出雲口伝で明かされないイズモ族のルーツとは…

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KAMITABI

KAMITABI

Күн бұрын

Пікірлер: 45
@Robert-yb2et
@Robert-yb2et 2 ай бұрын
興味深い“出雲口伝”ですね。 こうして一般的に知られていない“口伝”を知るにつれて、日本人のルーツは何処から来たのか、といつも考えさせられます。 “日ユ同祖論”にも興味を惹かれています。 これからも興味深い動画を頑張ってUPして下さい👍
@yuichi8167
@yuichi8167 2 ай бұрын
美しく、説明もわかりやすいです。 次回作も楽しみにしております🙏
@ピュアプロトタイプ01
@ピュアプロトタイプ01 2 ай бұрын
出雲族のルーツはカシ(Khasi)族! はじめまして、お邪魔します。長いですけど、それ相応価値のあることは書いたつもりです。 私も出雲王家伝承の研究と裏取りをしていってるところです。この伝承は私の遺伝子が持つ性格に妙に合いまして大好きです。 クナト族のルーツを今年発見しました。 多分見つけたのは私が最初でしょう。初めて発表します。ほんとはTolandさんの方に書こうかと思ってたのですがチャンネル主さんの誠意と運命を感じましたので。 クナト族の王家は「カシ(Khasi)族」が源流、としか考えられないレベルで何もかもが符合しています。 4000年前、アー*ア人(この名を書くとyoutubeに消される確率が上がる)が侵攻して暴れてたのはパンジャーブからガンジス川下流域ですが、実はガンジス川下流域にももう一つのクナの地名が存在します。 日本語表記ではクルナとなってますが、現地発音はクッナです。このクナに嘗て住んでた民族は太陽とくに朝日信仰のカシ族。 この辺りは現在はバングラディッシュとなっていて、カシ族は東に追いやられていますがちゃんと存続しております。 まずカシ族の風習ですが、朝日信仰 男王の娘が祭祀をやり、母系社会で末子娘に継承権があり、’カ’は母を意味する発音で、巨木の上が天国に繋がると信じていて、稲作(元は畑作)をし藁の屋根に高床式の家を作り、竹などを使って蓑を作るのが得意で 竹馬をつくり、凧揚げもします。 毎年10月-11月に豊作、平和、繁栄を祈る祭りをします。男王の先祖を民族の始祖や父として大切にして信仰します。 どうでしょう完璧に出雲族でしょう? 今はカシ族は何種族かに分離してしまっています。北のインドのメガラヤ州(雲の住処の意味)にもカシ族が住んでいますが、どっちかというと出雲族に近いのはバングラディッシュ内で少数民族となってるカシ族の方です。 北のカシ族は言語がクメール語+広東省中国人の流入による広東語+イギリスに侵略されて英語になってしまってます。バングラディッシュのカシ族が話す言語はなんとドラヴィダ語族のタミル語です。 ですがカシ族は人種的にはモンゴロイドです。カシ族のゲノム調査報告によると、YハプロはO1b1-M95型が主で少数だけ珍しい未分化のO2をもちます。mtハプロはM9aとM下位全般であるMマクロハプログループに所属します。 いずれもちゃんと日本でも検出されているハプロになります(注:継承権のある姫さんが日本列島現地縄文人と政略結婚すれば男王のYハプロは入れ替わります 菅之八耳及び事代主そして富彦太=継体天皇はD1a2aになってまいす)。さらに、カシ族の中にブリヤート族のYハプロのC2もありました。伝承通りほんとに南アジアまでブリヤート人商人が来てたんです!なんというすさまじい伝承でしょうか。 ではカシ族の顔立ちですが、人口の数%が日本人に似てます。現代日本人のゲノムは9割弱が徐福一味やヒボコ一味など古代中国のものですが、それでもカシ族の顔立ちが現在の日本人の中にそこそこ残っているのが分かります。 