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Пікірлер
@schnellbart
Сағат бұрын
今回も面白かったです。本能寺の変で毛利は九死に一生で領国崩壊を免れ銀山も温存できましたね。 秀吉が天下人のなった時、徳川と毛利はその後の豊臣政権にとってパワーバランス的に大きすぎ秀吉には悩みになったともいます。 家康にたいしては直接対決のち臣従させ、小田原征伐の褒賞の名の下に東海道を取り上げ江戸へ転封しマウントを固めるのに一応成功しました。 これに対して毛利は秀吉関白就任の後、形は臣従しているものの、秀吉は毛利に対して完全なマウントをとることが出来ないないまま。そこで秀吉はどうにかして毛利を国替えしてマウントを固め銀山も手に入れたいと思うようになり、この後の解説で語られるであろう難題を輝元・隆景に投げかけることになったのではと想像します。
@user-mq5gx3rh6y
3 сағат бұрын
実は元就の代から恩賞不足で噴出した不満をなんとか宥めようとしたり、借金の返済を引き延ばしてもらうのを頼み込むような文書がチラホラと。それでも勝ち続けて拡大している間は従っていても、大敗したり拡大が止まってしまうと・・。戦国時代でもトップクラスに拡大した元就以降の毛利家でこれなんですから、他の大名の内情も推して知るべしですね。 言い方は悪いですが戦国大名というのは言ってしまえば「大名の能力とカリスマ性を担保にした自転車操業」みたいなものですからね。順調に勢力を拡大しているように見えても、当主が代替わりしたり何らかの理由で能力に疑問を持たれてしまうと一気に崩れてしまいかねないぐらい脆いものです。
@zuyafour
3 сағат бұрын
秀吉が本能寺の黒幕なら備中高松城を水攻めで決着は保留中みたいな事はしないと思います。 少なくとも畿内に引き返しやすくするために備中高松城の決着は着けておくでしょうし。
@toshis3972
4 сағат бұрын
尼子・大内・毛利・浦上・宇喜多が短期間で伸長・縮小しているのを見ると中国の国人衆がドライに推戴する人を替えていた様が良く分かる 信長が濃尾勢を制圧する迄に相当時間が掛かったが国人衆の掌握の差に現れているとも言えるかな。なんのかんのでこの3か国から目立った離反者が出ていないし、本能寺を経ても一向一揆以外国が荒れていないのも凄い。信長の治世が余程良かったのかな
@hayakawamikan
5 сағат бұрын
また秀吉が無双してる。本能寺の変がなければ武田勝頼と同じ末路だったよなこれ。一度も決戦すらせずじわじわ削られ続けた毛利と長篠で決戦した武田、どちらがマシだったのか。
@user-lv8zs3ol6s
5 сағат бұрын
黒人衆
@TheHaimani
7 сағат бұрын
当時の情報の錯綜と混乱ぶりは想像に難く無いけど、そんな中秀吉が変の翌日には正確な情報を把握して一晩のうちに和平交渉を妥結させた情報と外交の手腕は尋常ならざる物があるよね。
@MR-ek7km
7 сағат бұрын
本能寺の変無かったら毛利も上杉も滅亡してたやろな。
@user-gk7jx5lq7b
18 минут бұрын
間違いないね 勝頼同様無能扱いになってた
@user-zp2hk8xf5g
8 сағат бұрын
0:55 播磨の水軍は三木合戦開戦当初は反織田だったはずだが・・・やはり本願寺と和睦できて、本願寺門徒も織田についてもノープロブレムになったのは大きい。 この状況でも、瀬戸内海の海上貿易に支障が無く上方への物資が普通に流通しているのを見ると、水軍衆がどこまで反織田を貫く覚悟だったのか疑問。
@sotan-qz9yg
9 сағат бұрын
投稿お疲れさまです。 ついに本能寺の変まで進みました。 八浜合戦の際に出てきた宇喜多与太郎なんですが、私の曾祖母は毎日、与太郎が討死した地に建立された宇喜多與太郎神社の方へ手を合わせて、祈っていました。 さて、今回は備中高松城の戦いで、信長の訃報が伝わって、秀吉撤退まで進みました。このとき、信憑性が低いと思いますが、石見国吉見正頼はこの戦いで第一線を退いたとされており、毛利方の国衆にしても、ひと段落つく戦いになったのかもしれません。それほど、重要な戦いだったと思います。 政権が秀吉へと移る段階で、ようやく毛利秀包までの毛利兄弟が活躍するようになってきます。元清以下の兄弟たちの活躍も楽しみです! 次回、輝元と秀吉〜毛利家領域確定編〜みたいになるのかなと思います。
@Legendary_mapo_tofu
9 сағат бұрын
-現代の水攻め風景は壮観だった- 織田も毛利も調略合戦が凄い
@user-zz9dr2ib5p
9 сағат бұрын
水攻めは意図したものではなく大雨と地形的な要因だって考えは面白いな。治水技術の進んだ現在でも堤防決壊があるわけだから失敗した場合の被害を考えるとやらないだろうな。
@user-ln2jn6vk6f
9 сағат бұрын
高松城水攻めの頃には、毛利も内部ボロボロになってて、何とか講和にもちこもうと必死だったんでしょうね。国衆云々の件はおそらく、他の大名も大差はなかった気がします。織田家も国衆じゃないにしても、これ以降は部下が独立勢力化して、同じように振舞ってるだけな感ありますよね。
@user-qz3go1ft3p
9 сағат бұрын
追撃は全く選択肢に入らない 追わなければならない深さを考えたら自殺行為ですよ。数万人が逃げた後の場所で何を食べるの?
