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【若一調査隊】淡路島が考古学史を揺るがす!? “鉄器”と“銅鐸”に関する歴史的大発見とその謎に迫る!
16:06
第10話 考古学資料で解明/新・卑弥呼はここにいた【古代史探索の旅Ⅲ】
18:26
UFC 310 : Рахмонов VS Мачадо Гэрри
05:00
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第12話 饒速日命は岩船に乗って東遷したのか 【古代史探索の旅Ⅳ】
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Жазылу 12 М.
これはどうでしょう
Күн бұрын
Пікірлер: 71
@user-kazenodrone23
Жыл бұрын
素晴らしい解説ですね😉 ありがとうございます♪
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
こちらこそ、ご視聴ありがとうございます。
@民草1
Жыл бұрын
民草2️⃣号: まゆ さんお元気そうで安心しました。我が家の和くんも拝見できて喜んでいます。 次回も楽しみです。
@まゆはどうでしょう
Жыл бұрын
ありがとうございます☺️ 毎日元気に過ごしています🎵
@まやらあかさ-x9u
Жыл бұрын
このチャンネル地味に好き。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
地味ですよね。 ありがとうございます🎵
@masaoyamada5139
Жыл бұрын
今は饒速日がキーワードですね。興味深いですね。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
まだ何も導き出せていませんが、ニギハヤヒ、神武東征の頃の動きを知りたいです。
@辰治内藤
Жыл бұрын
とてもわかりやすい動画ありがとうございます😊私も古代史マニアです。私も饒速日命がキーパーソンだと思います。次の配信がとても楽しみです。お願いします。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
古代史マニア、お仲間ですね 😃 今回はマニアの方への情報提供のつもりでアップしました。 捨て石みたいな感じでご記憶におとどめ下さい。
@岡本壽登
Жыл бұрын
古代史探索の旅の 出来立てほやほや を観るのは、初めてです。荒神谷遺跡は自分も行きました。北部九州の文明の利器、或いは、繋がりの[しるしのような物]が山陰、山陽へ、拡がっていくという意味での東征【神武は置いといて】があったと考えれば良いのではと思っています。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
色んな意味での「東進」が、弥生時代に長い年月をかけてあったのだろうと思います。 おっしゃるような「しるしのような物」が動いて行った痕跡を調べられれば、王権の東征の筋書きが描けるのかも知れません。
@岡本壽登
Жыл бұрын
@@これはどうでしょう『 東進』と言う言葉に大賛成です。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
ありがとうございます。 東進、(笑)。
@辰治内藤
Жыл бұрын
そろそろ次の配信まだかなあ。楽しみなんです。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
もう少しお待ちください(笑)。
@民草1
Жыл бұрын
民草1️⃣号: また拝見できて嬉しいです。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
ありがとうございます。 編集作業が、遅いんです(笑)。
@久米清則
Жыл бұрын
今回の動画、大変勉強になりました。饒速日の事もっと知りたいです次回の投稿を楽しみにしています。今、吉野ヶ里が話題になってますね。残りの謎のエリアの発掘調査が、またれますね。饒速日は九州に居たのでしょうか?詳しく知りたいです宜しくお願いします
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
ニギハヤヒを絞り込むのに、まだまだピースが足りない気がします。 今回の提示内容が、皆様が論証される為のピースの一つになれば・・・という思いです。
@Ryushun-yc4lp
Жыл бұрын
最近このチャンネルを知り、日本古代史という難しい分野にもかかわらず、事前調査もしっかりされていて、現地での解説も素晴らしく、感動させられました。私は文献中心で考古資料には疎いので、勉強していかなければと感じた次第です。 饒速日のことについてですが、十数年前に、須佐之男命を祀っている出雲の須賀神社に問い合わせたことがあります。宮司さんのお話では、その境内社の若宮神社に、須佐之男の子供を祀っている神社が合祀されており、その一つに琴平神社というのがあり、祭神は大歳であり、大歳は饒速日のことであり、大物主のことだということでした。 これは、原田常治さんの説の裏付けのために確認したのですが、饒速日は出雲の神であり、大和の三輪山をご神体とする大神神社の祭神ということになるようです。 原田さんによれば、大歳は北部九州を支配していたというので、大歳である饒速日はその後『先代旧事本紀』に書いてあるように河内へ降臨したということになるようです。 こことは関係ありませんが、「やまと」の語源は、饒速日が河内から山の東の土地(山東)へ移ったことによるのでは、と考えたりもしています。「山東(やまと)」は『元興寺伽藍縁起幷流記資材帳』に姓として登場し、『日本書紀』での漢字表記はやがて「東」となり、「倭」となります。 最新版を楽しみにしています。
