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【鬼の村】東北征伐に負けたある蝦夷の村

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怪奇な歴史研究室

怪奇な歴史研究室

Күн бұрын

坂上田村麻呂が討伐した鬼の村とは
平安時代初期から継がれる物語
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/ @怪奇な歴史研究室
当チャンネルは、
普通の心霊スポット巡り、怪異の紹介だけでなく、
史実などに基づいた歴史・民話や民間伝承などの
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アンダーグラウンドな異世界を旅行し、
忘れ去られた怪奇な歴史、伝承、妖怪、怪談、史跡、石仏、神社やお寺…
これらの中にある感動や発見、当時の生活や風習、民俗学の中に
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今後とも、街歩きをしながら、
マニアックで不思議な世界を旅していきますので、
是非、チャンネル登録よろしくお願い申し上げます。
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松浦洋介様、ハシマミ様、などなど、感謝でございます
#鬼 #蝦夷 #坂上田村麻呂

Пікірлер: 293
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 4 ай бұрын
一応補足です、動画中でも注釈入れてますが、蝦夷=アイヌではないですからね。 あくまでそういう研究もあった、という事です。
@ninorenore7036
@ninorenore7036 4 ай бұрын
というか蝦夷は大和から見た東北民族の事で、アイヌは本来東北民族から見た自分たちの事(あるいは人そのもの)だから、 蝦夷の中にアイヌも当然いただろうし、アイヌはアイヌで明確な集団意識があるわけでないしで解釈一致をみないんだよね。 民族的には確かに文化や言語が大和民族とは異なるけど、人種的にはかなり前から同化してて生物学的に分けるのも難しい。
@kiryo0
@kiryo0 3 ай бұрын
天竺も明確にインドって認識の時代から中国より遠い空想の世界やアラビアペルシアを含む時代もある。 粛慎(しゅくしん)と粛慎(みしはせ)も、微妙に違うような同じような感じだし。
@pecomyu
@pecomyu Жыл бұрын
初めまして。鬼死骸は父方の祖母が生まれ育った場所です。バス停の近くに生家があったはず。懐かしい風景でした。討伐された体が横たわった場所が「鬼死骸」、鬼の頭が飛んだ場所が「鬼首」であると(諸説アリ)ずいぶん前にも聞いていてそれで物騒な地名なのかと納得した限り。 一関に興味を持っていただいてありがとうございました。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
おお、なんと。やはり昔から地元でも有名で語られている話なのですね。
@TT-dc6fh
@TT-dc6fh Жыл бұрын
普通に暮らしてたのにいきなり東征で滅ぼされるなんてたまったもんではないですね。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
それはそうですよね。。
@user-qd6dp7zg8q
@user-qd6dp7zg8q 4 ай бұрын
勝ったら英雄、負けると鬼になるのですね😭 岡山の桃太郎鬼退治や出雲のヤマタノオロチ退治等も、同じでしょうか…詳しい事情はわかりませんが、ヤマト豪族も酷い事をしたのね😭
@S_McQueen
@S_McQueen Ай бұрын
東北はそんなのばかりだからな、蝦夷討伐、安倍氏、平泉藤原、 豊家の奥州仕置、形は違うが戊辰戦争、西側勢力うぜー!
@narihira572
@narihira572 Жыл бұрын
アテルイやモレだけではなかったんですね。歴史は勝者が勝手にこじつけたもの。現代では、縄文人は平和で大人しいと思われていますが、縄文人の血が濃い蝦夷やアイヌはとても勇敢で屈強な人々だったことがわかります。九州の熊襲や隼人も同様ですね。
@FreezeQueen-k4h
@FreezeQueen-k4h Жыл бұрын
岩手県花巻市のある町では 【ようこそ日高見の国へ】と掲げているし、違う町では北上川も日高見川であるのだと頑なに主張しています。京都ではいまだに【蝦夷風邪】とかいう言葉が残っているし 田村麻呂がアテルイ、モレの命乞いをしたのはパフォーマンスで二人は京都へ行く前に首をハネラレテイルらしいです。京都へ連れて行ったのは下っ端の部下二名だそうですね。岩手という県名も鬼の手形が由来でさんさ踊りも悪さをしていた鬼を退治した喜びの舞だそうですよ。地元民で知らなきゃいけない歴史なんですが……なかなか学びの機会がないのでこれからも参考にさせていただきたいです。 応援してます。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 知らない情報もありとても興味深い書き込みありがとうございます。 蝦夷風邪という言葉もあるんですねえ。。
@MITOGURO
@MITOGURO Жыл бұрын
鬼の手形があるのは、盛岡市の「三石神社」ですね。 高さ5m程の巨石に1.5m程の手形が付いてました。
@user-fy8jn8je7o
@user-fy8jn8je7o Жыл бұрын
このチャンネルがなければ、こういうことも知らない人生だった。 良い動画でした。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
有難きお言葉
@user-wh7fb4vd3p
@user-wh7fb4vd3p Жыл бұрын
平成の大合併等 様々な事情で地名が変わっていくのは残念ですね 地名には色々な意味が込められているはず なるべくなら残してほしいですね
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
地名は残すべきなんですよねえ。。
@user-wd4vz4zq2t
@user-wd4vz4zq2t Жыл бұрын
凄い村名だし、ものすごい意味ありのバス停名だし… 令和の時代に昭和どころか、戦後のバラックが今だに機能しているとは… 日本も奥深いなと… 教えてもらわないと一生知らずじまい。 感謝感謝であります!^^
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 今後も色々な地をまわるので、是非これからもみてくださいませ。
@BJ-nd9pt
@BJ-nd9pt Жыл бұрын
畑の中の石は異様ですがそれを保存してる村人が素晴らしいですし又それを動画に納めに行く主様も天晴です。 蝦夷はずーっと[エゾ]と読んでたので[エミシ]とは初めて知りました。奥深いですね!
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 読みは両方ありますね。 けっこう、しっかり保存して、 町おこし的な事を試みている印象でしたね。
@snowwolf2526
@snowwolf2526 Жыл бұрын
蘇我蝦夷って習いませんでした?