@user-qz3go1ft3p
9 сағат бұрын
戦国厨も現代の防衛厨も 戦時の無秩序 つまりヒャッハーについて故意に無視しがち。自分が社会発展を抑圧しても平和を優先した徳川家康と幕府を評価するのはそこ。グンマー軍が 宇都宮で何をしたかを考えたら 市民は戦争を避けるのが正しい選択
@user-qz3go1ft3p
10 сағат бұрын
普通は武力を見せ合った上での ネゴシエーションが戦国時代のルール。信長が無双したのは本当に頃がし合いをする判断が他の勢力より 早く閾値が低かったから。で信長がそう出来たのは織田の足軽は傭兵として雇用された無産階級だったから。 で秀吉がよくやる水攻めだの飢餓攻めだのは主君である信長の好みと 実際の戦闘を避けるのが常識な当時の人達を同時に満足させる策謀でありだからこそ開城後は根切りにせざるを得ない。暴力を避けるのではなく自分の側にリスクがある暴力を避ける方法。
@user-sy1ow2bl4p
10 сағат бұрын
鉄鋼船の活躍により、織田方の圧勝と言われていた第2次木津川合戦が実は両者痛み分けではなかったか、との考察は斬新でした。 確かに、信長の勝ち戦は大々的に語られるのに対し、そうでない時は詳しいことはわからない、というのはよくあることです。 本編とは直接関係ない紀州征伐など、織田家最大規模の動員だったのに、あまり語られないのは個人的には腑に落ちないところです。 しかし、ドラマではあまり描かれない荒木村重の謀反は織田 対 毛利の争いでは大きな出来事だったんですね。
@user-qz3go1ft3p
10 сағат бұрын
宇喜多、上杉、毛利、結構やばかったにも関わらず秀吉政権ではある意味優遇された各家。で三家全てが 関ヶ原では東軍側か。解せぬ ここから30分ぐらいで本能寺の変 真相をハケン‼️みたいなトンデモ説が雨後筍で生えてくるんだよな。
@user-sy9hu3um7t
10 сағат бұрын
現代でも英雄崇拝というか個人の資質ばかり見て「信長有能」「秀吉有能」みたいな歴史談義ばかりする人が多いけど、こういう動画を見ていると兵站や中央集権化みたいな組織のシステム的問題が大きい気がする。もちろん、組織構造やルールを決めるのは組織の長や経営者かもしれんけど、数十万の人間が動員された全局面を一個人が差配できないことを考えると地理的要因、時代性や偶然の要素もある。
@user-th8rx3uq3z
11 сағат бұрын
5:40 この秀吉の諜報力の高さと根回しの良さを見るに、下から上まで秀吉は地道に根を張り巡らしていたと考えられ 良く言われる「中国大返し」は光秀の裏切りを知ってなければ出来なかったという意見も 秀吉なら光秀の裏切りを知らなくても、土壇場で計画してそれをルートにいる人々事前に伝え出来てしまう、人脈と技量があった証拠になりますね
@DomDom-ke8xs
11 сағат бұрын
毛利軍はそこにいるだけでギリギリ状態だったんだろうな 勝頼の最後のように一突きで領国大崩壊寸前
@user-uc1fd5ws6c
11 сағат бұрын
安芸武田家重臣伴氏の嫡男である安国寺恵瓊の毛利家に対する復讐が今なし獲た。 その為、秀吉と密約で多額の資金を貰い、清水宗治を切腹を煽り、肝心の輝元に報告もしなかった(但し、隆景が放った毛利家代々の忍世鬼衆の情報を受け取っていたらしいが?) この恵瓊の独断の密約で毛利家に資金は入らず困窮を極めた。