@これはどうでしょう
11 ай бұрын
コメントありがとうございます。 大歳が素戔嗚尊の子供というのは、古事記にも書かれているようですね。 それが、饒速日或いは大物主を指すという説もよく聞きます。 それらの神々は出雲に関係する神々だとは思いますが、もともとの出雲神との関係性を知りたいところです。
@takumi1999
Жыл бұрын
小郡も鳥栖も海に面していないのに船?と思いましたが、7/10の豪雨を考えると船代わりに利用されたのかも。昭和28年の水害で河川沿いの樹木で助かったケースも。福岡市在住の彼女はやたらと晴れ女で今日も買い物に行くときは晴れ。「豪雨で困っているから、祈祷師してくれ」と言いました。卑弥呼も天気の祈祷をしたのだろうな・・・と思いました。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
今も昔も豪雨・洪水被害があったでしょうから、祈祷は重要視されたでしょうね。 多くの邪馬台国連合国があった(私の考え)筑後川流域の筑紫平野の安寧を祈祷するには、上流域の日田盆地で卑弥呼様にこもって頂いて祈祷して頂く。 こうも考えて、邪馬台国・日田説を思いつきました。
@moto1269
Жыл бұрын
動画配信ありがとうございます。筑後から肥前にかけて古くから人々の住むところだったのですね。 弥生遺跡とこのあたりの古い神社は関連があるのでしょうか。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
古い神社の歴史が正確に残っている訳ではないので、想像の部分は残りますが、関連あると思っています。
@和田耕一-y8f
Жыл бұрын
今回の動画は興味深く拝見させていただきました。配信ありがとうございます。調べれば調べるほど出雲と北部九州との繋がりの痕跡が多く残ってると感じます。饒速日命はおっしゃるように天火明命と同一人物かと思います。さらに大国主と一緒に国作りした少彦名命とも同じ人物かとも思えます。神武東征はなかったという話には納得はしてませんが、少なくとも神武の4世代以上前に饒速日は東征したと思います。そうでなければ記紀の物語と辻褄が合いません。大和で神武が戦ったのは饒速日本人ではなく子孫の饒速日の名を受け継ぐ物部の一族ではないでしょうか。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
記紀の中で神武にまつわる話に、創作としか思えない話がとても多いことから、神武東征はなかったと思うようになりました。 まだまだ検証中です。
@和田耕一-y8f
Жыл бұрын
生駒での戦いに敗れて神武は長期戦に追い込まれてます。大阪平野は古代から物部氏の拠点です。大和に入るには熊野に迂回するしかなかったと考えられます。長期戦になれば拠点が要ります。そこが阿波もしくは淡路島ではなかったのかと思ってます。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
普通に考えると、熊野で船団が難破し、上陸して大和に進軍するなどということは不可能です。 また、阿波や淡路で拠点を作ったのが事実としますと、すでに記紀の内容は史実ではない、ということになります。
@和田耕一-y8f
Жыл бұрын
当然そこのところは史実ではないことになります。生駒での戦いは兄を失うほどの激戦だったわけですから立て直しが必要です。どこかで拠点を作ったはずです。そこは記紀は書いてませんね。神話としては神がかり的な話とした方がより信仰を受けやすいからでしょう。ですが大まかな流れは正しいと思ってます。さもなければ大和朝廷建国の流れが組み立てられません。ここは、さらに検証が必要と思ってます。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
色んなことで検証しながら、いつか真実にたどり着ければ、最高ですね。 その過程が楽しいですし😃
@石山光介
Жыл бұрын
お待ちしておりました(^^)かずさんの説を毎回拝聴し、結構私と似ているので驚いています。私は饒速日と言う人物に興味があるのですが余りにも併合する神として扱われているので困惑ですね💦また九州が先か奈良が先が不明ですが似た地名が多いのに驚きます。人の移動と地名の移動が同じと言うのなら確かに東征はあったのでしょうね。(天皇家と卑弥呼の系図/澤田洋太郎著)を読んで興味を持った事を思い出しました。ま!まゆさんの姿も見れたし次回をお待ちしてます(^^)
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
お待たせして、申し訳ありませんでした。 弥生時代から古墳時代始まりにかけて考古資料を見ると、西から東への王権の移動は明らかです。 相当する人物の特定はなかなか難問ですが。
@mari-od1ym
8 ай бұрын
