KZ
bin
Негізгі бет
Қазірдің өзінде танымал
Тікелей эфир
Ұнаған бейнелер
Қайтадан қараңыз
Жазылымдар
Кіру
Тіркелу
Ең жақсы KZbin
Фильм және анимация
Автокөліктер мен көлік құралдары
Музыка
Үй жануарлары мен аңдар
Спорт
Ойындар
Комедия
Ойын-сауық
Тәжірибелік нұсқаулар және стиль
Ғылым және технология
【ゆっくり解説】 前代未聞の皇帝生け捕り事件 土木の変(前) 【明】
26:19
The battle of Yamazaki Hashiba(35000) vs Akechi(15000)
58:42
VIP ACCESS
00:47
Тренировка памяти 🧠 #boardgames #настольныеигры #умныеигры #игры #настолки #логическиеигры
00:49
How Strong Is Tape?
00:24
Đang ngồi chơi bỗng dưng bể cá vỡ kính, may có CCTV chứng minh sự trong sạch cho cô bé
00:27
【ゆっくり解説】 北京攻防戦 明VSモンゴル 首都をめぐる決戦 土木の変(後) 【明】
Рет қаралды 276,036
Facebook
Twitter
Жүктеу
1
Жазылу 127 М.
鳥人間 中国史三昧
Күн бұрын
Пікірлер: 266
@ハヤネ-y7m
2 жыл бұрын
モンゴルが来た! のロゴが好きすぎる
@勘歩ジョン
2 жыл бұрын
一番ダメダメな人物が生き残って、天寿を全うするという皮肉さよ。
@九万聖
2 жыл бұрын
田中芳樹の「中国名将百選」で、明代の副題が「報われぬ忠誠」だったっけ。 本当にその通りだな。
@qoamb410
2 жыл бұрын
救国の英雄、于謙には相応しい栄誉が与えられて欲しかったですね。それにしても、于謙という人物の凄さに驚きます。英宗の政治的力を景泰帝を即位させる事で無力化し、明軍を再編成し防衛戦を勝利に導く、しかも生粋の軍人ではなく国防次官。この様な、傑出した人物を知れて良かったです。大変面白かったです。
@jiayi2650
2 жыл бұрын
千锤万凿出深山,烈火焚烧若等闲, 粉骨碎身全不怕,要留清白在人间 -- 于谦,石灰吟
@qoamb410
2 жыл бұрын
@@jiayi2650 谢谢你告诉我那份情报。「千錘萬鑿出深山,烈火焚燒若等閒。粉身碎骨渾不怕,要留清白在人間。」那是一首伟大的诗。回复晚了,请原谅。
@MrDeha6450
2 жыл бұрын
于謙とエセンの悲しい最期が印象に残りますが、これ応仁の乱より前なんですよね。それでいてこの戦いの中で派手に大砲がぶっぱなされているあたりにも注目したいです。
@diskokd5581
2 жыл бұрын
25:57 締めの言葉、胸に響きます。
@パオパオ-r2q
2 жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
2 жыл бұрын
いつもご支援いただき、まっこと感謝感激雨霰でございます!! ご厚意を励みに、今後も精進していきますッ!!
@cendaasco9998
2 жыл бұрын
このチャンネルは、歴史を興味深く学べて素晴らしい。そしておもしろい。歴史が人間ドラマであると言うことがよく解ります・
@hirohirohiro888
2 жыл бұрын
于謙が悲しすぎる……。これは怨霊になってもいいレベル。
@MUSASI40
2 жыл бұрын
この人の場合は成化帝の代に 名誉回復がなされ弘治2年(1489)に粛愍、万歴年間に忠粛の諡号が 贈られている 菅原道真に 境遇がよく似ている
@karihakozaki
2 жыл бұрын
戦後の収拾の難しさが分かる戦でしたね、官民一体で首都を守っただけにこの事後が悔やまれますね…
@TSUDATOSIYKI
2 жыл бұрын
中国史の漫画で捕縛され殺される直前の于謙「陛下、どうか民のことをお願いします」という言葉を聞いて少し気まずそうに 「分かった」と言った英宗が印象的だったな。
@TSUDATOSIYKI
2 жыл бұрын
@@岡嶋慎 さん、記憶が間違ってなければ集英社版 中国の歴史 7巻です。
@味噌汁のきらめき
2 жыл бұрын
明は賢臣が報われない王朝。 皇帝はこの辺りから暗君感が出てくるわ宦官が跋扈するわで、崇禎帝に殉じたのが忠烈の宦官王承恩だけだったのも無理ないわなと思いたくなりますね
@KY-bw3zm
2 жыл бұрын
名臣は報われないのが常なのか、それとも報われなかった名臣だからこそ歴史に名を残せたのか。。。
@thor0610102
2 жыл бұрын
明は特に忠臣には惨いことをしますよね。 英宗も退位して上皇になっていれば忠臣を死なせることもなかったのに…。
@佐藤泰隆-h6p
2 жыл бұрын
ベリサリウス「それな」
@heiho_ita
2 жыл бұрын
明国の官吏は朝に家族に別れをつげてから家を出るとか言われてたよ。
@佐藤泰隆-h6p
2 жыл бұрын
@@heiho_ita 海瑞「お上にご奉仕するなら当たり前なんだよなぁ」
@daikon_yakusha
2 жыл бұрын
皇帝的には、自身の治世を否定する政策を進める有能な臣下って、危険分子以外の何者でも無いんですよね。その辺は仕方なしというか… でも国防能力を堂々と低下させるのは暗君の所業ですがね。
@阿修羅猫
2 жыл бұрын
今更だけど最後の微妙な間からの「終わり」も好き❤
@m袖
2 жыл бұрын
Thanks!
