【ハイデガー哲学】「死ぬ日」が確定したら、あなたはどうする?!

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哲理学作家さとうみつろう『神さまとのおしゃべり』チャンネル

哲理学作家さとうみつろう『神さまとのおしゃべり』チャンネル

Күн бұрын

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@mitsu-low
@mitsu-low 3 ай бұрын
あなたは、考えてみたことがありますか? 「わたし」という観測が、死んだらやむ ぷっつりと消える という恐怖を。 深く、考えてみて下さい。 もしも、人生が1度きりだとしたら? そして、それが「もしも」じゃないとしたら? 続きの情報は、公式LINEから line.me/R/ti/p/%40340qokws ※毎朝1つ、凄い情報を無料でLINE 📚「もしも人生が・・」の詩集 amzn.asia/d/26eOzMm 飲茶さんの本 amzn.asia/d/hVFKXvj 悪魔とのおしゃべり amzn.asia/d/horZtgE
@Satori.K.Channel
@Satori.K.Channel 3 ай бұрын
@@mitsu-low 私はこの世に絶望を感じ、何もかも捨て去って、最後に自分の名前を捨て去った後に魂が拡大する経験をしました。宇宙の果てまで魂が広がった時に、「私は神であり、全ての存在も神である」と悟りました。私という存在を全て捨て去った後に恐怖はありませんでした。恐怖という感情は何かの思い込みが無ければ生じません。死ぬのを受け入れ、生きるのを諦めた状態の自分には恐怖はありませんでした。
@ユーチュラ
@ユーチュラ 2 ай бұрын
その黄色い本で死ぬ時期を200年先にしちゃえばいいんですよ。
@yasuoikeda6560
@yasuoikeda6560 2 ай бұрын
@@ユーチュラ それを恐怖に感じる必要すらない、起きることは起きるのでその恐怖を乗り切る秘訣は起きることをそのように理解すること以外ない。
@uniq
@uniq 2 ай бұрын
自分の一番古い思い出がおばあちゃんの手の皺と同じような皺がある=自分ももうすぐ死ぬ=ギャン泣きだったので ずっと死ぬの怖がってます。
@owo_is_8888
@owo_is_8888 2 ай бұрын
🌈✨虹人🌈✨ 🌈🗾🌈🗾🌈二ジ🌈の国🌈🌈に産まれ🌈🌈育って✨✨ 今、尚🌈虹🌈の国で1日1日を日々生活出来ている事に感謝✨✨ #虹 #虹人 #虹人🌈 #虹の民 #愛情 #真実の愛 #能動的 #能動的に
@sta895
@sta895 3 ай бұрын
事故であの世に行きかけました。 息が出来なくなった後、身体がなくなり魂だけで漂っている感覚は15年経っても忘れません。 その日からは暫く感謝して生きてましたが、辛くなるとあの世に行きたいと思ってしまいます。 だけど、私は寿命まで頑張ります。 あの時、お迎えは来なかったのだから、私にはまだやらなければいけない事があるのだと思います。 今、生きている全ての人が皆そうだと思っています。 同じ時を皆さんと共に生きている事に感謝して一日を大切に過ごしたいと思います。
@mokoneko5646
@mokoneko5646 3 ай бұрын
10月初めに大腸の手術をして急激に血圧が下がり危ない状態になった。 体がどんどん冷たくなっていって「人間ってこんなに簡単に死ぬのかな。このまま死ぬのかな」と意識が遠のいて行く中、看護師さんが何度か呼び掛けていたようで数時間後にやっと意識が戻ったようです。 私はこの地球が大好きです。美しいけれど低周波数の中で苦しみ悶えながら自問自答しながらも可愛いお花や昆虫、動物達が癒してくれるし、多くの人の助けがあって今まで生きて来れたので、それがどんなに幸せなことかと思うと感謝しかないです。 この肉体は今回限り。折角地球に生まれたのだからこのチャンスを活かして自分が出来る事をやりきるしかない。いつ死んでも悔いがないように。そう改めて思わされました。
@オダコウタロウ
@オダコウタロウ 3 ай бұрын
過去自死を考えて、最後に帰省してばあちゃんの顔見てから逝こうと思ってました。 母親がわりだったばあちゃんに謝りたくて。 ところがなんの因果か帰省して少ししてばあちゃんの方が突然亡くなってしまいました。 その日から『生きること』『死ぬこと』についてちゃんと向き合えた気がしました。 ばあちゃんが今の自分の要素の一つだと思ってます。 今はまた社会に揉まれて少し忘れてた気持ちをこの動画で思い出させてもらえた気がします。 ありがとうございます😊