楽しく拝見させてもらってます😊 饒速日命はスサノオの5番目の息子で大和を平定した初代大王。娘はミトシ。饒速日は大歳神、大年神。また394ある大歳神社のうち兵庫県姫路市には58あります。スサノオから譲り受けた草薙剣を持って大和に入る道中、姫路には長くいたのでしょうか?スサノオ、ニギハヤヒは渡来系なんで歴史から消す必要があったと思います。ミトシの旦那が神武天皇。天皇家の三種の神器が草薙剣ということまでは消されませんけど、、
@これはどうでしょう
7 ай бұрын
コメントありがとうございます。 饒速日については中々難しく、自分なりにでも解明にたどり着けません。 長い旅になりそうです(笑)。
@u2bkim
Жыл бұрын
記紀は、各地の伝承を当時の大和政権中枢の直接経験にうまく繋ぎ合わせたものだろうと想像してます。「これはどうでしょう」さんの倭国(北九州)説は大和朝廷が取り込んだ史実の一つのように感じます。 あと、阿波の近辺も非常に興味深く、大和朝廷はこのあたりの話も取り込んだのではないかと想像してます。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
各地の話をうまく取り込んで、記紀をしつらえた。 みんなが納得できるように、ということですね。 なるほど。 そう考えれば、うちがうちがの論争をせずに済みます。 いいお考えです。
@tsst4728
Жыл бұрын
シリーズ全部拝見してますが、本当に面白くて勉強になります。邪馬台国九州説はほぼ確定ですね・・。それが近畿に渡って大和政権を。しびれます。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
近畿に移って行ったのが邪馬台国かどうかは確定出来ていませんが、北部九州にあった王権をもつ集団が移動してヤマト王権を作ったことは間違いないと思います。
@和田耕一-y8f
Жыл бұрын
出雲と筑紫は調べれば調べるほど早くから関係があったのではないかと思われる節があります。そして古代の信仰は海に神が宿ると考える人達と山に神が宿ると考える人達がいたのでは、山幸、海幸の話もそうです。そして出雲は山に神が宿ると考えていたのではと思います。三輪山信仰や山王さん(大山咋神)は両方とも出雲系の神を祭ってます。それなら筑紫は海の神を祭ったのでしょうか。アマテラスとスサノオの誓約は、海の神と山の神の融合の話ともとれます。表題の饒速日命は岩船に乗って東遷したは両方の要素が含まれてます。つまり筑紫と出雲両方に関係する神とも解釈できますね。そしてヤマトとは古代から日本人が自分達の信仰していた山の神の人達の国という意味かもしれませんね。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
神々も海の担当、山の担当と、色々ありますね。 神話の中で、素戔嗚尊の説話はなかなか難解です。 作者の意図もよくわかりません。 「出雲は山に神が宿ると考えていたのでは」というのは同感です。 出雲を中心として長い年月をかけて広がった出雲信仰(出雲王国)に、西からドッと海童たちが来て席捲していく。 そんなイメージを持っています。
@和田耕一-y8f
Жыл бұрын
つまりヤマトとは縄文から広がってきた山の神の信仰に九州北部に上陸した海洋信仰の渡来人を中心とした勢力が進出し融合して徐々に日本国が形成されていったということでしょうか。魏志倭人伝はその時代の日本でしょうから彼らが呼んでいた倭国とは北部九州と出雲、または北陸までの一帯のことである可能性が高いですね。そして記紀の中津国も同様でしょうか。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
そういう事だと思いますね。 ただ出雲以東は当時の奴国経済圏が届いてなさそうなので、出雲までではないかと思っています。
@和田耕一-y8f
Жыл бұрын
ありがとうございます。
@1oku3zen55
Жыл бұрын
お疲れ様。 壬申の乱迄、九州 と考えると、万葉集に合致。 私は40代(天武氏)後、九州から奈良又は京都にどんな過程があったのか興味。 奈良はエジプトのお墓文化と同じと考える人が出て来ないかなって‼️
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
九州王朝説ですね。 まだ確信は持てませんが、私も興味深い考えだと思っています。
@1oku3zen55
Жыл бұрын
@@これはどうでしょう そうなんですよ。福永?氏の地元に残る口伝の記載とされる多々の神社記解説、三国史燭▪呉の日本についての記載内容の読み込み、奈良に政治活動の後が見られない等から。貴殿のyoutube upも期待。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
九州王朝説は入り口を覗いただけで、その後なかなか進んでいません。 卑弥呼の後を紡いでいけば、きっと何らかの筋道に行き着けると期待したいです。
@spvol2mongen778
Жыл бұрын
こんちは~(^^) 古代は女性が祭祀王で、誰の『腹』から産まれた が重要。 筑後のニギハヤヒ(徐福)の妻は市杵島姫 宗像三女神の三女で宗像氏は 出雲 六代目 大名持 臣津野の子 吾田片隅を祖とする。 物部が出雲と親戚になり 銅鐸祭祀なら合点しますね。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
気づくのが遅れて失礼しました。 物部系が技術提供し、後に近畿・東海で銅鐸祭祀・製造が始まったのだろうとみています。 出雲口伝の通りだとすると、これが出雲・物部連合なのでしょう。 ところで、饒速日命も市杵島姫も、紀元前3世紀末頃の人ということでしょうか?
