長文失礼します。 マヤの球技場の遺跡の壁画に描かれるような、生け贄になる=神との一体化という図式と似た考えが、実はキリスト教にもあります。それは贖罪(atonement)です。この単語の由来は一体化(at one ment)であると言われてます。人類の罪の精算とは、神という穢れない存在との一体化という考えです。前の考察でなるにぃさんが「グウィンは罰として火継ぎに赴くことになった」と言っていたので、グウィンが薪の王となったのは、まさに「生け贄」でもあり「贖罪」であると捉えることができます。そうなるとダクソ3のラスボス、王たちの化身は「世界への生け贄」「グウィン王の贖罪」「神との一体化」を同時に象徴する存在だったのかなと考えました。