似た人の名前を挙げていくとそれだけでなんか出雲族ぽくなってくるんですよ。ここはurlを貼ると消される可能性があるので顔立ちの動画や画像の紹介はできませんが。その似た人たちは見た目だけではなく性格が古代中国組とはぜんぜん違います。 因みに、ヒボコの辰韓ですが、これは楚の王族の子孫が作った国です。徐福(徐市)は夏王朝の徐国の王族の末裔ですね。楚も徐も王族先祖は共通で顓頊(せんぎょく)とその先は黄帝になります。黄帝は、たった一人の勝者が北斗七星に導かれた神となり全てを取るという道教の発明者で、顓頊が物(神獣)を扱う鬼道と絶対身分制の発明者です(物部氏の語源)。 そうそう、ガンジス川下流域に生息してるワニですが、聖なる動物とされてるインドガビアルです。画像検索してみてください。日本海に居るノコギリザメに似てます。3500年以上前のインド地方の製鉄と言えばタタラ製鉄のウーツ鋼が見つかっています。
@ピュアプロトタイプ01
@ピュアプロトタイプ01 2 ай бұрын
まだ続きます。出雲族のルーツはこれだけではありません。朝日信仰はカシ族由来、3を聖なる数とする思想はブリヤート族由来です。では蛇信仰は何族由来? 今度こそインド中央のクナに住んでる民族です。インド最古の先住民でナーガ信仰のバイガ族です。私は彼らもルーツと考えています。そしておそらく私の遺伝子のルーツです。 ここも数%程度日本人に顔立ちや雰囲気が似た人が居ます。顔立ちは彫が深く手足が長く鎖骨が水平で背筋が伸びててすらっとしてます。出雲系縄文人骨、サンカ族の末裔の人の体系もこれでした。というかサンカの末裔の人の動画を見てその体系からバイガ族に気付き後でカシ族を発見できました。サンカの人達ありがとう!バイガ族はなんと4000年間変わらない生活をしてきてます。王も政治も警察も議会も学校も郵便局もありません。それは彼らが蛇のオロボロスの輪をこの世の真理と考える性格を持っているからです。 生命は輪であり循環していて悪も善もないというものです。屈託のない笑顔が印象的な人たちです。この人達のYハプロもO1b1-M95型でカシ族と似た顔立ちの人が居ますのでかつて交流があったかもしれません。 バイガ族の祭りの音頭の太鼓と笛と女性の掛け声は阿波踊りにそっくりです。阿波は出雲族が住んでたところの一つですからね。バイガ族が描く死と再生の神の想像絵が札幌の墓遺跡で出土した3700年前の中空土偶に似てます。愛知の伊川津貝塚で出土した土偶もこの系統の造形でした。出土遺骨はラオス人に近いゲノムを持っていましたが、カシ族はカンボジア人やラオス人に近いです。 伊川津貝塚は出雲王国が出来た辺りの前7世紀ごろに食生活が農耕ベースに変わっています。これも農耕を教えていって言葉で連合していったという伝承を裏付けます。この頃は日本列島は推定-6℃程度の寒冷化で食糧難が起こり、縄文人の人口が3分の1にまで減少しています。でも戦争なんかしてません。
@ピュアプロトタイプ01
@ピュアプロトタイプ01 2 ай бұрын
クナト王の移住決断についてです。 私はいろいろ調べていくうちにシベリア由来を含めた縄文人達のルーツと顔立ちが判明してきて、現代日本人の縄文人子孫系の人たちの性格に共通性があることが分かってきました。 殆どの日本人は古代中国系なわけですが生粋の戦闘民族の子孫ですね。勝ち取ることで安泰になると信じる遺伝子を持ってて常に勝負をし得をするように自分を偽装し隠してます。対して縄文系は人に分け与えれば返ってくるから奪うより安泰になると信じる遺伝子を持っています。なので本音を言い平等な信頼関係を求めます。いつも素なのです。 縄文時代にもしかするとブリヤート人が後者の性格を持った民族を世界中旅しながら探しては日本列島に強くスカウトして集めてたんじゃないでしょうか? 最後に些か個人的な話になりますが、バイガ族の動画を見ていってると、なんと自分の父親と祖母および自分の子供の頃に激似の人を見つけまして。