「アキレスと亀」はただの屁理屈じゃない。「死すべき人間どものドクサ」を問うている。#19

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ゆる哲学ラジオ

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Күн бұрын

Пікірлер: 71
@yurutetsugaku
@yurutetsugaku Жыл бұрын
【参考文献】 ◯ゼノン 4つの逆理 amzn.to/41fvINa ◯宇宙と宇宙をつなぐ数学 amzn.to/407CHWZ ◯ギリシア哲学史 amzn.to/43OzkaP 【サポーターコミュニティができました!】 ⁠⁠⁠yurugakuto.com/tetsu 【公式Twitter】 ゆる哲学ラジオのTwitterアカウントがあるので、是非フォローしてください! ⇨ ⁠twitter.com/yuru_philosophy 【おたよりフォーム】 皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています! ⇨ ⁠forms.gle/n72HW8ZAaAZu5TM96 画像提供:Freepik jp.freepik.com/
@cork__
@cork__ Жыл бұрын
コメント欄がガチ哲学(ガチ数学/ガチ物理学)になってる…!!?!?厳密な考証が求められていますね… 私自身はどれもど素人なので大変勉強になります。
@ゅう-n7j
@ゅう-n7j Жыл бұрын
これがゆる哲学ラジオの「多」の回か
@ダイナゴン-d5b
@ダイナゴン-d5b Жыл бұрын
アキレスと亀が未解決ってところにコメントに意見がありますが、数学や物理学といった現実世界をある程度数字でモデル化した学問では解決ができて、 哲学では無限についてそれらの学問とは別の前提があってそこでは未解決なのかなと思いました。(参考文献読んでないのでどう問題が設定されているか分かりませんが) つまり同じアキレスと亀という題材でも解決できる、できない問題があり、哲学では未解決であるという事だと思います。
@yoshiyoshi8980
@yoshiyoshi8980 Жыл бұрын
すでに多数のコメントがついていますが、極限の話はコーシーなどが「無限回の操作」を回避する形で、厳密に定式化していますね(実は似たようなことを、ユークリッドがやっています)。哲学の世界でアキレスと亀が議論されているのであれば、数学の実数の定義を越えた、もしくは実数の定義とは別の観点の部分が問題になっているのでしょうか。 物理学的な観点からは(厳密にいうと物理学ではないでしょうが)、運動を記述する空間座標を実数で表現するのが適切かどうかという問題になるかもしれません
@フェイ-s7i
@フェイ-s7i Жыл бұрын
ウア・メンドクサ
@adfgnote
@adfgnote Жыл бұрын
コメント読みながら初期哲学の時代にこのような議論があったって理解でええやんって思ってたら、動画の結論が数学徒には引っかかるのねって動画を最後まで見て理解。 ゼノンのパラドックスに対する現代数学的な解はこのチャンネルの趣旨とは違うと思う一方で、まだ哲学的にゼノンのパラドックスの解を求めている哲学研究者っているのかしら。 言い方があるのではと思いつつ、数学徒による補足は動画の解像度があがって良かった。 「宇宙と宇宙をつなぐ数学」ずっと積んであるわ…読んでみよう。
@doctorz7988
@doctorz7988 5 ай бұрын
高校レベルでの極限についての理解が少し不正確かと思います。 n→∞のときの1/2^nは「0に等しい」ではなく、「0に近付く」です。 nに「5億」といった有限の値を想定している限り0にはなりませんが、あくまで無限大というのは、考え得るあらゆる数より大きい数であり、具体的な数を想定することは無意味です。 例えば、n=100の時は0.0…1で、n=1万の時は0.0……1で、n=1億の時は0.0………1で、と考えていった時に「これは何に向かって近付いているのだろう」と考えるのが極限の考え方です。答えが0だから「でも何かが残るだろう」という発想になるのかも知れませんが、(1+1/n)^nのnを無限に大きくした時に、2.718281828459045…と明らかに特定の数に近付いていく様子を見れば理解できると思います。 今回の話題に上がっていた、運動に関する無限のパラドックス(無限に分割すると動けない)については、空間だけを無限分割しながら時間を無限分割しないから生じる誤解です。 長さLを時間Tだけかけて一定速度で移動する運動を無限に分割する場合を考えます。 Lの空間的長さをn分割して、そのnを無限に大きくすると区間の数が無限に大きくなりますが、同時にその1区間に要する時間(L/nT)も無限に小さくなります。 なので、全体にかかる時間は(L/nT)×nであって、結局nの値に無関係となります。
@nanananana.
