【光る君へ】平安お産事情:10年で8回妊娠!百日間観音奉顕授かり祈願|愛子さま誕生時も行なわれた皇室の出産行事【大河ドラマネタバレ】ドラマ考察|家系図|相関図

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歴史人物絵巻@葵

歴史人物絵巻@葵

Күн бұрын

Пікірлер: 39
@歴史人物絵巻-j3x
@歴史人物絵巻-j3x Ай бұрын
隆姫女王は子どもを産まなかったからか、93歳まで長生きしました!
@みちあか
@みちあか Ай бұрын
むなしく辛い一生だったような気がします😢
@captainfuture3754
@captainfuture3754 Ай бұрын
関連付けるのがちょっと…
@lunainolunaino7208
@lunainolunaino7208 Ай бұрын
出産だけは身分に関わらず、今も昔も命懸けですね。何人も産まされたら、その苦しみは恐怖でしかないし、産んだら周りは子供にしか目を向けない。ドラマみたいにキレイなものじゃないし、出産後も苦しみは続くし、女は辛いね。
@みちあか
@みちあか Ай бұрын
@@lunainolunaino7208 次は男だとか女しか産めないとか言われるし、子供の世話はしんどいしね。それでも来世も私は女に生まれて子供を産みたいです。やっぱり可愛いから。 ただあの痛みと恐怖は他に無いね。昔はとにかく亡くなる事が多かったから皇后や上級貴族でも怖かったでしょうね。
@いずみちょう
@いずみちょう Ай бұрын
奈良県には帯解寺があって、雅子皇后陛下とかに安産を願って帯を献上していますね。敬宮様のお生まれになった際、千年前の鳴弦の儀の報道を知って 、やはり平安時代の伝統が皇室に伝わっていて感慨深かったです😊
@たま-v2e
@たま-v2e 11 күн бұрын
江戸後期の先祖が分かったことでネットで藤原兼家、道長、頼通が男系先祖とわかりました。他紫式部も始め「光る君へ」に多くの直系先祖達が出ておりました。 定子は兄弟が先祖で、道長の兄弟姉6人と7人の子供が先祖で娘で内入内したのは彰子、妍子 、嬉子でした。 遥か遠い先祖ですが19歳で若く嬉子が出産で亡くなったと知り悲しく思いました。去年12月初旬の奈良旅行の際に宇治陵1号へ母とお参りしました。
@ねこトラボルタ
@ねこトラボルタ 11 күн бұрын
現代人もお産は大変なのに…😅
@anewreturner1
@anewreturner1 Ай бұрын
中宮定子は胎盤癒着で処置が出来ない当時では出血が止まらず死んだので産褥ではないですよね。
@lyre-l5e
@lyre-l5e Ай бұрын
内容と関係ないですが、葵さんの動画の実資のイラストが可愛くて~。 ネットで探しても見つからないのは何故?・・・😭
@歴史人物絵巻-j3x
@歴史人物絵巻-j3x Ай бұрын
イラストACさんのフリー素材です。www.ac-illust.com/main/detail.php?id=598594&word=%E3%81%8B%E3%82%93%E3%82%80%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%97
@lyre-l5e
@lyre-l5e Ай бұрын
@@歴史人物絵巻-j3x ありがとうございます🩷
@いもけんぴ-e6t
@いもけんぴ-e6t Ай бұрын
平安時代の出産事情を鑑みると やはり源氏物語の明石の姫君の出産は 怖すぎる…満12歳で出産とか… 物語だからか母子共に無事でその後も産んでますけどね
@hope4199
@hope4199 Ай бұрын
若年出産といえば、史実でも前田利家の正室の芳春院が満11歳11ヶ月で第1子を出産した(しかもその後に10人産んでいる)事が有名ですよね。
@unachannel9917
@unachannel9917 Ай бұрын
食育の違いから昔は体も小さかったし発育も遅かったろうにと思うけど、身体の成長とは関係なく初潮は一般的だったんだなぁ。そんなんで産むのはなんか痛々しい。。。
@いずみちょう