その少年はもう、顔立ちから髪の癖になぜか髪型に体型に佇まいまで、肌の色と鼻の形以外は自分に瓜二つでした。画面の前で思わず俺だと叫びました。 カシ族やブリヤート族の顔立ちもずっーと見ていってて気付いたのですが、自分の異性の好みの顔が全部ここだわ、と。バイガかカシかブリヤートか北シベリアです。異性の好みって自分と同じ民族の顔立ちであり、遺伝子に刻まれて知ってるわけですね。あと声質なんかも遺伝子が知ってるようです。 ですので自分は日本人というより出雲系縄文人の末裔であり、何かにこの伝承に導かれたと確信的に思っています。 ついでにこれももう書いておきましょう。出雲王家伝承を証明なんかしたら殺されるかもしれませんので。徐福のYハプロはO1b2-47Zです。藤原氏がそうなんで。ということは自動的に夏王朝はO1b2-47Zとなります。ヒボコはO1b2-K4です。どっちも民間の遺伝子調査会社による公表データより。周王朝もO1b2-K4になるでしょう。殷王朝は末は北朝鮮になってますが、O1b2a1c-F1813と思われます。 古代中国の王族は漢人じゃなかったんですよ。彼らは結局漢人に中国を追い出されて日本列島と朝鮮半島に続古代中国になる植民地を作ったわけですね。追い出されても選民意識の高いままの負け惜しみのセリフが天孫降臨だったわけです。黄帝もおそらく元は長江文明人で追い出されて北で建国したんじゃないかなと。中国遺跡でO1b2だけなぜか不自然に検出されない謎は日本政府が中国政府に頼み込んで隠してもらってるからじゃないですかね。その口止め料が40年間のODAと想像されます。そして中国の核兵器が日本の都市に向けて配備されました。笑
@morinokinoco2619
@morinokinoco2619 2 ай бұрын
もっと詳しくお話を伺いたいです。
@ピュアプロトタイプ01
@ピュアプロトタイプ01 2 ай бұрын
urlが貼れませんので、カシ族のハプログループの調査報告論文のタイトル↓  Austro-Asiatic Tribes of Northeast India Provide Hitherto Missing Genetic Link between South and Southeast Asia 日本でそのYハプロO1b1-M95が多めに検出されてる県は(wikiより)東京 石川 福岡 徳島です。古墳時代以降の出雲族の居住エリアと重なるんじゃないでしょうか。 *注意 出雲族は庶民と王家はYハプロが違います。出雲族は母系制社会なんで姫さんが部族外の男性と政略結婚する度に男王のYハプロは変わります。 例えば長脛彦=富大彦=安倍氏は元々出雲族の磯城王朝王家の王子ですが父系で辿ると徐福(ホアカリ)になりますね。なんでYハプロは藤原氏と同じくO1b2-47Zのはずです。O1b2-47Zが茨城から岩手辺りまでずっと濃く広がってます。伝承の大彦の子孫の軌跡と重なります。 出雲族の東の王家のYハプロは現地縄文人のD1a2a1a2b1に変わってます(西の王家に関しては八束水臣津野は養子なんでC1a1になった?)。このハプロは伝承通りに2100年前に奈良で拡大して主に東の王家の子孫の移住先で広がってます。長野や静岡は大彦に同行した者でしょうか。彦太(オホド)が仕方なく天皇(26代目継体)になってあげて、山口県でこのハプロは最も広がってますこれが毛利家のものと考えられます。 こちらも参照:古代氏族のYハプロ調査 FamilyTreeDNA - Samurai DNA project
@ピュアプロトタイプ01
@ピュアプロトタイプ01 2 ай бұрын
コメントが2個消えた あれで消されるのかよ
@ノア-z8r
@ノア-z8r 2 ай бұрын