@bunsuzuki5081
@bunsuzuki5081 3 ай бұрын
看護師をしています。 今日の話と関係あるかわかりませんが、動画を観ていて思い出したことがあります。 医師から余命を聞いたかたが(自分の意思で)、その日が近づくにつれて、自分の命はあと何日と数えていました。そして、その時期に急に具合が悪くなり亡くなりました。別の方は家族が余命をきいていましたが、本人には伝えずきたところ、余命3ヶ月だった方が2年位元気に過ごされました。 だから自分の死ぬ日が具体的に出ると、そこに引っ張られるのかなと思い、自分は余命はききたくないとおもいました。 ただ職業柄、死は必ず自分にもあるということは認識していますが、今日の動画を観て改めて考えるとこうしちゃいられない感じがするのと、もう少し自由に生きてもいいなと感じています。
@おおたよう-m2l
@おおたよう-m2l 3 ай бұрын
そう思う
@リサ-s3i
@リサ-s3i 3 ай бұрын
最後のひと葉🌱🍁みたいなおはなしですね🥰
@けんすけ-r5j
@けんすけ-r5j 3 ай бұрын
暗示の作用は大きいと思います。外国で健康で身体に問題の無い重犯罪者を使って目隠しで椅子に拘束具で縛り手足に切られたと錯覚する痛みを与えて「止血しないでこのまま放置すれば1時間後には出血多量で…」みたいな感じで暗示して「〇分経過」と時間をカウントして聞かせるストレス負荷実験で実際に途中で思い込みだけでタヒんでしまった者が出て中止した話を思い出しました。
@りおも-d6x
@りおも-d6x 3 ай бұрын
病は気から、と、昔から言いますものね。
@isis6565
@isis6565 2 ай бұрын
橋本京明さんの動画であったけど、生前自分の墓を買った人はだいたい3年以内に亡くなることが多いって言ってた。意識するってことは思ってる以上に人に影響を与えるのかもね。
@ホリィ-d5p
@ホリィ-d5p 2 ай бұрын
私が母から聞いた話です。(母は沖縄出身です) 明治生まれのおばぁは、毎朝東の空に手を合わせて感謝の言葉を言っていたそうです。ある時、「私は2週間後に死ぬから食事は用意しなくていい。」と言ったそうです。病気を患っていたわけではありませんがそれなりの年齢でした。それからは水を少し飲んでほとんど布団で横になっていたそうです。そして眠るようにお亡くなりになりました。それは本人が予告した2週間後でした。殆ど食事を口にしていなかったので、きれいな姿だったそうです。 私はそれを聞いた時、なんだか正しい死に方を教わった気がしました。 死にたい訳ではないけど。いつか私にもそういう日が来た時は、同じ事をしたい(今だと無駄な医療は受けたくない)と自然に思うようになりました。
@ひらちょん
@ひらちょん 3 ай бұрын
魂は残るけど、自分が選んだこの今の肉体はなくなってしまう😢 大切で貴重な今に感謝❤思いっきり楽しみたいな🎉
@24Venus-smile
@24Venus-smile 2 ай бұрын
素晴らしい👏
@CocoAmol-de2sm
@CocoAmol-de2sm 3 ай бұрын
みつろうさんが言っていた通り、幼い頃に死を知るのと歳とってから考えるのとでは全然違うんですよね、上手く説明できないですが、私は12才の時に小児癌になり大手術をして生死をさまよいました、小児科病棟にいたので、週に何人かの幼い子供が死んでしまうのをずっと観てきました、13才で鬱病になり、自殺を本気で考え、死や魂の事を知りたくて宗教や哲学書を読みあさり勉強しました、そして密教の生きる事は苦だ!の言葉に納得して、苦しいのが当たり前前提で生きてました、オタキングの人も幼い頃、体が弱くて何度も死にかけた経験をしていて、彼が動画で、こういうのは実際に体験した人しか見えない世界なんだよ、と言っていてめっちゃ共感しました、今50歳ですが、あれから癌に3回なったり、大きな病気をして生死をさまよいました、また生きるのが辛すぎて自殺未遂も2回してます、死後の世界は必ずあると信じてますが、輪廻転生は無いはずです、死後に魂が行く場所が必ずあるけど、それは人それぞれ違います、私なりに勉強してきてわかったつもりですが、で、何が言いたいかと言うと、この素晴らしい地球に人間として生まれて来て生かされていて、1人1人のお役目があるのだと信じています、だって死にたくても死なせてくれないし、だから今もめちゃくちゃ辛い事だらけですが、毎日、悔いのない様に、いつ死ぬ時が来ても、大丈夫なように自分の生を全うしていくしかないのです❤愛です、全ては❤