@いずみちょう Ай бұрын
源義経の母、常盤御も13歳だったかで出産していたと思います。12 〜14 歳位で着裳の儀をするから、この前後でとりあえずは大人の扱い(多分、しるしもあった)で出産もあり得たのでしょうね。
@oakoakoak28
@oakoakoak28 Ай бұрын
結婚出産する事の少ない内親王は長生きする人が多かった印象があります(選子内親王のイメージが強いだけなのかも)
@ももももだんご
@ももももだんご Ай бұрын
妊娠中、胎児にカルシウムも渡すから妊婦さんは骨粗鬆症とか歯がかけやすくなるはず。だから年子の場合はカルシウム意識しないといけない(10年前の保育士養成授業で聞いた) この時代なら特にそんなこと気にしないだろうから1年ごとに妊娠してたら歯ボロボロの骨ポキポキだろうなぁ
@maasank3263
@maasank3263 Ай бұрын
正直妊娠時の儀式って医学の進んだ現代ではどれも必要なさそうだなって…まあ伝統だといえばそれまでですが。
@ariakenotsukinokimi
@ariakenotsukinokimi Ай бұрын
私はアラフィフですが、母が私を産んだ時、骨盤が狭い+私の頭がでかい、で帝王切開で生まれましたが、多分平安時代なら、どっちかの命を取るか、両方ダメかのパターンだったと思います。 ちなみに母の兄か姉はやはり同じようなパターンでしたが、帝王切開はまだ浸透していなく、祖父(母の父)が母体を優先したので、子供は死産だったと聞きました。
@アキコ-i6v
@アキコ-i6v Ай бұрын
命は奇跡の結晶ですね😢
@かりな-o9u
@かりな-o9u Ай бұрын
私も婦人科で言われたわ。 『骨盤が小さいですね。もし子ども産むなら帝王切開です。下から赤ちゃんの頭蓋骨が通ることは不可能です。 帝王切開のある現代に生まれて良かったですね。これ一昔前なら母子共に生きてませんから』
@黒猫商会-h2t
@黒猫商会-h2t 24 күн бұрын
私も頭が大きく石頭だったので、出産時に会陰切開したのに裂けたと母に言われました💦 母は偉大ですね。恐ろしくてマネできません💦
@アキコ-i6v
@アキコ-i6v 24 күн бұрын
お子様連れのお母様を見ると 尊敬致します。😊
@kyoko7343
@kyoko7343 Ай бұрын
昔は乳幼児の死亡率が高かったから、とにかく産め産め。 スペアを沢山作れ。でしたからね。
@おかずのり-t3w
@おかずのり-t3w 17 күн бұрын
父親兄弟男子の子供など身内に男子がいないと、貴族でも女性は路頭に迷います。女の子も貴族の肩書があれば嫁ぐときはお金になります。 子供を産むことは生きる方策でもありました。
@user-さわ
@user-さわ Ай бұрын
お産と血を穢れと考えるのは神道の考えかと思っていました。 仏教だったんですね。
@tolitatootoo8343
@tolitatootoo8343 Ай бұрын
この時代においては最も死に近い場所だからな…。母子共に帰らぬ人になったケースなんて山ほどあるのだろうな。
@kiyopu28
@kiyopu28 Ай бұрын
ケガレは忌み嫌うものでなく、「大切にするもの」という意味合いもあるとも聞いたことがあります
@のうんあん-h2i
@のうんあん-h2i Ай бұрын
平安時代に私が居たら寿命が縮まったに違いない!
@黒猫商会-h2t
@黒猫商会-h2t 24 күн бұрын
平安時代に病弱な私が生きてたら、幼少期に命を落としていたに違いない💦
@Aya-oc1eb
@Aya-oc1eb Ай бұрын
今の時代に生まれてよかった〜 平安の世は、宮勤めは生理の度に実家帰れたらしいから、それはうらやましいな。 2:20 死んだ精子かと思ったw
@歴史人物絵巻-j3x
@歴史人物絵巻-j3x Ай бұрын
@黒猫商会-h2t
@黒猫商会-h2t 24 күн бұрын
血の穢れという考えからの、当時の生理休暇ですね。実家で養生できて、本人の身体の為にも良かったかも。
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