Пікірлер
@af3288
@af3288 15 сағат бұрын
一年近く投稿してないけどどうしたんですか?次は能登半島地震や十勝沖地震(2003年)について解説して欲しいです。
@j3m754
@j3m754 29 күн бұрын
日本海中部地震の当時は5歳でしたが、今まで感じた事のない揺れで怖かった記憶があります😫
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 19 күн бұрын
ご視聴ありがとうございます。 大人ですら、初めて震度5以上の地震を体感すれば動揺するのですから、子供なら尚更です。 今回は津波が主題でしたが、地震自体も大きな揺れで、地割れや家屋倒壊など多くの被害が出ました。 昨今も色んな地域で中規模の地震は度々発生しているので、依然注意が必要ですね。
@fuji-kiseki
@fuji-kiseki Ай бұрын
サムネや1:30付近からの3枚の写真。 八森漁港付近と書いてますが、撮影場所自体は我が家の裏です。 漁港は写真奥の方遠くにに写ってます。 近所の父さんが撮った写真ですがうちでもパネルにして所持しております。 目の前の海は釣りをしたり夏は泳いだりと身近な海なので発災時期が時期なら自分も生きてなかったかもしれませんね。 発災時はこの場所から海沿いに1キロほど南の小学校にいましたが、揺れののち校庭に避難して暫く待機してたがラジオで警報発令と男鹿で児童が流されたとの速報が流れたのを聞いて初めて高台避難の行動に移りました。 高台もすぐ近くには無いので1キロほど走って逃げました。 波が来ないか何度も何度も後ろを振り返りながら怖かったのを覚えてます。 高台から望む景色には沿岸を襲う津波が見え泣き出す児童も多数いました。 幸い学校も自宅も堤防+のり面を乗り越えることは無く無事でしたが写真奥に写る地域は堤防も低く被害が出てました。 近辺は酒田沖の地震空白域の活動も控えてるのできちんと備えておかなきゃいけませんね。 サムネに懐かしい写真が有ったので長々と失礼しました。 啓蒙活動よろしくお願いします。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 29 күн бұрын
ご視聴ありがとうございます。 写真については管理サイト様に許諾を頂いてはおりますが 見知った環境の写真という事で、驚かせてしまった点については誠に申し訳ありません。 記載地域については、元写真の記載地名をそのまま記載させて頂いておりますので 地元の方からすれば少し的外れだったかもしれません。 正直この写真のインパクトはかなりでかく この津波の規模では、この撮影地点も大変危険なのではと考える程 波の勢いがはっきりと映し出されています。 ともあれ、ご無事であり何よりです。 被災した方しか分からない体験談を語っていただき、誠にありがとうございます。 九州なので、中々うかがうことは出来ませんが、来年ぐらいには一度秋田県は訪問して 今回の撮影箇所や、解説した場所を自身の目で見に行きたいと考えております。 (というよりそろそろ次の動画作成に入らないと(-_-;)) 啓蒙とは恐れ多いですが、今後も少しずつ作成頑張ります。
@fuji-kiseki
@fuji-kiseki 29 күн бұрын
@@user-gy2xg5gb7h >正直この写真のインパクトはかなりでかく そうですよね、今の津波に対する認識じゃ危険でもう取られない写真ですよね。 実際この波かは分かりませんが立ってる場所の目の前まで遡上の跡が残ってたとの事でした。 それに動画の切り抜きじゃない決定的な瞬間の写真は奇跡の一枚と言っても良いんじゃないでしょうか。 自分も30年前に見た時はスゲェと思って友達にも見せました。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 19 күн бұрын
ご返信遅くなり申し訳ありません。 波の高さ自体がすでに高いのに、津波ですから遡上高は想像以上だと思われます。 本当に撮影者の方がご無事で何よりでした。 定期的なものではないと思われますので、再度同じ場所でこのような地震が起きない事を祈るばかりですが 今年の能登半島地震の件もあります。 ここに限らず、海が面している町に住むのなら、少しだけでもそのような危険性を考える必要があるのだろうと思います。
@yuriban9657
@yuriban9657 Ай бұрын