@YU-nt6gl
@YU-nt6gl Жыл бұрын
えみし:和語、本来の読み えぞ:東北訛り、13世紀から
@user-gr5px8bl9i
@user-gr5px8bl9i 4 ай бұрын
『蝦夷』の表記は平安末期からの成立。それ以前は『毛人(エミシ)』の表記です。
@BJ-nd9pt
@BJ-nd9pt 4 ай бұрын
蘇我毛人と思ってたので納得です。 勉強になりました。 ありがとうございます♪
@user-po4tn1jk8w
@user-po4tn1jk8w 5 ай бұрын
「歴史は強者によって作られた物語」という真実の認識、素晴らしいです。 蝦夷も、日本も、強者によって蹂躙されましたが、時は21世紀。歴史の歯車を逆回転させるターニングポイントが近いです。
@user-ti2wk9jq8y
@user-ti2wk9jq8y 3 ай бұрын
平安朝の国軍は弱過ぎて鎌倉幕府に専横される事態を招いたんだけどね。
@user-wd1jd2of5x
@user-wd1jd2of5x 10 ай бұрын
バス路線そのものがなくなっても停留所やバス停表記を手入れして保存しているところがすごいですね。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 10 ай бұрын
最近はまた鬼滅の刃というアニメで鬼の聖地として人気があるとか
@user-ur1ke5zc3j
@user-ur1ke5zc3j 5 ай бұрын
怪奇のあとにほっこりぬくもりのある食レポ味わい深かったです。
@user-cj9es8jo3r
@user-cj9es8jo3r Жыл бұрын
更新ありがとうございます🙇✨ 主様の動画はとてもお勉強になりますし、深い言葉を発言してくれるので心を打たれてます😊 大好きな動画です💓 撮影も大変かと思いますがこれからも楽しみに待ちますので宜しくお願いします🙇⤵️ 撮影の道中とお体に気を付けて頑張って下さい❗
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
有難き幸せ。こういう深い言葉て 感性の問題とか、理解ができる人そうでない人がいるので あなたは、おそらく感性がするどく、能力が高い人なのでしょう。
@imaimiko1529
@imaimiko1529 Жыл бұрын
鬼と熊に注意!のツッコミで思わす笑ってしまいました🤭鬼死骸村とはすごい地名ですね。バスのアナウンスは「次は~おにしがい~おにしがい~」なのかしら。 今回も興味深く拝見いたしました。手羽先美味しそう😊
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
そう、「落石注意」の看板とか、無理じゃね?的な注意喚起ありますよね笑
@user-jl8os7pq4q
@user-jl8os7pq4q Жыл бұрын
このバス停は実際には使われていません。なかなか面白い趣向ですよね。
@imaimiko1529
@imaimiko1529 Жыл бұрын
@@user-jl8os7pq4q そうなんですね。横溝正史の映画に出てくるバス停の様で雰囲気がありますね。
@imaimiko1529
@imaimiko1529 Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 あります、あります笑 自分はこのような伝承の場所を通るとき「鬼様、おはようございます。」「鬼様、おやすみなさい。」と言ってしまいます😅
@user-fq2lh2wq4q
@user-fq2lh2wq4q Жыл бұрын
遂に仙台いろは横丁に来られたのですね。お疲れ様です。 東北には、あまり知られていない伝説類の話が数多くありますので、とても興味があります。次回も楽しみにしてます❗
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 1~2週に1投稿くらいですが、 是非これからもみてくださいませ。
@xyzbomb
@xyzbomb Жыл бұрын
1000年以上前の墓石がそのまま残っているのが凄いですね。忌地でも東北の自然は美しい😀
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
そうです、本当に東北は美しいです。
@user-kr7vy9fn5h
@user-kr7vy9fn5h Жыл бұрын
鬼と呼ばれてはいますが、朝廷側がなぜ鬼だと言って悪者にしようとしたか、遡れば日本の創成期とも言える神話時代に行き着くので結構根が深く、闇が深い話です。 実際の現場を見て回るという機会はほとんど無いのでいつも貴重な動画をありがとうございます。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 そうですね、それで動画数本作れるレベルの奥深さあります。 私の動画は現地に行く事に重きをおいて、あえて情報は最小限にしていますが。
@chopinnocturne2
@chopinnocturne2 3 ай бұрын
母が岩手県北東部の普代村の出身ですが、最寄りのバス停が「力持(ちからもち)」でした。 これも何か謂れがあるんでしょうね。
@user-ww3nb7oh5q
@user-ww3nb7oh5q Жыл бұрын
我々奥州の民にとって、坂上田村麻呂はあまり歓迎する名前じゃないな……😔。
@user-qp1rl5ue6x
@user-qp1rl5ue6x Жыл бұрын
朝廷から見れば賊軍だししょうがないとは思うが
@galdoo5760
@galdoo5760 Жыл бұрын
あと源頼朝も...🔥
@user-ww3nb7oh5q
@user-ww3nb7oh5q Жыл бұрын
源 頼義・義家父子も……🖐️。
@user-ww3nb7oh5q
@user-ww3nb7oh5q Жыл бұрын
そんなオイラは後三年の役で征伐された側の地域住まい……。
@user-qp1rl5ue6x
@user-qp1rl5ue6x Жыл бұрын
頼朝の奥州攻めはまぁ酷いとは思うがそれ以前のはどっちもどっちやろ
@user-cy4nm2tk6n
@user-cy4nm2tk6n Жыл бұрын
毎度勉強になるし、面白いです。東北編いいっすね。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 これから、他の地域編もまた是非みてくださいませ
@koko-mz8vz
@koko-mz8vz Жыл бұрын
東北の人って、穏やかで、接しやすいよな
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
厳しい自然に向き合ってきた感が北陸や東北の地域の人々にはありますね。
@waterfox7218
@waterfox7218 5 ай бұрын
北陸は接しやすいとは限らないよ。
@user-nm3fl1ed1j
@user-nm3fl1ed1j Ай бұрын
坂上田村麻呂公の東北平定、前九年の役と後三年の役、藤原氏の滅亡、秀吉政権(葛西大崎一揆、九戸政実の乱、和賀、和賀・稗貫一揆)、会津戦争(戊辰戦争)と他の地域に比べ戦役が少なかったイメージがあり 江戸期の飢饉は基本我慢で通したし一揆騒動は意外と少なかったと感じています。 穏やかと言うよりは怒りは我慢で通す面があります。ただ一度激昂(ブチギレ)したら何代も口頭伝承の様に恨み辛みを伝え続ける傾向があります。(会津戦争とか津軽為信とか駒姫(最上氏と豊臣家)とか) どちらかと言うと祟神的なキレ方をしますただし物理的な報復や仕返しは少ない感じです むしろ報復された人物はよほどの事をしたのかもと感じます。
@user-ye4pr6lq8w
@user-ye4pr6lq8w Ай бұрын
東北はイジメ日本一だぞ どこが穏やかだよ
@user-bk5nf6sg2w
@user-bk5nf6sg2w Жыл бұрын
待っていました!主様のように人があまり行かない、忌地とか謂れのある土地を回るほうが面白いですね。 暑い中、体調には気を付けて活動してください。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 是非これからもみてくださいませ!
