Пікірлер
@user-gg2ok7qc6d
@user-gg2ok7qc6d 2 күн бұрын
非破壊検査とか金属組成分析器とかあるけど 日本刀の業界は取り入れないね きっと面白い結果が出ると思う
@user-bw1wm8cl6e
@user-bw1wm8cl6e 2 күн бұрын
深海社長はダダをコネル子供にモックリ コックリが来るよの話何方でお聞きになったのでしょうか 私の妻は青森の田舎育ちで私たちの子供にモウコ来るよと言っていたのを思い出しました、当時は怖いものの総称と考えていましたが驚きです 蒙古 だったのですね。
@semisonic87ify
@semisonic87ify 3 күн бұрын
出自を偽ろうとするのは外国人だろうなあ。戦後の日本は特に外国人が多く入り込んで名家の名字を勝手に使用してたし。
@maekeisuke2248
@maekeisuke2248 9 күн бұрын
たった3両でなんて 刀鍛冶に死ねというようなもの
@user-tm5es6bs7q
@user-tm5es6bs7q 10 күн бұрын
武器の形は、確かに重たい話しですね。短刀は最終的に武士の切腹に使用しますね。又、刀は小指でガッチリ握ります。わたしは忖度しました。
@tora-tora-s44
@tora-tora-s44 10 күн бұрын
太刀の約束事から真実を見抜かれるとはさすがです。wikiに寄らずとも実は簡単な話で、かの衣冠束帯の黒装束は室町期からのもので、つまりは神護寺三尊像は、全て誤りということ。研究成果とはいえ、国宝指定に引っ込みがつかないのか、教科書もそれぞれ「伝源頼朝」などと苦し紛れの注釈をつけています。お役所仕事も大変だ。同様に私たち世代におなじみの騎馬武者像「足利尊氏」も、今は仇敵にして元家臣「高師直」で確定しています。
@maekeisuke2248
@maekeisuke2248 11 күн бұрын
御神刀、御神体クラスですね。。余程大事にされたのでしょうが。。すりあげがあるのですか?中子の紋が消えるというのは?
@user-ep2dw2bn2v
@user-ep2dw2bn2v 12 күн бұрын
柄が曲がっているというと蕨手刀との関係が思い浮かびます。また、例えば越中の刀工だと、大刀より短刀に銘が多いイメージ が自分の中にありますが、関係があるのでしょうか?
@user-mv1yl5rr9f
@user-mv1yl5rr9f 12 күн бұрын
深海先生は、お心苦しいでしょうが、振袖茎が生まれた必然性を是非にもお聞かせいただきたいと、切にお願いします。 私は、居合の稽古で毎週巻き藁斬りを行っておりまして、日本刀は武器であり刃物であるということを実感しております。 使用している刀は、さる有名な刀工への注文打ちで、大小ともに平造りでして、大変良く斬れます。 日本刀は、折れず、曲がらず、良く斬れると評されますが、このことを毎週体感しております。 なおかつ、姿格好の美しさ、地金や刃の働きは本当に目を見張るものがあるからこそ、世界中の人々から高く評価されていると思います。 もし、美しさだけで、斬れ味が悪ければ、高く評価されることはないと思いますので、どうか、振袖茎の必然性について、是非ご説明をお願いします。
@dt2576
@dt2576 12 күн бұрын
短刀を使用した剣術流儀の型は、わずかな知識でもあまり聞いたり、観たりすることが今までにはないです。当時の使用者の意図を組んだ短刀製作ならどこかの流儀が武器として、短刀のなかごの曲がりを生かした使用方法が残っていてもいいものですが。。。。
@user-re7qr8vp7v
@user-re7qr8vp7v 12 күн бұрын
ド素人ですが、武器として突いた相手から押される、落馬して地面に切先が当たる、この強い衝撃がまっすぐに自分に向かないよう、力を逸らせるためかな?と想像しました。特に短刀は、そういう事故があったから曲げた。
@pop-jl6vx
@pop-jl6vx 12 күн бұрын
元々の拵えも茎に沿った形状のものであったならば組み討ちの際、戦の様子を描いた絵図に散見される背中に馬乗りになって対象の首を掻き切る際、刃を上向きの状態で使用するのに適していたからと想像してみたり。 話は逸れますが虫づくりの下りで手にされていた短刀の拵(10:07)は私好みのサイズ感なので思いがけず拝見できてよかったです。 戦国時代には盛んに作られたという寸詰短刀があったかと思いますがいつかお話を伺えればうれしいなと思います。
@kamizyou326
@kamizyou326 12 күн бұрын
茎が少し曲がっていると、スナップが効いて軽い力で切断が可能だからでしょうか?
