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西 能希(Yoshiki Nishi)
YOSHIKI NISHI/Pianist
西能希/ピアニスト
東京音楽大学ピアノ演奏家コース並びに同大学院(ピアノ)を共に首席で卒業&修了/その後🇭🇺リスト音楽院で学ぶ
🇮🇹第17回マウロ・パオロ・モノポリー国際ピアノコンクール第2位🥈(バルレッタ)/第9回東京音楽大学コンクールピアノ部門第1位🥇等
現在東京音楽大学非常勤講師(副科ピアノ)
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Пікірлер
@Zakky-e4l
Күн бұрын
チャンネル登録者数2000人おめでとうございます!!🎉🥂 これからも応援しています😊
@yoshikinishi1713
Күн бұрын
ありがとうございます😊
@Lully0815
2 күн бұрын
6つのバガテル大好きなので取り上げてくださってとても嬉しいです!生の演奏会聞きに行きたい!!
@yoshikinishi1713
2 күн бұрын
ありがとうございます! 機会がありましたら是非お越し頂けると嬉しいです☺️
@ttwiligh7
7 күн бұрын
音楽が高みを目指す精神的な儀式だった頃のトッカータの方がはるかにロマンチックで、それをある意味卑近で無粋な練習曲にしてしまったロマン派にちょっと文句を言いたくなる気持ちならわかります・笑 でも北ドイツの幻想様式を受け継いだバッハの時点ですでに精神性から物質性への移行が進んでいたようにも感じますね……。天界から地上の建造物へ「音が地に降りてきた」というのかな……そういう意味ではロマン派を準備したのはある意味バッハなんじゃないかという気もしてきます。ちなみにバッハを敬愛していた作曲家のうち、常に何かにすがりついているような、つながりを大事にする他のロマン派と違って、メンデルスゾーンだけは北ドイツ・オルガン音楽の孤高の美しさを理解していると感じるのは私だけでしょうか。(でも性質が上品すぎて全然トッカータじゃないのでそこだけは表現できていない) (個人的な印象ですみません)…… スウェーリンクのリチェルカーレ(……ペダルパートの記譜がありませんが、それでもアレンジが必要なのでしょうか?) が実質トッカータというお話がありましたが、ニコラウス・ブルーンスの変幻自在な大ホ短調プレリュードも「実質トッカータ」ですよね……。とんでもなくロマンチックな曲ですが。なんかタイトルのそういう文学的曖昧さが想像力を刺激するので好きだったりします。トッカータもそれを「言葉」にするだけで「霊感」がそこに出現するみたいな。
@yoshikinishi1713
7 күн бұрын
バッハの時代で精神性から物質性への移行が進んでいたと言うのは時代の変化と言う意味では仕方がない気もするのですが、それでもバッハの音楽の中には個人的にはまだ古い時代から受け継いだ現実を超越するような感じを覚えたりします。 メンデルスゾーンは良いですよね! 面白いのがシューマンの文章を読んでるとバッハが最近の曲を聴いたらがっかりするのではと書きながらもメンデルスゾーンの作品については少しは褒めてくれるかもと書いてました。シューマンも同じ要素を感じ取ってたのかも知れないですね。 ブルーンスのその作品は聴いてなかったのですが本当に素晴らしい作品ですね。しかしプレリュードとトッカータの違いもこのような作品を聴くと判別出来ないです…。実際私は研究者でもないので、シャコンヌとパッサカリアの違いとかも説明を求められても出来る気がしないですし形式のこともわからないことばかりです。 何でも野球で変化球は投げるピッチャーがこれは〇〇だと申告したらその球種となるって言ってたのを見たことがありますが、言霊ではないですが形式にもそのようなものがあるのかも知れませんね。 コメントありがとうございました!
@fermidirac5059
7 күн бұрын
感動しました! ありがとうございます
@yoshikinishi1713
7 күн бұрын
ありがとうございます!
@keigonitadori5882
8 күн бұрын
ファンタジアにもスウェーリンクからブゾーニまでいい曲ありますね!
@yoshikinishi1713
7 күн бұрын
ファンタジアも確かに色々な名曲ありますよね。スウェーリンクのファンタジアはフィッツ・ウィリアム・ヴァージナルブックに乗ってるのもあるのでピアノで弾いたこともあります。 そう言う形式で関連して考えるのも面白いかも知れないです。コメントありがとうごさいます!