@gyna1750
@gyna1750 2 ай бұрын
輪廻転生はあると思います。現在の肉体を持ってでの記憶は無くなっている筈ですが…。また、全ての人が直ぐにちゃんと上がれるとは限らないみたいなので、容易に理解はし難いです😕
@普賢ピ
@普賢ピ 2 ай бұрын
密教とは?と言うことを見つめて欲しいのです。 全ては仏陀が説いています。経を見つけて下さい。 仏陀は皆を見てくれています。 あなたから仏陀が見えないのは仏陀の言葉を知らないからです。 病気にならない方法を学ばずに生きて来たのが反省点です。 輪廻転生はします。必ずします。能力者は過去の記憶が有ります。幼い時は判断出来ませんが、年を取るとそれが分かります。今をしっかり見つめて生きて下さい。そして知ろうとしてください。現実を見ないと理解できません。
@user-wu8ue3ui4k
@user-wu8ue3ui4k Ай бұрын
お釈迦様は同じ蝋燭に火は灯るが同じ火が灯るわけではないといっていたようですね。 その意味をどう捉えるかは個人というものの解釈次第でしょう。
@Twilingal
@Twilingal Ай бұрын
死線を超えた経験の有無は特に影響するでしょうが, 死生観以上に運命・宿命をどう捉えるかがその人の生き方を左右すると思います. 私は死後の世界に私は存在しないし, その意味において死後の世界はないと考えます. それは私に限らず全ての人がそうだとも思います. 生前の「念」が余程強ければ「魂」が残る事もあるが, それは例えば「創業者の魂」「教祖の魂」の様に死後遺された人の心に寄宿(やど)るものであって, 数多の霊的体験もその顕現だろうと考えます. 誰にでもある事ではない. 生も死も不平等. その「運」と「命」をどう捉えるか, 変えられるのか否か. (神仏を含め)他者に決められるのは拒否します.
@うさぎ-h8w
@うさぎ-h8w 8 күн бұрын
私には難しい事はわかりませんが 貴方様が精一杯今を生きておられていらっしゃることを応援致します💖💖💖🥰
@西村尚美-k2h
@西村尚美-k2h 3 ай бұрын
最近仏教を学んでから 死というものが怖くなくなりました。 死に向かっていっているのがわかります😊でも悔いなく一日をすごしてます❤ ダラダラして家族と映画みることも、私にとって悔いのない人生です😊
@Medys-uq2ev
@Medys-uq2ev 3 ай бұрын
私も同じくです😊 仕事に疲れてダラダラ寝てる時もあります。寝ている時に亡くなったらわからないはずだし。 多分亡くなる瞬間境目?ってわからない気がします。 今出来ることを心を込めていくだけでいいと思っています。
@healing-b9z
@healing-b9z 2 ай бұрын
素晴らしい👍。頑張り過ぎはよく無いです。お釈迦さんは中道と言ってますもんね。😊
@May-tato
@May-tato 3 ай бұрын
魂は永遠です。淡々と生きれば良い。生かされてる限り😊あちらにいくのが楽しみであります。
@komako1203
@komako1203 3 ай бұрын
死を意識したのは数年前に聞いた藤井風さんの「帰ろう」という曲を聞いた時に 初めて死というものに対して意識をする様になったと思います。藤井風さんは身体はあくまでも器でしか無く 本来は心の深いものの中に 本当の魂=HigherSelpがあってその本当の自分が本来持っているものに気がついて今を生きるってことがとても大切と言われていると思います。 本当の心と身体の統合をした時にわかることがあるのだと思いました。死と言うものが決まっているからこそ 明日からどう生きようか?という歌詞が最後にきて その言葉に死に向かって今を生きるじゃあ貴方はどう生きますか?という事をこの歌を聴いてる人全ての人に投げかけるからこそ凄い 共鳴したのだと思いました。因みに藤井風さんは だからこそ器である身体を 磨いていると言われています。何か変な話になりましたが私が死を意識した話でした。長文失礼いたしました。🙇
@カネロゴロフキン
@カネロゴロフキン 2 ай бұрын
来世はない、死んだら灰と骨になるだけ、全ておしまい。
@komako1203
@komako1203 2 ай бұрын
​@@カネロゴロフキンそうですね。人それぞれだとは思いますが私はまだ身体への執着を手放す自信がありませんが😊 自由でいいと思います。