@Oosansyouuo_tatsugoro717
@Oosansyouuo_tatsugoro717 Жыл бұрын
大武丸が埋葬されているという鬼石は、以前ご紹介されていた笠原清繁の墓と似たようなものを感じます。ただあちらに比べて違和感やヤバい感じはあまりしないと思いました。そして相変わらず声とbgmがいいですね!
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。前のも見ていただいて! そう、似た雰囲気でしたね。ただおっしゃる通り恨みの背景が違うのと、 こちらは1000年以上前なので神格化しているというか。
@makaronda
@makaronda 3 ай бұрын
北上市には鬼剣舞という舞踊が今も受け継がれています。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 3 ай бұрын
へえ、そうなんですね。興味あり
@masayafujiki8471
@masayafujiki8471 Жыл бұрын
後半、お友だちと盛り上がり良かったですね。伊達政宗公は、グルメで料理が上手かったそうですね。島田裕巳先生の「神道はなぜ教えかないのか」の本にも人柱や生贄の風習、習俗の紹介があります。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
伊達政宗はグルメだったらしいですね。
@nari-tech5052
@nari-tech5052 Жыл бұрын
地名の歴史から鬼👹の由来発祥の地なのでは?と思ってしまいました、とても興味深いです、短いながらも良い動画です、これからも楽しみにしております😊
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありえますよね、東北って秋田のなまはげとか鬼と密接にからむ地名とか多いのです
@nari-tech5052
@nari-tech5052 Жыл бұрын
それと同時に蝦夷(縄文人)と大和民族(渡来人由来の弥生人)との戦いだったのかなと‥🤔
@counter1331
@counter1331 3 ай бұрын
1:01ナレーションと景色のギャップでバク笑
@user-vw3nr5zj9j
@user-vw3nr5zj9j Жыл бұрын
地元の方への取材場面も😊好きです‼️
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。ちょっとああいうカットもたまにはいれようと。。
@user-jp1pu5do7r
@user-jp1pu5do7r Жыл бұрын
​@@怪奇な歴史研究室さま ほっこりしました☺️ ありがとうございます
@Kurumi386
@Kurumi386 Жыл бұрын
何気にDVDの褪せた看板がジワりましたw
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
DVDの看板、かなりインパクトあり、つい撮影しておきました。 そして、あのような看板ももう10年以内に消えるでしょう。みなサブスクで映画とか見る時代です。 そういう観点から動画に入れており、一応、ちゃんと意味があるのです。
@Kurumi386
@Kurumi386 Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 じゃあ10年後にまた見返して見ます👀 相変わらずの美声🙂
@user-ip1op6gd4j
@user-ip1op6gd4j Жыл бұрын
東北討伐をした坂上田村麻呂の話もそうなのですが史実として東北では7世紀ごろから製鉄の歴史があり、遺跡からたたら製鉄を行っていたとの事 その製鉄場で働く人達は全身やけど状態になる為に皮膚が真っ赤になった状態を鬼と呼んだという話も存在します もののけ姫のアシタカの話が出てきてドキっとしましたが、もののけ姫にもたたら製鉄が出てきますね たぶんその辺りを詳しく調べた方がジブリにいたのかなと思いました
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ジブリはかなり深く背景を組み立てているんですよね。詳しく調べたのでしょう。 というか宮崎駿がそういうマニアックな人ですし。鬼はたたら説もありますね。
@user-wz8ok9ge9l
@user-wz8ok9ge9l Жыл бұрын
日本三大妖怪の一人と称される大嶽丸! 東北には各地に田村語りが多く残されていますね。 地元の青森県は下北半島鯛島にも田村麻呂と漁民の娘との悲恋物語が伝わっております。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
そうですね、東北は田村語りが多く、地名とかもおもしろいです。
@user-wb1hi4yq7m
@user-wb1hi4yq7m 3 ай бұрын
歴史は勝者が勝手に書く。 鬼死骸なんて直球な名前の村があった事も衝撃でした。 私が知っている東北の方々は高身長で色白、根性ありの方々が多い。 東蝦夷、薩摩隼人って豪胆で忍耐強く武力に優れ、そういう人は強いから鬼なのでしょうね。 初めて拝見しましたが、楽しみに観させて頂きます。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 3 ай бұрын
ありがとうございます、是非、他のも見てくだされ!