@c-history
2 жыл бұрын
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!! 感謝感激大変励みになりますゥ!!
@山田稜-x5v
2 жыл бұрын
どっかの北宋の皇帝たちとは違って、自分から捕まりに行った挙句、忠臣を殺すって・・。 投稿お疲れ様です!
@Phaonia
2 жыл бұрын
65 歴史家たちにも明の皇帝たちってあんまり評価されていないことが多いですね。有能な官僚や功績のあった武臣の一族大量虐殺なんてしょっちゅうですし。中国史の中でも陰惨さの際立った特異な時代だと思います。中国人ヘイトの元ネタも、この時代にあることが多いですしね。
@Dangomochi1
2 жыл бұрын
今までのエピソードで一番面白かった
@serfdom221
2 жыл бұрын
物事を歪めずに把握する能力がある指揮官と出来ることは何でもして良い状況で、ようやく明が枷を外して本来持っている力を発揮!からの不条理エンド 現代にも通じる話だし非常に興味深かったです
@従五位上
2 жыл бұрын
于謙は袁崇煥と同じで最期は悲惨な事になったね。
@linshitaolst4936
5 ай бұрын
袁崇煥は崇禎帝を安心させるために、自分は遼東を5年で取り戻すことができると自称したが、結局2年後に戦場は首都防衛戦となり、崇禎帝は彼を殺す理由が完全にあった
@サイドエフェクト-i4z
4 ай бұрын
@@linshitaolst4936 将軍を失敗しただけで処断する奴は暗君
@yjmanabu
2 жыл бұрын
後編まってましたー 指揮官変わると軍は変わるなあ于謙GJドンマイエセン 対遊牧民はガッチリ城固めるしかないよな
@kikumasa0823
2 жыл бұрын
改めて勉強になりました。
@anaheimmechatronics564
2 жыл бұрын
22:00 オイラト部もジョチ家やトルイ家とかに妃を輩出しまくった、モンゴルではかなりの名門貴族なんだけどなぁ。やはりハンにはなれんか。
@thor0610102
2 жыл бұрын
動画、楽しく見させてもらいました! 于謙、哀しい最期ですね…。 兵権を握ったのだから土木の敗戦を盾に英宗に退位を迫って上皇に退かせるくらいのことをしても後世からはあまり悪く言われなかった気もします。唐の玄宗の先例もあることなので。 于謙自身の為にもその方が良かった気がします。
@c-history
2 жыл бұрын
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!! 于謙が身を全うすることができなかったこと、本当に哀しいですね……
@jiayi2650
2 жыл бұрын
千锤万凿出深山,烈火焚烧若等闲, 粉骨碎身全不怕,要留清白在人间 -- 于谦,石灰吟
@一景-y4d
2 жыл бұрын
こういう寂寥漂う終末も、延々と流れる中国史にはよくあることなんだろうなあ
@Masumakippa
2 жыл бұрын
優れた人が指揮を取れば組織はこうも変わるって感じですね。それが発揮できないのが世の悲しさですが。
@丸山康平-l2f
2 жыл бұрын
やはり明ぐらいまで来ると 英雄達も身近というかはっきりと 像を結ぶような気がしますね。 我らが聖帝朱元璋の明、続きを楽しみ(気長)にまちまする
@t16-b1w
2 жыл бұрын
良かったです。遊牧民族は強いところを避けて弱いところを攻める自由度があって強力だけど長続きしないのが弱点ですね。時間が敵。 続く、アルタン・ハーンと隆慶和議のイベントも是非、機を見てお願いします。
@t16-b1w
2 жыл бұрын
それと、火砲を生かした明軍に対して雨を待って攻めるモンゴル軍。更にそれを覆すために野戦に市街戦の要素を組込んで雨天に屋根の下から火砲を活かす明軍と面白い展開です。
@遠江少納言
2 жыл бұрын
エセンがもし兵法の「兵は神速を尊ぶ」通りに速攻で北京攻略していたら、 恐らく北京陥落→明朝が応天府か杭州府辺りに政権が南遷して、かつての南北朝の再現になっていたかも?