動画制作ありがとうございます。 地元ですが、ちょうど北海道に遊びに行っており、そこも揺れたかすかな記憶があります。 そして、今年の能登半島地震の津波発生時も、旅行に行っていていませんでしたが、血の気が引く思いでした。津波は本当に恐ろしいです。 親から聞きましたが、秋田は近年津波が全く来なかったらしく、海へ逃げろと本当に言われていたらしいです。 今は、太平洋側よりもすぐ津波が来るから、即早く逃げろと言われています。 貴重な動画をありがとうございました。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 コメント返信をしようと思ったら今朝も震度5が石川県で起きたので、まだまだ気が抜けませんね。 今や直下型も考慮すれば、日本各地で地震は起きていますし、他人事ではなくなりました。 少なくとも昔よりは、災害の脅威を見て理解しやすい環境となっておりますので 明日の自分や家族の為に、災害を知る・備える事が第一歩だと思っております。
@user-so6ob6tt8r
@user-so6ob6tt8r Ай бұрын
今日でちょうど41年目ですね。 当時秋田県境の海岸に住んでました。 小学校が高台にあり 津波が押し寄せる様子を 校庭から見ていましたが 当時小2だったので 海の上を白い線が海岸に 向かってきてたのを見て 先生や周りの人が驚いてる中 何が起こってるか 分からない状態でした。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 高台での避難とは言え、ご無事で何よりです。 津波の実際の被害をテレビで詳細に見れる様になったのはここ20~30年ですし 当時では子供・大人に限らず、実際にどれ程の脅威か正確にわかる方は多くはなかったと思います。 中々秋田まで行く機会がないですが、度々県外に出かける事がありますので いずれ自身の目で、被災地を見てみたいと思います。
@hajime738
@hajime738 2 ай бұрын
日本海側では津波はないなんて変な伝承もあったらしいです。 過去にあまり記録がなかっただけなんだすけどね。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 19 күн бұрын
ご視聴ありがとうございます。ご返信が遅くなり申し訳ありません。 私自身特に東日本大震災や南海トラフのイメージが強かったので、調査前も日本海側の津波の印象は薄かったです。 ですがこの地震や北海道南西沖地震のように、近年大きな被害が出た津波災害もありますし 今年の能登半島地震のように大規模な地震が起きる事も十分考えられます。 過去にない、聞いた事がない、がそのまま災害が起きないことに繋がるわけではないので 自身のお住まいでも万が一がありうると認識を持つ事も必要なのかもしれません。
@AAAaaaaaAaaaa135
@AAAaaaaaAaaaa135 3 ай бұрын
令和6年能登半島地震のマグニチュード7.6は日本海側で発生した大地震としては、この日本海中部地震に次ぐ規模であった。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 前回動画の作成時に、まさかこんな地震が起きるとは思いもよりませんでした。 天災とはいつ起きるか分からないと改めて痛感した地震でした。一刻も早い復興を祈るばかりです。
@user-rn3hg3fm6z
@user-rn3hg3fm6z 3 ай бұрын
福岡市に住んでいます。 スマホで警報が鳴り渡り、福岡も随分揺れました。 熊本から通勤している人も多く、しばらくの間、混乱が続きました。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私も1回目の地震は北九州に居たので、何事かと驚いた覚えがあります。 九州は地震に強いと勝手なイメージがありましたが、この日本にいる限りはどこに住んでいても、地震が起きる可能性があるのだと、思い知りました。 いずれ熊本の復興についても現地レポができればと考えております。
@user-mh3bk4cy6m
@user-mh3bk4cy6m 3 ай бұрын
この地震は今の40代がまだ子供だった頃のことですね。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 かなり前の地震ではあり、他県の方では知らない方もいらっしゃるかもしれません。 年数が経つとどうしても風化・人々の記憶から忘れ去られる事態は避けられません。 ですが、今の時代のように過去の資料を比較的見やすい時代になっているからこそ、もっと関心を持つ事が重要なのだと認識しております。
@Kasaneteto-i7z
@Kasaneteto-i7z 4 ай бұрын
元緑地震、 お願いします!!
