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Пікірлер
@dutro76
@dutro76 6 ай бұрын
以前、石材機械を造ったりしてました。ずり、久し振りに訊きました、。これはヒトが刻んだものではありません。アヌンナキの Enki がハイテクで山を堀抜いて形にしています。彼らの聖なる山; K2峰から、5218km, ほぼガニメデ直径の相互距離に位置しています。同様な切り出しかたは、インドのエローラ寺院などを見たら納得できます、もちろんK2峰を起点として天体サイズモジュールですよ
@brimoto
@brimoto 8 ай бұрын
命懸け不思議では無い 天皇や王捧るだからやるでしょう 当時はこの辺一帯は石山以外は町あんまり無かったと思います
@brimoto
@brimoto 8 ай бұрын
行きましたがGW 確かに不思議で幻想的でした でも、人為的に彫られてる。とは直感でわかりました 近くは県道走り住宅密集地にある狭い場所あります
@人見修一-k6z
@人見修一-k6z 8 ай бұрын
一の谷は神戸市全体ではないのですか?
@夕月夜-w1q
@夕月夜-w1q Жыл бұрын
これだと結局、鵯トンネルの場所が逆落としの現場で、夢野タウンの平家の陣が混乱、という説でしょうか。12:16~のマップ 鵯越山っていうのが地図上見当たらないのと、このマップにある鉢伏山はこれだと兵庫区辺りになるはずと思うのですが、須磨のほうの有名な鉢伏山しか地図に見当たりませんでした。鉢伏山って2か所あるのでしょうか。それとも、中世には、鉢伏山は須磨ではなくそこの場所だったのでしょうか。なので、蟻の戸も結局どこのことなのかさっぱり、、地図上位置関係が照合できず、よくわからなかったです。
@onetimeonetime-vh1gs
@onetimeonetime-vh1gs Жыл бұрын
ありがとうございます。 鵯越の逆落としなんて迷信なんじゃないかとふと思い、辿り着きました。割と史実なんだと実感できました。神鉄の鵯越駅を通る度に昔から気になっていました。
@中村主水-t6t
@中村主水-t6t Жыл бұрын
シーボルト先生の言葉・・。『ムムム?、こりゃあ、奇岩じゃ!』。という事で 3大奇岩の内の一つとして、有名になったんじゃよ。又、『宝殿』という呼び名がええじゃないか。
@ロプノールs
@ロプノールs Жыл бұрын
石の宝殿..これは..一体..何なんですか...? 得体の知れない巨石が..水の上に浮かんでいます。 多分これって..物部氏が造ったんじゃ..無い様な気がします。何万年か前..私たちの「前の人類」が 何かの目的で造ったのではと..思いますが..思考回路や.生活感が別の為..全く..分かりません..! 用途は..長い..時間の流れの中に..隠れて行ったのでしょう..オーパーツと言えるかも知れませんね..。
@Tanaka-Ichiro999
@Tanaka-Ichiro999 Жыл бұрын
初夏の草原時や冬の雪原時も趣深いですよ。
@JoinPlanTV
@JoinPlanTV Жыл бұрын
田中さん、有難うございます。 冬の撮影もチャレンジしたいと思います。
@工作と修理で遊ぶ
@工作と修理で遊ぶ Жыл бұрын
すごすぎる 凡人には 考えが及ばない 日本人の凄いところですね 大陸人の考えの 及ばない ところですね 日本人の 考えの根柢の凄いところですね。
@新党大和侍ジャパン
@新党大和侍ジャパン 2 жыл бұрын
古代日本人の創意工夫 あるものでなんとかするその知恵と 工夫と忍耐は今の日本の産業、モノづくりの基礎に なっているんでしょうね・・・ やはり日本は世界の中で特殊な国だと思いますし 先人を心から尊敬します
@blackcats8672
@blackcats8672 2 жыл бұрын
現在どころかかなり昔に地形変わったのか
@vestaosto
@vestaosto 2 жыл бұрын
😮凄い!
