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この章に書かれている祈りは3つに分かれています。1節から5節まではイエス自身のための祈り、6節から19節までは自分が去った後の弟子達のための祈り、20節から26節は弟子達の宣教によって信者となった人々のための祈りです。〇まずイエス自身の祈りは十字架の死が御父(神)の栄光を表す機会となるようにということ。そしてまた、十字架を信じることによって罪赦されることを信じる者に「永遠の命」を与えることです。
〇次に弟子達の執り成しの祈りはキリストに属する弟子達は世の人々から憎まれるようになるので、どうか彼らを守ってくださるよう。
〇そして信徒達への執り成しのいのりは弟子達の間にも一致があるように、宣教によって救われるすべての人々の間にも一致があるようにと祈られました。 生きていれば、生きるほど辛いことが増えるような気がします。クリスチャンはそれを「自分に与えられた十字架」という表現をします。この十字架を、一人で背負っているとつい思いがちですが、イエスがそんな私達のために、「守ってあげてください」と神さまに執り成しの祈りをしてくださっていることを思い出したいのです。また執り成しの祈りをし合える信仰の仲間がいることは本当に心強いことです。