@user-sg7ml2oq7g
11 сағат бұрын
女の子可愛い、特にポニテの子😊
@user-sg7ml2oq7g
12 сағат бұрын
高松城水攻め、湖水の中で孤立するイメージだけど、実際は元々沼沢地を更に冠水させて水浸しにしただけかな?梅雨時だし充分効果あったと思うが。
@user-sj7sm7is5n
12 сағат бұрын
たとえ足首ぐらいまでの浸水でも飲み水が全滅する 三国志でもうっかり登山をしたせいで飲み水が確保出来ずに壊滅した話もあるから水攻めは恐ろしい
@user-sg7ml2oq7g
12 сағат бұрын
毛利もそう。上杉もそう。 国衆には本当に苦労させらせる。 毛利合衆国ってか?
@user-ch6rg1bt3v
15 сағат бұрын
中国地方は分断されやすい山間の国だから圧倒的でないと結束なんて緩いのだろう。人は土地に生きてるから事情が違うし統治も違う。時間が経てば抑えきれない。という結果を見ても明らか。敵意も強くなる。 元就はそういう事もわかっていたのかもな。慎重だった。これが限界だと理解している。 歴史にifはないと言うのは物理学の話しなんだろう。時空は一致してその時間とその空間の影響は決まってる。人間ほど大きい生き物ならその影響からは逃げられない。
@user-eq1kh7ts1j
13 сағат бұрын
このあたり、平野部が開けたのは江戸期以降。山間部は昭和の終わりまで分断された村落が多くその土地柄は横溝正史の作品の背景ネタに多く用いられました。ヒバゴンが話題になったこともw
@kazuoka1143
16 сағат бұрын
ノリノリで国人衆に裏切り工作を仕掛けていたら、親玉であった信長が部下の裏切りにあって横死するというまさかの展開。これも歴史の皮肉に見えました。国人衆の連合体である毛利家が家中の結束に苦労する一方で、生え抜きを抜擢することで、国人衆よりも遥かに忠誠心の高い部下で固めた織田家も、散々裏切りに合ってることから、戦国時代の家中統制の難しさが伝わります。
@opqo2244
17 сағат бұрын
堤防の土砂の話、築堤の遺構そのものは無いという認識?
@DH-bn1be
17 сағат бұрын
新作お疲れ様でしたm(_ _)m 後の天下人秀吉とこの話まで空気な輝元ではなんかもう役者が違いますな。 個人的にはしぶとくしたたかな大名だと思うんだけどまだ片鱗すら出てないのが悲しいなあ。
@matukawatositane
17 сағат бұрын
元就時代の領土まで失うわけにいかない毛利は講和がならなきゃ秀吉と決戦だろうから秀吉も信長到来を願うわけよね
@user-zj1qv1yc2u
18 сағат бұрын
本能寺の変で毛利が状況を把握しても、継戦能力の差で追撃したくても出来なかったということがよくわかりました。 備中高松城の件もそうですが、毛利は「国人衆を見捨ててないよ、城が落ちたのは仕方なかった」という形を作ろうとしてるうような印象がありますね ※大内や尼子が潰れた経緯を知ってるからこそのアリバイ作りなんでしょうけど
@keeeei01
18 сағат бұрын
やったー待ってました!
