Пікірлер
@ぼんくら-l7g
@ぼんくら-l7g 2 сағат бұрын
この友人達が蜀にいたら諸葛亮はもう少し長生き出来たかもねぇ
@多鞍馬完
@多鞍馬完 6 сағат бұрын
評価が分かれるのは、孺子(ぼうや)だったからか?
@inoki_bomber_yeah
@inoki_bomber_yeah 7 сағат бұрын
演義での徐庶は劉備軍にとっての軍師チュートリアルでしたね(⁠*⁠´⁠∇`⁠*⁠) がちがちの文系ってわけでもないから脳筋系の人達とも比較的話しやすかったでしょうし、劉備IFには欠かせない人物だと思っています
@festidies7380
@festidies7380 10 сағат бұрын
劉備も助けてもらった曹操を裏切ってるけどな みんなで仲良く裏切る三国志 裏切り滅ぶ中国4000年の歴史 良い子のみんなは真似しちゃいけない
@伝説の麻婆豆腐
@伝説の麻婆豆腐 10 сағат бұрын
演技で凄く盛られてる感
@正木茂雄
@正木茂雄 10 сағат бұрын
まあテレビで良く見かける御用学者を内閣で起用したらアレだったって事ですね。
@正木茂雄
@正木茂雄 11 сағат бұрын
司馬懿がしみじみ「わしは人格者として遠く兄上に及ばない…」っ言ってたけど、後世で曹爽一派を皆殺しにして魏を簒奪に追い込んだ事を意識してたんだろうな。
@竹内充-e1x
@竹内充-e1x 17 сағат бұрын
任侠…。劉備一家と同じ毛並み。 義兄弟と最も近い感覚の持主だったのでは?
@菅原のしゅん
@菅原のしゅん 16 сағат бұрын
横山版だと諸葛亮より劉備軍に溶け込んでたのはそのせいか😅
@nonnonmay3880
@nonnonmay3880 18 сағат бұрын
劉備一派が893と言われる原因No.1
@月友
@月友 19 сағат бұрын
此れを知っとくと嬉しい気分になるから忘れないで 徐庶 →豫州潁川郡長社県の人 鍾繇 →豫州潁川郡長社県の人 司馬徽→豫州潁川郡陽翟県の人 郭嘉 →豫州潁川郡陽翟県の人 実は徐庶と鍾繇は同郷。 そして司馬徽と郭嘉も同郷だったりする
@フレアトマス
@フレアトマス 21 сағат бұрын
強いの定義が難しいな。個人的武勇なのか指揮官としてなのか。指揮官として強かったのは周瑜かな?夏侯淵とか関羽とかは難しい所。個人的武勇だと張飛や許褚に典韋が納得のいくところ。
@mantarouhagakure3911
@mantarouhagakure3911 22 сағат бұрын
『真三國無双orijins』での徐庶はそれはもうお労しいかぎりの人柄だった。
@パープル-k1l
@パープル-k1l 22 сағат бұрын
劉備の元から去る話は、本来の形でも十分ドラマチックなのに何故演義は偽手紙のエピソードなんてやっちゃったのか おかげで「母の葬儀でお世話になった恩義が有るので劉備様の元に戻るわけにはいきません」なんていうイミフな展開になっちゃってるし
@qchan0104
@qchan0104 23 сағат бұрын
結局、徐庶は鶏口になることよりも牛後になることを選んだということでしょうか。
@mocchi2643
@mocchi2643 23 сағат бұрын
徐庶は224年に御史中丞まで昇進したけど、232年に彭城の相に戻されている。諸葛亮が徐庶の地位を知って嘆いたというエピソードは徐庶が彭城の相に戻された頃の話だと思う。
@wakka-besaid
@wakka-besaid 23 сағат бұрын
諸葛亮の理屈なら劉備には徐庶達より遥か格上で司馬懿と同列に扱われる人が仕えていたからその人が劉備の初代軍師では? 曹操曹丕曹叡と三代に渡ってかなり高い評価されてた惜しい逸材 せっかくの忠告を聞かなくて逃げられたけど
@archipelago6130
@archipelago6130 23 сағат бұрын
逆に蜀は夷陵の敗戦で更に人材不足になっちゃってたからね 孔明もかつての友人たちが蜀に居たら…なんて考えたりもしたのかも?