@nanananana. Жыл бұрын
43:28くらい~ 平田さんの主張はε-N論法の本質を突いていて、哲学と数学が疑問を持つ点は結構似ているのを感じた どちらかというとこの対立は 哲学 vs 工学 みたいな話な気がする 余談ですが、ε-N論法で示せる1/nのnを無限大にすると0になる性質は「アルキメデスの原理」って呼ばれてたけど、ゼノンのパラドクスを否定するからアルキメデスの名前が入ってるのかなぁ
@一切衆生悉有仏性-m9y
@一切衆生悉有仏性-m9y 2 ай бұрын
馬鹿にされるという、悲劇の中ではライトなエピソードが面白すぎるw
@ctenidium-ki5yh
@ctenidium-ki5yh Жыл бұрын
ゼノンのパラドクスを初めて知った時はこいつ馬鹿やん、まあ昔だからしゃあないかと思っていましたが、師匠のパルメニデスを助けるために言ったことだという背景情報を知って少し感動しました。 「1/2^nが0になる特異点を見つけるためには一歩跳躍が必要ではないか」 確かに数学において公理を設定する際にはある程度の跳躍が必要だったり、新しい定理を発見するにも思考の跳躍が求められますが、それは決して論理的に数学が飛躍しているというわけではないです。 一度「無限に近づく」などの定義・公理を決めてしまえば(ここの部分では根源的に抜き難い思い込みがある場合がありますが)、1/2^nが0に近づくことの主張は有無を言わせない程思弁的です。つまり、思い込みが入り込む余地は微塵もないわけです。 ただ、その論理を形作る論理記号は自身について語ることができない(語ったとしてもある種の自己言及に陥ってしまう)ため、アキレスと亀のパラドクスで解決できていない部分があるとすればそこでしょう。 その場合だとアキレスと亀のパラドクスが解決できていないというよりかは、日常言語の問題が解決できていないと言った方がいい気がするので、やはり「アキレスと亀のパラドクスが未だに解決できていない」というのはどこかで誤解が生まれているように感じます。 ついでに些細な点ですが、数学では何も極限の世界では1/2^nが0になるということを言っているのではなく、nにどんなに大きな数字を入れても必ず0より小さくなることが分かると主張しているだけで、0になるとは言っていないです。
@nasunasu9794
@nasunasu9794 Жыл бұрын
自分は文系なので詳しいことはわからないのですが、確かに1/2^n=0が成り立ってしまうと、両辺に2^nを掛けると、1=0になっちゃうのでおかしいなというのはわかります。
@ΚατταΚοσμου
@ΚατταΚοσμου Жыл бұрын
大学数学は、まず初めに 「高校数学でいう極限というのは、極めて曖昧なのでまずは極限を定義します。それはε-δ論法です。」 というところから始まります。
@ぴぴえんえん
@ぴぴえんえん Жыл бұрын
なんで∂からやるんだよぉ
@hadooooken
@hadooooken Жыл бұрын
なんでイプシロンデルタからなのか……いまだにわからない大学数学の不思議
@dnnb-st
@dnnb-st Жыл бұрын
@@hadooookenε-δ論法って結局は誤差がいくらでも小さくできる時にこう書くって意味なのですが、ここからerrorとdistance(誤差の距離)でe→ε,d→δだからεとδなんだっていう話をしばしば見かけます。参考になれば。
@まや-k8d
@まや-k8d 5 ай бұрын
解決と解消は違う。 ある公理系を採用すればこの問題は数学的に解けるというのは、あくまでそこ公理系の中で問題が解けた(解消した)という話なのであって.パラドックスが全面的に解決したことを意味しません。 実無限の立場をとるのか可能無限の立場をとるのかで話はかなり違ってきますし、そもそも議論が成立した時点で解決し得ないような性質を持っているのがこのパラドックスなのではないかという議論もあります(入不二先生の『相対主義の極北』にその辺の議論が取り上げられてます)。
@MOS-mq9rq
@MOS-mq9rq 5 ай бұрын
数学者の思考って某少年探偵みたいに恐ろしく単純なんだな
@丸九_まるきゅう
@丸九_まるきゅう Жыл бұрын