@spvol2mongen778
Жыл бұрын
@@これはどうでしょう 銅剣、銅矛じゃなく銅鐸も物部?面白いと思います。 人の移動も何波にも渡ってるはずですよね。 初代ニギハヤヒは筑後で亡くなりそれを後継者が。と考えてます。 市杵島姫も 同じで 出雲の名家出自の姫を娶るステータスが伝承を大きくしたと。 鹿児島 いちき串木野(いちき?)の冠岳にも行きましたが 交差点に残る地名やら地域の祭りまで 人々の口伝伝承は 見過ごせないなと感じますね。徐福一派は間違いなく九州に上陸してます。 また、古代大和豪族と大王家のキーマン武内宿禰の事も調べてますが どう考えても 佐賀の人。 300才生きた伝説も春秋年で 半分の150年を3代の業績と伝承者が伝えています。腑に落ちます。 祀られてる武雄神社までに海童神社が点在してるのも妙味です。 伝承では神功皇后と武内宿禰の子が応神天皇だと。 香椎宮では宿禰の抱いてる御子が応神天皇だとされ 宇佐神宮はじめ 九州の八幡宮では 黒男神社として 宿禰が祀られてます。宇佐からの東征は… 妄想膨らみます(^^)
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
饒速日命、徐福、市杵島姫、そして武内宿禰・・・蒼々たる顔ぶれ。 みんな謎のベールに包まれて、ドキドキです。 徐福来日。 私も筑後に来訪したと信じていますが、考古学的な裏が今一とれません。 「断層的な何か」を残しているはずで、甕棺、青銅器が候補なのですが、甕棺は時期が、青銅器は半島との関係性が、説明しきれないでいます。 モヤモヤ(笑)。
@spvol2mongen778
Жыл бұрын
@@これはどうでしょう 破斯清道(ハシノキヨミチ)ペルシャ人として奈良時代 役人として働いていたと明示した木簡のように 石板なりに 痕跡があればと思いますね(^^) 甕棺も土、燃料、窯の形状、焼成温度、職人の練度 現地調達だけに誤差も大きいのではと考えています。 連休最終日 吉野ヶ里に行きました。 初期は土こう墓でその後 有力者が北墳丘に甕棺で屠られ その後 甕棺墓が列をなす。 物部王国の首都だとすると 伝承で筑後に没した徐福は土に還ってるかもですね。 大きな穴を掘り その穴の壁面 斜め下に円錐状の穴を掘って甕棺を淵を出して埋め 殯を済ませたであろう遺体を屈折させて入棺 蓋となる甕棺を穴に降ろし小口を合わせ粘土で塞ぐ。 こんな埋葬 同族でないとあり得ませんよね。河北と北部九州 どちらが先か?(^^)
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
やはり甕棺文化は、河北から突然持ち込まれたということでしょうか。 土器編年では弥生前期と扱われているようですが、絶対年代を確定させるのは大変難しい事だと思いますので、徐福一行の痕跡ととらえる事も出来そうですね。 そうだとした時に、説話で言われているような童男童女3000人が、新天地で新たな文化集団を形成出来たのだろうか、ということも不思議に思えてきます。 例えば甕棺を誰が作れたのだろうか、みたいな事です。 童男童女というのは子供ではない可能性もあったりしますでしょうか。
@1509KENT
Жыл бұрын
首が伸びてしまいましたぞ。
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
すっ、すみませんでした。 (笑)。
@久米清則
Жыл бұрын
神武東征は、疑問がある何故同じ天神である饒速日の治める国を攻めたのか?謎であるそして饒速日は、何故ナガスネヒコを殺して迄、神武の配下になったのか?
@これはどうでしょう
Жыл бұрын
神武東征は謎だらけです。 昔、天皇家の始祖がこうだったらいいなぁ、という思いで創造されたと考えれば一番納得出来ます。
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