@ジバニャンの弟子
8 күн бұрын
え、えぐ、、
@yoshikinishi1713
7 күн бұрын
えぐくて弾くの大変な曲です🥵
@loinorn
11 күн бұрын
ベートーベンは悪筆で有名なので、出版されてる楽譜が時々間違ってるなんてこともあるらしいですね。でも今は動画内でも出てきたような、色々研究してその成果を出版してる人もいるので、間違いがそのままになるなんてことはもうないのかな。 音楽の演奏は、楽譜に忠実に、作曲家の考えに忠実に、というスタイルと、それはそれとして演奏家の考えも取り入れて多少アレンジしてもいいよね、というスタイルがあると思います。 個人的には忠実にやってほしい、こうしたほうがかっこいいよねとか、劇的だよね、よりは、楽譜に書いてあるとおりに演奏してほしい派です。でも今は存在しない楽器とか、文字情報しかなくてどういう音が正しいのかわからないなんてことが音楽の世界はたくさんあります。再現なんかできない演奏もたくさんあるとは思いますが、いろいろ研究開発して、作曲家はどういう演奏を想定していたのかを知りたいです。 現代風の演奏もそれはそれでいいですし素晴らしいですが、本来どうだったのかもとても知りたいです。 長々と失礼しました。
@yoshikinishi1713
10 күн бұрын
本当におっしゃる通り演奏家によってスタンスが違いますよね。 スターピアニストが時に楽譜の情報を見過ごして自分なりに演奏することを躊躇しないのは、その個性に魅力があって聴く人も作曲家ではなく演奏家を聴きに来ているということもありますし。 一方で当時の演奏を楽器や奏法、響きを含め再現すると言う目的は古楽奏者の方に移りつつありますがそれでも情報の読み取り方は奏者によりますので完全にはならずそこに奏者の個性がでます。それもまた価値とやり甲斐があることでしょうし。 最終的には聴く人は大変ですが、それぞれのやりようやスタンスの好みにあった演奏家を選択していくしかないのでそこに楽しみを見出してくれる人が増えていけば嬉しいです。 コメントありがとうございました!
@miira1222
15 күн бұрын
興味深く、面白かったです! でも素人には集中して聴くことを要する内容で、その上お召しのシャツが気になり過ぎて話が入って来ず、リピート視聴しました😄 明日は鍵盤を前に楽譜とスマホと首っ引きの時間をつくると決めました!!
@yoshikinishi1713
14 күн бұрын
リピート視聴まで…ありがとうございます🙇 BGMの大きさや言葉使いなども含めてよりわかりやすく伝わるよう色々試行錯誤してみます!
@takuro5891
16 күн бұрын
6:40 からの実演聴くと目から鱗が落ちる思いがしました。めっちゃいい。 グールドはどう弾いてたかちょっと気になりました。
@yoshikinishi1713
16 күн бұрын
楽譜通りの方が良いと言うご意見が多くて驚いておりますが、嬉しい誤算でもあります。 コメントありがとうございました! ちなみに確かグールドは爆速でペダル踏んで演奏していたと記憶してます。
@サカワンバスピス
19 күн бұрын
根拠も何も無い感情論にはなってしまうのですが、2小節をペダル無しにしたのは、なんの気無しに見た現実の月で、ペダルが付いた部分は、脳裏に浮かべる記憶の中の幻想的な月と、どこか絵画的な意図が隠れているんじゃないかなと思いに耽ってしまいました。
@yoshikinishi1713
18 күн бұрын
このソナタの成り立ちについて、月光とタイトルをつけたのはスイスの詩人レルシュタープによるものでベートーヴェン自身に月から得たインスピレーションは影響してないのではと思っております。 しかし演奏する時に奏者が何らかのイメージを持つのは良い方法だと思いますし、そんな時にそのような美しいイメージを持って演奏出来たら確かに説得力を持てるかも知れませんね。 コメントありがとうございました!
@サカワンバスピス
18 күн бұрын
@@yoshikinishi1713 さん、丁寧な成り立ちの説明ありがとうございます。 私の発言はベートーヴェンではなく、レルシュタープの立ち位置になってしまいますね。 これからは自分なりにもう少しきちんと調べた上で発言するよう心掛けます。
@woolfy2647
22 күн бұрын
楽器はその時代に合わせて進化していきます。昔の楽器を参考に演奏するのも復元楽器で楽しむのも構わない。けれども、ピリオド楽器で演奏するのが絶対だと思うのは間違いです。グレン・グールドを参考にされたら良いのでは、、、近頃ではバイキンガーオラフソンとかいうノルウェイのピアニストが( 北欧の方なので読み方わからん)アップライトピアノを用いてゴールドベルグ変奏曲やらを演奏しています。面白いピアノの音の聞かせ方です。眠くなるのが楽しみです。睡眠薬音楽ですな。麻薬はいらないわい。近頃のLSdにドハマる若い衆には銭要らずで推奨出来ます。
@yoshikinishi1713
21 күн бұрын
ピリオド楽器で演奏するのが絶対ではないと言うのは同意見です。そもそも奏法等失われたものが多いのでどこまで当時に迫れているのかは不明ですし...ただそれでも彼らの努力があってわかることも多いのでそう言う情報をフィードバックしていけるとモダン楽器でもさらに誠実な態度で望めるのかも知れないですね。 しかしアップライトピアノでと言うのは面白いアイデアですね。しかし麻薬要らずとは経済的ですね👀 音楽の使い方として薬代わりにできるのはとても強い力を持っているのだと思います。コメントありがとうございます!
