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解答のポイント
①アロー戦争で清が混乱状態に陥ると、ロシアはアイグン条約でアムール川以北を獲得
②さらに、英仏との講和を仲介した見返りに、北京条約でウスリー江以東の沿海州を獲得
③また、三国干渉により日本から遼東半島を返還させた代償として、ロシアは中国東北地方における東清鉄道の敷設権を獲得
④しかし1917年にロシア革命が起こり、ソヴィエト政権が成立
⑤カラハン宣言で帝政ロシア時代に中国と結んだ不平等条約の撤廃を宣言
⑥パリ講和会議の結果に落胆する中国民衆は歓喜した
⑦折しも、五・四運動で中国では大衆運動の機運が高まり、国民党と共産党が成立
⑧ヨッフェは孫文との会談で、もし国民党が共産党と協力するのであれば、ソ連は全面的にこれを支援することを約束した
⑨これを受けて、孫文はソヴィエト政権に接近し、両国関係は改善
⑩連ソ・容共・扶助工農の理念の下で、第一次国共合作が実現
⑪軍閥を打倒して、中国統一を実現することを目指した
模範解答
アロー戦争で清が混乱状態に陥ると、ロシアはアイグン条約でアムール川以北を獲得。さらに、英仏との講和を仲介した見返りに、北京条約でウスリー江以東の沿海州を獲得した。また、三国干渉により日本から遼東半島を返還させた代償として、ロシアは中国東北地方における東清鉄道の敷設権を獲得した。しかし1917年にロシア革命が起こり、ソヴィエト政権が成立すると、カラハン宣言で帝政ロシア時代に中国と結んだ不平等条約の撤廃を宣言。パリ講和会議の結果に落胆する中国民衆は歓喜した。折しも、五・四運動で中国では大衆運動の機運が高まり、国民党と共産党が成立。ヨッフェは孫文との会談で、もし国民党が共産党と協力するのであれば、ソ連は全面的にこれを支援することを約束した。これを受けて、孫文はソヴィエト政権に接近し、両国関係は改善。連ソ・容共・扶助工農の理念の下で、第一次国共合作が実現。軍閥を打倒して、中国統一を実現することを目指した。(400字)