@haru-entmotaku
2 жыл бұрын
これは神回✨于謙を主人公に一冊ドラマ作れますね😆バッドエンドなのが悲しい😭前後編で動画作りこんで頂き圧倒的感謝✨ 天道是か否か。中華の歴史がまた1ぺーじ。
@lezakymura
2 жыл бұрын
「これもまた歴史のロマンだぜ!!」 うまくまとめたな。
@庵目姫史
2 жыл бұрын
今回は楽しみ過ぎて気が狂いそうだった。 一日一日を指折り数えた。
@自称皇帝
2 жыл бұрын
さすが防衛拠点だっただけある
@江戸川経史
2 жыл бұрын
成化帝の代に于謙の名誉は回復されたのだけが、救いですね。
@ddrible9350
2 жыл бұрын
景泰帝、欲張らずに兄の子を皇太子にしとけばよかったかもね 結果論だけど。明は名臣は報われないし、奸臣酷吏蔓延って国民も報われないし、でも並々ならぬ国力あるからなかなか王朝滅ばないし大変
@ゆう147-y5c
2 жыл бұрын
モンゴル勢力との戦いは世代交代しても、なお続くのですね。 ある意味、明朝のライフワークかなあ。
@o-d9242
2 жыл бұрын
于禁と于謙、なぜ差がついたのか…。(慢心、環境の違い)
@月村猛
2 жыл бұрын
土木の変後半も詳しくまとめてくれてありがとうございます。 どこか靖康の変に近い戦ですが、明は宋と違って徴兵制で戦に強かったことがこの結果に繋がったのでしょうな。これが宋なら良くて遷都、悪かったら完全に叩き潰されていたでしょうね 宋の高宗は仮に欽宗が帰って来てたら、景泰帝と同じ目に遭ったのでしょうか😥?
@866083
2 жыл бұрын
待ってました!!
@神林豊
2 жыл бұрын
「女医明妃伝」がヒロインと正統帝・景秦帝が中心のドラマでしたね。 土木の変・北京攻防戦・奪門の変などまさにこの動画の事が描かれていますが、ヒロインが立派な方でその後の明朝時代の女性の地位向上に大きく貢献した実在の女性をモデルにしている感動のドラマで何回も観ました。
@野坂慶一
2 жыл бұрын
エセンが若いこと、王振が中年であることなども気になりますが、なんと言っても孫皇太后が憎らしく描かれていて同時期の孫皇太后が主役のドラマ「大明皇妃」での描かれ方とは全く違っていて最初は戸惑いました。
@TheKamatari
2 жыл бұрын
ジャッキーチェンプロデュースの『成化十四年』の、まさしく前日譚。ドラマ本編では「当然知ってるよね」って感じであまり説明されることなく前提にされてた部分を知れて、色々スッキリした。そして、きっと次回はまさにその時代に
@user-Robespierre
2 жыл бұрын
上の能力や判断がどれだけ重要か…納得です
@kuritayouichi2993
2 жыл бұрын
前に、北京で空き時間で見に行った【首都博物館】にデカいジオラマがあってイマイチ何のコトだか判らんずくでしたが、この動画で思いあたりました。ありがとうございます! 15世紀半ば時点で、農耕民帝国が遊牧民侵攻軍を火力戦で破ったって時代感覚的に意外でした。 種子島の鉄砲伝来の100年前です。
@wakamedesuga
2 жыл бұрын
新規じゃないけど再生リスト新しくなってたら全部見ちゃいます❤時系列順なのめっちゃ嬉しい!ありがとうございます!お身体に気をつけてこれからも程よく頑張ってください!応援しています!