@いっちゃん-r7n
@いっちゃん-r7n 2 жыл бұрын
伊佐には長い事帰ってませんが、こんな桜の木綺麗だったと改めて知ることが出来ました。
@00008767
@00008767 2 жыл бұрын
一ノ谷だけ入念に見せて欲しかった
@sjvcjpjapan.jpsupport.sjvc904
@sjvcjpjapan.jpsupport.sjvc904 2 жыл бұрын
[[反璞歸真為真如 砱崆御枵麮驉無 隂陽日月為乾坤 天地遨遊趣楈錓]] 反璞歸真 黃 保欽親筆瀛題
@sjvcjpjapan.jpsupport.sjvc904
@sjvcjpjapan.jpsupport.sjvc904 2 жыл бұрын
[[反璞歸真為真如 砱崆御枵麮驉無 隂陽日月為乾坤 天地遨遊趣楈錓]] 反璞歸真 黃 保欽親筆瀛題
@Hattorima
@Hattorima 2 жыл бұрын
勉強になりました。
@snoopylara3043
@snoopylara3043 2 жыл бұрын
一ノ谷の合戦は、想像するに鬼神の活躍。 若武者たちの勇気に感服。 是非整備してほしい。
@gyaateigyaatei-w8v7
@gyaateigyaatei-w8v7 3 жыл бұрын
これは重力を制した宇宙人の作品と考えざるを得ない。色々解説されて居ましたが、縄文時代から宇宙人が日本に来ていた事を考え合わせると古代人の技術では無いことが推測される。世界中の巨石文化に共通しているものと思われます。
@YouheiTaichou
@YouheiTaichou 3 жыл бұрын
正直、鉄拐山説だとあまりにも後方過ぎて、前線との連携も取れず、小勢で挟み撃ちにしても平家にとってそれほどのダメージではない気がしていた この動画の解説のように、逆落としが行われたのがその名の通り鵯越であると考える方が、敵の側背を突くという戦術の常道にも合致するし受け入れ安い
@正直ポチ
@正直ポチ 3 жыл бұрын
神戸市さん、整備してください。 つい最近まで、須磨浦公園の一ノ谷と思っていました。
@みなみこうちゃん
@みなみこうちゃん 4 жыл бұрын
渡来人・秦氏によるアークか、ノアの方舟だったのでは・・・と妄想中。和歌山の有田川市にも読みは違いますが、「生石神社」あります。
@JPN850R
@JPN850R 4 жыл бұрын
「義経の奇襲攻撃で混乱した山の手の陣」がマンションw
@カズッチ-k7o
@カズッチ-k7o 4 жыл бұрын
立派な飛行場だったように見えます。
@あいうえお-m4g1v
@あいうえお-m4g1v 4 жыл бұрын
近所の人居ますかー?
@おにぎりおいしい-h3r
@おにぎりおいしい-h3r 4 жыл бұрын
はーい
@山さん-v2m
@山さん-v2m 4 жыл бұрын
動画、有難うございます。今年は帰省が出来ないので嬉しく思います。
@JoinPlanTV
@JoinPlanTV 4 жыл бұрын
此方こそ有難うございます。 今後も但馬の魅力をお伝えします!
@masayoshik2369
@masayoshik2369 4 жыл бұрын
益田の岩船との関係はないのかな
@zionkunima936
@zionkunima936 4 жыл бұрын
キューブを御神体にするのは中東地域に見られる 古墳時代となると共通の奇なる点を持つのは珍し塚古墳とかかな❔
@balancere6234
@balancere6234 4 жыл бұрын
クババは日本にあったか。
@shingokawamura5677
@shingokawamura5677 4 жыл бұрын
デビルカッターかアイスラッガーか気円斬じゃなきゃ説明つかないね。
@けんのじ-c9r
@けんのじ-c9r 3 жыл бұрын
樋口カッターでもいけるかと
@goride6133
@goride6133 4 жыл бұрын
喋ってる方がこの場所を特別で不思議だと思うのは良いんだけど、科学的な検証を試みる中にまでその思想がかなり入っていて聞くに耐えない…。
@けんのじ-c9r
@けんのじ-c9r 3 жыл бұрын
科学的な検証をやっても解明できないと言ってたのは調べた科学者の方で この人は実際に石工職人としての立場から話してます。 とてもよく調べています。
@ryoutakusano377
@ryoutakusano377 4 жыл бұрын
ラリベラの岩窟教会みたいね。古代景教由来では?