@tagomagotagomago
@tagomagotagomago Жыл бұрын
鬼死骸(きちがい)って名前のデスメタルバンド結成したい 史跡だけじゃなく歴史感じつつもまだ人の営みが続いている場所の紹介もあって2倍楽しめました😊
@user-yu5xj9zx3g
@user-yu5xj9zx3g Жыл бұрын
せめてペイガンメタルにして欲しい。精霊の守り人というドラマでは新ヨゴ国の帝と民が水の魔物と恐れている者の正体が先住民族の守護神だったのと同じで悪者ではないって話があり、鬼もそれと同じような者だから。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。たしかにビジュアルバンドとか暴走族のチーム名とかにいいかも笑
@user-kn1fx6bg6i
@user-kn1fx6bg6i Жыл бұрын
地名はアイヌではなく、縄文・弥生文化圏の人々よその言葉は、日本語アイヌ語に混じり溶け込んでいるが 明治大正昭和前半期に縄文弥生時代の言語研究が進んでおらず、ひっくるめて「アイヌ語」由来と言ってたんじゃない その名残が東北のあちこち見られるけど、探すと中国地域は愚か九州にまでアイヌ文化があったことになるが、実際は、縄文文化弥生文化で形成された古代日本語のなごりじゃない
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
そうですね、そのあたり「日本の忘れられた村」という本で著者がかなり調べています。
@Yt63144
@Yt63144 3 ай бұрын
こんな地名の場所があるなんて衝撃でしたし、不自然な岩も衝撃でした。 このチャンネルの趣旨とは違うかとは思いますが、京都嵐山のすぐ近くの山(渡月橋の川沿い)を少し登った所にある、謎の廃神社?のような場所について調べていただければと思っています。そこはググっても出てきませんでした。 これからもお身体にお気をつけて取材されてください。
@Mog-jm1pm
@Mog-jm1pm Жыл бұрын
ゲームの世界みたいなバス停名でびっくりです。本当にあるんですね。 鬼といえば中央から見て東北、鬼門の方位に追いやられたらしい日本太古の神様の話とか。 消されてしまった?古代日本の歴史‥ヘブライ、シュメール、アイヌ、縄文人、神代文字や龍体文字。 日本最古の歴史は謎が多くてワクワクします。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
日本は古代の謎は色々あるんですよね、それもそのうち動画したいですね。
@maruden410
@maruden410 4 ай бұрын
昔、阿弖流爲(アテルイ)って列車が東北本線走ってたような。 まあ、岩手の方なんだけど。
@user-si2xx6pi6x
@user-si2xx6pi6x Жыл бұрын
仙台のバラック街は戦後間もない雰囲気が残っていてノスタルジーを感じました。何か人恋しい時に行きたくなります。
@user-jp1pu5do7r
@user-jp1pu5do7r Жыл бұрын
私も好きです☺️懐かしい雰囲気が素敵です
@user-si2xx6pi6x
@user-si2xx6pi6x Жыл бұрын
返信ありがとうございます😻
@user-fr9vx2oo2l
@user-fr9vx2oo2l Жыл бұрын
こんばんは😊 動画配信ありがとう御座います。 今回は蝦夷の動画とても知識の見聞が昂まりました。 田村麻呂が討伐した蝦夷の記録ではアテルイと呼ばれる人物いると聞き及びます。 蝦夷が使用した武器の蕨手刀は日本刀の 原型の片割れですなぁ〜❤ 田村麻呂の子孫は伊達政宗の正室! 愛姫の実家 田村氏はでは無いですが? 自分も幾分老齢化して知識が曖昧な部分 が有りまして申し訳ございません😂
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
いわゆる「田村語り」という東北の伝承が多数あり、 アテルイも実在した蝦夷の長で、坂上田村麻呂に倒されていますね。 この動画の大武丸がアテルイだった説と別人だった説、両方あります。 ただ、おそらく蝦夷系の有力者がこの地で討伐されたのは間違いないと思います。
@Kaito5327
@Kaito5327 Жыл бұрын
横から失礼します。 伊達政宗の正室・愛姫の実家である田村家は坂上田村麻呂の子孫だそうです。
@user-vw6eg6ru3i
@user-vw6eg6ru3i 5 ай бұрын
登米市には母方の親戚が住んでます。 私も何度か遊びに行った事がありますがそう言った伝承があるのを初めて知りました。ありがとうございます。😮
@apalllall6083
@apalllall6083 Жыл бұрын
九州の隼人の塚といい1000年後すぐ横に線路が通るなんて、大武丸も田村マロも想像できなかったことでしょうね。
@user-tn6dz6bp6y
@user-tn6dz6bp6y Жыл бұрын
何時もとても楽しみにしております(^^) 私も東北出身ですが知らない事ばかりです。 松島の五大堂が坂上田村麻呂が作ったと遠足で行った先生の言葉を思い出しまた(笑)
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。色々まわるので東北以外も是非みてください
@losalio7719
@losalio7719 13 күн бұрын
一関にきてくれてありがとうございます。 面白い動画が沢山ありそうなので登録させていただきました。 コメントで書かれてる方がいるかもしれませんが 昔はもっと大きな石が何個もあったそうです。ところが罰当たりなことに石材に使ってしまったそうです 又、近くには湧き水も沸いていたそうです
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 13 күн бұрын
ありがとうございます!またいきますよ、東北。
@user.fg2ch1tu0shiri
@user.fg2ch1tu0shiri Жыл бұрын
蝦夷系日本人ではあるけど、「鬼首」ドストレートな名前があったな…
@user-yf5ib4nw5d
@user-yf5ib4nw5d Жыл бұрын
鬼首(おにこうべ)ですね😄😄
@galdoo5760
@galdoo5760 Жыл бұрын
スキーや温泉で有名だから皆地名を気にしてないよね
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
大武丸の首が飛んだ伝説がある場所もそんな地名のようです、あるいはそこです。
@user-uv9ok7ss5i
@user-uv9ok7ss5i Жыл бұрын
相変わらずに素晴らしい。無理だけど、毎日新しいものを見たい(笑)
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 自分が現地に行くスタイルなので、現状1~2週1更新て感じですね。どうしても。 ただ、行かずに動画作れば頻度上げられますが、それはあまりしたくないですね。
@user-uv9ok7ss5i
@user-uv9ok7ss5i Жыл бұрын
無茶を申して申し訳ありません。量が質を駆逐することはよく存じております。ただ余りにコピーした動画や再生数を増やさんがための最低なものが目に付くので、書いてしまいました。これからも他にない独自の投稿を心待ちにしております。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます、そうですね、 「ゆっくり解説」とかのパクリ合戦…すごいですよね笑
@user-vx2fk3po6k
@user-vx2fk3po6k Жыл бұрын
ゆっくり解説 あれはいけません。現実味がなさすぎます。 主さんのは現地に出向機、音やその土地の匂いを感じておられてとても面白いです。 ペース早めず、配信してください。楽しみです。😊❤
@user-uv9ok7ss5i
@user-uv9ok7ss5i Жыл бұрын
全くおっしゃる通りです。ゆっくり~は、UMAや戦記、政治…などと広がっていますが、三番煎じで中身の無いものですね。
@YM-kq1nbm
@YM-kq1nbm Жыл бұрын
