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オンライン法話会「週刊法話ステーション」2024年3月27日放送回
3月テーマ:布施
講師:川野真広 師(浄土宗善福寺 副住職)
【ご質問】
見返りを求めないという事がなかなか出来ません。今、子供のいない叔母夫婦の介護に携わっていますが、本当に大変です。ありがとうと言ってもらえれば、それで心が晴れるのに、してもらって当たり前のようなところがあります。私も、体調が落ち着いてない中、電車を乗り継いで出掛けてますが、ほとほと疲れます。見返りを求めない事は本当に難しいです。そんな時、どう思ったらいいでしょうか?
【回答】
仏教のみ教えは、欲をなくす、煩悩をなくす、ということでもあります。
求める心が少なければ、得られる事が少なくても満ち足りた気持ちになる(小欲知足)。布施行はその自分の持つ欲を少なくする為の修行だと感じております。執着をなくす為の修行ですね。
なので、介護をして「あげる」ということは、介護を「させていただいている」と、自分の為にしていると感じなければならないのですが、、、そんなことよっぽと修行が進んだ、できた人間でしか出来ない事だと思います。
近しい友人などに愚痴って、思いを発散してもよいですが、動画でもお伝えしたように、仏様に心のすべてを打ち明けてみましょう。「お前は頑張っているよ。その頑張りは誰かが見てくれているよ。誰かが見てくれていなくても私が見ているよ。心で泣いている、それも知ってるよ。そんなお前を私は救うからな」と答えてくださっていると思いますよ。私たちの命終えるときすら、極楽へと救ってくださる仏様。なので、悩む私たちの心を救ってくださるのは当たり前です。どうぞ「南無阿弥陀仏」とお念仏申してください。できれば阿弥陀様の仏像の前で南無阿弥陀仏とお称えしていただいたほうが、愚かなの私たちにとってはより阿弥陀様を感じられると思います。
「南無阿弥陀仏」と心から真剣にお称えしてみてください。それが一つの返答です。
また、仏教のみ教えは「因果応報」です。善い行いをすれば、善いことが求めなくても返って来ます。善い行いをしたら、巡り巡って自分に返って来ますが、時間がかかるので、愚かな私たちには気づけないことが多いのです。求めなくても、いつか返ってきますよ。少しでも良いことあったら、普段の行いのおかげと喜んでも良いかも知れません。布施の想いとは外れるかもしれませんが、善い行いをすれば仏様も喜んでくださいます。その微笑みを想像していただければと思います。
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