@整体響氣堂
@整体響氣堂 2 ай бұрын
これからの人生で老いていく事について凄く考えました。 考えるだけで生きていく事が疎ましくなっていった時 いつ死が来るのかわからないのに老いを考える必要が無い事に気付きました。 人生に必ず訪れる死、その時に「あぁ楽しかった」と言える 人生を送ろうと生きています。
@emiko8042
@emiko8042 3 ай бұрын
みつろうさん、いつもありがとうございます🙏 20代で祖母と父が立て続けに同じ年に亡くなり、悲しみにくれていましたが、人間や命あるもの皆は、前触れもなく「死」に至ることを教えてもらいました。誰にも明日がくる保証はなく、今生きていることがどれだけ奇跡なのか… 人間どうしても未来があることを疑わず、未来の心配や不安をする。それよりも「今を生きること」が大切なのだと…改めて思い1日1日を大切に過ごしていきたいです😊
@studiomaru-m5623
@studiomaru-m5623 2 ай бұрын
ものすごく久しぶりにKZbinにコメントします。 感情を大きく左右されながら最後までじっくり見ました。 結論として、私の求める生き方は変わらなかったですが、自分自身これは、人が生きる上での真理ではないかと真剣に思っています。 結論は【愛】です。 もう少し詳しく言うと【どれだけの人にどれだけの愛を注げたか】だと思います。 命だけでなく、意識や魂も有限だと言う考えと、それなりの実力を持っている人の多くは 「人々の記憶に遺りたい」とか「歴史に名を残したい」とか考えるのではないかと思います。 別にそう言う風に考えることは全く否定するつもりはないし、むしろ素晴らしいと思います。 だってそういう風に考えているかどうかに関わらず、そのレベルの意気込みで何かに夢中になれた人こそが世界を変えるような事を成し遂げてきたと思うからです。 でも、もっと豊かな考え方があると思っていて それは、自分という【存在】ではなく、自分が惜しみなく注いだ【愛】は、曖昧な人の記憶や、立場によって都合よく書き替えられる歴史に名を残すことよりも、確実につながっていくと思うからです。 私は中学生の時に気付いたんです。「自分の90%は愛でできているな」と。 そして同時に、それは自分が本当にたくさんの人に惜しみのない【愛】をもらいながら生きてきたからだという事にも気付くことができました。 それに気付けたのも【愛】をたくさんもらってきたからです。 これまでもそうしてきましたが、これから先も、もし1時間後に急に命が終わっても後悔しないように、自分に関わる全ての人を全力で愛しながら生きていきます! みんな愛してるよ〜♬
@ヒロロ-b3p
@ヒロロ-b3p 3 ай бұрын
みつろうさん❤ いつもありがとうございます♪ まさに小さい時から、3度程、死を見詰めて来ました〜‼️そして又、今もステージ4の癌が見つかり、死を意識しております❣️でもでも、きっとここからV字回復目指してます😂   レイジレッジのピラミッドに瞑想に行きたいです❤
@sawajennechannel
@sawajennechannel 3 ай бұрын
2020年8月コロナ禍の最中、父が突然他界しました。 その時に、初めて死に対してとてつもなく恐怖を感じました。 父の葬儀から半年経った頃、家でボーっとしていた時に、『お姉ちゃん!』と生前呼ばれていた声が聞こえました。 (この時には、気のせいかなと思っていました) そして、その半年後、目が覚める直前に、他界した父が側に来ていた気配があり、父は生前少し若い頃の姿であらわれて、笑顔でした。姿は眩い光に包まれていて、顔の頬あたりにふわっと撫でられて手を握られた感触がありました。もう(あちらの世界に)帰るね…っていうあいさつだったのかもしれません。 肉体から離れても魂は存在することを知りました。 明日がくるのは決して当たり前ではなく、奇跡の連続であることを思い知らされ、死の恐怖から解き放たれた瞬間でもありました。 長くなり、書かせていただきありがとうございました。
@nokoaki8651
@nokoaki8651 3 ай бұрын