@フリチンジャーナリスト
@フリチンジャーナリスト 4 жыл бұрын
エジプトの石棺と同じだ
@burny8434
@burny8434 4 жыл бұрын
生石神社⛩️ 契約のアークの箱? 剣山?
@ゆずぽんたろう
@ゆずぽんたろう 4 жыл бұрын
佐賀県の黒髪山も山の頂上全てが一つの巨岩で出来ている。何で山の頂上にそんなにどでかい岩があるのか謎。
@夕月夜-w1q
@夕月夜-w1q 4 жыл бұрын
確かに 大和の大王~皇族古墳石棺も、二上山の凝灰岩つかってるのがすごく多いです 凝灰岩ってそういうことか
@雑草という草はない
@雑草という草はない 4 жыл бұрын
ただの石じゃん
@けんのじ-c9r
@けんのじ-c9r 3 жыл бұрын
ただのアホじゃん
@orthnsx
@orthnsx 4 жыл бұрын
この方すごい、れっきとした学者だね。またあらためて訪れたくなった。
@夕月夜-w1q
@夕月夜-w1q 4 жыл бұрын
声がすごく良いね 聴かせる声で説得力あるわ
@kikkanakajima4427
@kikkanakajima4427 4 жыл бұрын
実家が石屋なんだけど専門用語と解説全然解らないwww
@dutro76
@dutro76 3 жыл бұрын
石には、ズリと呼ばれる裂け目が有る。其処を避けて素材取りのスミ線を引かないと、岩山から引き離した時にズリ線(破砕帯)からポキっと割れてしまう。表面に現れていない割れ目を読み取れたとても優れた監督者(ETかも知れません)だけが、宝殿を山から浮かして移動可能となる。なお、刻み採り出そうとした時期は1000年程度の古代の古さでは無いと思います。おカミさん解説ありがとうございます。
@787ryuryu5
@787ryuryu5 4 жыл бұрын
これは?レーザーカットで切り出した石ですね…
@higonokaze
@higonokaze 4 жыл бұрын
1300年以上前からの存在とナレが聞こえる。レーザー駆使していたなんてあり得ない。W
@787ryuryu5
@787ryuryu5 4 жыл бұрын
肥後の風さん、はじめまして。 アル・ナスラ と呼ばれる遺跡は見事な切れ味です…古代に重機が有ったのでしょうか?訳、解りません。
@787ryuryu5
@787ryuryu5 4 жыл бұрын
@@higonokaze サクサ・イワマン遺跡の切り出した石の切削面も、機械で仕上げた様に見事過ぎます。 何で、1000年以上前に精密加工技術が有ったのでしょうか?訳が解りません。 この遺跡には、石と石の間の隙間が全く無いそうです。 機械の仕業です…
@787ryuryu5
@787ryuryu5 4 жыл бұрын
@@higonokaze どうしてここ最近の技術が太古に出現するのでしょうか?全く解りません…
@yomustapha9593
@yomustapha9593 4 жыл бұрын
テロップ入れてほしいなあ。専門用語や固有名詞もあるし、解説者の訛りもあるし、音声だけでは把握できない部分が多いよ。
@orthnsx
@orthnsx 4 жыл бұрын
子供のころからさせられていたのはそのための勉強なんだよ。こういう話を理解できるようになるための。もう遅い。
@Masaaki-Ito
@Masaaki-Ito 4 жыл бұрын
技術は伝承しないと途絶えてしまうということがよく分かる事例ですね。希少技術は国費を使って未来に繋げていかなければなりませんね。
@けんのじ-c9r
@けんのじ-c9r 3 жыл бұрын
そう言う話とは別の話ですね。 国費を使ってとかで身につく技術って今の産業技術なので全くの別次元の事です。 やろうと思ってもやれることでは無いです。 何も無い時代に今の技術を保ってしてもこれと同じことはできないと言ってます。 だから国費がとかの話では無いのです。 スピリチュアルで精神の世界なのです。
@ゆーゆー-l5z
@ゆーゆー-l5z 4 жыл бұрын
山が石の塊!? 山には土があるものだと思っていたのでびっくり(°□°;)
@beugel66
@beugel66 4 жыл бұрын
>こんな浅い川で運べるかよ 水量が変わってないと思ってやがるw
@zax1152
@zax1152 4 жыл бұрын
上流にダムを作って、水をためてから一気に流すんですよ。
@森岩光
@森岩光 4 жыл бұрын
修羅(ソリ)に積んで海岸に運びます?