@heiho_ita
2 жыл бұрын
北京防衛戦があったのは知らなかったな🤔 明朝の先発正統帝と王振のバッテリーごと入れ替えて宇謙が中継ぎでなんとか凌いで抑えの英宗が締める試合だな😃 資料集には正統帝とエセンはかなり仲良しだったみたい🤔
@坂田火魯志
2 жыл бұрын
明代の火器や防具は調べると面白いんですよね、新紀元社の幻の戦士たちや武器と防具中国篇なんかに詳しいです。
@知-k3q
2 жыл бұрын
日本幕府軍は大明火炮と騎兵に痛めつけられた😂
@冬貴-p6l
2 жыл бұрын
北宋の皇帝と違って、帰ってこれただけでも正統帝は恵まれてる方だと思う。
@濱本貴寛
2 жыл бұрын
欽宗「父君と共に、金へ連れて行かれ…南に帰る事なく、やがて父君は異郷の地で病篤くなって…お隠れ遊ばされた。 そして、我が身は同じ様に朽ち果てていくのだろう…。 まだ、京師に帰れただけ…はるかにましではないか」
@古の生もの
2 жыл бұрын
後期の唐もそうですが明朝も若死に皇帝が多過ぎる問題。 まあ幾分かは仙薬という名の毒物のせいなのでしょうが。
@kumanya7475
2 жыл бұрын
一番無能でいらない奴が畳の上で死ぬのか… 幽閉で済ませちゃった景泰帝優し過ぎやろ
@Claude_Beaumont
2 жыл бұрын
これでも明の皇帝としてはまだマシな部類・・・・
@雅也-n7e
2 жыл бұрын
すごい、ナポレオンの名言を地で行くような皇帝だな。トップが1番の敵とはな。
@覇王花-r9u
2 жыл бұрын
王振「うーん、これは名君!きっと師匠の教え方が良かったんだな!」 明の名臣たちの報われなさほんと好き。この残酷なまでの無常さが堪らないんだ…。
@daikon_yakusha
2 жыл бұрын
ヌルハチ「これは酷い。そりゃ明朝自壊しますわw」
@YH-nu7wc
Жыл бұрын
@@daikon_yakusha 最後の最後の皇帝も名臣殺して、離脱者続出w
@泉此方-v7k
6 ай бұрын
江戸市民『ウオオオガンバレ 和藤内』
@ikojiku
2 жыл бұрын
大軍を率いていたわけでもなく、首都でない地方の城で、騎馬民族最強の1人ヌルヌルハッチャンを返り討ちにした悲運の守護神よ 科挙に合格して軍事でも才能を発揮したパターンって案外多いな
@Dangomochi1
2 жыл бұрын
科挙は古典への教養や文章力など、人文的能力に偏重し過ぎという批判があって、それはある意味正論なんだけど、 やっぱり言語能力に秀でた人は判断力や論理能力も優れた人が多いと思うわ。 上手い文章を書く人に仕事出来ないポンコツは少ないだろうし。 そう考えると、少なくとも産業革命以前に於いては科挙は優秀な人士を見出す手段としては適当だったと思える。
@やるからには
2 жыл бұрын
タイトル忘れたがこの前まで見た中国ドラマで何故か後半于謙が主役みたく活躍してたわ
@野坂慶一
2 жыл бұрын
「大明王朝1449」(原題∶大明王朝驚変録)でしょうか。 YOUTUBEに全40話が中文字幕でUPされていますね。
@聡福地
2 жыл бұрын
土木の変は、中華史上でも皆が一体になって頑張り、内紛や裏切りがない稀な出来事でなかったか、と視聴して思った。
@KM-rh5xv
2 жыл бұрын
個人的には夏⇒殷⇒周⇒春秋⇒戦国⇒…と時系列になってると嬉しいですけど、新規さんには「キングダムの時代 戦国」とか「封神演義の時代 殷」みたいな知名度のあるコンテンツで興味もってもらうのが良いんですかねぇ 最近だと満州アヘンスクワッドって漫画が清末期を書いてて面白いです😃
@madmotor
2 жыл бұрын
無敵の基盤軍団を誇ったモンゴルも、銃火器というゲームチェンジャーの前に敗れ去ったわけね。時代の変わり目を象徴する戦いかもしれない。
@たけころのみこと
2 жыл бұрын
今回の名乗りの言葉、共感します!干し芋は硬いやつがいい!
@kamenoko4413
2 жыл бұрын
宦官が優遇される一方で、官吏の待遇が悪く処刑は当たり前だった明王朝。最後は臣下からも見放されて滅亡してしまうが、そういった問題点が、土木の変のその後にも表れていますね。
@MUSASI40
2 жыл бұрын
明末清初にそれが顕著でしたね特に清や 李自成サイドがその例題を持ち出して 明の官吏や将軍を説得して引き抜くパターンが多く明の滅亡に拍車をかけた。
@深海魚-o1i
2 жыл бұрын
この動画で扱っている期間の後、明朝では愚かな皇帝は長生き、まともな皇帝は短命、ということが続く。衰退期以降の明朝を思うと、暗澹たる気分になる。
