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1990年の外交文書が公開され、当時の中曽根元総理とイラクのフセイン大統領との間で行われた「湾岸危機」による人質解放を巡る交渉の秘話が明らかになりました。
外務省は作成して30年が経過した外交文書の一部を今月22日に公開しました。
1990年8月にイラクがクウェートを侵攻した「湾岸危機」では、イラク側が外国人を「人の盾」として人質にし、日本人も300人以上が拘束されました。
総理を退任していた中曽根氏がイラクを訪れ、通訳のみを同席させてフセイン大統領と1対1の交渉を行った際の記録も公開されました。
中曽根元総理はクウェートがイラクの石油24億ドル分を盗掘していたとして、イラク側に「同情すべき点も多々ある」と理解を示していました。
また、中曽根元総理は「アメリカに軍事介入の口実を与えないよう、この1カ月が勝負だ」と和平を強く呼び掛けました。
交渉の結果、74人の日本人が解放され、最終的にイラクは外国人の人質全員を解放しました。
しかし、イラクはクウェートから撤退しなかったため1991年の「湾岸戦争」は避けられませんでした。
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