凄い場所ですね バス停が国鉄の看板のままで変えない所を見ると利用者はかなり少ないのでしょうか?他人が来ないからイタズラされずに保存出来るのでしょうね たまには、お友達の食事シーンも楽しそうでいつもと雰囲気が違っていいですよ いつからあるかわからないような飲み屋街っておつまみが美味しかったりお酒が濃くていんですよねぇ
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
来る人は少ないでしょうが、最近、鬼滅の刃で「鬼」て事で来る人が少しいるとか…
@user-do3pe7uv6g
@user-do3pe7uv6g 3 ай бұрын
地味な作業でしょうが,見ごたえ満載です。歴史が時の権力に都合を合わせるのではなく普遍性をもって証明される。 まさに気が遠くなる時間軸ですが,誰かがやらねば。
@user-hn5zx4ug9s
@user-hn5zx4ug9s Жыл бұрын
へえ⁉仙台にこんなところがあったんですねぇ。3.11の前の前の年の夏休みに当時娘が戦国時代が好きで、伊達政宗が好きで家族で仙台に行ったんですが。あの後にあんな事が起こるとは思っておりませんでした。何だか色々と考えております。動画有難うございます。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
仙台からは少し外れますが、まあ車でなんとか行ける距離ですね。
@miwachanels5444
@miwachanels5444 Жыл бұрын
今回もおつかれさまでした。 一人で忌み地巡り……変わり者っぷりって😂いいですね、変わり者OKですよ😆 しかし、鬼死骸村って……ど直球な名前の付け方ですね。 今回もありがとうございましたm(__)m 次回も仙台編楽しみにしております。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 我ながら本当に変わり者だなあ、と思いました笑
@user-ek2rb4fj3f
@user-ek2rb4fj3f 3 ай бұрын
おじゃる丸(坂上田村麻呂)もまあまあエグい事するよな。
@user-qn9yt5wk5q
@user-qn9yt5wk5q Жыл бұрын
元々の地元の人が忘れないように地名にして残したのでしょうね。 普通の生活をしていていきなり、しもべになれならなきゃ戦う滅ぼす とか言われても自分達を守る為に戦わざるおえなかったのですね。 もう少し行って岩手県に入ると「人首(ヒトカベ)」という地域があり 近くに「血洗川」という川も残っているみたいです。 もっと奥に行くと「霧伏(キリフセ)」という山間部があって 元々は「切伏せ」という合戦場所で畑を耕していると鏃が数多く出たそうです。 てか、仙台も楽しそうだなあw良いなあw
@user-yv7uz3vm7x
@user-yv7uz3vm7x Жыл бұрын
ただ単純に怖いです😨
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
全国にありますが、このあたりの地名、かなり面白いです。 今回いけなかったのですが、仙台から少し行った山に、 「面剝ぎ」という恐ろしい地名もあり、そこは昔に賊が僧侶を〇ろし、 正体がわからないように、証拠隠滅のため、その顔面の皮を剥いで遺棄しました。 それでそういう地名になってたりします。
@user-yv7uz3vm7x
@user-yv7uz3vm7x Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 面白山ってあるんですよ。いったことは無いのですが、面白いことがあったのかな?そこは忌地とは無縁でしょうね😄
@user-vn4xy8bm9r
@user-vn4xy8bm9r 4 ай бұрын
昭和50年に放映されて大河ドラマ「風と雲と虹と」は平将門を主人公としたドラマでしたが、当日関東の人達のことを京都の宮中の人間が東夷(アズマエビス=東の野蛮人)と揶揄するシーンが出て来ました。そして常陸の国出身の将門も出世出来ないことを悟り、常陸に帰り一大勢力を築き親皇を名乗り朝廷軍と一戦を交え破れることとなりました。
@katakago7949
@katakago7949 Жыл бұрын
形代のアイコンいいですね。 平泉の白山神社に、職場の還暦祝い用に、厄除けのかたしろセットをいただきに行ったことがありました。 一関市真柴~一関市にいた時に、よく車で通っていた風景です!❤️今昔の人びとへの思いが伝わる動画、記録に残して発信することはなかなか出来ないこと、感動しました。 鬼死骸という地名は知っていても、特に何もないなあと、ふつうは通りすぎてしまいます 田園に大きな石が置かれているのを今拝見して、ああそうなのか!これは、地元の方々がずっとこのままに伝えよう❗としたからこそ、大事に残されてきたんだとわかりました。一関市の中心部にも近く、たちまち住宅地などに田んぼが埋め立てられてもおかしくないからです。 何気なく、しかし、しっかりと守ってきたのかしら。 行けなくて残念だったのですが、真柴公民館で鬼死骸村にまつわるイベントがあり、一関高専の先生が調べた成果を披露したそうです。 大谷選手出身の奥州市、水沢江刺にもぜひいつか訪れてみてくださいませ~🤲
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
人形代のアイコンお褒めいただきありがとうございます。 いつ消えゆくかわからないので、 この国の美しい風景や色々な歴史などを記録に残していこうと思います。
@katakago7949
@katakago7949 Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 さま 楽しみです🌸~生まれ育った東北への思い入れが強く、思わずコメント失礼しました!ありがとうございます✨✨
@user-mu8wp5pt7w
@user-mu8wp5pt7w Жыл бұрын
地元だから、次回すごい楽しみ
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
地元のかたですか、 今回、東京からおじゃましました。
@hayatokanekon6339
@hayatokanekon6339 9 ай бұрын
この音楽と土地の言われを聞いていると、横溝正史の小説みたいに聞こえるな😊
@user-zy5mp2ow3q
@user-zy5mp2ow3q Жыл бұрын
鬼伝説は家の近くにもありました。 ヘブライ語でオニはいらないものという意味だそうです。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ヘブライ語でそうなんですね、しらなかった
@user-zy5mp2ow3q
@user-zy5mp2ow3q Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 すいません 正しくはオニはヘブライ語で、 私を苦しめる者でした。 自分の地域にある由緒不明な踊りの掛け声などを ヘブライ語に翻訳すると、面白い意味になったりします。 カタカナや意味不明な土地の名前なども、ヘブライ語に翻訳すると本当の意味(忌み)がわかるのではないでしょうか。
@uz395
@uz395 Жыл бұрын
バラック街の人たち=現代版まつろわぬ民 BGMのせいかおじさんとの交流はホロリときましたよ
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
おお、ありがとうございます! 大変嬉しいでございます。 まつろわぬ民、大和朝廷に負けた人々や蝦夷が 先祖で現代でバラックで飲んでる、遠い末裔の人も実際いるでしょうしね。
@user-uf8vt2yb9k
@user-uf8vt2yb9k Жыл бұрын
鬼って、、勝てば官軍負ければ賊軍ですね。。でも、こうやって見ると日本は、多民族国家だったのかな?とも感じます。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
はい、渡来人とかがいくつも抗争へての成り立ちですね。
@user-uf8vt2yb9k
@user-uf8vt2yb9k Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 確かに!