@user-sv8hi9in8n
18 сағат бұрын
毛利が弱いと言うより織田(羽柴)が強すぎた感じですね。 まぁ元就だったら調略の倍返しとかしてそうですが、戦う前に没したのは大きな損失ですね
@kazuoka1143
16 сағат бұрын
織田家の方でも結構、裏切りは頻発してきたので、元就との調略合戦があったら、かなり凄惨な裏切りと粛清が起きていた気がします。
@prshrine
18 сағат бұрын
上杉編もだったけど、毛利も存亡の瀬戸際でいろいろあるなあ。歴史を知っている我々から見れば「あの時こうしていれば」って思えるけど、当事者たちからすればギリギリの選択だったんだろうね。
@YY-rj4up
19 сағат бұрын
こうやってみると輝元(両川)は主力を秀吉軍にぶつけたくなかったんじゃないかと思ったりしますね。遠巻きにみてたら帰ってくれないかな?くらいで。 今毛利主力が秀吉軍に叩き潰されたらお家が崩壊するんじゃないかと恐怖してたんじゃないかと。
@YY-rj4up
19 сағат бұрын
ちなみに弥助ネタに飛び込む勇気はありますか?(((
@user-qz3go1ft3p
10 сағат бұрын
出陣はするけど戦わないのが 戦国時代の一般慣習ですよ 不運な遭遇戦が後から〇〇の戦い みたいに誇大に宣伝されてる 関ヶ原がもし天下分け目の大戦なら 何故とうじ100万人はいた戦闘員のうち合わせて8000ぐらいしか戦ってないんだろ。実際に頃がしあうのは 常識的にリスクがデカすぎて誰も選択したがらない。それが戦国時代
@saika1085
19 сағат бұрын
まってましたよん
@user-cp5id3ng9z
Күн бұрын
能力主義と言いながら、身内の重用も多いところは曹操に似てるね
@user-qz3go1ft3p
Күн бұрын
もう少しで一万人ですね。 見応え充分な長編群の力で 秋には到達では? 輝元も皆が知りたい掴み所がない 超重要大名なので 毎秒作業してあくうpしろや 下さいm . , mn
@user-jh8bq2sc3s
Күн бұрын
景勝あんまり印象なかったけど、間違いなく傑物だったと思う
@vcwvpzq
Күн бұрын
ドラマや小説とかでは基本的に真田にスポットが当てられるからまるで豊臣に勝ち目があったかのように錯覚してしまうが、色々調べると大坂の陣がいかに一方的で徳川の圧勝であったのかが分かる
@user-hc6eh5lj4y
2 күн бұрын
当家の先祖とされる人物が関ヶ原から生還した後に義弘公から感状と100石の褒美を頂戴しています。17歳で関ヶ原を生き残ったのに33歳で死去したのは関ヶ原で運を使い果たしたのか?
@user-zc9fb1jg8f
2 күн бұрын
謙信公のブチ切れた時のエピソード好き(*^ω^*)
@user-it1er7em6y
3 күн бұрын
普通に考えて余が内裏であるってことは信長自身が天皇を超越する存在って意味じゃん。 多分天皇がそのままにしてその上に自信を置くようにしたと思う。
@user-fp4zk2tz6j
3 күн бұрын
琉球か!
@quattrojulius7500
3 күн бұрын
伊達政宗の解説するとすごく面白くなる気がします😂
@jacksonmichael644
4 күн бұрын
申し訳ないですが、こちらの動画を作成するにあたって参考にされた資料を教えて頂けませんでしょうか🙇♀️
@user-ii9wu7fn7p
2 күн бұрын
コメントありがとうございます!参考にしたのは主に新名一仁先生の『島津四兄弟の九州統一戦』(星海社新書、2017年)になります。
@user-gz9sc1dt8c
4 күн бұрын
(個人的意見ですが)「家臣を競い合わせる」というよりは、むしろ織田政権内の政治・権力闘争な気がするんだよな 対毛利・長曽我部融和路線の明智閥と、対毛利・長曽我部強硬派の羽柴閥みたいな まあ、研究者の意見の物申すのもアレな話ですが、
@user-hq8jd1tj7d
3 күн бұрын
秀吉自身も天正8年あたりに斎藤利三の仲介で長宗我部元親と書状でのやり取りをしています。秀吉は明らかな対長宗我部路線に舵を切るのは天正9年末に淡路攻略をしてからです。ですので明らかな対長宗我部路線ではなく中央の信長に従っていたと捉えた方がいいかと思います。 実際に鳥取県史史料編や戦国遺文三好家編などにその書状が収録されています。
@866083
4 күн бұрын
吉川元春vs秀吉を見たかったなぁ・・・
@user-mj7nh1cm2b
5 күн бұрын
こうして見てると、伊達政宗って遅く生まれたのがよくわかる。もう少し早く生まれて、活躍するとどうだったかと思う。