@耕新71
25 күн бұрын
カッコイイ❗素晴らしい❗最高です888888✨楽譜の書き込みがめちゃくちゃ参考になります❗ありがとうございます‼️😉👍️✨
@yoshikinishi1713
25 күн бұрын
ありがとうございます! とは言えこの書き込みも一つの、それも現代となってはかなり変わった解釈に過ぎません。特にチェルニーのもの以外は補助的な解釈に過ぎないので一つの参考程度に捉えて頂けると嬉しいです。 コメントありがとうございました!
@Velociraptor1729
25 күн бұрын
勉強になります。ありがとうございました。
@yoshikinishi1713
24 күн бұрын
こちらこそ、コメントありがとうございます!
@unonnn00
25 күн бұрын
そう言えばピアノ習ってた時、全音の青いやつは選ぶなって言われたな 他の楽譜でもそうなのかな
@yoshikinishi1713
24 күн бұрын
全音も曲によってはライセンス買ったりして安くて良いのもあるんですけどね…結構な割合でペータースを使っているので変な楽譜が多いので気をつける必要がありますね。 コメントありがとうございました!
@vaikinman
26 күн бұрын
僕も、サティのグノシエンヌ3番の、「注意深く あなた自身に助言して」という指示を守るべきかどうか悩んでしまいます。自分的には、明らかにここは、「帰り道を忘れるように、犬のあとについて行き」の方が演奏効果があると思えるんですよね。実際、「あなた自身を助言して」なんて指示を守って演奏している人は、聴いた限りではいないんじゃないでしょうか?まあ、複数の言語をまたいでいて、時代も隔たっているので、当時の「注意深く あなた自身を、、、」は、隠語や反語で、現代の感覚で言えば、「山に登るときも、月を二人で見て」くらいの意味なのかも知れませんね。
@yoshikinishi1713
26 күн бұрын
おっしゃる通りで、皆楽譜に忠実にと指導をするのですが、名のある演奏家でも楽譜にある指示をあえて無視して演奏をすることがよくあります。 またそう言う演奏家に特別な力がありとても感動的な演奏になると、例えばリヒテルの演奏するラフマニノフの2番のコンチェルトのようにそれがまた新たな演奏習慣になり作曲家の想定を離れた演奏が一般的な伝統へとなることもあります。 無闇にこのような習慣にのるのも良いこととは言いませんが、楽譜を見た上で結局自分なりに納得出来て演奏出来るのではそれで良いのではとも思います。 コメントありがとうございました。
@手ごねハンバーグ-z3p
27 күн бұрын
音楽は演奏家の物で、聞く人の物ではありますが、初っ端から作曲家の演奏はつまらないと切って捨てる演奏家もどうなんだろうと思わざるを得ません。
@yoshikinishi1713
27 күн бұрын
つまらないとは言っていませんが...ただ楽器や価値観や奏法が違う時代の演奏法は中々現代人からは理解が難しいし、まあ実際今は誰もその通りやっていないと言う話なのですが。 それでもこの曲で作曲家本人の演奏を想像して再現すると言う動画も作りましたので、大長編ですがよろしかったそちらもご覧ください。
@手ごねハンバーグ-z3p
27 күн бұрын
@@yoshikinishi1713 あ、ごめんなさい。非難するつもりはなくて。トスカニーニとラヴェルの話を思い出したもので。両人は友人であってもぶつかるものなんだなぁと。
@yoshikinishi1713
27 күн бұрын
@@手ごねハンバーグ-z3p トスカニーニとラヴェルの話は私も思い出しました。ラヴェルこそ楽譜の扱いについては最も頑なな作曲家ですよね。 ただペルルミュテールのような人には直接指導をしたと言わているので良い演奏家に自分の意志に沿った演奏をしてもらいたいという意識は強かったのでしょうが。 コメントありがとうございました!
@einsfia
28 күн бұрын
自分はピアノは全く弾いたことが無いし、ピアノの音にもピアノそのものにもまったく思い入れが無い人間なのですが ペダル無しのパートがあった方が面白い表現になっていると、普通に思いました。 エフェクト無しの乾いた素の音が入ることで、そこだけ音の世界への没頭から覚めて、あたかも現実に一瞬引き戻されたモノローグが入り、その後のドラマ性がより引き立つ、そんな効果があると言いますか。 ピアノの世界で生きてきた人からすると論外な意見なのかも知れませんが・・・。
@yoshikinishi1713
28 күн бұрын
ここの部分についてそのようにおっしゃってくださる方が多くて、この曲を演奏したことがあったり良く聴いている人とそう言う先入観のすくない人で全く感覚が違うと言うのは本当に面白い発見でした。 どちらが上とかはないのですが、これだけ違う意見があると言うことはベートーヴェンの書いたことにはそれだけの効果があって我々演奏家が思い込みに囚われているのもあるかも知れないと思いました。 ご意見ありがとうございました!
