佐渡御書第<6回>|戸田城聖の御書講義

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戸田城聖の教え

戸田城聖の教え

Күн бұрын

佐渡御書は、日蓮大聖人が1272年3月20日、佐渡・塚原において著され、門下一同へ与えられたものである。
まず、富木常忍、四条金吾など信徒の中心的な存在の人々に読ませ、本抄の趣旨が門下に伝わるように配慮されたものである。
 般泥洹経に云わく「当来の世、仮に袈裟を被て、我が法の中において出家・学道し、懶惰・懈怠にして、これらの方等契経を誹謗することあらん。当に知るべし、これらは皆、これ今日の諸の異道の輩なり」等云々。この経文を見ん者、自身をはずべし。今我らが出家して袈裟をかけ、懶惰・懈怠なるは、これ仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給えり。法然が一類、大日が一類、念仏宗・禅宗と号して、法華経に「捨閉閣抛」の四字を副えて制止を加えて、権教の弥陀称名ばかりを取り立て、「教外に別伝す」と号して、法華経を「月をさす指、ただ文字をかぞうる」なんど笑う者は、六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし。
 うれえなるかなや、涅槃経に仏光明を放って地の下一百三十六地獄を照らし給うに、罪人一人もなかるべし。法華経の寿量品にして皆成仏せる故なり。ただし、一闡提人と申して、謗法の者ばかり地獄守に留められたりき。彼らがうみひろげて、今の世の日本国の一切衆生となれるなり。
 日蓮も、過去の種子すでに謗法の者なれば、今生に念仏者にて、数年が間、法華経の行者を見ては、「いまだ一人も得る者有らず」「千の中に一りも無し」等と笑いしなり。今、謗法の酔いさめて見れば、酒に酔える者、父母を打って悦びしが、酔いさめて後歎きしがごとし。歎けども甲斐なし。この罪消えがたし。いかにいわんや、過去の謗法の心中にそみけんをや。経文を見候えば、烏の黒きも鷺の白きも先業のつよくそみけるなるべし。外道は知らずして自然と云い、今の人は謗法を顕して扶けんとすれば、我が身に謗法なき由をあながちに陳答して、「法華経の門を閉じよ」と法然が書けるを、とかくあらがいなんどす。念仏者はさておきぬ、天台・真言等の人々、彼が方人をあながちにするなり。
 今年正月十六日、十七日に、佐渡国の念仏者等数百人、印性房と申すは念仏者の棟梁なり、日蓮が許に来って云わく「法然上人は法華経を抛てよとかかせ給うにはあらず。一切衆生に念仏を申させ給いて候この大功徳に御往生疑いなしと書き付けて候を、山僧等の流されたる、ならびに寺法師等、『善きかな、善きかな』とほめ候を、いかんがこれを破し給う」と申しき。鎌倉の念仏者よりも、はるかにはかなく候ぞ。無慙とも申すばかりなし。
 いよいよ日蓮が先生・今生・先日の謗法おそろし。かかりける者の弟子と成りけん、かかる国に生まれけん、いかになるべしとも覚えず。
 般泥洹経に云わく「善男子よ。過去に無量の諸罪、種々の悪業を作るに、この諸の罪報は、あるいは軽易せられ、あるいは形状醜陋、衣服足らず、飲食麤疎、財を求むるに利あらず、貧賤の家および邪見の家に生まれ、あるいは王難に遭う」等云々。また云わく「および余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは、これ護法の功徳力に由るが故なり」等云々。この経文は、日蓮が身なくば、ほとんど仏の妄語となりぬべし。一には「あるいは軽易せらる」、二には「あるいは形状醜陋」、三には「衣服足らず」、四には「飲食麤疎」、五には「財を求むるに利あらず」、六には「貧賤の家に生まる」、七には「および邪見の家」、八には「あるいは王難に遭う」等云々。この八句は、ただ日蓮一人が身に感ぜり。 高山に登る者は必ず下り、我人を軽しめば還って我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得。人の衣服・飲食をうばえば必ず餓鬼となる。持戒・尊貴を笑えば貧賤の家に生ず。正法の家をそしれば邪見の家に生ず。善戒を笑えば国土の民となり王難に値う。これは常の因果の定まれる法なり。
 日蓮はこの因果にはあらず。法華経の行者を過去に軽易せし故に、法華経は、月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山に華山をかさね、玉と玉とをつらねたるがごとくなる御経を、あるいは上げ、あるいは下して嘲弄せし故に、この八種の大難に値えるなり。この八種は、尽未来際が間一つずつこそ現ずべかりしを、日蓮つよく法華経の敵を責むるによって一時に聚め起こせるなり。譬えば、民の郷郡なんどにあるには、いかなる利銭を地頭等におおせたれども、いたくせめず、年々にのべゆく。その所を出ずる時に競い起こるがごとし。「これ護法の功徳力に由るが故なり」等はこれなり。
 法華経には「諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、刀杖・瓦石を加うるもの有らん乃至国王・大臣・婆羅門・居士に向かって乃至しばしば擯出せられん」等云々。獄卒が罪人を責めずば、地獄を出ずる者かたかりなん。当世の王臣なくば、日蓮が過去謗法の重罪消し難し。
 日蓮は過去の不軽のごとく、当世の人々は彼の軽毀の四衆のごとし。人は替われども因はこれ一なり。父母を殺せる人異なれども、同じ無間地獄におつ。いかなれば、不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき。また彼の諸人は跋陀婆羅等と云われざらんや。ただ千劫阿鼻地獄にて責められんことこそ不便にはおぼゆれ。これをいかんとすべき。彼の軽毀の衆は、始めは謗ぜしかども、後には信伏随従せりき。罪多分は滅して少分有りしが、父母千人殺したる程の大苦をうく。当世の諸人は翻す心なし。譬喩品のごとく無数劫をや経んずらん、三・五の塵点をやおくらんずらん。
 これはさておきぬ。日蓮を信ずるようなりし者どもが、日蓮がかくなれば、疑いをおこして法華経をすつるのみならず、かえりて日蓮を教訓して我賢しと思わん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらんこと、不便とも申すばかりなし。
 修羅が「仏は十八界、我は十九界」と云い、外道が云わく「仏は一究竟道、我は九十五究竟道」と云いしがごとく、「日蓮御房は師匠にてはおわせども余りにこわし。我らはやわらかに法華経を弘むべし」と云わんは、蛍火が日月をわらい、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなずり、烏鵲が鸞鳳をわらうなるべし、わらうなるべし。南無妙法蓮華経。
  文永九年太歳壬申三月二十日    日蓮 花押
 日蓮弟子檀那等御中
  佐渡国は紙候わぬ上、面々に申せば煩いあり。一人ももるれば恨みありぬべし。この文を、心ざしあらん人々は寄り合って御覧じ、料簡候いて、心なぐさませ給え。世間に、まさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず。当時の軍に死する人々、実・不実は置く、いくばくか悲しかるらん。いざわの入道、さかべの入道、いかになりぬらん。かわのべ山城得行寺殿等のこと、いかにと書き付けて給ぶべし。外典抄、貞観政要、すべて外典の物語、八宗の相伝等、これらがなくしては消息もかかれ候わぬに、かまえてかまえて給び候べし。
#日蓮大聖人 #佐渡御書 #戸田城聖

Пікірлер: 3
@きりやま-p7g
@きりやま-p7g Жыл бұрын
🙏
@梅本薫-f7u
@梅本薫-f7u 6 ай бұрын
戸田先生の講義はすごい
@梅本薫-f7u
@梅本薫-f7u 6 ай бұрын
戸田先生の講義はすごい
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