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吐噶喇列島最北端、野生牛山を駆けタモトユリの香る島。夜、鹿児島港を出港した船は、午前6時頃(現在は5:00着)、吐噶喇列島の入口・口之島西之浜港に着く。これから無垢の自然との出会いが始まる。南北に長く、東西が狭い口之島の中央に前岳(628m)がそそり立ち、北側の緩やかな斜面に集落がある。島には純血種の野生牛が深い山林の中に生息しており、その数およそ40頭と言われている。全島リュウキュウチクに覆われ、アコウ・ガジュマルなどの亜熱帯性の植物も多い。その昔、平家の落人がこの島に流れてきた時に、着物の袂に入れてきたといわれるタモトユリが見られるなど、豊かな自然が息づいている。文献上の初見は、応永3年(1396)年にさかのぼる。江戸時代は薩摩藩直轄領で船奉行の支配のもと異国船遠見番所が置かれ、鹿児島から2人の在番が常駐、その下に住民推挙の郡司1人、横目2人がいて島政を司った。郡司は代々肥後家が務め、その屋敷地をトンチ(殿地)といい、村の中央にあった。享保12年(1727年)の『立証名寄帳写』によると薩摩藩の門割制が施行され、トンチを中心に20の屋敷(門)があり、人口222人、屋敷ごとに1人の名頭と2〜3人の名子がいた。当時、船は639石積1艘のほか大小6艘があって郡司が管理し、毎年1回上鹿してカツオブシなどの年貢を納めた。昭和21年2月、北緯30°線以南は全て米軍軍政に入り、30°線が島の北端をかすめる口之島では奄美地方と鹿児島地方から「闇船」が来て、物資交換・売買する場所となった。現在、サツマイモ栽培を中心とする農業と、肉用牛の生産が営まれている。小規模ながら水田もある。また、自然のリーフを掘った海水浴場も完成、潮の干満によってはたくさんの魚を見ながら海水浴が楽しめる。(「シマダス」参照)
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