@山川東風
8 ай бұрын
ほんとにこの時代は「やってられないな」と「こんなもんか?」感満載。虚しき強者ども・奸臣どもの夢の跡。
@宮下弘明
2 жыл бұрын
天道是か非か…歴史の真実とロマンですねえ
@yh6146
2 жыл бұрын
23:23 日本でも一度退位した天皇が再び即位した例があるけど、全て女帝。まあ、後醍醐天皇みたいに鎌倉幕府に退位させられた後に鎌倉幕府に勝ってから退位を無かった事にして天皇に返り咲いた例があるけど。
@intelljp
2 жыл бұрын
英宗の功績として定年・年金制度の確立があります。65歳以上は公務免除、70歳以上から国が食料を支給、90歳以上で倍増。 他にもあるんですが、英宗個人の発議というよりも名臣の政策のようです。 毛沢東は批判してますが、現代中国ではそれほど無能ではないという評価です。
@2ytku723kp
2 жыл бұрын
土木の変前後編乙 于謙は後の世に名誉回復が為されたけど、それにしても救国の英雄を晒し首は… 常の世も宮廷(朝廷)が伏魔殿の中華帝国らしいと言えばらしけど何だかなあ
@c-history
2 жыл бұрын
ご支援いただき、感謝感謝でございますッ!! 冤罪であることも人々に知られていた分も、于謙の方が袁崇煥より恵まれていたかも知れませんね……どちらも哀しい最期ですが……
@野坂慶一
2 жыл бұрын
晒し首ならマシな方で袁崇煥に至っては帝位簒奪を企てた正徳帝時代の悪徳宦官・劉瑾と同様の凌遅刑(生きながら肉体を少しづつ切り刻まれ激しい苦痛を長く与えられる刑罰)に処されています。
@nozomi-s7j
10 ай бұрын
なんて物凄い展開!!これは是非映画かドラマにしてほしい!!!!と見てたら最後… でも中国史ではありがちですね
@どーきー-g1q
2 жыл бұрын
景泰帝って、言い換えれば欽宗が無事返されちゃった高宗って感じなのか
@seattleslew2332
2 жыл бұрын
何故エセンは火砲を鹵獲しなかったんだろう? 火砲数百門の出入りは途轍もないと思うが 個人的な興味としては戦闘中に正統帝を放したらどうなるか見てみたかった
@二世桜苑書と篆刻の盤松
2 жыл бұрын
鹵獲したものを扱いきれるかどうかですね。
@seattleslew2332
2 жыл бұрын
@@二世桜苑書と篆刻の盤松 当時の火砲が特別な知識を必要とするとは思えないし 仮に扱えないとしても鹵獲すべきですよ 敵に使われずにすむんだから
@金欠雑兵
2 жыл бұрын
火薬を自給できないので、モンゴル伝統の弓を使い続けるしか無かったのでは。 火薬を手に入れるには、明からしかないでしょうし。
@二世桜苑書と篆刻の盤松
2 жыл бұрын
@@seattleslew2332 さん 確かにね。たぶん理由はふたつあって、 ①あまりの快勝(+皇帝のおまけ付き)に驚いて、その後の大掛かりな反撃は想定出来なかった。反撃があると想定していたなら迅速な北京侵攻は必須なのにそれをしていないのが根拠です。人質返還交渉( ゚Д゚)ウマーというルートを想定してたんでしょうか。 ②使えない兵器を鹵獲すると確かに明の軍備を削ぐことは出来るが、そのぶん自分達の機動性が下がるので差し引き計算で機動性を取った。 あたりですかね。
@aluminium9227
2 жыл бұрын
当時の火砲は現在のもののように火薬と弾薬が一体になっておらず知識がなければどの程度火薬を入れれば良いのかさえわからず、のちのものと比べて暴発の危険性がはるかに高いので素人がなんとなくで扱える代物ではないかと思います。照準などを考えずにただ打つだけなら今のものの方が簡単でしょう 当時の火銃(もののけ姫の石火矢のモデル)は確か薬さじのようなもので火薬を測ってから装填していたはずなのでそういった知識なしに扱うのは難しいでしょう。短期間の訓練で扱えるのは銃火器の利点ではありますが、知識がないと如何なる人であれ敵を倒すどころか自爆しかねませんから…
@tokyobonta
2 жыл бұрын
明で名君と言えるのはを洪武帝、永楽帝、洪熙帝、宣徳帝、弘治帝くらいで後はほぼ全員暗君でしょうね。(即位直後に死んだ泰昌帝は未知数ですが…)
@シャル-f4q
8 ай бұрын
それだけ暗君のオンパレードなのに300年近く王朝を維持できたあたり官僚制の優秀さが現れてる感じはしますね...
@金欠雑兵
2 жыл бұрын
英宗、王振とその一派の名誉回復してのは、 オイラトでの虜囚生活があんまり悪くなかったのもあるのだろう。 後に火器が種子島以前に我が国に伝わっていた鉄砲だとすると、石や釘を放ち、 殺傷力はさほどとされていたが、 それでも軽騎兵のモンゴルには十分だったのか。