@user-fakegiraikanae
@user-fakegiraikanae Күн бұрын
先に玄徳さんの配下なったけど、お母様を人質にされて孟徳軍の軍師なった徐庶さん。その後孔明さんが玄徳軍に加わる
@matukawatositane
@matukawatositane 23 сағат бұрын
母を人質云々は演義設定かな
@リノホス
@リノホス 7 сағат бұрын
母が曹操軍の捕虜になった為に、徐庶が劉備を去って曹操の元に行ったという話は、蜀書諸葛亮伝にも記載がありますね。 荊州が曹操に下り、劉備が曹操から追撃を受けている際の話だけどね。 (偽手紙の話は記載なし)
@matukawatositane
@matukawatositane 7 сағат бұрын
@ 悪人にされた程昱はいないのは良かった
@木元西
@木元西 Күн бұрын
日本では明治38年に塩の専売が始まって平成9年まで続いた(日露戦争の戦費赤字を補うために始まったとされる) 青地に白で『塩』と書かれた看板が塩販売の許可された印だった(記憶されている方もおられるだろう) 日本は周り中が海だから、そんなに塩の値段を吊り上げる事態にはならなかったのかな?
@hk-e7k
@hk-e7k Күн бұрын
『しどうの城』と聞いて「あれ?ハーゴンの城では?」と思ってしまった私はドラクエ2の大ファン。
@yt.4177
@yt.4177 2 күн бұрын
演技ベースで考えると張飛は劉備の手元において親衛隊長のように使えばよかったのにと思う。軍を率いるが上手い人はいくらでもいたわけだし。
@藤生健吾-f3c
@藤生健吾-f3c 2 күн бұрын
『泣き虫弱虫諸葛孔明』著・酒見賢一 の張飛が一番想像しやすい(笑) 「ぐへへ」と笑い大酒を飲み、残虐な行為で相手を痛めつけて命乞いする姿を見てから殺すのが大好きなサディスト 作中でも張飛の軍団が一番訓練が激しく、しょっちゅう死人が出るうえなくても張飛が刑罰と称して殺す しかも虐待した兵士を副官として側においてるので劉備や周囲から「止めろ」と言われても聞かず最後は寝首を掻かれ死んだ(自業自得) 上司に、というか近寄りたくない奴NO.1な漢、それが張飛
@ストラマさん
@ストラマさん 2 күн бұрын
国の重鎮 肉屋 娘が皇帝に嫁ぐ 悲劇的な最期 何進って実質張飛じゃね?
@コミヤマトモハル
@コミヤマトモハル 2 күн бұрын
張飛ではなく魏延が漢中を任されたのは別に張飛より買われていたのではなく、張飛が漢中方面の都督を任されて魏延はその配下の前線指揮官だったから。もし魏軍が攻めてきたら全体の指揮は張飛が取ることになっていた 実は横山三国志にも似たようなことが描かれていて、魏延が諸葛亮から後詰を任されて不貞腐れたが後詰は都督の役目だと魏延がワンランク出世したのだと諭され、喜んで後詰めの任務に就いていった
@kialo720
@kialo720 2 күн бұрын
ご先祖様の劉邦も項羽軍の追手をまくために子供を馬車から投げ捨てて怒られたことあるしね。血は争えない。
@菅原のしゅん
@菅原のしゅん 2 күн бұрын
まぁ、あっちの国の荒くれ者だからなぁ。性格がいい人の方が珍しいんじゃね?劉備軍だって賊というか侠者の集まりだったし
@ラーズ-j5h
@ラーズ-j5h 2 күн бұрын
各国の兵が上司にしたくない武将ランキングがあればワースト3位以内は約束された男
@mocchi2643
@mocchi2643 2 күн бұрын
張飛には娘が二人居て相次いで劉禅の皇后に立てられている。
@morico1119
@morico1119 2 күн бұрын
死亡時には位人臣をほぼ極めており周りには「格下」しかいなかった恐ろしさよ…
@な-w1c
@な-w1c 2 күн бұрын
9:19誰に対しても偉そうな態度でハラスメント仕掛ける男…? 既にいるような気がするな…
@ab-ababab
@ab-ababab 2 күн бұрын
コンプラ違反で処罰された最古の上司
@卯金刀-n1q
@卯金刀-n1q 2 күн бұрын
張飛の人格を示す「飛愛敬君子而不恤小人」、これは君子と小人の対比 君子、すなわち徳のある立派な人を敬愛し、つまらない人物を憐れまなかったという話。 身分の高低で分けたのではなく、その人品によって扱いを変えた。卑しい身分でも、君子であれば張飛は敬愛したでしょう
@lv.2415
@lv.2415 2 күн бұрын
関羽、張飛が一癖ある人物だったのと比べると、趙雲が完璧超人過ぎる。 二人に比べ長生きもして 最後まで確実に成果を残した。 …とされる
@田中秀稔