いつも楽しいお話有難うございます! 私には東洋哲学を教えて下さってる師がいて、昔から死を受け入れたらその瞬間から世界が変わるし、自分「が」生きてると、愚かなことを思うなと教えて頂いてたのですが、あまり実感を持てなかった頃、身近な友人が亡くなった時、火葬で見送る時、自分がその友人になったと思い自分自身を見送って見てください、と話を頂いて、充分味わったあと、 でもあなたの体は今も生きていて歩いてやりたい事ができますよね!と言われた瞬間に、とっても、とっても今この体を頂いてることが尊く感じさせて頂きました。死を考える。なんて事生きてる内に簡単にできないし、こうやって体感あっても直ぐに忘れて行くのが生きてる自分だけど、死んだらこの体は焼かれるし動かない。意識や思念は残っても、何かをなしとげたい気力が湧く体はもう無い。その事実を受け入れてこそ、今この瞬間がいちばん大切なのだと感じさせて頂きました。みつろうさんの動画を見て改めて死を受け入れることの大切さ、尊いお話ってことを感じさせて頂きました。 ありがとうございます🎉
@junko_g
@junko_g 3 ай бұрын
2歳の時に弟が亡くなりました。4歳の時に同居していた親戚の女の子が亡くなりました。悲しみにうちひしがれて毎日泣きじゃくっていた私に父が、そのうちに父も母も死ぬ、私も死ぬ、この地球も死ぬ時がくる、と。今 与えられた人生を日々大切に生きようと思っています。ありがとうございます。
@diid9339
@diid9339 3 ай бұрын
この世は終わっても魂は続くと学びました。学んだだけでなく実感としてあります。
@reidspencer8969
@reidspencer8969 2 ай бұрын
@@diid9339 もっと深く言うと、 他人だと思ってる目の前の人、自分だと思ってるこの身体も、大きな水槽の中にいて水で繋がってる感じで、この水に終わりとか仕切りが本来無いから次があるとか無いとかではなく繋がった水はそのままな感じです
@yuuukizurako39
@yuuukizurako39 2 ай бұрын
@@reidspencer8969 分け御霊🌟 ワンネスですね〜💓✨ 視聴者さんに賢い人、 賢いコメントが多くて素敵です✨🥰✨
@akhicesono9101
@akhicesono9101 3 ай бұрын
ハイデガー、哲学の授業で印象に残ってた人でした。 逆説的ですけど、本当の命を『生きてる』人ってどういう人なんやろ?って考えてた時期があって、ヒントとなったのが歌姫ビヨンセの死生観を知った時でした。 彼女は『明日、死んでしまうかもしれない。これが最後のステージかもしれない』という思いがどこかに常にあったからこそ、いつもステージで物凄いオーラを放ちながらキレッキレのパフォーマンスで観衆を魅了していたんだという話を聞きました。 いのち輝くってこういうことなんだろうなぁ。 自分は、明日も生きてるだろうっていう傲慢な思い込みがいつもあったから惰性の日々から抜けられなかったんだな。 みつろう君、深い良質な問いかけをしてくれてありがとう。 このタイミングで黄色ノートが世に知られるってのもひとつの宇宙の采配なのかな。
@トルバイリッツ
@トルバイリッツ 3 ай бұрын
私は1ヶ月の間に、大怪我で救急搬送・手術・入院を繰り返し経験した時に、生と死を体感させられました。今年の出来事で、今も尚リハビリの日々です。ある日突然、一瞬にして今までの生活・行動が出来なくなるという経験は、私にとってお金を出しても買えない貴重な経験となっています。
@user-konkonkon315
@user-konkonkon315 3 ай бұрын
あります(本当です) 子供のころから虚弱で、喘息がひどく、大人になっても治りませんでした。 時々悪いというわけではなく、慢性的に半病人のように暮らしていましたが、運動は出来ないものの、学校は卒業し就職し結婚し子供も産みました。 就職してから、一時的に気管支を拡張させるアロテックエアゾル(吸入器)を勝手に多用して、日常を保とうとした結果、加速的に体調が悪化しました。それまでも悪かったのですが「苦しい」の種類が変わりました(体調的な意味で) 20代の後半から30代の初めぐらいが特にひどく、 瞬間的に「死ぬ」と思うのではなく、それなりにまとまった期間、断続的に何度も自覚する時期がありました。底がないような悪い体調と感情でいましたが、泣くとかはなかったです。当時は納得せざるを得ないぐらい悪かったのです。 あと、具合の悪い期間もそれなりに長かったので、「もうどうにもならない」と。 しかし良くしたもので、引っ越しなどで環境が一気に変わり、子供もほっておいても死なないぐらいに成長したので、私が家で死んだ場合の対処法等を子供と話し合い「もう死んでも良くなった」と安堵しました。 生きていてもまともな事は出来ないと諦めがついたところで、 もともとオカルト好きだったので、断食と瞑想と庭の草を青汁にして飲むとか(趣味で)好きなことをやったりやらなかったりしていたら、半年後には別人の体に変わったかのように回復しました(ほんとうなのです) 今は、本当は普通の人ほどではないけど、普通に元気に暮らしています。 頭はおかしいです。