@nekono_mimikon
2 жыл бұрын
ここで言われる火器は三眼銃(琉球でも使われたので、日本に来ていた鉄炮もコレかなと)など至近距離でないと当たらない鉄炮ではなく、虎蹲砲のような据え置き型で100m以上の射程がある大砲でしょう。 これなら家屋内や城壁上からでも届きます。 有効射程が20m程度で照準も無い三眼銃を騎兵に当てるには、馬に蹴られ槍で突かれる距離まで近付かないと無理ですしね。
@ktoshikikun
2 жыл бұрын
結果的に、復辟できた正統帝が一番得した?🤔
@YF-21LOVELOVE
2 жыл бұрын
項羽と劉邦・三国志・水滸伝の横山光輝氏読者としては、本動画は知らなかった戦史として また、于謙の有能さが熱い
@長谷部ごん
2 жыл бұрын
干し芋は焼くと一層うまい オーブントースター可
@takahirosato50
2 жыл бұрын
なんか涙出てくる。歳かなぁ。
@ntatanohu1214
2 жыл бұрын
皇帝って、古今東西問わず、たまに捕獲されてビックリされちゃうよね。
@shuichiuchida2008
2 жыл бұрын
ナポレオン三世とかある意味、自分でプロイセンに喧嘩吹っ掛けておいて捕まるからなw
@おばっち-k7d
10 ай бұрын
今読んでいる「両京十五日」で于謙が出てきたので久しぶりにこちらを視聴
@山田山の介
2 жыл бұрын
正統帝が暗君であることはよくわかった。
@野坂慶一
2 жыл бұрын
于謙は12歳の時に詠んだとされる”石灰吟”が小学6年生の国語教科書に載っている事もあって、中国人は于謙=石灰吟という認識であるらしい。 こういう背景があるのでドラマ「大明皇妃」の終盤の処刑される于謙が辞世の句として詠んだのが”石灰吟”だったのだろう。
@うみうし-l7b
2 жыл бұрын
土木の変のグズグズぶりからのキレキレの首都防衛戦でしたね それにしても、モンゴルを追い返したとはいえ、異民族の居住地に北京はやっぱり近すぎる気がします 素人目線ですが、やっぱり北京を前線基地の重要拠点にして、南京を首都にした方が安全な気がする🤔💭
@jieyiblue6469
4 ай бұрын
明朝奉行的是“天子守国门”的政策,即天子为国家守卫边境,是明朝的传统。 只要皇帝还在北京城,北京就永远不会被异族攻陷。 北京最后陷落于长城内的农民军李自成,而非长城外的异族。
@コシモ-v2s
2 жыл бұрын
于謙もエセンも才能あったのに、血統や正当性で負けて殺されたのが残念!でも、良い闘いでした、北京攻防戦。解説お疲れ様です。
@須藤凜々花が好き
2 жыл бұрын
ふたりとも 戦争に強くて政治に弱かったんだな 二人の英雄が戦った北京にいきたくなってきた もし南京に遷都してたら北京ダックはモンゴル料理になっていたんだな
@ねおぞえ
2 жыл бұрын
エセンは黄金氏族を殺しまくって自分がハーンになったの致命的でしたね。ティムールのように「婿殿」のままであればよかったのに。
@MiyakawaTakeshi
2 жыл бұрын
@@須藤凜々花が好き 僕は政治に弱かったとは思わない。政治に弱い人が、あの危機において兵員を招集はできないと思う。ただ、政治だけに強い人より、政治面で弱かっただけかなあ、と。
@daikon_yakusha
2 жыл бұрын
二人とも、政治的な意味での「処世術」が達者ではなかったんでしょうね。 戦に強いし、政治力も有能だけど世渡り下手な悲運の人は、洋の東西問わず結構いますよね。
@濱本貴寛
2 жыл бұрын
北京攻防戦の後… 于謙「!…何だと? オイラトのエセンが、上皇陛下(英宗)を送還して来ただと…」 家臣「どうやら、間違いないようです」 于謙「まさか、エセンが靖康の変を知っているとは思えんが…」 家臣「どうしますか、上皇陛下を…」 于謙「大明の臣下として其れは畏れ多い。 兎に角、上皇陛下をお迎えしてからの事だ」 家臣「畏まりました」 一方で、英宗は… 英宗「何やら、可怪しいと思ったが…。 于謙は、朕を勝手に上皇とした。 嘗ての徽宗や欽宗の如く、朕が漠北の地で果てるのを望んでいたらしいな。 之は大逆無道の佞臣ぞ、おのれ💢」
@hayateki8418
2 жыл бұрын
永楽帝の靖難の役から動画の辺りまでのくだりは中国の長編歴史ドラマ『大明皇妃』がオススメです。
@腕時計好き道民
2 жыл бұрын
こりゃまためちゃくちゃ燃える回
@呉明徹
2 жыл бұрын
朝鮮出兵についての動画もみたい!