@user-qd6dp7zg8q
@user-qd6dp7zg8q 4 ай бұрын
ヤマト豪族が乱暴だったのでは?
@user-bbryO664
@user-bbryO664 Жыл бұрын
まさかこんな近くにそんな場所があったとは...知らなかったから新鮮だった。横丁も考えてみればバラックだもんなぁ。こうやって動画にして説明してもらえると、今まで深く考えてなかった事が分かってありがたい。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます、色々動画あげていきますので是非またみてください。
@user-vk3fh2sp7i
@user-vk3fh2sp7i Жыл бұрын
今も普通に“鬼死骸”って 大事にしてるんだ👍
@user-ue7eh7pq3h
@user-ue7eh7pq3h 3 ай бұрын
動画でもあるように、アシタカの世界ですね。 東日本は古代では(朝廷から見れば)未開の地だったわけで。 日本のどこかに蝦夷の隠れ里とか、蝦夷の末裔がいないのかなと思います。
@user-vy6up4zq4w
@user-vy6up4zq4w Жыл бұрын
松島は、五大明王が祀られる堂宇があるという恐れ多い場所。そう簡単に行けるようなものではないのです。
@user-rc4sx2ge4g
@user-rc4sx2ge4g Жыл бұрын
えっ 知人の方は松島へ行くとの事で、松島ってフ✖ゾク街に行ったのかと。大阪市には松島遊廓が或るので🤯、大阪府5大遊郭地エリアの1つです。 動画に纏わる場所だったんですね💦。 何処に何が有ろうとも問題は無いんですが💦、刑務所の近くはヤですね。
@user-jp1pu5do7r
@user-jp1pu5do7r Жыл бұрын
​@@user-rc4sx2ge4gさま 🤣🤣🤣男性は、そちらの方が良いかも😂 お寺が良い雰囲気ですよ
@user-to6rx3mp3w
@user-to6rx3mp3w Ай бұрын
お越しになった真柴の北西方面に本寺(ほんでら)という地区があります。 こちらはかつて骨寺村(ほねでらむら)と呼ばれており、骨寺が訛って本寺と言うようになったと言われています。現在は特に寺などは残っていませんが、伝統的な農村風景として重要文化的景観となっているようです。 骨寺村というのは、かつて僧の娘がドクロに経を教えてもらい、そのドクロを埋めたことから由来するようです。 奥州藤原氏の中尊寺、毛越寺からも車で30分程度で行けます。 岩手県南のついで情報です。 岩手は歴史の表舞台に出ることは少ない方だと思いますが、少しでも興味を持っていただければ。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Ай бұрын
ドクロに教えてもらうなんて、おもしろい伝承ですね。 しかもそれが地名にまで、、ロマンがある。
@tubomilove
@tubomilove Жыл бұрын
凄い名前の地域があるもんなんですね!
@user-vn4wp7ry2x
@user-vn4wp7ry2x Жыл бұрын
いつも、楽しみにしてます。🎉❤
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 1~2週に1投稿と微妙ですが、 是非これからもみてください。
@user-tu7qy4dn7p
@user-tu7qy4dn7p 3 ай бұрын
1:05 シリアスな語りを壊すピンクな看板(笑)
@fu6576
@fu6576 Жыл бұрын
チャンネル登録しました、宮城県の忌み地取り上げてくださりありがとうございます
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。 宮城以外の不思議な土地も一見の価値ありの動画にしてますので 是非、これからも見ていってくださいませ!
@user-jp1pu5do7r
@user-jp1pu5do7r Жыл бұрын
多賀城市、アテルイのお話し、良いですよ 私の父親が多賀城市出身です 来年は、多賀城が創建され、1300年になり 南門も復元されます 自分にアイヌの血が入っているかもしれないと思うと嬉しいです☺️ 母方の先祖は、九州から開拓に来たそうです 自分のルーツを辿ってみたいです☺️ 子供の時に 田村麻呂のくじ引きで、洗剤が当たり嬉しかった🤣🤣🤣先祖が、征伐されたかもしれないのに
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
基本は縄文人とされていますが、 不可解な謎も多く、東北のアイヌ伝説は根強く残りますね、ロマンがあります。
@masayafujiki8471
@masayafujiki8471 Жыл бұрын
征夷大将軍の征夷とは、蝦夷地からきているとも聞きます。後年、栄華を極めた奥州藤原氏が、どのように衰退したか、色々言われます。😮
@Multidemux
@Multidemux Жыл бұрын
ありがとうございます!
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
感動…です。ありがとうございます!!
@roseblue7049
@roseblue7049 3 ай бұрын
大谷さんの故郷水沢から嫁いできて近所に住んでます。バス停の名前はTwitterで見て知ってましたが、伝承などは知らず面白かったです。金太郎劇場のとなりのアダルトショップが映っているのも面白かったです! これからも頑張って下さい!