数学は「直感に反しても現実よく反映したきれいな理論ならそれでよし」な所あるから、哲学がホントにそれでいいのと問われているってことでしょうか。 「無限個の点を通過するには無限の時間がかかるのでは」という問いに対しては「現実できてるからできるってことでいいんでね?」が数学や物理の考えかな。
@lakky9761
@lakky9761 Жыл бұрын
撮りだめ放出助かる
@ツンえてきち
@ツンえてきち Жыл бұрын
面白かった。こうして長い事(今でも)論じられ続けているのを思うと、カントの『純粋理性批判』が究極性についての考え方をひっくり返したのは本当に革命的だったんだな。 納富信留先生といえば、100分de名著の『饗宴(プラトン)』回での解説が記憶に残っています。 こちらも非常に分かり易く面白いお話しぶりでした。
@vonneumann6161
@vonneumann6161 Жыл бұрын
これ大学で数学やってきた人はみんなメガネをクイってしてしまうだろうな。 大学以降の厳密な数学で 1/n が n→∞で0 に近付くことがどう扱われてるのかを説明してみます。 まず、「1/nがn→∞で0に近付く」が曖昧なのでこれが何を意味するのかを「定義」します。それは以下のようになります。 「どんな数を選んで来たとしてもnを十分大きくすれば1/nは選んで来た数以下に出来る」 例を挙げると、1を選んで来たらnを1以上にすれば、1/nを1以下にできます。0.1を選んで来たらnを10以上にすれば1/nは0.1以下に出来ます。 同じように考えていくとεという数を選んだ時、N = 1/ε として、n > Nにすると、1/n < 1/N < ε になるので、εとしてどんな数を選んだとしてもnを1/ε以上にすれば1/nをε以下にできる事になります。 つまり、上で述べた定義に当てはまってるので、定義から「1/nがn→∞で0に近付く」が真という事になります。 このやり方を数学ではεN論法と言います。確かコーシーが初めて提唱したやり方です。 数学では哲学と違って、どんな曖昧な表現でも厳密な言い換え(定義)をします。その定義に当てはまれば誰が何を言おうが数学的には命題は真です。でも哲学ではその言い換えが本当に同じ事を意味するのだろうか?とか現実の世界でそれが当てはまるのだろうか?みたいな「余計な」ことを考えるのでそれゃ永遠に解決しないわなって思います。解決してもゴールを動かし続けるんだもん。数学の立場ではゼノンのパラドックスは何百年も前に解決済みです。 ただ、物理学では話が違います。例えば数学では円を扱いますが現実の世界には真円は存在しません。同様に、自然数も有理数も何も現実には存在しません。物理学では数学を便利な道具として使いますが数学的に正しいかどうかと物理学的に正しいかどうかは全く違う話です。哲学はここら辺を曖昧にしてるからおかしくなるんだと思います。個人的な意見だと、哲学は物理学や数学で解決出来ないような事に集中してもらってこういうのは数学者や物理学者に任せといてほしいって思います。 ゼノンのパラドックスで、「分割」というのが、物理的に空間を分割するという話をしてるなら今のところ空間が分割される現象は確認されてないので「そんなことは出来ません」で終わりですし、棒切れを分割するのなら「素粒子レベルより細かくは分割出来ません」で終わりです。数学的な意味で分割するという事なら「数学的には分割が厳密に定義できるので可能です」で終わりです。これ以上は何も言えることが無いですし、正直哲学者が出てくる幕はないと思います。
@vonneumann6161
@vonneumann6161 Жыл бұрын
あと、1対多のことで言うと量子力学のエヴェレットの多世界理論(主流では無いです)では宇宙全体の正体が一つの波動関数だと考えるので1派の考えだなって思いました
@saya-qc8wi
@saya-qc8wi Жыл бұрын
「余計な」って言ってるけど、今回のパラドクスはその「現実の世界に当てはまるのか」を考えるのが主題なんじゃないかと思った。現実に当てはめられないのであれば、数学(多)で現実の世界を捉えようとするのはナンセンスだよね?ってのが主張だと理解したけど違うんだろうか。
@vonneumann6161
@vonneumann6161 Жыл бұрын