@intelljp
2 жыл бұрын
于謙の玄孫の于岳が朝鮮出兵で戦死してますね。 于氏は、杭州衛副千戸を世襲してます。
@daikon_yakusha
2 жыл бұрын
朝鮮出兵の理由が「明朝と交易するため」という説があるけど、 もし本当なら、 土木の変で突っぱねた前例が有るのに、何故やった? という疑問が出ますな。 知らなかっただけやろうが。 当時の明朝も「金粉まぶした付け髭の大猿」がエセンと同じ要求出すとは、夢にも思うまい…
@jieyiblue6469
4 ай бұрын
@@daikon_yakusha秀吉对明朝的了解有限,比如他以为宁波是明朝最富裕的城市,就像大阪之于日本一样,但是宁波只是明的一个小城市。 但是相反,明朝对日本的情报工作做的比较好,甚至预言了秀吉生下儿子以后,日本会内乱。
@anaheimmechatronics564
2 жыл бұрын
6:28 エセンってカンネーの戦いの後、すぐにローマを強襲せず結局負けたハンニバルみたいやな。 時は金なり。
@taisikensetu
2 жыл бұрын
待ってました。故陳舜臣先生の「中国の歴史」においては事件は記載してたような、けど皇帝が捕らわれるとは記憶に無い。 もう30年以上前なので忘れてしまったのかなぁ。
@野坂慶一
2 жыл бұрын
陳舜臣先生曰く「ここで于謙の指揮で北京を死守したから明は保った。 南京に遷都していたら少なくとも黃河以北はオイラートに支配されていただろう」と。
@taisikensetu
2 жыл бұрын
@@野坂慶一 教えて頂きありがとうございます。学生のとき何回か読み返したが覚えていなくて、死ぬまでにもう一度読んでみようと思います。本はまだあるので。
@やひ-o6r
2 жыл бұрын
長篠の戦いを彷彿とさせる戦いですね。 規模は桁が違いますが。
@山内寛志
2 жыл бұрын
今回も動画を閲覧した者です。 土木の変に続く、北京攻防戦。本当にお疲れ様でした。 戦いは凄まじく、時の英雄が三国志での争いの如く見事に戦ったと思います。 しかし、時は残酷で攻める方も守る方も悲惨な最後を遂げてしまいました。 史記【横山光輝版】の最初は作者である司馬遷の物語ですが、彼は歴史【或いは過去に起きた史実の物語】を筆で記録し、史記を完成させましたが、筆を進めながら【才能あるもの【英雄】は世に受け入れられない。残酷だ】と憤りを感じていました。 司馬遷の気持ちが何となくですが、分かった気がします。 この戦いで栄光を手にした者は悲惨な最後を遂げ、敵に捕らえられた間抜けな皇帝が畳の上で死んだ。 この結果に自分は納得せず、前のコメントで話しました兄【自分よりも歴史が強い】と歴史談義をした際に、兄が【明王朝は最低だぞ】と自分に話したことを思い出し、視聴を終えた後でタメ息をもらしてしまいました。 今回の動画は歴史的結果には納得がいきませんが、面白く視聴しました。 11月も中旬に入り、寒さが増すと共に、クリスマスシーズンを迎えます。 投稿者さんにおかれましては、身体とメンタルに気をつけて、クリスマスを楽しみつつ動画の作成をしていただければ、幸いです。 話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
@keini4
2 жыл бұрын
セミかな SANYO からの 抜群の才覚があっても、絶大な結果を残しても、報われないこともある これもまた歴史のロマン というきれいな締めくくり
@anaheimmechatronics564
2 жыл бұрын
14:40 モンゴル君さぁ、君回回砲やら大砲を使って宋を征服したのに、火器の使い方忘れすぎでしょ。
@知-k3q
2 жыл бұрын
モンゴル人はどこから来た铠、兵器、火砲ですか? すべて漢民族が作ったのではないですか? 漢民族の支持を失ったモンゴル人は依然として野蛮民族であることに変わりはない~
@anaheimmechatronics564
2 жыл бұрын
@@知-k3q 谁发明了火器和大炮? 自称是 "汉族 "的人是蒙古人和汉族性奴的后代,他们声称发明了火器,但发明者的名字没有记录。 也没有任何令人信服的证据。 有任何证据表明它们不是在其他地方发明的吗?😂 如果你认为蒙古人是野蛮人,为什么不直接向文天祥和吕文焕派遣援军,赢得蒙古人? 即使是一个孩子也知道如何向盟友发送增援。 中国人,汉族性奴的后代,他们做不到这一点,他们的智力还不如猿猴。 日本、越南和马穆鲁克王朝轻松击败了蒙古人。 而汉族则被蒙古人轻易击败和征服,成为性奴隶。 为什么不把黄河和长江作为防线? 想一想。😂 首先,隋朝和唐朝是鲜卑族的皇帝,宋朝是图西族的皇帝,金朝是朱蒙族的皇帝,元朝是蒙古族的皇帝,清朝是朱蒙族的皇帝。 刘邦的汉朝每年都会向匈奴进贡。 中国的北京、南京、上海、天津和武汉也被日本人占领。 因此,汉族人作为不同民族的性奴隶生活了数千年。 如果中国人是性奴的后代,为什么他们会使用电脑和智能手机? 为什么他们不像你的祖先那样,练习舔不同民族的生殖器? 在宋朝,甚至宋朝的公主也向金朝的低级士兵卖淫,那么你为什么不从你的祖先那里得到教训?😂 首先,你使用的汉字是错误的。 你为什么不使用你的祖先使用的汉字,而使用毛泽东和其他人创造的错误汉字呢? 你是游牧民族性奴隶的后代,所以你连汉字都写不好? 隋朝和唐朝的 "野蛮人 "皇帝是鲜卑人,他们可以书写正确的汉字。 然而,作为游牧民族性奴隶的后代,"中国人 "无法写出正确的汉字。 你说的'野蛮人'是指连正确的汉字都不会写的'汉人'吗?🤣
@yuten1992
2 жыл бұрын
土木の変と前後のドタバタ、そして誰もいなくなった。これぞ中国史!