日本という国は様々なルートから入って来た人々の交わりからなる国である事が容易に想像されますが、その一つであろうインダス文明の中には、私たち日本人の性質や習慣のようなものが垣間見えたことが大変面白いと思いました。 モヘンジョ・ダロの遺跡はまるで昔の日本人が造り上げた江戸の町によく似ています。そう造ろうと思い立つのは、恐らく日本人と似た物事の考え方や性質を持っていたからなのではないでしょうか。 あらゆるアクションの理由を考えるとき、その人たちの持つ性質や考える癖のような特徴はその民族の本質に他ならないと感じます。
@チョコ-x2e
@チョコ-x2e 2 ай бұрын
@@ノア-z8r ノアさん 初めまして前回の動画コメントに何故か涙🥲してしまいました。 神旅さんを一緒に応援できることに大変、嬉しく思えます✨🙏
@ちゃんちー-b2x
@ちゃんちー-b2x 2 ай бұрын
日本列島の形や位置も今とは違うものだったでしょう。大陸からは沢山の人々が東方を目指し入植したものと考えられます。古代出雲は元々の日本に住む方たちと融合しました。協調と話し合いです。霊性の高い民族ですね。
@sachikoda146
@sachikoda146 2 ай бұрын
ありがとうございます😊
@kakochan8622
@kakochan8622 2 ай бұрын
クナト王の決断は確かに現実味が薄いように感じます。神旅様の考察に納得しました。インダス文明は謎が多いですね。文字の解明に繋がる新たな発見を待ちたいです!出雲口伝の考察、とても興味深く拝聴致しました。次回も楽しみに待っています。
@秀-e8g
@秀-e8g Ай бұрын
ドラビダ人と日本人の40%に(たぶん古代出雲人)同じDNAが確認されていますね😅後の物部神道(たぶん古代ユダヤキリスト教)と蘇我仏教(景教の影響を受けた仙道的仏教)の勢力争いと😅その象徴の銅鐸、銅鏡、銅矛を祀る信仰形態の攻防も興味深い🤔
@酒井結衣-p3y
@酒井結衣-p3y 28 күн бұрын
ロストワックス!現代も歯作ってますね!! 出雲の技術だったんだ・・深いですね。
@チョコ-x2e
@チョコ-x2e 2 ай бұрын
皆様のコメント含めとても興味深い動画を有難う御座います🙏✨ 古代ローマを凌ぐ高度文明社会の存在に誠圧巻です😮 長い鼻の動物🐘南蛮族に至り八洲国へ出雲族になられたのなら嬉しき事ですね。インドマントラやあわうた歌詞内部にも何か共通する歌詞意味が存在している氣が致します。
@mayumi3300
@mayumi3300 Ай бұрын
面白い考察です。 気候変動が 人々の暮らしに 大きく影響を与えることは 我が国の歴史でも同じです。 温暖化による縄文海進では 平地が海に浸かり、 人々の暮らしは 山の高地へと移動しますし、 北極海航路は開け、 欧州も隣であったと思います。 鬼界カルデラの噴火は 多くの縄文人を世界中に散らせ、 民族移動の大きな原因と なったであろうと想像します。 温暖化があれば寒冷化もあり、 以前は縄文人は 弥生人に駆逐されたような そんな風に説明されることも ありましたが、 弥生人がやって来るより先に、 寒冷化によって 縄文人の人口が激減していたことが 分かって来ました。 出雲族がやって来たのも 寒冷化で既に 人口減となっていた縄文晩期です。 何が理由かは分りませんが、 日本列島に入った新しい血筋は その後の日本のあり方に 大きく貢献していったことは 確かなようですね。 地球🌍️のリズム 宇宙のリズムがあります。 満ちて引いてを繰り返します。 螺旋と循環を繰り返しながら 前進してゆきます。 徐福族の渡来は その後、2000年ほど経ってからです。 新たな時代が 始まった時期ですね。 そして その2000年後が現在です。
@海原かもめ
@海原かもめ Ай бұрын
妄想は清く正しく美しく艶やかに
@土屋F
@土屋F 2 ай бұрын