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 元禄地震については、私も深く把握できている天災ではありませんが、津波等の被害は数字だけでも、とんでもない被害がでた天災だと知りました。 動画上で資料等の記載が可能か不明ですが、一度この地震の資料に目を通させて頂きます。
@syo-ou3dl
@syo-ou3dl 4 ай бұрын
こんにちは「ゆっくり災害史」さん、私はがまだすドーム (雲仙岳災害記念館)を観覧し、地元の佐賀藩が「島原大変肥後迷惑」に際して、被災者を救援した話をシアターで知って以来、「災害」史に関心を持ち、自分なりに勉強しております。その上で、調べても分からなかったことがあります。  それは島原大変肥後迷惑に際して、近隣諸藩が救援隊や物資を提供していますが、その行動は、幕府から見れば軍事行動とも捉えられ兼ねません。故に私は近隣諸藩による被災地の救援、復興支援は、島原、天草の乱のように、事前に幕府の許可を得て行われた可能性が高いと考えております。  しかし、『徳川実紀』を読んでも、その記述を見つけ切れないのですが、「ゆっくり災害史」さんは佐賀藩や大村藩等は幕府の命令を受けて、救援行動を取ったかをご存知でしょうか?また、もし宜しければ、それを暗示する史料等もありましたら、ご教示下さい。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。また返信が大変遅くなり誠に申し訳ございません。 私も同様にシアターなどで過去の救援活動について知り、資料などを探して今回の動画を作成した次第です。 おっしゃる部分については、私の方でも把握が出来ておりませんでしたが、ご指摘についてはもっともでございます。 ご希望に添える答えが見つかるかわかりかねますが、改めて過去の資料を再度見直してみます。
@Hanaora
@Hanaora 5 ай бұрын
これは小学生の時に経験しました。当時は青森県下北地方に住んでました。 体育の授業中で校庭にいましたが、まさに正午のチャイムが鳴ってすぐにすごい揺れが来ました。木造3階建ての校舎が信じられないくらいに横に振られる様子をよく覚えています。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 また返信が遅くなり申し訳ありませんでした。 当時の貴重な体験をお話しいただき誠にありがとうございます。 大人ですら地震には恐怖を抱くものですから、当時の体験時の心境は察するに余りあります。 子供の時から天災について学び、正しく震災を恐れ、正しく対策・対応を行う心構えを持つ事が防災・減災の一歩だと考えております。
@user-ns5cu6bm7c
@user-ns5cu6bm7c 5 ай бұрын
日本海中部地震とは初めて知りました、また知らない地震を教えて下さい
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私も新たに勉強しながらの作成となっておりますので、気になる災害があればまた作ってみる予定です。
@user-dl2bc1ml8d
@user-dl2bc1ml8d 5 ай бұрын
僕もこの地震初めて知りました。1983年というと三宅島の噴火が強く印象に残っており、全然知らなかったです。大変有意義な動画どうもありがとうございます
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 5 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。 ペースは落ちていますが、機を見てそちらも作成できればと思っております。
@tme3124
@tme3124 6 ай бұрын
その津波が一番最初に到達した所のすぐ側に住んでる者です。 当時祖父は早朝から漁にでており、港に帰ってきた時でした。 陸で船の係留作業をしてると、大きな揺れに襲われます。 地盤が強固で、揺れることがほとんどない地区が尋常ではない揺れに襲われ、海が震源だと、これはまずいとおもい、係留中の船を即座に沖に向けました。 湾外出る間もなく、北側から盛り上がる津波第1波が迫り、津波に進路を変え、乗り越えます。その後も2、3度来る津波を乗り越え湾外にて待機。 引き波に攫われてきた漁師仲間や住民を助けて回ったそうです。 沖に逃げた船総出で、津波に攫われた人を救助しつつ、残念ながら、溺死した人も数人引き上げたそうです。 今や齢90となった祖父ですが、地震津波に対する備えを幼少期から口酸っぱく言われてきました。 自分の子供にも風化させることのないよう、伝えていきます。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 6 ай бұрын
ご視聴並びに貴重な話を教えて頂きありがとうございます。 あの地域ですと、第一波の到達までの時間は本当にわずかだと思われますが 今のように地震速報・津波速報のシステムが整備されていない時期でも すぐに津波の危険性を判断し、すぐに対処されたのはさすがだと思います。 自分自身が津波の経験がないので、言えた立場ではありませんが 日頃の意識、住んでいる地域での災害リスクを予め把握し いざという時の対処を考えておくことが防災・減災の一歩だと思います。
@user-zg1gi3tw3q
@user-zg1gi3tw3q 7 ай бұрын