@cal.17.95M
@cal.17.95M 12 күн бұрын
佐藤寒山先生が、 馬手差し等を右腰に差して直ぐに抜く事ができる様にし、そしてこの際に刃を上にして帯びる。 咄嗟に握る際に真っすぐな柄よりも、少し曲がっていた方が具合が良かったから。 寒山刀剣教室にも記載がありますが、振り袖茎が時代と共に無くなるのは馬手指の必要が無くなった、つまり戦場での組み討ちが無くなった事を物語っていると推察されてます。 ちょうど振袖茎について調べてましたので、実に興味深く動画拝見させていただきました。ありがとうございます。
@kotetuiai3276
@kotetuiai3276 13 күн бұрын
合戦時お互い組たちして最後の武器短刀で相手を攻撃する為や首斬りに振袖茎が実用的だったのか?甲冑組たちの流行った流派が技術開発したのかな?興味わきますね。
@osamuarima1118
@osamuarima1118 13 күн бұрын
伸ばすね。短刀は切るという動作よりも突くという動作が主になるのでそれと関係しているのかな?ついた後に捻ることでダメージを大きくするため? 蕨手刀も柄のところで曲がっているものが多いよね。
@user-re7qr8vp7v
@user-re7qr8vp7v 12 күн бұрын
捻ると傷口が大きくなりますね!捻るときパワーが出ますね!
@354e2
@354e2 13 күн бұрын
現在『振袖茎』と言われている茎も、鎌倉時代当時には振袖の様な着物や名称が存在して居たか疑問ですよね  社長様があっしゃるように短刀の武器としての要望が強く存在して居なければわざわざ製作される事は無いでしょうし、“拵え”は後からの趣味嗜好に寄るものと考えるのが自然でしょう では何故柄を曲げる必要が有ったのか?どう使われたかは、今日の鎧甲冑戦闘における古武術の“形”からも解る様に、甲冑の隙間から心臓❤️に到達し易く、また、五臓六腑に損傷を与えてたり、首を斬り落とす時に力が入り易くする為かと思います 私も幾つか小刀と柄を色々と造ってみましたが、刃寄りに傾けて柄を製作して使ってみると全く力が伝わりません、また真っ直ぐ寄りも棟側に反らせた柄の方がより小さな力が刃に伝わります  最終的には正倉院御物の刀子の形を参考に幾つか造りましたが、当時の短刀の使い方として“一伝流刀方”にも有るように、片手で持ち替えもし易くあらゆる使用に工夫を凝らした形が当時の振袖茎に成ったのではと私なりに考えています  次回の動画も楽しみにしています  今回もありがとうございました
@user-bf2fe3lc3e
@user-bf2fe3lc3e 15 күн бұрын
二次大戦中の日本軍下級将校の、軍刀は、大量生産されたもので、切れ味も悪い! 日露戦争時は、サーベルだったしね!当時の、日本刀は価値はほぼ無い!全部ではないがね?
@watashi893
@watashi893 18 күн бұрын
ご教示いただきたいのですが村正は確かに素晴らしいできですが、品格は卑しい野鍛冶であったかと存じます。如何でしょうか?