@korogaru_akibako
@korogaru_akibako 3 ай бұрын
最後のひとことに笑いました😂 私もです。 このチャンネル視聴者層はほとんどそうかも。笑 もしくは自分はマトモだと思っている人のほうが、実は。 それにしても引き込まれる語りですね。すばらしい文才だと思います🫶🏻 お元気になられてよかった☺️
@user-konkonkon315
@user-konkonkon315 3 ай бұрын
@@korogaru_akibako 長文なのに読んでくださったんですね!  物心ついた時にはマトモな体調ではなかったものが、中年になってから急に苦しみが無くなっていったとき、「私はようやく人になる事を許された」との思いが沸き上がってきたものです。 はい、今は元気です。 ありがとうございます!
@korogaru_akibako
@korogaru_akibako 2 ай бұрын
@@user-konkonkon315 内容も興味深くて、長文とは感じませんでした✨
@7chato
@7chato 2 ай бұрын
自分も全く同じ病弱人生。 ホルモンバランスの変化が安定したり、自律神経が安定したりすると、体調も安定しますよ。自律神経とアレルギー疾患、喘息は関係ありますので。
@user-konkonkon315
@user-konkonkon315 2 ай бұрын
@@7chato 静かに暮らしている限り、その人の体調や思いなどは、誰にも理解できないものですね。お疲れ様です。 私は、何がどうなって、今は元気に生きられているのか、理由をつける事は出来ますが、 「不明」としています。 本当に驚くような速さで回復していきました。 今は夜勤がある仕事をしていて、自律神経にとっては良くないはずですが、体調は安定しています。 あくまでも「私にとっては」ですが、断食と八朔などの大型柑橘類は体調を整えるのにとても有効だったと思います。
@mikocat2539
@mikocat2539 3 ай бұрын
私は3才の時に母親からメメンモリを意識して生きるように教えられました。明日があると思わない生き方を続けています。明日がないと思って生きている毎日は、悔いなく過ごしたい1日です。
@momopipi8888
@momopipi8888 2 ай бұрын
毎秒、それを考えながら生活させてもらっています。 過去はギスギスと心が痛いことも多くありましたが、今はとても穏やかでいれるときが増えました。 本当にたくさんの方々に助けていただきながらの今があるのですね。 有り難いことです。合掌
@ryoue7042
@ryoue7042 3 ай бұрын
芸能人の方も病気でお亡くなりになって居る 大動脈解離に9年前になりました。 この病気、気付いた時は手遅れで直ぐというパターンと 運良く痛みで済み入院するパターンがあり 私は後者でした。 当時の私はその病気の存在すら知らず 救急車で運ばれたときに知りましたw 運ばれる前日、極度の痛みがあり あまり眠れず翌日病院にでも行こうと思っておりました。 その翌日は朝を普通に向かえ病院前に入浴でも… 其処が引き金でした。 浴槽に遣ったときに 無茶苦茶痛くなったのと 息の吸い方を忘れるような呼吸困難 あ、このまま終わるのか… と思いましたが全裸の状態は悔いが残ると思い 必死でタオルで拭き服を着て 終を迎える覚悟になったら 少しだけ楽になり救急車を呼んだ状況でした。 その瞬間に覚悟を迫られたので 考える余裕は無く ただ、 服を着て人に見られても恥ずかしい姿でない事だけでした。 死に対しては元々恐れは無い物でしたので 執着する点が其処でしたが その後今も生き延びていて 考えるようになったのは 何かの所為にして 自分の気持ちを抑えて言い訳しながら行動するのは 出来るだけする事が無いように そしてその境遇に出来るだけ成らない様に心がけるようになりました。 色々書いたら長文になってしまいすみません(;^_^A
@アンジュ-f5t
@アンジュ-f5t 2 ай бұрын
私も呼吸困難になった時、あ、、、このまま死ぬのかな、と思うと同時に、放していた噛み犬をつないでおかないと、パジャマだったので、一枚羽織っとかないと、、、など色々考えました。その日から、いつか死ぬのだからせっかく生まれたこの星を味わって楽しんでさよならしようと思う様になりました。そして、残された人の事考えると物欲も無くなりました。片付け大変ですもんね、、、。 この魂とこの肉体の組み合わせは今回限りだから貴重ですね❤