25:57昨年島原で開かれたこの災害のシンポジウムの後に、島原市長とお話する機会がありましたが、 「火砕流災害を機に、国に陳情してやっとの思いで整備した防災無線放送も、今となっては『うるさい』『もっと短い放送にしろ』とクレームの対象になってる」と肩を落としておられました。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 6 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます、返信が遅れて申し訳ありません。 やはり被災経験がなかったり、記憶から忘れ去られると、そういった言葉が投げかけられるのも仕方ないのかもしれません。ですがこういった取り組みが万が一の際、誰かの助けになるかもしれませんし、クレーム対応は難しいかもしれませんが、是非とも続けて頂きたいですね。
@user-ml8mm5uj2r
@user-ml8mm5uj2r 8 ай бұрын
九州地方地震と火山🌋でできた地方
@user-kn5ym7gs6x
@user-kn5ym7gs6x 11 ай бұрын
初めまして、詳しい解説ありがとうございます。大変さんこうになりました😄。青森県の十三湖ですが津波で土砂が流れ込んだことを知った東北大学の箕浦助教授は、太平洋側にも大津波の痕跡があると考えボーリングを開始、仙台周辺で貞観地震の大津波の痕跡を発見しました。その後津波の危険を知らせようと活動してましたが、当時はバブル期で仙台周辺の地価も上昇、地上げ屋にしてみたら、津波が来ると言われると地価上昇の冷や水になるので、助教授やその家族に色々な脅しをかけたので巨大地震や津波の周知ができなくなり3.11を迎えることになりましたね
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 11 ай бұрын
ご視聴ありがとうございます。また合わせて貴重な話を頂き、重ねてお礼申し上げます。 災害が起きた痕跡や話は、これからの災害を防ぐ道しるべの一つとなりますが 土地のPRをしたい人からすれば、余計な情報なのかもしれませんね。 (かといってそのような行為は決して容認できるものではないですし、もしもの事も考えてしまいますね) この日本という土地で、何の災害の危険性もない土地などないと思いますし 自分の住む場所で起こりうる災害も認識しておくことが、これからの生き方に必要な事だと考えます。
@user-kx7tm5fe9o
@user-kx7tm5fe9o Жыл бұрын
生まれも育ちも津軽で、当時は小1でした。 揺れてる最中の記憶はないけど、わんわん泣いて集団下校したようです。(親談) 家は酒屋をやっていたので、酒瓶が落下して割れまくりで店中が酒臭かったのは覚えています。 今でこそ建物も耐震性が優れて震度4~5は「でかめのが来たな」くらいだけど、 当時の震度4~5といったら大地震でした。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 また,当時の貴重な体験談をお話しいただき,重ねてお礼申し上げます。 当時と今では,震度の計測方法もさることながら 建物の耐震性も異なりますので 同程度の震度でも,当時だと被害が大きかったのかもしれません。 ましてや,幼い子供では,体験した事がない地震の経験は,恐怖以外の何物でもなかったと想像します。 (私も高3の時に震度6弱を体験しましたが,あれは怯えるなというのが無理なものです)
@EBIFRY20hey
@EBIFRY20hey Жыл бұрын
解説お疲れ様です。 確かに日本海で津波が来るというイメージが無かった.... 発生してなかっただけで、こうやって人の命を飲み込んだ被害があったんですね。 時代背景もあるとはいえ、正しく迅速に避難を呼び掛け届ける事ができたなら.... 今の私達にできるのは悔やむ事でなく、学び繋げていくことですね。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 中々イメージが無いですが,昨今ですと石川県でも大きめの地震が発生していますし 日本海側で津波が起きないとは言い切れないですね。 いつどこで津波が発生するか,完全な予測は,我々が生きている間にはできないでしょう。 だからこそ,ご指摘の通り 過去の災害を知り,今の防災対策を振り返り,未来に備えることが,我々が出来る事だと思います。
@user-je7vj3gh3y
@user-je7vj3gh3y Жыл бұрын
うわぁん……もう動画は上がらないと思ってました 嬉しいです、これからものんびりと待ってます!
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 大変お待たせする形となり、申し訳ありませんが 今後も少しずつ作成を続けていきますので 良ければお時間の良いときにご覧頂けると幸いです。
@kousakai6982
@kousakai6982 Жыл бұрын
14:19 雲仙岳はたくさんの山・岳がある状態なので谷もたくさんあります、 そんな状態で仁田峠や雲仙温泉街が危ないなら島原半島は全てが危険だと思う・・・と半島内に生まれてから今も住んでる私が言ってみる。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私も仁田峠や定点に行き,普賢岳がどれ程高いか実感しましたが ご指摘の通り,あの山頂や他の山で一度噴火したら,火砕流がどの方角に流れても甚大な被害が出ると思います。 災害が起きた後では,あの時の災害前の行動は危険だと,いくらでも言えるのですが もし私が,当時あの環境に居たとして,果たして,今と同じように注意を出せるのかと言われると 何とも言えません。 ただ,私個人としては,小学生の頃,同県内で起きたこの災害の被害と復興活動を知った事が 防災への意識をもつきっかけになりました。 動画であの様にお伝えしておきながら,はっきりとしたコメントが出せず誠に申し訳ありません。
@okka_da-chime
@okka_da-chime Жыл бұрын