@watashi893
@watashi893 18 күн бұрын
鍛冶平は偽銘を切ったのでなく書家が著名な書を真似る心境でなかったかと。ただそれが刀剣だったために色々言われているかと。
@user-re7qr8vp7v
@user-re7qr8vp7v 19 күн бұрын
最新技術で少なくとも制作年代だけは数十年レベルで科学的に解明されると良いですね。
@user-re7qr8vp7v
@user-re7qr8vp7v 20 күн бұрын
ニセモノ作成を依頼された職人がやりたくない仕事をやらされる、やらざるを得ない、そんな気持ちが出るのかも知れません。 つまり、見る人が見れば一発でニセモノとわかるように(ニセモノ作成を依頼するような人にはわからない)作業をあえてしているかもしれないな!と思いました。
@user-rc6su5qn5b
@user-rc6su5qn5b 22 күн бұрын
目釘が固着して抜けないです(>_<)
@tukamoto3t
@tukamoto3t 22 күн бұрын
エゾとアイヌを、ごっちゃにしてほしくない。別の人々ですから。
@tukamoto3t
@tukamoto3t 23 күн бұрын
『摺鉢山』(上野公園の最高部)には、移転前の五条天神と清水観音堂があった。その『摺鉢山』は前方後円墳の後円部。
@SolidChannel-ff6eb
@SolidChannel-ff6eb 24 күн бұрын
いつも勉強になります
@watashi893
@watashi893 25 күн бұрын
鍛冶平さんは偽名者ではなく、著名書家の文字を必死になって追い求める書家に似た心境で鏨書を追及された方ではと存じます
@watashi893
@watashi893 25 күн бұрын
南北朝だと2尺4寸位の長巻もありましたね。今では刀にされて源姿を見ることは少ないですね。
@watashi893
@watashi893 25 күн бұрын
喰いこみと振動軽減、飛び出し防止でしょうね。ちなみに3mm程の柄木を更に白樫の木で挟んだ柄もありました
@user-mv1yl5rr9f
@user-mv1yl5rr9f 25 күн бұрын
今回も深海先生のご説明は、とても分かりやすく大変勉強になりました。良いものを見極めることが出来るよう精進を重ねたいと思います。
@zekedriver8153
@zekedriver8153 25 күн бұрын
江に関する見解で、これまで見聞させて戴いたなかで最も納得が行く、筋の通ったご説明でした。個人的には正宗や江は、個人刀工と言うよりも、秀吉以降の時代でいわば当代きっての(美術的)名刀を象徴する称号のようなものと思っておりました。深みのある自然な地景に、あくまで匂主調の刃にふんわりと上品に沸付くという相州上工の美点というのも分かるのですが、個の作風というよりも当時流行った作風の数多の刀剣のなかで最上作を象徴する名だと捉えざるを得ないくらい、勉強すればするほど何が何だか、分からなくなっていました。戦の時代が終わり、また研磨技術や諸工作の変遷を経て、時代によって流行り廃りもあって当然で、時の天下人の嗜好も大いに影響したものと推測されます。今村長賀の論には本阿弥家よりも合理的な見解も多々あって大変勉強になりましたが、何も正宗や江を抹殺する必要はなく(ご本人は疑義を呈しただけで、そうは言ってないようですが)、名品は名品として厳然として存在するのだから、それが真実として誰作であろうと大いに愛でましょうや・・・という落としどころできっと良いのだと思います。まぁ当麻あたりもバケてそうな気がしますが・・・ただ、社長さんの最後の御見解のごとく、やはり藤末鎌初以来の確たる在銘品が存在する名だたる刀工の価値は損なわれるべきではなく、誰が言い出したか、天下三作などと必要以上に持ち上げるのが諸悪の根源だったのかもしれません。諸悪、は言い過ぎかもしれませんが笑
@nalusei1173
@nalusei1173 25 күн бұрын
深いですねぇ🙇🏻‍♀️✨💕🩷
@nalusei1173
@nalusei1173 25 күн бұрын
素敵ですねぇ🙇🏻‍♀️✨💕🩷
@354e2
@354e2 26 күн бұрын
以前から疑問だったのですが、『郷義弘』は本当に実在した刀工だと思われまさか?  また、郷義弘が実在したとして現在“郷義弘”極めの刀全てが郷義弘製作の刀だと思われますか
@user-ef8bn3cg4i
@user-ef8bn3cg4i 26 күн бұрын