@ryoue7042
@ryoue7042 2 ай бұрын
@@アンジュ-f5t さん コメントありがとうございます。 同じような感じの事が有ったんですね。 そうなんですよね。 私もあれから毎年何かしたことを残したいと思い色々と新しい経験をするようにしてきました。 最近はそれをし過ぎて仕事のツケが回っておりますw 物も仰る通りシンプルに必要な物を大事にという考えになってきました。 今回の乗り物は今回限りだから足し気に貴重ですよね(^^)
@珠江加藤
@珠江加藤 3 ай бұрын
輪廻転生はある。来世はある。 と、どこかで思っています。 だけど、無いとしたら… と、考えると今ここへの覚悟とか執着とかが濃度を増すのだ!と、思いました。 私は心臓に穴が空いた状態で産まれ、3歳まで生きられないと言われて親も泣きながら諦めて、手術もしないまま現在61歳となりました。 私が愛した人、愛した命の幾つかは肉体から離れてしまわれ、今は独りで暮らしています。 何が正解かはどうでもよくて、本日みつろうさんが提示してくれたことが本当だとしたら…と考えた方が今の、そしてこれからの瞬間を味わう濃度が濃くなる氣がしたので そんな思いで、今のこの私を 丁寧に観察し、感じてあげようと思えました。 今ここ、今の有りのままの私という人の状態、今見えるもの、聞こえるもの、感じられるもの。直ぐに消えて何処にも残らないとしても出来るだけ味わって肉体の周りに満たす! ということを、今お借りしているこの人(私)に、プレゼントし続けようと思えました。 ありがとうございました✨
@そよかぜ-l9g
@そよかぜ-l9g 3 ай бұрын
死を考えた事は何度もあります。大事な親や親族、ペットが亡くなった時、何度も自身も死に直面した時でした。 その時、肉体は滅んでも魂は存在していく事を体感しました。 人が亡くなっても時はずっと続き、肉体を持ち多くの事を体感出来るのは生きてるからこそ出来る。 体をもって体験することが出来なくなる日迄、今という感覚がある時は生きてる証なんだと思います。
@金玉草男-n7u
@金玉草男-n7u 3 ай бұрын
手塚治虫はやっぱり凄い。小さい頃に叔母の家で読み漁っていて良かった。幼少期のアイデンティティの形成は重要ですね。 彼の作品をきっかけに死を身近に置く事ができた。 自分は終われど命は繋がる。やる事は死ぬことと命を繋ぐことだと思う。死ぬ事を楽しみに人生を謳歌できてる。これからも、いつ死んでもかまわない時間の積み重ねを続けたい。
@トーヤカダン
@トーヤカダン 3 ай бұрын
ボクは11歳の時に、虫垂炎を拗らせ腹膜炎の手術をしました。その時の記憶に残ってるのは、、局部麻酔の全然意識もハッキリしてる中で、感覚の無いお腹をグイグイガチャガチャといじられ、たとえようのない不快感と恐怖がいったいいつ終わるの?っていうこと。あ、、夕方のキン肉マンの再放送、今日は観れないなってこと。そして、よくドラマや映画で見かける手術シーンのクライマックス、心電モニターの数字がどんどんカウントダウンしていき、、御臨終です。っていう時の機械が、今、自分にもついてるのがスゲーって思ったこと。 んでその時、その数字がボクのもどんどん下がっていってるのを見て「これ、、やっぱりゼロになったら死ぬのかな?」って、なんか人ごとだった。落ち着いてたというよりは"はやく手術おわれ!"っていうことばかりで。死をそばに置いていなかった。 ボクも生まれて一年しないタイミングで父親を亡くしていて、物心つく前から生き物の死ということは身近にあったはずなのに、自分の死に限ってはちっとも信じていなかった気がします。 それでも一瞬だけ、そのカウントダウンしていく数字がかなり小さくなっていって、、それにそって意識もフッと遠のく感じがした時には、ホントに微かにだけど、でも、ものすごい強烈な"死ぬの怖い"っていうのが出たのをしっかり覚えています。ヤダとかじゃなく、、無になるって、、どうなるんだろうっていう漠然とした怖さ。 それから、母さん泣くだろうなぁとか、学校のみんなはお葬式にくるのかな?とか、、そしたらキン肉マンのオープニングのテーマが聞こえてきて。。 頭の中で歌ってたら、とりあえず数字はゼロになりませんでした。 歌ってスゲー。。いや、キン肉マンがスゲーのか!・・・・何の話だ?(笑)
@メタ太郎-f3f
@メタ太郎-f3f 3 ай бұрын
なげーよ😂 でも 面白かった!