出雲口伝にクナト王は北方を通るルートを選んだのは人が多い大陸は戦乱が激しいため人の比較的少ないルートをあえて選んで日本にやってきたと書いてあった事を読んだ時、私は確かに北方ルートは距離は長いが安全だと感じたのを記憶しています。戦わない出雲族の選んだ民族大移動を無謀すぎるとは感じませんでした。ハプトグループD(Y染色体)の現在の分布を見るとアマンダンニコバル諸島、チベット、バイカル湖近く、日本に多く、それら周辺に移動するルートを確立していたのかと想像できるかと思っております。今のインドでは男系ハプロDは北方より移動したアーリア人男性に駆逐され、南方のアマンダンニコバル諸島のみに残ったのかな?と感じました。
@高見章代
@高見章代 2 ай бұрын
インドも深いんですよねーインダス文字が解明されないかしら。碑文が残っていれば文法が解るのですが印ではどうしようもないですよね。サラスヴァティーこそナーガ神であり瀬織津姫様。ここからは武内先生の考察ですが黒海辺りにいた古ケルト(縄文ラピュタ)がアルメニアで文明を興し寒冷化でアララト山を超えてフリル人となりインドへ入りヱビスとなり、アナトリアへ入るとヒッタイトとなりメソポタミアへ入るとシュメールになる。←これはインダス文明より後。としたら出雲のルーツはインドの原住民トラビタか宇宙人とのハイブリッドの可能性もあるのでは⁉️と今の所ガチに考えてるのです。4000年前インダス文明のど真ん中にナーガ=サラスヴァティ=瀬織津姫がいらっしゃるのは何よりの証拠ですよね。まだ確証は無いですが。そもそも安曇族として海から入りクマソとなり胸に船の刺青を入れてた人々が宗像、背中にクモの刺青を入れていた人々を出雲だと言う説もあるし東日流外三群誌や出雲口伝の大陸から津軽へ入った説もある。本当に私の頭では考えられない~けどやはりDNAが騒ぐのです。長々とまとまりもなく失礼致しました。次回楽しみにしております。
@tokoko-dp4li
@tokoko-dp4li 2 ай бұрын
サラスヴァティ川があるのですね。弁財天が日本にお祀りされている理由が分かる気がしました。ありがとうございます。エジプトの原初の島信仰が弁財天になったのかと思ってました。インドには、パールバティー川もあって、パールバティーは日本では大黒天女ですね。 日本では川俣姫や秦河勝、物部大新河命なんかが、河の名前が付いて、フルリ人(マハーバーラタだとプール人)や賀茂氏の神話と繋がります。シュメール神話では、ニンリルとエンリルの話となるようです。 クナトはイークナトン(アクエンアテン)と繋がりがあるのでは?と思ったりします。 クナト国→狗奴国は狗族とナーガ族の国だったのかも。 犬は狼で、大神神社とも繋がり、鉱脈や食べ物を見つけてくれる神様でした。 日本古代の犬種はヨーロッパ狼との混血だったとか。 ルーパロマーナでは、ローマの建国は雌大神の乳(スジャータ)を飲んで育ったロムレスだし、チンギス・ハンも青き狼と言われます。 モンゴルのカラコルム遺跡には、世界中の宗教の民で賑わった痕跡が残り、モンゴル帝国(女真族)が信仰していたのは、チベット密教でした。 インダス文明→殷→忌部説があります。銅の文化。 鉄の民を思う時、デリーのクトゥプミナールの鉄塔や、日本の甑を使った純度の高かった製鉄文化を思い出します。 現在、バチカンの文献をNTTがデータ化しているらしく、初代ローマ皇帝は有間皇子の末裔だと書かれているようです。 有間皇子の句は静岡県浜松市のことでは?と思ったりします。あっちに拠点があった部族がいたのかも。ついでに、稲佐の浜も引佐郡のことでは?なんて。 応神王朝と崇神王朝は並立していたという説があります。 応神王朝は、世界と繋がっていた王朝だったのかもですね。
@わたちゃんきよ
@わたちゃんきよ 2 ай бұрын
インドのクナ族はインダス文明とは関係ないと思います。アレキサンダー大王がインドを攻めた時に対抗した原住民の一族、森の中に住んで象を操っていたような人達を想像します。クナ族の話は誰も想像もできないことであり、そういう伝承があったらしいと理解できます。