@ベルカモット
Ай бұрын
私は音楽に精通してるわけではないけど、100%完全に原典と同じものを何度も聞くことはそれはそれで苦痛なのでは? 差分こそが味、粋、深みだったりするわけで。 そのような人間味をねじ伏せる完璧な音楽があるとすれば聴き飽きない音楽なのだろうなと思います。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
楽譜と言うのは非常に不完全な情報伝達方法なので、楽譜通りに弾いたところで出力される音楽は結果としてそれぞれ千差万別になります。 まああとおっしゃる通り今現代度々演奏される名曲として残っているクラシック音楽はそう言うものをねじ伏せる力を持った作品が多いのかも知れませんね。 コメントありがとうございました!
@とっかり
Ай бұрын
バッハ、管弦楽組曲が好きなんですが一部しか演奏されないんですよね…… ピアノ修理のKZbinrさんが修理工場に見学行く動画で弾いてました。全然違いました。 復刻はできないんでしょうねえ。まあ木も無いですし
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
楽器がないから別の楽器でとか、例えばシューベルトのアルペジョーネソナタのように現代では別の楽器が割り当てられてと言う例は多いですよね...。 コメントありがとうございます。
@とっかり
Ай бұрын
踏まないほうが月光感あるなってなったのは私だけではないと思う…… 踏むと劇中伴奏っぽいけど踏まないと柔らかな月明かりが自分を照らして居る(偏見ですがベートーヴェンは「自分視点から見た〇〇」的な曲が多いので、ペダルがない方がしっくりくるなぁ、と子ども時代にピアノを7年やっても弾けるようにならんかった素人ながら思いました…… 月の表情変化を表しているような……
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
この作品に月光とタイトルをつけたのはレルシュタープと言う詩人によるもので実はベートーヴェンは月光のイメージなんかは全く持っていなかったと思われております。 ただ踏むと劇中伴奏っぽさがあると言うご意見は興味深いですね…。 また意外ととっかりさんのように踏まない方がいいと思うと言うご意見が多くてとても考えさられました。コメントありがとうございます!
@dm_99
Ай бұрын
ショパンの楽譜。 どうしてペダルを外す✼マークが沢山出てくるのか不思議で、楽譜通りペダルを外すとなんだか物足りなくて。でも楽譜の指示を無視はしたくない。 って疑問に思って調べたら、当時のプレイエルは音がよく響くからペダルを外す必要がある。という結論に辿り着いて じゃあ現代のピアノでひくならペダルを少々無視して多めに踏んでも当時のプレイエルの響きに近付くならいいか。と自分を納得させました。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
楽器が違う以上正解を見出すのは困難ですよね。 大事なのは確信を持って演奏出来るかと言うことなので、自分なりに納得して確信を持って弾ける方法が見つかったのなら何よりだと思います。 コメントありがとうございました!
@tetsurotogawa1936
Ай бұрын
素晴らしい解説と動画をありがとうございました。どちらの演奏も感動して、心がキュッとなりました。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
とても良い曲ですよね。 そのように思って貰えるととても嬉しいです。コメントありがとうございます!
@Lully0815
Ай бұрын
初版はショパンがね…笑笑
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
😆
@takana620527
Ай бұрын
ペダル無しの小節が有った方がサウンドの立体感や遠近感等、演奏効果が高い気がするのだが……
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ほとんどの演奏家はおそらくそう感じていないためこの指示を無視すると思うのですが。 しかし今回そのようなコメントを多く頂けたのは想定外のことでしたが、新たな発見に繋がる嬉しい誤算でもありました。コメントありがとうございました!
@とっかり
Ай бұрын
私もそう思いました。 人間は平均的なもの美しいと感じる脳なので、大学で教えてるまで行ってしまうと多くの曲と演奏を聴き慣れてしまっていてこの演奏は良くない演奏、と聞こえるのかもしれないですね……(馬鹿にして居るわけではありません)
@takeboo888
Ай бұрын
使わないほうがいい楽譜、手元にありますよ〜😂 セカンドハンドショップで見つけたので買ってしまいました。日本円にすると約300円ほどですが、それでも無駄遣いをしてしまったなあと感じます。何も知らないで「ショパンの楽譜だー❤」と飛びついたのが間違えでした。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
300円は安いですね😲 とは言えショパンの楽譜には違いないですし譜読みは出来るので楽しんで使う分には問題ないとも思います。コメントありがとうございました!
@カリオストロー-r8q
Ай бұрын
当時、ベートーヴェンは何を思いながら作曲したのでしょうね...わざわざ指示をしたということは何か理由があったはずですのに、意図が汲み取れませんでした。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
書き間違いと言う可能性もまあ否定は出来ませんが...とは言え中々意図を汲み取るのが難しいですよね。 我々演奏家には先入観もりあり中々難しいのかも知れませんが、ただベートーヴェンの意図の通りの演奏の方が良いと言うコメントも多く頂いているのでやりようによっては効果があるのかも知れないです。 コメントありがとうございました。
@shachimaruyo
Ай бұрын
こんないい曲があることを知りませんでした。シンプルですが、なかなか美しく弾くのは難しそうです。いつかチャレンジしてみたいと思います。ありがとうございました。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
そうなんです。本当にシンプルで短いですが左手などもかなり複雑で美しく弾くには難しいんです。 でも本当にいい曲だと思うのです是非チャレンジしてみてください。コメントありがとうございました!