@田中秀稔 2 күн бұрын
趙雲は性格的に難なくても能力的にはボディガードや親衛隊に向いてるが万の指揮には向いてない説はありますね、五虎将では下位だったりなんでここで趙雲使わないの?ってシーンが謎にあったり、典韋みたいなポジションだったのではないかという説
@matukawatositane
@matukawatositane 2 күн бұрын
@@田中秀稔 でも趙雲って騎兵隊長っぽいんですよね
@firebirdTTD
@firebirdTTD 2 күн бұрын
関羽と張飛を足して割った結果、位の高い者には傲慢な態度を見せ、下の者には暴虐なモンスター武将が誕生しましたとさ。星新一の話みたいだ
@本多派
@本多派 2 күн бұрын
競走馬のゴールドシップを思い出した 牧場は「小柄な馬体でおとなしい競走馬」を生産したくて 体が小さくて気性の荒いステイゴールドと 体が大きくておとなしいポイントフラッグを交配させた結果 気性が荒く巨漢のゴールドシップが誕生
@従五位上
@従五位上 2 күн бұрын
部下にパワハラで人生失敗した男
@user-fakegiraikanae
@user-fakegiraikanae 2 күн бұрын
雲長さんに次ぐNo.2の益徳さん。だけど雲長さんの敵討ちにはやり晩年は部下に鞭打って裏切られる😅
@qchan0104
@qchan0104 2 күн бұрын
劉備が張飛ではなく魏延を漢中太守に任命したのは、かつて張飛に徐州の守りを任せたときに呂布に徐州を奪われた一件が影響しているのかも知れませんね。 ゲーム的には(特に『三國志II』では)義理の高い張飛ではなく義理の低い魏延を太守にするのは悪手ですが。
@ラーズ-j5h
@ラーズ-j5h 2 күн бұрын
張飛がいつも部下(おそらく側近クラス)を些細な事で罰して、多くの部下から恐れ嫌われている事実を 劉備も知っていたくらいなので、最前線の守備は任せられないと思ってたんじゃないかな 進軍の際、先鋒として突っ込ませ天下に轟かせる武威を以って敵の戦意を叩き潰す使い方が最適解なのだろう。
@KisekI369
@KisekI369 2 күн бұрын
関羽と張飛に加えて、劉備はかたき討ちに前のめりになりすぎて陸遜の罠にかかって10万の大軍を失いまっ白な帝になって死亡…と、 この三人は性格と死亡の因果関係がわかりやすすぎる
@晋司小田
@晋司小田 2 күн бұрын
一騎当万やなくて万夫不当やない?
@東京テレタビーズ
@東京テレタビーズ 3 күн бұрын
益州侵攻の際に全く略奪を行わなかった 下の連中をよく統率出来ていた証拠ですな 張飛「今回の益州攻略で略奪やレ○プやったらシメるからな キュッとね」
@じつどうだいすけ
@じつどうだいすけ 3 күн бұрын
「我こそは、パワハラ張飛」 これ以上でも以下でもない人物
@卯金刀-n1q
@卯金刀-n1q 2 күн бұрын
曹操も部下が自殺の薬を常備するくらい棒で暴行を加えていたし、光武帝や漢の明帝も部下殴ってるんで珍しくもないよ
@リノホス
@リノホス 3 күн бұрын
暴カニ男じゃなかった❗️😄
@matukawatositane
@matukawatositane 3 күн бұрын
脅威的な武を内外に見せつけながら統制していったのかもね
@ラーズ-j5h
@ラーズ-j5h 3 күн бұрын
他人の忠告を聞かないことで有名な諸葛亮を制止できる稀な人物なのよね
@hita5991
@hita5991 3 күн бұрын
董允は劉禅を諌めて佞臣を遠ざける自分の後継者を育成できないところに不器用さを感じさせる人物である
@hita5991
@hita5991 3 күн бұрын
こんな父ちゃんの姿を見て息子も劉禅の後宮の増員案を却下したんだな〜と納得
@amaebiumai
@amaebiumai 3 күн бұрын
関羽について、「塩賊であったという話」もあるし、蜀漢は塩と縁がある
@ちやかり
@ちやかり 4 күн бұрын
「芝居(司馬懿)」「暫し(司馬師)」だけじゃなく、「芝生(司馬孚)」もいたか。 日本語ならダジャレのオンパレードだな。
@昔屋回天
@昔屋回天 4 күн бұрын
確か現在の四川省の自貢市が昔から地下水を汲み上げて作る塩の名産地で、味が良い上級品だったとか。衰退したのも二十世紀になってかららしく、蜀の産業でかなり重要な土地だったみたいですね。
@yukinorih426
@yukinorih426 4 күн бұрын
漫画で読んでしかないので真偽は不明ですが、三国志で龐徳が馬超に「長安が栄えなかった理由は水が塩辛く飲むに堪えない」と言っていました。