@@saya-qc8wi 確かに現実世界に数学が適用できる理由はまだ明らかにされてないですが、現実には数学を現実に適用してる物理学などを含む自然科学は大成功しています。なので「なぜ」適用出来るのかを考えるのは有意義ですが、そもそも適用出来るかどうかを考えるのはナンセンスだと思います。現に出来ているので。 これについてはユージン・ウィグナーという物理学者によって “The unreasonable effectiveness of mathematics in the natural sciences” (自然科学における数学の不合理なまでの有効性)という論文が1960年に発表されてます。ざっくり言うと「数学使うとなぜか自然科学がめっちゃ上手く行くけど何故だか分からん!」って内容の論文です。これについて色んな人が色んな見解を示していますがハッキリとは明らかになっていません。
@vonneumann6161
@vonneumann6161 Жыл бұрын
@@saya-qc8wi とはいえ、古代ギリシアでは自然科学はまだ生まれてないのでゼノンがナンセンスな事を言ってるのは仕方がなく、ゼノンを馬鹿にしたりはしません。
@セイゲドン
@セイゲドン 7 ай бұрын
数学を持ち出すのはナンセンスだと思う というのは現代の数学は都合の良いように定義してるに過ぎないので 現実の世界ではなく数学の世界での話 物理も極論を言えば近似に過ぎず現実を厳密に記述しているものではない 確かに物理の究極の目的は現実世界を数学で厳密に記述することなんだけどまだ至ってない 物理学者がこの究極の問いを解決してするまではアキレスと亀も未解決
@ijimayun_algl
@ijimayun_algl Жыл бұрын
チョコプラオープニング回探してたので助かります🥹🥹
@yurutetsugaku
@yurutetsugaku Жыл бұрын
そういえば誰も触れていなかった5点の財津チャンネル…
@フェイ-s7i
@フェイ-s7i Жыл бұрын
23:54 『ゼノン 4つの逆理』 42:35 『宇宙と宇宙を つなぐ数学』
@あいうえおかきくけこ-u5p
@あいうえおかきくけこ-u5p Жыл бұрын
数学では「他のどんな実数よりも小さい」事をもって「0」として定義してるけど、そもそもの定義が「本当にそれでいいの?」っていうことなんですかね? 確かにそう言われると直感的な「0」という数のイメージとは少し乖離がある気がします。 数学では定義から出発して、そこからは一滴も漏れもない厳密な証明が行われますが、前提となる定義部分を問い直すなら確かに穴があると言えなくもないかもしれません。それこそがこの議論が「数学」ではなく「哲学」の議論とされる理由なんだろうなと思いました。
@user-xo8ib4vf8r
@user-xo8ib4vf8r 11 ай бұрын
そんな定義はありません。0は整数です。
@あいうえおかきくけこ-u5p
@あいうえおかきくけこ-u5p 11 ай бұрын
@@user-xo8ib4vf8r ε-δ論法って分かりますか?f(x)がx→aでαに収束するとは、与えられたどんなεに対しても、|x-a|
@白梅みさと
@白梅みさと Жыл бұрын
あるかないか0か1かの1と、1と1より多い1は違う?無限と無限列車の違いも是非。
@佐々木洋一-m4b
@佐々木洋一-m4b 5 ай бұрын
お二人のやりとりがなぜか?好感が持てます。失礼!
@tenkawakiirobou
@tenkawakiirobou Жыл бұрын
楽しみに待ってました
@堀田昌寛
@堀田昌寛 Жыл бұрын
大学以降で習う現代数学では、無限級数1/2+1/4+1/8+・・・=1の項数の「無限大」はきちんと定式化されているので、未だ「ゼノンのパラドクス」は解けていないと主張される哲学の先生は、問題のゴールポストを勝手に移動させて、悩まれているのではないでしょうか。(無限分割だから)距離は無限大という説明がありましたが、それは明らかに間違った説明です。
@pucapucaponpon
@pucapucaponpon Жыл бұрын
パルメニデスは古典論理と2進法で世界を見ていたのでしょうか?