@noshimaru123yt
@noshimaru123yt 2 ай бұрын
お疲れ様です。いろいろな方の、いろいろな仮説を聞くのは面白いです。刺激を受けます。 紀元前2000年ごろ、イズモ族の旅が始まったというのは納得できますが、海路ではなかったのが不思議です。陸路では時間が掛かるし、水や食料の調達も問題になる。 この時期は、中国大陸に殷が起こった時期にも重なるため、ペルシャ湾から青銅器の技術を持った人々が海路で渡ってくるのは可能だったはずです。 シルクロードがメジャーになるのは、前漢の時代で、この時期はまだリスクの方が高かったはずです。 それなのに、何百年もかけて大陸を移動してきたというのは不思議です。一度に運べないほど大勢だったとしてもピストン輸送をすれば10年もかからないのではと思えますし。 まあ、そのあたりは口伝を信用するとしても、最も早くできた統一王国がイズモ王国という説には賛同しません。アカホヤの大噴火で逃げた稲作縄文人がウバイド文明、シュメール文明、インダス文明を経て、中国大陸で殷や周の建国に関与し、春秋戦国時代の始まりを機に紀元前700年ごろ北部九州に移り住んだのが統一王朝の始まりだと考えます。 彼らはインダス文明とかかわった時に蛇竜信仰を吸収していたため、北部九州でも蛇を神としたのだと思います。英彦山をはじめとしていろんなところで祀られます。オリジナルの大巳貴です。 イズモ族が日本に辿り着いたのは、紀元前100年ごろではないかと思っています。流れ流れて朝鮮半島北部にいたイズモ族が、扶余族に押し出される形で北部九州に来たのではないかと。それを率いたのが素戔嗚。素戔嗚の一族は牛頭信仰で、地中海沿岸あるいは中央アジアから陸伝いに流れてきたアーリア人ではないかと思っています。口伝ではドラヴィダ人もブリアート人も温厚だったと言いますから。背が低く手足の長いドラヴィダ人は、後に土蜘蛛として迫害された歴史があるのかもしれません。 素戔嗚が悪政を敷いたので、インドにいた回帰系稲作縄文人がアーリア人(八咫烏)を連れて降臨してきて、素戔嗚を討ち、一族とイズモ族を出雲地方に流したのだと思います。 出雲地方は縄文時代の洞窟遺跡などはありますが、農耕が始まったのは、北部九州や関西地方より遅いと思われます。(紀元前100年ごろの遠賀川式土器の分布)
@drk671FUJIsun
@drk671FUJIsun 2 ай бұрын
インダス文明とクナト国は別ものでしょう。インダス文明は現在のパキスタンにあり、河川の蛇行(何キロもずれた)ことが崩壊の原因の一つと考えられています。インダス文明とクナト国は別物と感じるのは、宗教観の違い。クナト信仰から考えて、インドの小高い山があった場所のではないでしょうか?現在のインドではドラビダ系の人は南インドに多くいます。言語も何十とあります。公用語は英語、ヒンドウ、それからその地方の言葉です。大野晋先生のタミール語日本語起源説など関連した仮説が提唱されています。 インドだとすれば、場所と時間が分かればさらにおもしろいでしょうね。これには裏付けとなるインド側での研究が必要です。出雲口伝の内容を否定して読まないということもできますが、もし、この仮説を受け入れていくと、現在出雲地方に残されている神社にクナト信仰の説明が容易に頷けます。また、神代の7代以前の造化三神など哲学的な宗教観はインド人の考える宇宙観(例えばブラフマー)と似ています。このような考え方する人々がいたというのは驚くべきこと(現代の物理学にも通じる天才的な人がいた)で、現代の日本人や中国人からの発想とは違うものです。証明するのは大変難しいでしょう。比較宗教学や比較言語学の研究者が何年もかけて証拠を集めていくしかありません。DNAについても十分な証拠は提示できていないでしょう。科学的にも学問的にも否定も肯定も現在ではできていないのが現状です。 神旅さんが抱く疑問は誰しもがいだく疑問です。