@面白くない人
Ай бұрын
自分はそのレベルまで達して無いから関係ないなw
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
まあ有名曲とは言えわずか2小節のペダリングについての話ですからね。 普通に弾く分には大きく影響しない音楽オタクの戯言です。コメントありがとうございました。
@mismaltoy
Ай бұрын
「演奏効果が高い」「劇的」 極めて素人臭い発言だと思う。演奏家が人前で使うべき言葉ではないような。 何十年か経った後で果たして本人は同じことを言うだろうか そういう安直な捉え方を嫌ってベートーベンはペダル指示を書き込んだのではないの?
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
それは演奏家と言うものを買い被りすぎではないでしょうか? そもそもこの2小節間については何十年どころか電気録音が一般的になってからの100年間ほどの間ほぼ全ての演奏家がその素人臭い説明すらすることなく当たり前のようにベートーヴェンの指示を無視してきた訳です。 まあ独立した演奏家は正しさのみでなくその人の思う美しさを探求するものなので個人的にはそれで良いのではと思うのですが。 とは言え数多くのコメントから我々演奏家が子どもの頃から刷り込まれてきた先入観と一般の方との乖離があるのではと知れたのもまた今回の動画の嬉しい誤算でした。 コメントありがとうございます。
@はかっ-t6j
Ай бұрын
ペダル無しバージョン、動画の音で聴くとなんかありな気がしてくる笑
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
そのようなコメントを多く頂けたことは今回の動画の嬉しい誤算でした。その方向性を探求してみたくなります。ありがとうございます! ただこのペダルなしバージョン。めちゃくちゃ高級ピアノであるスタインウェイのD-274を高級マイクで録ったものなので。条件が対等じゃないんですよね。反省点ではあります。
@wolfie.constanze
Ай бұрын
とてもレベルの高い内容をご教授いただきありがとうございます。確かに、間違った指示の楽譜で練習していたら、この指示は見逃してしまいますね。163〜164小節のペダルをなしにした方が明確に変化がつけられていて、本来はこっちなんだろうと直感で感じました。ベートーヴェン先生、やはり秀才ですね。幼少期から大人まで、一生をかけての血の滲むような努力を感じます。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ベートーヴェンは父親からのかなりの厳しい指導を受けたと言われていますよね。 私たち演奏家にとってはこのベートーヴェンの指示を守って演奏するのは先入観に邪魔されていて中々難しいのですが、多くの方が本来の方が良いとおっしゃってくださるので何とか説得力のあるやり方で指示を守る方法も探ってみたいと思います。 コメントありがとうございました。
@仁木順平-r5i
Ай бұрын
ベートーヴェンを弾く時はペダル無しでまずは全て弾きます。 その後でペダル解釈や他人を説得できる演奏をしています。 ペダル無しの演奏はショパンやリストの楽曲を弾く時同様に、自分の弱点がよくわかります。 「ペダルは女性の化粧と似ている」とは、昔の師匠の言葉。今じゃコンプライアンスの観点からこんなこと言えませんね。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
とてもユーモアのある先生ですね。 とは言え確かに今では私もレッスンでそうとは言えませんが…。 ベートーヴェンはそれまでの作曲家よりも特にペダルを効果的に使ったと言われますが、それでもどれだけ速い曲でも全ての音が重要なのでペダルなしの練習は特に重要でしょうね。コメントありがとうございます!
@ventvert55
Ай бұрын
大変素晴らしい考察だと感じます。有難うございました。 大好きなラヴェル本人の演奏音源を聴いた時、楽譜をどんなに研究しても、やはり最後は音に命が宿るような感覚が大切なのだと感じました。 私の場合、思考し過ぎると演奏がつまらなくなり、この事で長年悩みましたので。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ラヴェルはまた自分の楽譜に対するこだわりが特に強いですが、それでも直接指導を受けたペルルミュテールの演奏が特に素晴らしいことを考えるとそれだけでは不充分なのかもと思いますよね。 考えれば必ず良い演奏になると言う訳でもないので本当に難しい問題です。コメントありがとうございました。
@SuperOoyama
Ай бұрын
音楽を能弁に語ったつもりでも、単なる物知り自慢、雑音にしか聞こえない。言葉ではないはずだ。聞いてそれが人に感動を与えるかだ。うっぷん晴らしに雑音を発して迷惑をかける馬鹿者、若者には何時も腹立たしい思いでいる。駅や繁華街の広場のピアノも初めは新鮮でよかったが、今は不快な連中の遊び場、たまり場になってるのは残念だ。素直に音楽を聴ける環境になってほしいものだ。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
若者だなんて...芸術の道はそれは長く険しい物なので私なんて音楽的には若輩者ではありますがそれでも世間的にはもう全然若くないのでそのように言って頂けたら嬉しいです☺️ ストリートピアノについては私は弾いていないので、@SuperOoyamaさんのように思う方がいらっしゃるのも理解できます。 音楽が人に感動を与えるかどうかだと言うのも本当におっしゃる通りなのですが、何に感動をするのかと言うのは人や状況によって、また文化的感情的背景によると思うので私は自分の行動がそう言ったことの一助になればと思って活動しております。 今回はこんな「若者☺️」の動画にお付き合い頂きコメントまで残して頂き本当にありがとうございました!