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 3 ай бұрын
お、土地の方ですね。ありがとうございます。
@user-tv9ol3ky2b
@user-tv9ol3ky2b 3 ай бұрын
朝敵蝦夷を討伐の英雄坂上田村麻呂の足跡が辿れるなんて神秘的だなぁ
@adatara24
@adatara24 18 күн бұрын
福島の阿武隈洞近くに大滝丸が田村麻呂に征伐された大滝村もあるので行ってみてください
@no5412
@no5412 Жыл бұрын
宮城県の櫻地区と言う忌み地の話を人伝てに聞いた事があります。 随分と昔に少し話題になったそうで、櫻とは桜では無く別の植物か何か忘れましたが、櫻と意味するそうです。 それがある場所が忌み地となっており立ち入ってはならない場所と言う話をされたのをふと思い出しました。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
気になる場所ですね
@theviewer5212
@theviewer5212 5 ай бұрын
オカルトと歴史が好きなんで刺さります!早速チャ登。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 5 ай бұрын
ありがとうございます。ゆるーくやってます、これからもよろしくお願いします。
@user-fn1fj6gt6h
@user-fn1fj6gt6h Жыл бұрын
大武丸、初めて聞きました。 坂上田村麻呂と聞けば阿弖流為と覚えていました。 ちょっと調べたら同一説と別物説と諸説あるんですね。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
そう、蝦夷はアテルイが有名ですよね。映画とかにもなってるし。
@yoan9032
@yoan9032 Жыл бұрын
地名って面白いですね。飲み屋さんノスタルジックな街で雰囲気ありますね。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
いいところですよ、今でもすたれていません。
@user-uy4ss3zf2l
@user-uy4ss3zf2l 3 ай бұрын
いろは横丁はバラックっぽい雰囲気はあるけど中のお店は綺麗に回収されてますね
@user-rb2xn4rp9l
@user-rb2xn4rp9l 3 ай бұрын
蝦夷討伐で蝦夷が完全に併呑されたと思われがちですが、全部の蝦夷が刃を向けた訳では無く、田村麻呂の時代以前から中央に恭順する蝦夷もいました。この蝦夷達は「俘囚(ふしゅう)」と呼ばれそれなりの地位を与えられました。前九年の役・後三年の役で東北の豪族として登場した安倍氏と清原氏も俘囚の一族です。
@masayafujiki8471
@masayafujiki8471 Жыл бұрын
秋田など、かなりの水害被害のようです。お気をつけてください。動画を楽しみに視聴しています。😮
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。是非またみてくださいませ。
@notaste_gam
@notaste_gam Жыл бұрын
DVDのとこであそこかってなったわ笑
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
知ってる人にはインパクト大ですよね
@galdoo5760
@galdoo5760 Жыл бұрын
いろは横丁まだあるんですね 30年ぐらい前の学生時代はよく飯食いに行ってましたが懐かしいです
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
そうでしたか、おそらく今はある意味、活気がありますよ。 レトロブームみたいなものありますから。若者も多いですね。
@galdoo5760
@galdoo5760 Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 返信ありがとうございます 20年前ぐらいから閉店が多くなったいろは横丁内に大学生達や若い人達がショップ開き始めたあたりから横丁内の雰囲気変わりましたよね
@TOYOKAWAYUTAKA
@TOYOKAWAYUTAKA Жыл бұрын
勉強になりました。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
恐れ入ります
@manaishi6092
@manaishi6092 3 ай бұрын
素晴らしい内容! 地元民として嬉しいです。 阿弖流為を知り 安倍一族を知り 奥州藤原氏を知り 金色堂を見に行くと 色々と考えさせられます。 征服者や身内との血で血を洗う戦いを経て平和を願い建てられた金色堂 やがてその噂は誇張され東方見聞録を経て大航海時代、新大陸の発見から大戦冷戦、今のアメリカによる支配にまで 僅かですが間接的に繋がっているように感じるのです。 しかしまあ人間っていう生き物は… 皆さん一度はぜひみちのくへいらしてください。 芭蕉の句がしみますよ☺️
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 3 ай бұрын
地元からありがとうございます!
@user-gh8ui2jo4o
@user-gh8ui2jo4o 5 ай бұрын
ちなみに淡路島に 田村城と 田村麻呂ゆかりの地があります❗️
@hisui117
@hisui117 Ай бұрын
各地風土記による地名や呼び名(山と川が特に、阿蘇 四万十…)がアイヌ語由来であったりで古代蝦夷は金鉱脈師 山伏説ありますね。 口伝で固定住しない… 伊賀甲賀との繋がり「からくり人形」や「服部精工舎」のはっとりなど日本緻密鋳造技術(DNA)は実はかなり進化しており門外不出だったのでは?とも。 ウポポイ利権は西洋近代化利権。 日本古代遺跡に目を向けない為かと。
@f.h_3268
@f.h_3268 Жыл бұрын
壱弐参横丁行ってみたいです
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
いいですよ、あそこ。雰囲気あります。
@discoverrailway
@discoverrailway 3 ай бұрын
今度我孫子・取手から坂東辺りも来てください。将門の愛妾の桔梗塚や我孫子に将門神社、坂東名物「将門煎餅」などもあります。あと近代のことなのですが「日本海軍SS3号飛行船受難の碑」が近所にあります(移設されて本当の位置は不明)。わたしの住むところは水戸街道ともう一本通っていた「裏街道」だったと聞きます。その昔利根川に渡し舟があったとか言い伝えが残っています(現在はその場所に橋が架かっています)
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 3 ай бұрын
我孫子かあ、気仙沼近いですよね、いったな。あと流山とか近かった気が。
@user-nekogohan
@user-nekogohan Жыл бұрын
国鉄バス停留所とありました JR移行後も保存されているといったところでしょうか
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
それか、当時のままの言い方を続けているのかもしれませんね、田舎ですし。
@ikinariiwaretemo0987
@ikinariiwaretemo0987 Жыл бұрын
