりとした記録を取れなかったんだろうし、しかもほとんどの国が異民族出身国家だから歴史を記録することはもちろん、文字もなかったのでは?漢化した異民族国家(北魏など)では多少は記録はあったかもしれないけど、しっかりとした記録は隋(これも漢化した鮮卑族の国)の時代を経て唐にできた隋書倭国伝までかかってしまったんよね
@だれか-p6m
@だれか-p6m 3 ай бұрын
8:09 自分用
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z 10 ай бұрын
蘇我が邪馬台国?ちょっと時代錯誤しすぎではないですか?蘇我といえば6世紀。宋書5世紀に邪馬台国は欠片もなく歴史から消えています… 邪馬台国の話を記紀から引用するのであれば、4世紀の神功皇后記の山門のタブラツ姫までで十分かと思うのですが…
@tomo7892
@tomo7892 10 ай бұрын
藤原京で倭と大倭の2京
@user-ri3yz4fc6c
@user-ri3yz4fc6c 11 ай бұрын
まず ホンマに あったんか❗
@かかしやまだの
@かかしやまだの 7 ай бұрын
魏志倭人伝の中だけです。
@nackeyt3068
@nackeyt3068 11 ай бұрын
邪馬台国は顔に刺青する風習があったみたいだから、その異様な風体もあって土蜘蛛と称されていたではなかろうか。
@mecom3450
@mecom3450 11 ай бұрын
四国の歴史が意図的に消されているのが最大の謎だ。
@道生-m3r
@道生-m3r 11 ай бұрын
弥生初期には先進地域だった 北部九州は漢から魏晋の中国と 交易、軍事的影響で力を持ったが 中国の分裂で大和政権が力を及ぼし 景行記から継体記をよく読むと ケーキを取り分けるように分割され 天皇家と大和の各豪族に配分 支配されていった過程が解ります
@道生-m3r
@道生-m3r 11 ай бұрын
​​@@1honshitsuka 九州では天皇家て意識よ 皇室てのは曖昧過ぎる 他の宮家は天皇家ではない 天皇家だけが日本の象徴 南朝支持多かったのもそこ
@masatonamiki1978
@masatonamiki1978 10 ай бұрын
そもそもがヤマト王朝なんて言い方は無い。現代の歴史学者の言葉であって、倭国の次は日本国。
@user-pt7co5qg2i
@user-pt7co5qg2i 11 ай бұрын
そもそも邪馬台国自体存在しなかったのでは❓️「邪」は よこしま、「卑」は いやしい、という意味だから、そういった字を人名等に使うとは思えない。日本の言葉を中国国内で蔑んで表現するために、勝手に当て字でそう呼んでいたとも考えられる。
@allthatistrue7020
@allthatistrue7020 10 ай бұрын
邪馬台国という国自体存在しなかったというのが事実だと思います。魏志倭人伝は3世紀頃に書かれているもので、まだ日本には中国から人は渡っていません。それなのにまだ未開の地である日本の事が分かるはずもなく、おそらく大部分が創造が書かれていると思われます。ちなみに邪馬台国と天皇の時代は全く結びつかないのは多くの歴史学者が指摘してます。仮に邪馬台国が存在したのなら、30ヶ国とも争っていた記述が全くないのはありえません。
@blueskyjet5321
@blueskyjet5321 Ай бұрын
いや、その辺を古事記や日本書紀などの記録としてあらわすと、邪馬台国のことを書かねばならなくなります。よって、書けません。神話でそれらしいことは示されている。スサノオとアマテラスの戦い、など。アマテラスはお隠れになる。などね。大和勢力は邪馬台国を歴史から隠したのですから。
@YO-high
@YO-high 11 ай бұрын
旧唐書、新唐書にあるように、「倭国」と「日本国」は別、別種であると考えると、スッキリするように思えます。 また、隋書俀國伝にあるように、アマタリシホコが「初めて」隋に朝貢したとあるように、「俀國」は「倭国」ではないように書かれています。 何が言いたいかと言えば、「邪馬台国」は「倭国」の流れ、「大和王権」は「日本」であるということ。 日本が倭国を併合したんだろうなぁ。でも、国号は「倭:大倭:やまと」のままだったんだろうなぁ。 「日本武尊」が「倭武尊」と書かれてるのを見ると、「日本」を「やまと」と訓してるってこと。 大和王権が「畿内」に出来てるのだから、倭国も「畿内」にあった、、、とはならないんじゃないかなぁ。
@fantomdolive
@fantomdolive 11 ай бұрын
一コメ失礼
@suttonrotten204
@suttonrotten204 11 ай бұрын
邪馬台国なんて、実は無かったんですよ。
@ああそれなのに
@ああそれなのに 10 ай бұрын
そもそもそんな国はなかった 説 中華のでっち上げ 記述を検証してもたどり着けないw
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