@yamato1059
Ай бұрын
先生がステップに挫折したBGM悲しみの別れの曲😅の指定テンポ♪=100ですらほとんど誰も守ってないことを考えるとTempo Giustoは演奏者が思う適切なテンポでと解釈していいでしょうか?😅
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ラフマニノフの2番のコンチェルトにせよ演奏効果や人は人気のあるの演奏に引きづられて習慣が出来上がっていくものですよね。 おっしゃる通り奏者の思う適切なテンポで良いのだと思います!
@立浪吹風
Ай бұрын
すごいなあ、この人❕
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
コメントありがとうございます!
@立浪吹風
Ай бұрын
弾きやすそう。楽譜買わなければ❕
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
意外と難しいところもありますがこの5番以外の曲も良い曲なので是非弾いてみてください☺️
@立浪吹風
Ай бұрын
すばらしい解説です。音大で、こんなことを研究し、教えているのか。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
音大では副科のレッスンなのでここまで細かいことは言えないのですが、それでも学んできたことを発表出来ればと思って活動しています。コメントありがとうございます!
@Kashmirer
Ай бұрын
ハンマークラヴィーアでは弟子が「これは演奏不可能です」と言ったところ、ベートーヴェンが「50年後には普通に演奏されるようになる」と言ったとされるエピソードがありますね。 バッハの大家ニコラーエワは、解釈とは楽譜を読み込み当時の様式を研究しつくした上で作曲家が今の楽器であればどう表現しただろう?というところまで考えて作り上げるものだ、と言っていました。 作曲家、楽器、演奏家の三要素が複雑に絡み合うからこそ、ピアノ芸術は200年以上進歩し続けてきたと思うと面白く、また楽しいものですね。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ハンマークラヴィーアのその逸話は有名ですが、実際はリストやクララシューマンによってもっと早く弾かれたらしいですね。 とは言えメトロノームで自身のエチュードでアホのような速さを指示しているチェルニーでさえ猛烈な早さと言ってるあのメトロノーム指示の速さでの演奏が本当にベートーヴェンの意志ならばそれが実現したかは微妙ですが。 ニコラーエワのバッハは確かに現代のピアノを充分に鳴らすものでそのように感じますね。しかしおっしゃる通りその絡み合いから出る答えは本当に幾通りもあるのでその変化こそが音楽の歴史かも知れないですね。 とても素敵コメントありがとうございました!
@yamato1059
Ай бұрын
単純な誤植でしょうがIMSLPにあるパデレフスキ版の英雄ポロネーズの132小節目は♮をつけ忘れててDesを鳴らしてギョッとします。 これくらいド派手だと逆に許せますが一応パデレフスキの演奏を聴いて安心するまでがセットでした。😅
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
本人がちゃんと弾いてるなら誤植確定ですね...。 意外とちゃんとした楽譜でもびっくりするような誤植ありますよね。伴奏パートですがベーレンライターのモーツァルトのコンチェルトで沢山みたことあります。 コメントありがとうございました!
@j-f474
Ай бұрын
一瞬だけ正気に戻った感じですかね
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
やっぱりもしペダルなしでやるならそう言う方向性で持っていくのが順当でしょうかね!
@take-p1o
Ай бұрын
ショパンの作品は原則ピアノ曲で、楽器は1種類、譜表は2段ですが、オーストリアの某ブルックナーさんのように大規模なオーケストラ曲で巨大な譜表で違いが、というと大変なことになるんですね。アマチュアで楽しみで音楽に触れるだけで、版問題なんて聞いても面白半分で済んでいてよかったです。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ブルックナーは大変なことになってますね。専門でないので詳しくはないですがどの版を使うかでもはや意見表明になってそうで、この分野では関わらなくて良かったと思う部分もあります。 でも面白半分で触れるのも中々良いものだと思います。コメントありがとうございました!
@take-p1o
Ай бұрын
@@yoshikinishi1713 マーラーだと楽章の順番が入れ替わってるなんてのまであるので、もはや作曲家本人がいい加減にしろという感を免れません。
@CrystalJumbo2
Ай бұрын
wwwww
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
渾身のユーモアのつもりだったのに誰も触れてくれなかったのでめちゃ嬉しいです。ありがとうございました!
