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【バルセロナ五輪を中心に1984~1992年の全日本女子バレー名場面集】
大林素子&山内美加のダブルエースを擁し、メダル奪回を目指したバルセロナ五輪。後に闘将と呼ばれる吉原知子や多治見麻子、中村和美など若手を率い、最後の闘いに挑んだ
00:00 中田久美伝説②
01:37 バルセロナ五輪開幕
04:04 中田久美伝説 1984~1987
06:00 中田久美伝説 1988~1991
09:12 中田久美 ~ 最後の闘い
12:20 エピローグ
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激闘のソウル五輪、翌年のワールドカップを最後に一時、全日本を離れた中田久美。同じ頃、同期の廣紀江は元々、教職を志望しており、大学院を卒業するタイミングで現役引退。バルセロナ五輪は日立の元同僚と観客席から見守った
一方の中田は半年の休養後「勝つために帰ってきた」と所属チームで復帰し、日本リーグ優勝。バルセロナ五輪を目指す米田監督から要請され、全日本復帰すると、1991年に最大の関門であったアジア選手権で五輪切符を獲得
アジア選手権では大黒柱に成長した大林素子が前から後ろから大車輪の活躍をしたが、1992年には待望の大砲として期待された山内美加が加わり、ダブルエースの活躍で、バルセロナ五輪前には旧ソ連に6連勝。一躍、メダル候補に浮上し、開会式では旗手も務めた
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本大会では予選リーグで銅メダルを獲得したアメリカに勝ちながら、90年代に台頭してきたブラジルに準々決勝で敗れ、メダルを逃した。16-14、13-15で迎えた勝負の第3セット13-9とリードしてからの逆転負けは4年前の準決勝ペルー戦を彷彿とさせたが、2日後の5位決定戦では第1セット15-0で完封するなど、オランダに勝ち、意地の5位
10歳の頃、モントリオール五輪(1976)の金メダルを目撃し、憧れ、その先輩たちと同じ体育館で練習するようになり、金メダル以外は敗北という時代から、メダル争いも厳しい時代に移ろっても、バレー強豪国のプライドを持ち、柔道や男子体操と並び、日本のお家芸と呼ばれた女子バレーの伝統死守に半生を捧げた中田久美はようやく重い荷物を下ろした
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・バルセロナ五輪(1992)スタメン表
中田久美:176㎝(305㎝) 26歳
大林素子:182㎝(324㎝※1)25歳
吉原知子:180㎝(313㎝※2)22歳
多治見麻子:180㎝(310㎝※1)20歳
山内美加:182㎝(317㎝) 22歳
中村和美:170㎝(300㎝) 21歳
サブレギュラー
福田記代子:178㎝(315㎝※1)21歳
佐藤伊知子:169㎝(303㎝) 27歳
※氏名:身長(最高到達点) 年齢
※1:1994年のプロフィールより
※2:1998年のプロフィールより
バルセロナ前後のトレーニング技術の発達で、選手の身体能力は飛躍的に伸び、1994年の横田全日本では中村の所に福田記代子が入り、アタッカーの最高到達点の平均は315㎝を超えた。また、大林山内福田の三枚看板でバックアタック攻勢を仕掛け、常に4枚攻撃を備えた攻撃的なチームは将来を期待されたが、国内リーグ4連覇中だった日立のお家騒動やプロ化問題の余波で、翌年以降、体制が変わり、1996年のアトランタ五輪は9位と惨敗。4年後にはシドニー五輪出場を逃すなど低迷期に入る
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