この津波の報道を聞いたとき「日本海の津波」にピンとこず、秋田って太平洋側だっけ??と、随分と混乱したことを覚えています。 津波は太平洋でしか起きないと思い込んでいたのです。 up主の毎回の真摯で丁寧な動画制作姿勢に感銘しております。 ありがとうございます。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 ご指摘の感想を,以前私も思っておりました。 どうしても東日本大震災や今後の南海トラフ地震など,津波=太平洋側のイメージが付いています。 ただ調べてみると,日本海側の津波は(発生回数は少ないですが) 近海の海底が浅い分,津波の到達スピードも速いので かえって太平洋側より危険になりやすい事を知りました。 最近ですと,石川県でも大きな地震が起きております。 日本のどこに住んでいても,地震や津波が地震の住む地域で起きるかもしれないと認識し それを想定した避難方法を予め考慮しておくことが必要だと思います。
@user-mi5mk7fy3w
@user-mi5mk7fy3w Жыл бұрын
津波の被害は、三月十一日の震災の前座のようだったのに、人は忘れ易い。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 ご指摘の通り,年数が経つと人々の記憶から災害のイメージが薄れていくのでしょう。 ただ,今後もきっと同様の災害がどこかで起こりうる状態です。 見る事は辛いかもしれませんが,多くの人,特に知らない世代の方々に 一度でも津波の映像を見て頂き,津波がどれ程恐ろしい災害なのか 認識して頂きたいと考えております。
@al-bireo
@al-bireo Жыл бұрын
動画アップありがとうございます😊 相変わらず丁寧に作られた、見応えもたくさんの学びもある動画でした。 普段はついつい忘れてしまってる災害の恐ろしさ、いつどこでも起こりうる、人ごとではないという事実を定期的に思い出し、危機感を高めるのはとても有益なことだと思います。 そのためにも、このチャンネルさんのような良質の動画は、どんどん再生が伸びてほしいですね。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
お久しぶりです,投稿が遅れる形となりましたが,ご視聴ありがとうございます。 丁寧かどうかはわかりませんが,過去の動画含め,被災者の方々の思いと剥離していないか 慎重に原稿及び動画を作成しているつもりです。 もし間違えている点があればご遠慮なくご指摘ください。 不定期ではありますが,今後も動画作成・(可能であれば)現地取材報告など やっていくつもりですので,今後もご視聴よろしくお願いします。
@user-lr1en6te3n
@user-lr1en6te3n Жыл бұрын
動画リクエストありがとうございます。 40年も前の災害でしたがこの動画を見ていて当時をありありと思い出しました。 この動画が防災・減災の一助になれば幸いです。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私はまだ生まれておりませんので,後から知った形でしたが 被害を調べれば調べる程,胸が痛む思いでした。 津波を体験した事はありませんが,地震の際には 津波・土砂災害と二次災害が起こりうることを想定して 避難行動にうつるべきだと,改めて実感しました。
@user-rq8qs6ww7p
@user-rq8qs6ww7p Жыл бұрын
お久しぶりです。 この地震でNHKが偶然撮影した、水平線に現れた一直線の津波と。 地震中に突然地面から泥水が噴出し、それに反比例するように地面に沈んでいく建物の映像が当時流れた時、物凄い恐怖を感じました。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
1年ぶりの投稿と恥ずかしい限りですが,ご視聴ありがとうございます。 ご指摘の通り,この災害では各放送局の他,多くの市民の方々などによって撮影された映像が 残されており,地上波で放送されております。 津波映像が接近してくる映像については,youtubeでも「日本海中部地震」で検索して頂くと 色々見つかりますので,良ければ合わせてご覧ください。
@koperu1966
@koperu1966 Жыл бұрын
大切で重要なお話感謝です。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 お待たせする形となり申し訳ありません。 不定期ですが今後も続ける予定ですので,よければご視聴よろしくお願いします。
@koperu1966
@koperu1966 Жыл бұрын
@@user-gy2xg5gb7h 様。私こそよろしくお願いします。
@ponshimeji
@ponshimeji Жыл бұрын
動画作成お疲れ様です。 恥ずかしながら、この震災は全然知りませんでした。 被害状況を聞くと、やっぱり東日本大震災の時と似てるなって思います。 今のように情報の伝達がリアルタイムでできないのは、やはり厳しいですよね。 何とも苦しい気持ちにります。 この震災でなくなった方のご冥福をお祈りします。 次の動画もたのしみにしています。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 40年前ですので,知らない方も多い災害かもしれませんが 東日本大震災を想起させる点がいくつもあると思います。 同じ東北地方の災害ですので,この時の被災経験を被災者の方々が伝えて頂いたおかげで 東日本大震災の津波から逃れた方も,きっといるのではないか、と考えております。
@trollgoblin2263
@trollgoblin2263 Жыл бұрын