@おかねためるぞう
@おかねためるぞう 3 жыл бұрын
今の時代と違ってこの時代は雨量が多かったし川の水は溢れていたんだよ。だから必然的に川底は深くなるよね わかる? だから運搬には好都合だったんだよ。想像力が乏しい栄養が偏った貧乏人には理解できないだろうね ていうかバカに説明したこっちがバカに見えてきたよ ごめんね マジレスしちゃって
@ParaGate999
@ParaGate999 4 жыл бұрын
大変興味深いご説明でした。ありがとうございます。
@グレープキノコ
@グレープキノコ 4 жыл бұрын
こんな浅い川で運べるかよ
@スッキリ-s4p
@スッキリ-s4p 4 жыл бұрын
ヒント… 昔
@rogertse7617
@rogertse7617 4 жыл бұрын
Beautiful !
@megadoitu1
@megadoitu1 4 жыл бұрын
引き起こしてまた横倒しにしたのでは? その謎は底の部分を隠すため、中がくり抜いてあり その中に大変な物が隠されている、別の動画で契約の箱アークが入っていて500トンの重さで塞いであるという説があります。(笑)
@森岩光
@森岩光 5 жыл бұрын
出雲の元王家伝承によると、何の不思議もなく 古代出雲王国時代~の「幸の神 」信仰を具現化する為に 女帝が物部守屋大連に命じて 久那斗大神(イザナギ)の神石(男神石)の作造を命じて、 守屋大連は早速、この地で岩の切り出し、作造を始めたモノの 政変により物部守屋大連が亡くなった為に工事は中断~放置されたモノ。 完成していれば、ここから船で大和に運ばれ、 これも同じく女帝が命じて造らした巨大な奇岩、 所謂、亀石(女神石)と合体させる予定だったらしい。
@森岩光
@森岩光 5 жыл бұрын
合体させる予定だったのは 奈良県橿原市の益田岩船遺跡。 の、巨石。 こちらは同じく幸の神信仰による、 女神/后神の「幸媛の命」(イザナミ。また、太陽の女神(天照大神)やセオリつ媛ほか凡そ女神の実体))の磐座。  標高130mの場所に巨大な花崗岩の石造物で、益田岩船といわれている。 東西約11m、南北約8m、高さ約4,7mもあり、重さは約715トンとされる。 上部の平坦面には一辺が約1.6m、深さ約1.3mの方形の穴が彫られていることが特徴である。 益田池
@森岩光
@森岩光 4 жыл бұрын
突起部凸は男神(クナト大神/イザナギ尊)さまのオハゼ(チンチン)だそうです。 この凸岩を大和の橿原市の益田岩舟遺跡(女神/幸姫命/イザナミ尊の神岩)のオメコ凹に挿入させ、結婚させる事で幸の神信仰、、、子孫繁栄/国生みを具現化させた交合岩/女夫岩のモニュメント/御神体になる筈だった。