今回もありがとうございました👏👍 自分が良いと惚れ込む刀が名刀! 私はやはり実践重視の法成寺です。 社長偉そうな事云うて申し訳ないですが江の視点男性が使うモノと女性が使うモノと違うのではないのかと思っております。 男性が使う長物は松皮肌の様な荒々しいモノで短刀も実践では自刃用でもあるが相手の首を落とすモノ! 当然相手は刀身を握るからその対処がなされている。 ところが女性が使う懐刀は私が作刀したとしても美しく細身で繊細にしたいが身を守る刀であって欲しいが実際にはその女性が自刃するモノを作らねばならないそのもの悲しさが則重の短刀には表れている様に思います。 自刃する為の美しさを江としては本阿弥も認めずらかったのでは? 我が娘にコレは江だからと渡せないのは私だけでは無いと思います。 ホント偉そうな事云うてすいません。 社長のところにお伺い出来る所作と現金を現在頑張って充電中ですので寛大な心で許してやってください😂😂😂
@user-wb5zp2co6k
@user-wb5zp2co6k 26 күн бұрын
一流の刀工が、超一流の偽銘の達人になった話、どうにも悲しい話に思えて辛い
@user-wb5zp2co6k
@user-wb5zp2co6k 27 күн бұрын
いっそ偽銘なのを前提に欲しい
@naovisun
@naovisun Ай бұрын
理想論の押し付けのような内容ですね。まぁ鑑定ってそんなものか。 うちにも所謂虎徹があるけど家族の誰も刀剣に興味無いもんな~
@user-zm1vl6kx9k
@user-zm1vl6kx9k Ай бұрын
いつも楽しく拝見させて頂いております。ただ本動画は鑑定書を丸飲みしてはいけないという普段の教えに反していますね…😁💧
@user-wz7wj8vh5r
@user-wz7wj8vh5r Ай бұрын
暴れん坊将軍の村正の回は今でも私の教科書ですね「妖刀村正等存在しないそれを使う者の心こそ妖刀を生み出したのだ」(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠)じーん
@ryuryu0928
@ryuryu0928 Ай бұрын
絶対王者だから正宗、江に極まる 勉強になりました!!
@ryuryu0928
@ryuryu0928 Ай бұрын
そう考えると10代で忠吉の後次いで数十年にわたって作刀してどれもはずれが少ない 近江大掾忠広の凄さが
@user-mv1yl5rr9f
@user-mv1yl5rr9f Ай бұрын
今回も含蓄のある、深海先生のお話に鳥肌が立ちました。次回の「江」の話がとても楽しみです。
@user-qe3kr2bo6c
@user-qe3kr2bo6c Ай бұрын
昔富山の美術館で郷の折り紙付きの一振を見た事が有ります!
@user-qn2jg2fc6y
@user-qn2jg2fc6y Ай бұрын
刀が人を選ぶ 名言ですね
@dt2576
@dt2576 Ай бұрын
刀の出来がいいものが名刀だとすると、鍛冶平は偽銘きりでしたが、 義明斎三品廣房は刀で村正の写しにたけていたようですが、名工ではない?廣房が古刀を似せて作った刀がもし素晴らしいものだった場合、御社の代表取締役の方が動画でいってた名刀たりえるものなのでしょうか?幕末~明治に生まれた廣房は、刀の需要が少ない時代に生まれていますが、村正の写しは本物以上だったと刀剣関係の一部雑誌には載ってたりしますが。。。次回の動画、楽しみにしております。
@354e2
@354e2 Ай бұрын
お話しの中で『正宗』はみな“名刀”である。 との事でしたが「本阿弥行状記」には弟子筋の家族が正宗の刀を本家へ鑑定に持って来たが、正宗で間違い無いが、出来が落ちる為その旨の極めをした。  と有り、家族が困窮して居たので助けたかったが、本阿弥家の信用の為に中位の極めの折紙を渡した。  と云うような内容だったと記憶して居ますが、過渡期の正宗ですから試行錯誤して、当時でも中位から最高傑作迄色々作刀して居たのではないかと私は考えています  今日には最終的に愛玩されて名刀だけが残ったのではないでしょうか
@user-cb2ge5ug4d
@user-cb2ge5ug4d Ай бұрын
一振の刀の生まれた里は では無いかって事ですね。善き勉強に成りました。意味深し 一振の刀。
@user-wz7wj8vh5r
@user-wz7wj8vh5r Ай бұрын
どれほど名のある刀より、自らを選んでくれた名もなきボロボロの無銘の刀の方が私は信頼できます、ウチに居るこの刀を私は大切にしたいです。 (⁠๑⁠´⁠•⁠.̫⁠ ⁠•⁠ ⁠`⁠๑⁠)なんで買ったか分からないけど
@user-lq1fy1hm6k
@user-lq1fy1hm6k Ай бұрын
次回も楽しみです。それに付けても、稲葉郷のお話、凄いですね。