@c-history
2 жыл бұрын
ご支援いただき、大大大感謝でございます!! 大変哀しい事件でしたが、次々に消えていく人々、実に芸術点が高いですよね~
@Kひろ-f4k
2 жыл бұрын
それにしても明は忠義を尽くした、節を通した人間がね、報われない死に方をするものだ、と思いました。しかし、不朽の名を遺す点から言えば、寧ろ望む死に方だったのだろうか?
@taknar4020
2 жыл бұрын
オイラト撃退の最大の功労者于謙!でもその行いや施策は英宗にはウケんかったわけだ。
@圭田村-o4f
2 жыл бұрын
まさに『天道是か非か?』!!
@マッチ-x1y
2 жыл бұрын
哀しいものだ。 いつでもどこでも「スティリコ」が現れる。
@t.c.8374
2 жыл бұрын
"正統"帝/英宗…名前負け感… 王振、どちらかというと学者ヴァカだった事が災いしたのでは… エセンは北京侵攻に失敗した事への不満が蓄積された結果なのかも…
@封泉-b6x
2 жыл бұрын
捕まった皇帝は、あっちでどんな生活をしていたんでしょうね。
@tottoko2680
2 жыл бұрын
于謙が報われない…袁崇煥といい明王朝は名臣、功臣に対して酷薄過ぎる 初代朱元璋からして功臣を片っ端から粛正してるし最早この王朝に連綿と続く宿痾の様な物なのか
@コーッケッコ
2 жыл бұрын
やっぱ軍は率いる将によって強弱が激変するって改めて分かった。宦官は男の象徴と共に人徳だとか大切なものを失った存在というのが改めて分かった。(小学生並みの感想で失礼)
@rag6934
6 ай бұрын
北京速攻策を採らなかったエセンは、カンナエの大勝利の直後にローマ首都に攻め上らなかったハンニバルと同じくらいの判断ミスだったかもしれませんね
@ンガラパヤト
2 жыл бұрын
明の功臣は大体碌なことになっておりませんなあ まあ佞臣も仕えていた皇帝が死ぬとあっさり殺されたりするのですが・・・ 以前の時代からすると皇帝の権力の強さは別格ですね
26:19
【ゆっくり解説】 前代未聞の皇帝生け捕り事件 土木の変(前) 【明】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 136 М.
58:42
The battle of Yamazaki Hashiba(35000) vs Akechi(15000)
YUKIMURA CHANNEL
Рет қаралды 2,3 МЛН
00:47
VIP ACCESS
Natan por Aí
Рет қаралды 30 МЛН
00:49
Тренировка памяти 🧠 #boardgames #настольныеигры #умныеигры #игры #настолки #логическиеигры
Двое играют | Наташа и Вова
Рет қаралды 48 МЛН
00:24
How Strong Is Tape?
Stokes Twins
Рет қаралды 96 МЛН
00:27
Đang ngồi chơi bỗng dưng bể cá vỡ kính, may có CCTV chứng minh sự trong sạch cho cô bé
Tiin_vn - Viettel Media
Рет қаралды 28 МЛН
28:37
【ゆっくり解説】 バトゥの西征 地獄の軍団欧州襲来 【モンゴル 元】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 186 М.
25:45
【ゆっくり解説】 茶の中国古代史 中国を代表するスーパードリンク文化の誕生と発展 【漢 魏晋南北朝 隋 唐】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 36 М.
25:55
【ゆっくり解説】 嘉靖帝 皇帝暗殺未遂事件の裏に隠されたおぞましき闇 【明】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 103 М.
19:13
【ゆっくり解説】 正徳帝 中国色欲皇帝界の極北 清々しいほどの暗君 【明】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 125 М.
1:27:44
【合戦解説】第一次 国府台合戦 〜相模台合戦〜 北条 vs 小弓公方・真里谷・里見 〜 今川家との同盟破棄により ほぼ全域を敵対大名に囲まれてしまった北条氏綱であったが… 〜
YUKIMURA CHANNEL
Рет қаралды 1,2 МЛН
23:56
【ゆっくり解説】 五胡 中華を席巻した五つの嵐 【五胡十六国】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 192 М.
31:24
【ゆっくり解説】 フレグ モンゴル帝国最後の大遠征 暗殺教団を壊滅させ、イスラムの権威アッバース朝を滅ぼす 【モンゴル 元】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 106 М.
47:44
Барон Унгерн: белогвардейский Бог Войны // Redroom
Redroom
Рет қаралды 295 М.
21:14
【ゆっくり解説】 吃人の中国史 人が人を喰らう歴史の闇 【唐 明】
鳥人間 中国史三昧
Рет қаралды 93 М.
37:10
Таджики и узбеки: кто они? (история Бухары/Хивы/Коканда)
Redroom
Рет қаралды 2 МЛН
00:47
VIP ACCESS
Natan por Aí
Рет қаралды 30 МЛН