マスコミからマスゴミと言われるようになった災害。助かる命を奪ってまで撮影なんて、もってのほか。 火砕流は時速100kmで来る上に水上でも速度は変わらないから気をつけな。
@tosansakamoto
@tosansakamoto Жыл бұрын
当時、幹線道路の復興事業に従事のため、島原市内に宿泊してハイウェイ灯の設置工事をしてました。 付近は、本当に酷い状況で火山灰が風が吹いたり、作業車両が通る度舞い上がり、水無川付近は、土石流に埋もれた民家など 今でも、忘れることができません。しかし、今では、当時、被害者の治療をしていた総合病院も2000年に建新しく建替えて市民の医療の中心になって居り 道路整備も災害対策のため町が孤立しないよう配慮されてます。それは見事な復興を遂げています。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 工事に従事された方だったんですね,復興に尽力して頂き,ありがとうございました。 当時のテレビ放送を見ましたが,本当に灰の量がすごく,呼吸にも悪影響な上 雨が降ると地面がぬかるむ上,土石流などの二次災害の発生に繋がりかねないと 厳しい自然との長い闘いだったかと推察します。 現在,島原道路の新規造成が進んでいますが,繋がると県中心部からのアクセスが大分近くなり 雲仙・島原へ観光がしやすくなるはずです。 これからの雲仙・島原の発展にとても期待しています。
@kaguyatukikage9094
@kaguyatukikage9094 Жыл бұрын
島原は美しい水の街。天如塔も忘れてはなりません。 廣田言証師が建立された霊跡です😊。 私も深江の道の駅で食事をしました😊 貴重な未来へ伝えるべき痕跡を取り壊す。道の駅の閉鎖も残念でなりません😢
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 恥ずかしながら,ご指摘の天如塔については存じ上げておりませんでした。 前回島原にお伺いした際に近くまできていたのですが… 次回伺う機会がありましたら,訪問させて頂きます。 経営が成り立たない以上仕方ないとはいえ,道の駅の閉鎖は実に残念です。 残されている史跡にも時の限りがある事を改めて思い知りました 上記同様早めにまた伺いたいです。
@goro-yoko-teto869
@goro-yoko-teto869 Жыл бұрын
良いまとめ動画ですね
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 そのように言って頂き,作成したかいがありました。 中々次のが完成しませんが,早めに投稿させて頂きます。
@kazunobu8745
@kazunobu8745 Жыл бұрын
私はこのサムネのちょっと右側に住んでいます。 あの日は19日夜、雷が凄かったのを覚えています。でも雨は降ってなかったんですよね。 23時に就寝して朝4時、停電でクーラーが切れて寝苦しさに目が覚めた時、土砂と草木の異様な匂いにベランダへ出てみると、家の前の道路が土砂で埋まってました。 明るくなって確認すると、自宅上の地区は押し流されて、全く変わり果てた光景になっていました。多数の犠牲者がおられたことは後に知りました。 しかし被害が出た地域はごく限られた場所だったんですよね。県道を隔てると何事もなくて、とてつもない違和感を覚えたのを今でも覚えています。 今は砂防ダムが整備され、防災の為の工事が続いています。 この災害で感じたことは、いつ何処で何が起きるかわからない、ということです。 だから、万が一に備えておかなければならない、安全なところなど無いということです。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます,合わせて貴重な体験をお話しいただき,ありがとうございます。 載せきれていない参考写真でも,当時の風景を見させて頂きましたが,本当に大変な状況だったかと思われます。 色々被害があったかもしれませんが,ご無事で何よりです。 実際に被害を経験しないと,中々自分事として考えるのは難しいですが 昨今の天候状況を考えると,毎年どの場所で起きてもおかしくありません。 私自身も斜面地に住んでおり,例え土盤が崩れなくても鉄砲水が起きる可能性があるかもしれません。 今年ももうすぐ梅雨や台風の時期です。 一番良いのは,このような災害が起きない事ですが 万が一災害が起きても,自助・共助・公助で互いに助け合い 被害を最小限に出来るよう,心構えをしておく必要がありますね。
@user-ne1ix4rc1m
@user-ne1ix4rc1m Жыл бұрын
普賢岳の噴火による災害は自衛隊の災害派遣では最長の1653日間という長期に渡る災害派遣となりました。 6月3日の大火災流災害以降は、自衛隊が九州大学島原火山観測所の指導を受けながらヘリや車両などで警戒区域に入ったり、普賢岳の状況を常に提供する側になった。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 以前,県内の陸上自衛隊大村駐屯地を訪れる機会があり,同施設内の資料館にて 派遣期間中の活動についてまとめられた報告内容や,当時の写真をまとめたアルバムを 拝見させて頂きました。 災害直後の避難誘導,エリア規制,被災者のフォロー,行方不明者の捜索,そして長期間にわたる 普賢岳付近の監視など,様々な活動に尽力されており この方々によって,二次災害が防がれ,以降の復興へ進めるようになったのだと思います。
@user-df3kb2rg2d
@user-df3kb2rg2d Жыл бұрын
やっぱ千羽鶴だよね
@zinsei-himatubushi
@zinsei-himatubushi Жыл бұрын
