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えりのすけ様の「秋のみづえちゃん祭り」における貴重映像の数々で、高田みづえさんは、自分の持ち歌だけでなく、キャンディーズから「浪花節だよ人生は」に至るまで、ジャンルを超えて実に幅広く歌いこなし、しかもそのどれにおいても、「みづえ節」というか、これぞ高田みづえの歌唱というスタイルを決して崩すことなく歌い切っているという点で、どれだけ引き出しの多い歌手なんだよと改めて感動しました。
高田みづえさんは現役時代、持ち歌にカバーソングが多いということで、「カバーソングの女王」という半ば揶揄を含んだ言われ方を一部ではされていましたが、自分は「歌手」という職業には、過去のスタンダードナンバーをリバイバルするとか、一部の人しか知らない埋もれた作品を発掘して世に広めるといった役割もあると思っています。むしろそれが歌手本来の役割なのではないかとも思います。すなわち、彼女の曲にカバーや競作曲が多いというのは、それこそが彼女が「プロのシンガー」である証拠だと思っています。自分のために作ってくれたオリジナルソングだけを歌っているようでは、真の職業歌手とは言えません。「硝子坂」や「私はピアノ」は、高田みづえが歌ったからこそ、昭和の名曲と言われるようになったのです。もしも彼女が歌わなかったら、これらの曲は間違いなく一部のファンしか知らないマイナー作品で終わっていたはずです。
近年では、有名アーティストがカバーアルバムを出したり、昭和の名曲を幾人もの歌手が競ってカバーしたりしています。「カバー」という行為の地位が向上しているように思います。高田みづえさんのカバーアルバム「あの日に帰りたい」は、その先駆けとなったと言っても過言ではないのかも知れません。
というわけで「22才の別れ」です。この曲はもちろん伊勢正三さんの歌唱で大ヒットした名曲ですが、歌の物語からすれば、やはり女性ボーカルの方が相応しい。高田みづえさんはその独特な切なく美しいボーカルで、この歌の世界を見事に歌い上げています。まさに卓越した「プロ・シンガー」の仕事です。
そして17才で付き合い始め、22才で別れて別の男と結婚するというこの主人公の物語が、妙に高田みづえさんご本人の芸能活動と被るような気がしてしまいます。彼女は16才でデビューして我々ファンと付き合い始め、25才で我々と別れて、我々の知らないところに嫁いで行ってしまった。今はただ、8年の月日が短すぎた春といえるだけです(*´Д`)