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■ご紹介の法話
【東福寺法話会】ヘッドライト・テールライト ~ 自灯明とは | 国泰寺派吉祥寺住職 山田真隆師
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■管長日記「感動が人を変える」
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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静岡県湖西市にある東福寺様は、臨済宗方広寺派のお寺であります。
ただいまのご住職は、臨済宗の布教師でいらっしゃいます。
とても勉強に布教に熱心な和尚であります。
私も何度か法話会にお招きいただいています。
先日は、今年の十月に東福寺様で行われた法話会の動画が公開されました。
東福寺様のKZbinチャンネルであります。
法話は、臨済宗国泰寺派の山田真隆和尚であります。
山田和尚のお寺は石川県珠洲市にあります。
今年一月一日の震災で大きな被害があったお寺であります。
私も山田和尚のお寺のことがずっと気になっていました。
今回の御法話で、今のお寺の状況を知ることができました。
知る事が出来て、なお一層心の痛む思いを深くしました。
どれほどお辛い思いをなさっているのか察するにはあまりあります。
それでもみんなの前でお元気に御法話されるお姿には、感銘を受けました。
みなさまにも是非拝聴してほしいものであります。
今被災していらっしゃる方に何をしていいのか、何ができるのか、難しい問題でありますが、まずは知る事、聞いてあげることが大事ではないかと思っています。
山田和尚の法話は「ヘッドライト・テールライト ~ 自灯明とは」という題であります。
自灯明のお話も素晴らしいのですが、これはどうぞ実際に動画で拝聴してほしいと思います。
法話の後半に椋鳩十さんの話をなさっていました。
この話を私は存じ上げませんでした。
椋鳩十さんのお名前を久しぶりに耳にしました。
児童文学者であります。
一九〇五年のお生まれで一九八七年にお亡くなりになっています。
またいい話で感動しました。
あらすじだけを申し上げます。
椋鳩十さんの故郷は木曽の伊那谷の小さな村です。
三十年ぶりに帰省して小学校の同窓会に出ました。
三十年ぶりですが、なんとなくそれぞれ面影が残っていて誰が誰か分かったそうなのですが、一人だけ、どうしても思い出せない人がいました。
その立ち居振る舞いが堂々としているのです。
誰だったか思い出せずに、隣にいた仲間に聞いてみると、「しらくも」だというのです。
「しらくも」というのは「頭に白い粉の斑点が出る皮膚病」だそうです。
椋鳩十さんの『感動は心の扉を開く しらくも君の運命を変えたものは?』という本には、
「しらくもという、頭にできる病気があるわ。
あの小さい、乾燥したおできでね、
小指の先ほどぐらいのおできが頭にいっぱいできる。
そして白い粉がそれにみんなふくんです。
だから頭が白く見える。
それでしらくもと言う」と書かれています。
しらくもはあだ名なのです。
そんなものを頭にふき出して嫌われ、勉強もできず皆からバカにされていた子だったのです。
それが今や伊那谷一、二の農業指導者としてみんなから信頼されているというのです。
同窓会の二次会で椋鳩十さんは、何があったのか本人に聞いたそうです。
惨めで辛かった少年時代を過ごした彼は、わが子にはこんな思いはさせたくないと思って田畑を売っても上の学校にやろうと考えました。
しかし、子どもの成績はよくなく、勉強するようでもありません。
ところが、その子が高校二年の夏休みに分厚い本を三冊借りてきました。
その気になってくれたかと思いきや、一向に読む気配がないのです。
そこで、子どもに本を読めというなら、まず自分が読まなければと思いました。
今まで農作業に追われ、本など開いたこともないのですが、頑張って読みました。
読むと引き込まれて感動したのです。
それはロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』でした。
かの有名なベートーベンが聴覚を失ってなお自分の音楽を求め苦悩した話です。
絶望の底に沈んでも、また這い上がってくるという物語です。
自分もこのように生きたいと思いました。
それから農業の専門書を読みあさり、勉強しました。
努力を重ねて、みんなから頼りにされる農業指導者となったのでした。
はじめは貧しかったとか、勉強に興味がなかったとか、いろんな理由があったのでした。
それでも何かが縁になって人は変わってゆくことができるのです。
山田和尚も、今はたいへんな状況だけれども、どう変わっていくかは分からないのだと仰っていました。
自灯明、自らをともしびとして、このしらくも君を見習って生きてゆくのだと語ってくださっていました。
椋鳩十さんの『感動は心の扉を開く しらくも君の運命を変えたものは?』の本には、しらくも君がいじめられて辛かった日のことを次のように書かれています。
しらくも君の言葉だけを引用します。
「おれはなあ、頭にできものができていたということと、学校で勉強ができなかったということだけで、みんなからばかにされ、のけものにされた。
そして先生からも見捨てられた」
「先生からも見捨てられた。悲しかったなあ」
「悲しかった。おれはなあ、朝が特に悲しかった」
「朝日が障子にパァーッと当たってくると、妹や弟は「朝が来たあ」と言って、喜んで飛び起きるが、おれは、神様はなぜ朝なんていうようなものをこしらえたんだろうか。
きょうもまたみんなからいじめられ、のけものにされる。そう思うと、おれはなかなか起きて出ることはできなかった。
いつもおやじから怒られては起きて出た」
こういう言葉であります。
しらくも君は休みの時間にみんなが校庭で遊んでいると、いつも校庭の脇にアオギリの木が三本あって、そのアオギリの木にもたれかかって、皆が遊ぶのを見ていたそうです。
そこでこんな言葉もあります。
「この前もなあ、夕方、学校の前を通ったら、校庭にはだれもおらなかった。
三本あったアオギリの木は二本枯れて、一本だけ残っていた。
それを見たとたんに、何か磁石にでも引きつけられるように、おれはアオギリの木の方へスッと引っ張っていかれた。
そしてアオギリの木をなでてみた、ザラザラしたアオギリの木の肌を。そうしたら、おれの六年間の悲しみが、恨みが、つらさがいっぱいこもってると思ったら、思わず涙がボロポロ出たわ。」
というのであります。
そんな悲しみと絶望を乗り越えてきたしらくも君の話は、山田和尚がご自身の今の境遇と重ね合わせていらっしゃるように思いました。
そんな絶望の底にあっても感動が人生を変えてゆくのです。
山田和尚は自らの心に灯火が灯すことが大事だと語ってくださっていました。
朝が来るのが辛い、そんな思いをしている方もいらっしゃいます。
しかし、きっと朝を喜べる日も来ると信じております。
椋さんの本には、こんな言葉があります。
「だから、感動というやつは、人間を変えちまう。
そして奥底に沈んでおる力をぎゅうっと持ち上げてきてくれる、そういう性質を持ってるんです。」
本日大晦日です。
明日新しい年を、感動を持って迎えたいものであります。
横田南嶺
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