@chopiabin9944
Ай бұрын
この曲に限らずあらゆる曲において、世界の名だたるピアニストが楽譜の指示を守っていない事は結構ありますよね。 え!ここ指じゃなくてペダルで音保持してる!こんな世界的ピアニストでも結構いい加減なとこあるんだなあ!とか。 でも更に調べると楽譜の版によって微妙にスラーなども違ったり。 最終的にはショパンが言った様に、「感じるままに弾け」こそが演奏家にとって最も重要なのかなと思います。 ただ厳密にアナリーゼしたり研究する事が音楽的な考察を深め、それが演奏に反映されていく事も事実だと思います。 でも自分がなんとか指で保持する特殊な指遣いを練習して習得したと思ってたら、尊敬するピアニストが全然ペダル保持でその場所いい加減だったりするとヘナヘナ〜って力抜ける事はありますw 結局は自己満の世界という部分もあるのかな。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
本当にそう言うことは多いですよね。 ただ世界的なスターピアニストの多忙さは想像を絶するものでしょうし、私なんかはそれに比べれば全然マシな方ですがそれでも今は学生の頃よりは一曲にかけれる時間は圧倒的に短いものです。 勿論限られたプログラムを非常に練り込まれた解釈で繰り返し演奏する人もいるので人によるでしょうが、いかに技量が上がっても時間を取れない以上は守っても大変になる割には演奏効果が上がらない指示などさきっとスルーしていくのかも知れませんね。 コメントありがとうございます!
@hakuteum-daydream
Ай бұрын
過去の楽譜や作曲家について「もしこうだったら」と、虚しいながらもどうしても考えてしまうのですが、現在のピアノだったら、ベートーヴェンはどういう表現をしたんだろうなぁと考えてしまいます。 限られた資料や楽譜から、作曲家の意図を読み取ることも音楽の重要な要素だと思いますが、本当に奥深いですね。管楽器の世界でもこういった魔の2小節問題のような事がたくさんあります(笑)
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
ピアノソナタでも初期のものには多いですが、交響曲でも管楽器パートでベートーヴェンが当時の楽器の音域から諦めたかのような不自然な音型があったりしますもんね。 ベートーヴェンの頭の中にほ当時の楽器の性能を明らかに超えた音楽は多いですし本当に「もしこうだったら」の想像は止まらないですよね。 コメントありがとうございます!
@Miii0221
Ай бұрын
私は小学生の時からピアノを弾いていて、今も続けています。(高校2年生)ショパンの曲が好きで(今は英雄ポロネーズを弾いているのですが)もっとエチュードの曲を弾きたいと思っています。今はピアノの先生と一緒に弾いているのですが、自分で譜読みをして弾こうと思っています。そこでエキエル版とパデレフスキ版どっちを買おうか迷っていて、どっちがいいのか色々調べたのですが「結局どの楽譜がいいのかはショパンにしか分からない」という結論に至りました。どっちも買おうかと思ったのですが、プロになるわけではなくただの趣味なので、楽譜が2つあっても無駄だなと思い、聴き馴染みのあるパデレフスキ版を買うことにしました。いつかエキエル版も買うかもしれないけれど、今はパデレフスキ版で頑張ろう思ってます。誰かに聞かせるわけではなく、全て自己満足なので何でもいいと言われればそうなのですが、やっぱりちゃんとした楽譜で弾きたいので、悩みましたがそうすることにしました。長々と長文失礼しました。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
動画でお話した通り本当にショパン自身も次々と曲に対する意志が変化するので時期によっては意見が変わるでしょうし、最終的な意志は先生がおっしゃっている通りショパンにしかわからないと思います。 近年では原典版ではないとパデレフスキ版を悪く言う意見もありますが、それでもやはりとても参考になる素晴らしい楽譜だとは思いますので今それで頑張って練習しているお時間はきっととても素晴らしい経験になっていると思います。 エチュードへの挑戦もうまくいくことを祈っております。コメントありがとうございました!
@聖なる-g3z
Ай бұрын
ペダルを踏まないのは分かりやすくドラマティックではないにせよ、低音が濁らない為色彩の切り替わりが分かりやすく、効果的なのではないかと感じます。 少なくとも、慣習では守られていないにせよ、原点に立ち返った演奏を行うのは有意義な話かと思います。 (個人的に作曲家としては曲ごとのビジョンがあるので、指示は守ってくださると助かるなぁといつも思っております)
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
今回最も嬉しい誤算は意外にもベートーヴェンの指示通りの演奏の方が良いのではと言う意見が多かったことです。 これは私たち演奏家仲間で話した時にはあまり出てこない意見で、つまり色々と聴き込んで昔からの演奏習慣に慣れきった演奏家は真の意味でフラットに聴けていないのでは?と言う気づきでした。 色々なものを聴き特別な聴き分ける耳を持っているつもりでしたが、そうやって学ぶ中で価値観もまた蓄積されていくのかも知れませんね。 そんな時にこう言った意見を頂けることはとても気づきのある素晴らしい経験でしす。コメントありがとうございました!