なぜ、北アジア経由なのか?アムール川を下った?スキタイ文明時代から草原の道が開拓されて商人が往来していた?本当?ただ、移動した集団の人数が小規模なものであれば、宗教観などその集団で維持することができないだろうことから、ある程度の規模の集団が移動したのであろうことが推測されます。が、その一方で、大規模な集団(その人数も不明)で移動するのであれば、規模が大きいほど困難になる点はないのか?など疑問点が出てくるのは否めません。カタカムにしろ、ホツマにしろ、あひる文字にしろ、戦後になって古代文字の研究がはじまったばかりです。また、秦統一以前の中原の中国の民族形成の歴史もまだ十分に解明されていません。7300年前のアカホヤの大噴火によりどのような民族移動が起きたのか?結論は何もでていません。東北大学の田中英道先生は始皇帝はユダヤ人説を唱えています。いろいろな仮説が出てきた方が健全なのではないでしょうか?考察を楽しんでください。
@usausapyon1963
@usausapyon1963 2 ай бұрын
興味深く拝見しました。鼻の長い動物が象だとしたら中国殷の時代(紀元前1600年頃~紀元前1028年頃)の人々は象を捕まえて家畜として飼い、 力の要る仕事をさせていました。当時中国には象が居たのです。そもそも「象形文字」というものは象の字を使用していることから理解できますね。 出雲族がインドから渡ってきたというのは些か無理筋なような気がしました。
@恵比寿-w8i
@恵比寿-w8i 2 ай бұрын
動画よりも文章が向いてますよね。文章化されないと本書、別資料、推測、感想がどれなのかが分かりにくいです。
@kireinakubikazari
@kireinakubikazari 2 ай бұрын
私は出雲口伝が真実で勝者の大和政権が書いた古事記、日本書紀はデタラメだと思っております。 しかし、どちらが本当であるかなど私の中で、もはやどちらでもいい。何故ならそれを知ったところで世界のこの現状を変えることは出来ない。 アナスタシアでも読んでみるといいですよ。思考で考えるより、木でも一本植樹するほうが地球の役に立つと教えてくれますから。
@kn-jk4lk
@kn-jk4lk 2 ай бұрын
インドよりも日本に近いところにも 長い鼻の動物がいるんだけど どうしてインドしか考えられないのですか? 東シナ半島には像がいなかったということですか? 中国の南部にもいたのではないでしょうか?
@たく-g6f
@たく-g6f Ай бұрын
そもそも象の一番の特徴は「デカい」ってことじゃない?牙もあるし、巨大なイノシシみたいな方がわかりやすいと思うんだけど。鼻の長い動物って言い方は、象を知らなきゃイメージしづらいし口伝を伝える段階でハブかれそう。 口伝は一族の中から選ばれた者にだけに伝えれるらしいけど、何百年?千年以上?も天災や疫病、戦乱を潜り抜けてきたって凄すぎない?イメージだと同時代に口伝の内容を知っているのは片手程度、下手すりゃ師匠と弟子の二人だけって感じするんだけど、なにかの拍子に内容を知っている人間がみんないなくなるってこともありそうだけどなー。
@warutomasato8308
@warutomasato8308 2 ай бұрын
インドの歴史考察ね。出雲口伝の補足かと思った。
@maneuver1980
@maneuver1980 2 ай бұрын
考察でも何でもなく、一般的な歴史で口伝を否定しているだけのつまんない動画ですね。。汗 わざわざ大元出版読まなくて良いかと。
@チョコ-x2e
@チョコ-x2e 2 ай бұрын
ありがとうございます😊
@kamitabi
@kamitabi 2 ай бұрын
何時も応援頂き、ありがとうございます。
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