@mori-c2267
@mori-c2267 Жыл бұрын
アキレスと亀は難しいです。 「実数は有限区間を無限回分割できるだけ。無限回の手続きに無限の時間が掛かるとは限らない。」 と説明されても腹落ちしません。 ちなみに「nが無限大の時 1/(2^n)=0 である」と教わったのであれば、それは高校数学でも間違いだから教え方の問題かも。 もっとも「無限小解析」という分野もあるそうなので、その定義だと正しいのかな。
@kenh5335
@kenh5335 Жыл бұрын
「アキレスと🐢のパラドックス」は「人は他人の人生を歩むことができない」といった印象を受けます。
@sablaw4011
@sablaw4011 Жыл бұрын
おっぱいは2つの山で一対になってるけど、有か無か?で語りますから、私はエレア派ですね。
@garhyla
@garhyla Жыл бұрын
納富先生が「アキレスと亀」が未だ解決をしていないと言っていることは、高校数学でも理解できる0.9999999....=1を納富先生が理解できていないと同義になると思いますが、大丈夫なんでしょうか…。
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
さすがに高校数学では厳密な理解はできないよ。大学でε-δ論法学んだら別だろうけど。 どっちにしろ数学的には解決してそうな問題だよね。
@garhyla
@garhyla Жыл бұрын
些末な議論にはなりますけれども、ε-δ論法は連続関数の極限の話であって、「アキレスと亀」の話はそこまで厳密な定義をしている話ではないはず。なのに未解決問題なような扱いをするのは、誤解を招きかねないかなと。
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
@@garhyla いや、たぶん厳密な定義の話をしなきゃいけないんだと思いますよ。結局この議論は「無限とは何か」が定義されなければ解決しないように思いますし。
@garhyla
@garhyla Жыл бұрын
えっと「未解決」と言い切ってしまうのはいかがなものかと…。つまり厳密な定義をすれば解決してる問題じゃない?という意見です。
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
@@garhyla それは同意します。ただ、やはり高校レベルでは解決できない問題ではあると思います。
@白梅みさと
@白梅みさと Жыл бұрын
「一瞬も一生も」は「あり」だと思う。「美しく」は知らんけど。
@早川眠人
@早川眠人 Жыл бұрын
距離の最小はプランク距離なので無限に分割することが出来ない。 なのでゼノンのパラドックスの問い自体成り立たない。
@nasunasu9794
@nasunasu9794 Жыл бұрын
プランク距離(1.616199×10-35)mなんていうものがあるんですね。初めて知りました。物理世界の最小単位がはっきり決まってるのはスッキリします。 まあゼノンの言いたいことと外れちゃうので、当てはめるのは反則かもしれませんが、解決法の一つとして面白いです。
@kensuketomioka2321
@kensuketomioka2321 Жыл бұрын
ひょっとしてだけど、アリストテレスの「形相」の概念って、ない→あるの変動が説明できる点が便利なのかなあ、とか考えてた 変化とか運動(ダイナミクス?)を論理に組み込めたのがアリストテレスの業績なのかなあ
@kensuketomioka2321
@kensuketomioka2321 Жыл бұрын
またアリストテレスのかませ犬要員として残っちゃうやつね😂
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
めちゃくちゃ大学数学やってる人とか呼んでアキレスと亀を解決する数学徒vsそれに反論する哲学徒の回やって欲しい。 たぶん数学徒が勝つと思う。
@ダイナゴン-d5b
@ダイナゴン-d5b Жыл бұрын
そもそも、哲学(特に現在の)は数学の極限の定義について反対の立場ではないですよ。 ゼノンのパラドクスが生まれた後、現在支持されてる数学の極限の定義が生まれるには数千年の差があるので前提が違いすぎます
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
@@ダイナゴン-d5b じゃあ平田さんが不勉強なだけってことか。 アキレスと亀は数学の問題じゃなくて物理の問題だっていうことでいいのかな?
@ダイナゴン-d5b
@ダイナゴン-d5b Жыл бұрын
その結論で納得したいのなら、どの学問が勝つ勝たないって話は意味ないし、あなたの気持ちは関係ないです〜。終わりにしまーす
@樋口圭-f8f
@樋口圭-f8f Жыл бұрын
数学徒の例↓ kzbin.info/www/bejne/q5O4mYpqaMaoo8ksi=uKpumtBFybzHJIV9
@ぴぴえんえん
@ぴぴえんえん Жыл бұрын
個人的に物体の運動っていう連続的なものを離散的なものとして扱うことがナンセンスだと思う
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
「大学数学のことは分からないけど…」みたいな前置きするぐらいなら、「大学では高校数学よりも厳密な極限の定義をしますよ。」ということぐらいは予習してきて欲しい。
@ツンえてきち
@ツンえてきち Жыл бұрын
これは確かに。
@田中田中-d6x
@田中田中-d6x Жыл бұрын
哲学で議論されてるアキレスと亀は現実世界での運動の話なのか、数学の話なのか、その両方なのかがイマイチ分からなかった気がする。数学だけで言えばアキレスと亀は解決してると思うから数学の公理が持ち込めない現実世界での運動の話なんだろうけど、それならそもそもの問い立て自体が実数の連続性の公理に基づいてる気がするので、これを考えるとパラドックス解決できそうな気がしますけど。
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