マスゴミ忖度お疲れ様です。
@user-dh9bn6iu9i
@user-dh9bn6iu9i Жыл бұрын
16:20 行政の人も被災者  この言葉で思い出しました 朝日新聞は住民からの声だ!だの記事として、役場職員がまともに対応してないような記事を出したことがありました(今も残っているかわかりません) あの時、住民が不安でいっぱいで何かに頼りたい気持ちがあったとして 役場がきちんとした対応をしていなかのような記事を書いたことに腹立たしかったです そんな書く暇があったら、がれきの一つでも撤去しろよ!!!っと思ったのを思い出しました
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 役場職員の方々も,それぞれが出来る範囲でのやるべきことを為されていたのでしょうが 残念ながら,その行動すべてを人々が見れるわけではないですし 被災直後の環境が一向に良くならない時に,被災者の方々が このような報道を見てしまうと,良くない感情を持たれるかもしれません。 職員の方々も同じ被災者である事を,報道の方々にもご理解いただきたいですね。
@9R59TX88A
@9R59TX88A Жыл бұрын
2016年3月、熊本地震の1ヶ月前に熊本を旅行しました。 熊本城内で殿様(?)の豪華な食事を堪能し、水前寺公園近くの旧ジェーンズ邸(熊本洋学校教師館ジェーンズ邸)を見学して、 係員の熱心な説明を聴きました。 その時、数十枚撮影したジェーンズ邸が、在りし日の最後の写真となってしまいました。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 動画投稿しておきながら何ですが,私自身まだ熊本市内に行けていないんですよね…(通過した事はあるんですが) ジェーンズ邸については,倒壊した被害の事は存じ上げておりましたが 今一度確認した所,来年移設・復旧完了予定とありました。 遺産・史跡などが災害によって被害を受ける事が度々報道される事がありますが その度地域の人々や有志の方々によって,復旧・保存活動がなされている印象があります。 今後熊本観光ができる機会がありましたら,是非とも復興した旧邸宅に伺いたいですね。
@violet-violent
@violet-violent Жыл бұрын
安佐北区、安佐南区のあたりは昔の地名では「土砂災害ヤバイから絶対住むなよ」みたいな昔の人の思いが込められた地名が付けられてたらしい でも、あまりに怖いイメージだから変えたらしい
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 災害発生時のニュースでも,過去の水害の名残を思わせるような 地名が付いていた事があった,という報道がありましたね。 名前と災害の発生しやすさに関する信憑性が確認されていないので はっきりとしたことは申し上げれませんが この広島県に限らず,日本各地様々な地域では,このような土地の特徴を表しているような 地名も見られますので,自分の住んでいる地域の地名について 由来を調べてみると,思わぬ発見もあるかもしれませんね。
@mssk9618
@mssk9618 Жыл бұрын
バカなマスゴミのせいで地元の消防団の方が死亡したんだよな。 もぬけの殻になった民家から電気を盗んだり、今も昔もマスゴミは人外ですわ
@user-yq8ib8ye8s
@user-yq8ib8ye8s Жыл бұрын
お疲れ様です。蛇足ですが、みずなし本陣深江は、旧南高来郡深江町。現、南島原市ですね。自分は、中学生の頃、大火砕流を経験しました。どんどん大きくなっていく噴煙に不安を覚えました。旧布津町現南島原市、大平食品には自衛隊のヘリが保管されてます。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 当時被災された方でしたか,当時は大変なご苦労があったかと推察します。 確かに日々変わる山の在り様や,いつまでこの脅威が続くか分からない日々は さぞ不安だったかと思います。 ヘリに関しては,そちらは拝見しておりませんでした。 次島原に行く機会がありましたら,伺ってみます。
@user-yq8ib8ye8s
@user-yq8ib8ye8s Жыл бұрын
錨の方が貴重かも?💦
@user-yv6cx9km6w
@user-yv6cx9km6w Жыл бұрын
一番被害が多かった地域から随分離れた下流地域に住んではいたけど本当にすごい雨だった 1週間前からずーっと雨降ってて最後のほうは猛烈な雨。 家族の迎えに車に乗ったのですが、ワイパー最速でも前が見えない程だった 単純に身の危険を感じるレベルだった 近くの小規模の用水路は全てあふれ多くに家が床下浸水してた あんなことここ数十であれだけだ
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h Жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 平成26年の豪雨であれば,私もテレビなどで当時の映像を拝見しましたが ご記載いただいた文面からも大変危険な状況だったのだと推察します。 前が見えない程の豪雨は,私自身も2~3度程だけ経験したことがありますが 車の運転ですら恐怖を感じましたし,一刻も早く家に帰りたかったのを覚えています。 今まで無かったから,例え他の地域でそんな災害があっても 自分の所では起きる事はないだろう,と思いがちですが 昨今の気候を鑑みると,もうどこで起きてもおかしくない状況になりつつあるのかもしれません。 今年は梅雨が一旦明けてはおりますが,依然油断はできませんね。
@nikopati
@nikopati 2 жыл бұрын
11年のは広島工大の周辺が酷かったんだっけ?