蝦夷は遺跡によって紀元前数千年からの存在が確認されている縄文人であり、ごく最近である15世紀の鎌倉時代に現在のウラジオストクから侵攻してきた北方元寇からの侵略によって樺太から我国北海道に逃げ延びてきた渡来人であるアイヌとは民族も時代も全く異なります 平安時代よりもずっと後の話です 後に北海道を蝦夷地と呼ぶことになったのは大和や京など西方から見た北関東〜東北(日高見)と北海道の混同です 言うなれば北海道の先住民である縄文人と東北の先住民である縄文人が先祖同一です  古墳も時代もDNAも同じです あの地区に行かれたのでしたら、むしろ鬼と隠れキリシタンとの関係を調査すると面白かったかもしれません 例えば鬼とは宣教師のことだったのか、或いはもっと昔から山の民として国土の八割に君臨してきた天狗(山窩)のことだったのか など
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
正式には別ですね、動画でも言ってるのですがもっとわかりやすくすべきだったかもですね。 「日本の忘れられた村」とかにかなり深く書かれていました。 鬼は外人説やたたら関連もありますね。そこ深ぼる動画もいいですがすごく長くなりそう。 今度そういうのやってみようかな。。あえて深く長くなり過ぎないように動画構成してまして。。
@ikinariiwaretemo0987
@ikinariiwaretemo0987 Жыл бұрын
@@怪奇な歴史研究室 南部鉄の多々良(デイタラ、タタール人、タルタル人)の線もあり得ますね
@user-yv7uz3vm7x
@user-yv7uz3vm7x Жыл бұрын
悲しみが多いですね。
@cicada1205
@cicada1205 7 ай бұрын
同じ価値観が共有され、方言も文化も薄れつつある 地域の色というのが無くなっていく現代 地名もいずれ戒名されるだろう 先人がその地で何を守りどんな暮らしをしていたのか。なにがあったのか。 とても興味深いですね〜
@user-hd2ro3yj5o
@user-hd2ro3yj5o Жыл бұрын
鬼死骸村って岩手じゃなかったっけ 余談 青森県に『鬼』を祀る神社がある
@TY-qd8oj
@TY-qd8oj Жыл бұрын
岩手県南の出身なのですが、生活圏に人首と書いて「ひとかべ」と読む地名がある事を思い出しました。 もしやと思い調べた所、、どうやら概ね今回の動画と同じような経緯だったようです 宮城県北〜岩手県南の山中にはどこか薄暗さを感じるような地域・地名が色々あるなと思った次第です。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
人首ありますね、そうです、伝説のひとつだったと思います。 独特の薄暗さありますね、それが魅力に感じます。
@breezecaller
@breezecaller Жыл бұрын
「鬼死骸」て、地元に私がいたときの通勤ルートだった…w 「『鬼』絡みの伝承や地名は結構ある」ということは、まぁ博物館通いしてた地元民だったので把握してましたが、これほど直球なのは興味深かったですね。 ちな、鬼死骸(一関市真柴)の比較的近くに「悪法師(旧花泉町、現在は一関市)」という妙な地名がありますね。「鬼死骸」「悪法師」どっちが妙な名前かは諸説ありますが、いまは前者の方が有名ですかね。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
通勤ルートでしたか笑 しかし悪法師、、何か、法力を使う悪僧、あるいは敵方の呪術師がいたのですかね。気になります。
@breezecaller
@breezecaller Жыл бұрын
​@@怪奇な歴史研究室一関・平泉近辺だと、奥州藤原氏および源義経に関係した話も多いこと(たとえば、一関市内の厳美渓にも源義経絡みの話がある)、「悪」の字に「強い」「猛々しい」の意味があることから、 「つよい法師」である武蔵坊弁慶に絡む逸話でもあるのかな?と想像したんですが、ちっともわかりませんでした‥。 こっちも「鬼死骸」同様なにかのはずみで有名になったら、地元で由来解説の案内でもするのでしょうかw
@kokeshi4858
@kokeshi4858 Жыл бұрын
アイコンを僧侶から形代に変えたんですね。前の僧侶も味わいがあってよかったです。
@kokeshi4858
@kokeshi4858 Жыл бұрын
あとハピバ🎂です。これからも頑張ってください。(勘違いでしたら失礼しました💦)
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
やっぱ僧侶の方がいいのかな…w
@user-mx1vh24
@user-mx1vh24 3 ай бұрын
いろは横丁の奥にある「アメリカングリル」が結構有名なんだけど、その向かいの(名前忘れた)店の牛タンカレーが美味いのよ😊 次回機会があったら是非❣️
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 3 ай бұрын
やっぱ仙台、牛タンなんですね。
@user-fy8gw2my2v
@user-fy8gw2my2v Жыл бұрын
長野県にも「鬼」や坂上田村麻呂の伝説が多い。何故か、観音が田村麻呂に味方して「鬼」を打ち倒し、感謝の念を籠めて建てたと伝わる観音堂が多い。謀叛人の「王子」を誅殺し、その身体をバラバラに切断して埋めた「手塚」などの地名が残る。手塚治虫先生のご先祖はこの地名を名乗ったこちらの豪族とか。バラバラにしたり、巨石を載せなければ祟りが恐ろしい程、「鬼」たちは怨みを抱いて殺され、征服されたのだろう。隼人の裔のあたしには彼等の悲憤も怨嗟もよく解る💢💢 up主様、今回はぼっち飯、ぼっち飲みじゃなくて良かったですね😄 非戦闘員も街も空爆で焼いた米軍こそ、大戦末期の仙台の人達には「鬼」だったろう。強大な力に蹂躙される宿命の土地なのだろうか(-_-;)
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
まさに、「鬼畜米英」といった言葉が飛び交っていたので、その通りですね。。
@user-jp1pu5do7r
@user-jp1pu5do7r Жыл бұрын
両親、幼い頃、仙台空襲の事を覚えていました 亡くなった父も申しておりました 10㎞以上離れていたのに まぁ、当時は、建物ありませんでしたしね😂
@kunihiko690918
@kunihiko690918 Жыл бұрын
こんにちは。今回も興味く見させて頂ています。まずは東北蝦夷成敗でなくなった大武丸及び家来の方のご冥福をお祈りいたします。鬼の起源が蝦夷であるとは。やはり敵対する勢力を鬼やムカデ等人の嫌うものに例えていたのでしょうね。さて4:22の大武丸家来を埋めたところの電柱の横にモヤのようなものが現れすぐに消えています。やはり主殿の慰霊に反応して出てこられたのかもしれませんね。次回の動画をお待ちしています。
@怪奇な歴史研究室
@怪奇な歴史研究室 Жыл бұрын
ありがとうございます。モヤとかたまに写るときあるんですよね。
@user-qd4bt3qt1s
@user-qd4bt3qt1s 21 күн бұрын
一応、アテルイの子孫じゃないか説がうちの家ある。。。 坂上田村麻呂のことをめちゃくちゃほめるけど、桓武天皇とその息子たちはぼろくそに言う家で、姉家督だけど、近親から主に婿を見出す家だったけど。三親等はダメとか厳しい規定があって、女性のみの謎祭祀があったらしい。
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