@hinemojira
Ай бұрын
クラシック音楽を聞き始めた頃に、ショパンやベートーヴェンのピアノ曲は、この楽器の表現力を見事に引き出しているように感じました。一方、バッハの鍵盤楽器用楽曲は、楽器の生理を踏まえられておらず、楽器の能力を引き出せていないと感じました。簡単に言うと、ショパンやベートーヴェンのピアノ曲の方が、遥かにカッコよく、香ばしく聞こえました。 それで、バッハの鍵盤楽器用楽曲を、ショパンやベートーヴェンのピアノ曲より格下と見なしていました。 その認識が誤りだとわかったのは、チェンバロによるバッハ演奏を聞くようになってからです。バッハが、この楽器の限界を超えるべく、超絶技巧を駆使していたのだと感じられてから、見方が180度変わりました。 そういう体験をしたので、バッハをチェンバロで聞くかピアノで聞くかは、当方にとっては、耳で感じる心地の良し悪しとは別のことです。なぜ、バッハは楽譜のここにこの音符を置いたのか、みたいな視点で聞くなら、ピアノ演奏を選ぶことは出来ません。 ただし現在の私は、ピアノによるバッハ演奏もわりと聞いています。たぶん、頭の中にチェンバロによる演奏イメージが出来上がって、脳内で適当に変換して楽しんでいるのだと思われます。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
実は私は違った感覚で、ベートーヴェンが現代のピアノで素晴らしく響くというのは同意ですが、ベートーヴェンの時代やショパンの人生前半の時代のフォルテピアノは現代のものと全く別物ですし、またピアノでのバッハもやりようによってはチェンバロのものと同じく素晴らしいと感じるタイプでもあります。 個人的な体験なのですが、人生で最も感動したコンサートはブダペストで聴いたソコロフによるバッハのパルティータ第1番なのですが、本当に人生で最高の聴体験でした。勿論現代のピアノでの演奏でしたがあのバッハはどのリストやショパンより私にとっては特別の記憶です。 ただこれは私が昔からオルガンを弾いたりチェンバロを聴いたりしてて@hinemojiraさんのようにバッハのイメージが蓄積されたからかも知れないです。 そう思うと気づきも多いですね。 コメントありがとうございます!
@くまくん-e3d
Ай бұрын
6:51 もし現代音楽を数百年後の未知なる楽器で演奏し、 それを21世紀の古楽器(未来からしたら現代は古楽器扱い)で演奏するべきか?との議論が出た時に、 いま生きている我々はどう思うかと少し考えれられたら答えはおのずと出るはずですが。 「昔の曲は昔の楽器」がイイかと思いますけどね…。時代の違う楽器で演奏し、それで再現できていると考えることこそエゴかなと。
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
なるほど、気づきのある意見ですね...。 でも一つの妄想してみるとして、例えば数百年後にさらに環境が悪化して新たにギターを木材で作ることが禁止されて全く違う素材で作るようになったとして、裕福な一部の人のみが古い木のギターを使いそれ以外の人は合成素材で出来た似た構造の楽器を使っていたとします。 その時にその特別な人が20世紀のフォークソングとかは木のギターでやらないと精神が宿らない。みんながやってるのは紛い物だよと他の人に言っていたら私は過去の人間として同意出来ないのではと思います。 今一般的にフォルテピアノやチェンバロがピアノほど楽に手に入る状況でない中で、現代のピアノでそれを楽しむ行為を紛い物と言うのも似た状況ではないでしょうか? 勿論フォルテピアノやチェンバロを進化前のピアノより劣っている楽器と言ってしまうのもまた間違っているとも思いますが。 少し妄想を垂れ流してしまい申し訳ありません。とても刺激を受けるコメントを書いて頂きありがとうございます!
@Thisis22
Ай бұрын
いわれてみれば、たしかに昔から月光三楽章のその部分、 みなさんがまったりと響かせていることに、個人的にはずっと違和感を持っていました。 なんかちがう。 本当はもっと素早く、ペダルなど踏まずに駆けぬけるところ というのが作曲者本人のイメージだったのではないでしょうか。 つまり一楽章が本心として、三楽章はシニカルなヤケクソ喜劇。 ここでたっぷりひびかせて真面目になるのはちがうだろ、って。 ここで駆けぬけて、振りきるからこそ、豊穣な交響曲三番にむかっていけた・・・
@yoshikinishi1713
Ай бұрын
なるほど。色々な考え方がありますね。 シニカルなヤケクソ喜劇と言うのはどうだろうと思わなくもないのですが、とは言えベートーヴェンは冗談好きだったことで有名ですし個人的にとても好きな作品30代にはそんなユーモアたっぷりの作品が沢山あります。 その時期にも近いですしそう言う解釈で弾いてみるのも面白いかも知れないですね。 コメントありがとうございました!
@Thisis22
Ай бұрын
@@yoshikinishi1713 自分の書き方があやふやですみません。 言いたかったのは、ユーモアとはちがう感じです。 もう耳が聞こえず、かわいい女子に対してレッスンもできず←ここ最重要 社交もできず、合奏できず、ピアノも売って、 自殺するんだからもういい、どうにでもなれー、という。 三楽章のその部分も、悲壮感を表現するのではなく、怒りをたたきつけて。 怒りの感情表現で、テンポ速めことすれ、遅くしたりはしませんよね、 「音楽家なのに耳が聞こえないって何よ、ダメってやつだろこれ、オレは死ぬ、世の中全部ぶっこわれちまえ」 と、個人的にはそんな感じでなんとなく昔から思っていました、失礼しました。