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 場所について確認を取りましたが 確かに,広島工大付近の広島市佐伯区では,複数の箇所において 土砂崩れが発生しており,この付近だけでも十数名の方々がなくなっております。
@user-ps9vi2tf4n
@user-ps9vi2tf4n Жыл бұрын
西広島バイパス、佐方パーキングの少し過ぎた屋代トンネルの下辺りでしたね。
@user-wk8kj1cu3x
@user-wk8kj1cu3x 2 жыл бұрын
今とにかくボランティアの人達が色んな場面で大活躍して地域の人々に支援して居るけど、中にはこんな仕事もボランティアで?と思う事良くある。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 私はまだそのような活動を行ったことが無いので,テレビで拝見するだけですが 多くの方々がそれぞれのスキルを活かして,復興に貢献されていらっしゃいますね。 ただ,災害ボランティアに関しては,現地のニーズと実際の支援にギャップが生じ トラブルになるケースも過去にありましたので 現在では,支援が必要とする人と災害ボランティアをする人の仲介を行う ボランティアセンターなどが必要不可欠です。 その上で,災害ボランティア活動を行う人も事前にどんな作業を行う可能性があるのか 予め知っておいて,行動に移せば,トラブルも起こりにくくなるかと。
@user-mi5mk7fy3w
@user-mi5mk7fy3w 2 жыл бұрын
家作るより、賃貸の方がよくね?と思ってしまう。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 昨今のように水害・土砂災害が多発するようになってくると これからの住宅の購入においては,立地や交通の便など,住みやすい環境かどうかに加えて 災害時に近くに危険な箇所はないか,災害に強い建物かどうかなど 防災の面も少し意識しないといけない時代になりつつあるのかもしれませんね。 そう考えると,賃貸も選択肢としては,従来より大きくなってると思います。
@user-hv3tb6jv7r
@user-hv3tb6jv7r 2 жыл бұрын
犠牲者の中に、マスゴミの足となって、定点に居たタクシー運転士も犠牲になったことを忘れてはならない。 また、義援金に付いては、「島原」と言うキーワードが一人歩きしてしまい行政区分が違い大野木場が避難区域だった、南高来郡深江町(現南島原市深江町)になかなか集まらなかったとの話しもある 後、漫画家のあおきてつや氏のマンガ傑作選として「普賢鳴りやまず」と言う作品があります。 市長当時の鐘ヶ江管一氏を中心に、描かれてます。 こちらは、鐘ヶ江管一氏の著書を中心に取材された内容がマンガになってます。
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 今回の定点整備には当時のタクシー会社の同僚の方々も参加されておりました。 風化などの問題がありますが,今回のタクシーの掘り起こしが 今後の災害伝承に役立ってくれることを祈るばかりです。 義援金については,他のコメントをして頂いた方からも同様の話を頂きました。 被災地に格差が出てしまうと,その後の復興にも大きな影響が出ますので このような事はできれば避けて頂きたいですね。 鐘ヶ江元市長の著書については,恥ずかしながら存じ上げておりませんでした。 当時の話については,テレビでのインタビューは拝見した事があったのですが 著書があるのであれば,一度確認してみます,ご紹介ありがとうございます。
@tedesco8462
@tedesco8462 2 жыл бұрын
島原半島出身者です 今年の祈念の日にあたり色んな動画を探していて出会いました 当時はまだ幼い子供でしたが、髭面の鐘ヶ江元市長は覚えてます 数年前帰省して島原半島をぐるっとドライブしましたが、遺構も寂しい感じでした 次は平成新山の崩落も待ったナシ 兎に角無事を祈りたい
@user-gy2xg5gb7h
@user-gy2xg5gb7h 2 жыл бұрын
ご視聴ありがとうございます。 今年の記念式典で鐘ヶ江元市長も出席されていらっしゃいましたが 91歳なのに依然お元気で,これからも被災記憶の伝承が続いていってほしいと おっしゃっていました。 がまだすドームなど屋内で保存している物はともかく 屋外の遺構は,今後も少しずつ朽ちていくのでしょう。 また平成新山も溶岩ドームの崩壊の危険性が伝えられる中 今後の観測体制については ここ普賢岳を含む日本全体での観測員の人員が少ない状況もあり 課題が残っている状況です。 ですが,ここには復興事業で多くの方が尽力して建設した砂防施設や 地域住民の高い防災意識があります。 新たな災害が起きないのが一番ですが,この防災・減災体制があれば 被害は最小限にできるでしょうし,ソフト面の意識については,本当に見習いたいです。