@myliestone656
@myliestone656 3 ай бұрын
キン肉マン Go fight!! 元気が出るいい歌ですよね😊
@coffeebeans1175
@coffeebeans1175 3 ай бұрын
途中まで話が凄く怖かったけど、最後キン肉マンでとても勇気と力強さを感じてホッとしました😂ありがとう🙏
@korogaru_akibako
@korogaru_akibako 3 ай бұрын
あなたにしか語れない物語を聴けました☺ありがとう
@startingofeveryday5749
@startingofeveryday5749 3 ай бұрын
キン肉マンの歌が聞きたくなった😂素敵なお話ありがとう
@桜美穂
@桜美穂 2 ай бұрын
2ヶ月前に緊急手術になりました。難しい手術なので、最悪の事態も覚悟してくれ、と言われました。 初めて、死をリアルに感じました。 死を間近にして、どんどん心境を上げて行かれる病人の方、死刑囚の方のお話を聞いていて そんな心境になるのに、死ぬ前まで待つ必要があるだろうかと思い ずっと、命の有限を思って、1日1日を感謝と感動で過ごして来ましたが やはり、リアルな体験には勝てなかった。 これが最後かと思うと、鳥の鳴き声を聞いても、セミの声を聞いても、はっとさせられました。 何を見ても聞いても、本を読んでも、今までわからなかったことがわかってきて ただただ感謝ばかりでで、たくさんたくさん泣きました。 あの時の切羽詰まった意識状態を思うと、今はずいぶんゆるみましたが これで最後かもしれない、という強烈な体験は、自分を大きく変えました。感謝しかありません。 ちなみに、その病気を治したくてマスターマインドに参加したのですが 結果的に、本格的に始まる前に願いが叶ってしまいました。笑笑 でも、マスターマインドに参加したことが、大きく関わっていると思ってます。 貴重な機会を、ほんとうにありがとうございました✨✨✨✨✨✨
@たむねこ-m2p
@たむねこ-m2p 3 ай бұрын
死は死んだ人にはあまり影響はなくて、死んでしまった人のまわりの人に色々な影響があると思う。
@美智-d1l
@美智-d1l 3 ай бұрын
せっかく作家さんなのだから読んで読み解いて現実に耐えてみてください。楽しみです。私は開腹手術した時全身麻酔から醒めずにICUにずっといたんです。私は覚醒していて、体が動かせずにいて心で叫び思い、母の声、医師の声、看護師の声、清拭時、全部覚えています。脳死判定をするか、植物人間のようにするか選択を迫られていましたね。それを聞いていてヤバい!と思ってせめて瞼、指先だけでも動かそうと必死でした。それでも目もあかず口もきけず…機械のピーピーなってる音で聞こえないのかなと諦めて、それ以降は私は生きてる、生きたい、誰でもいいから私を戻して…そればかり唱えてました。その時母は私の名前を呼びなから頬を叩き始めました。何回も。看護師さんが止めるほど。そして私はそんなに叩いたら痛い!と叫びました!その時顔が歪んで反応したみたいで
@Sakura-ij2eg
@Sakura-ij2eg 3 ай бұрын
やっぱり意識は無くてもちゃんと 自分はどうにも出来ないけど 分かってますよね。。。 生きたい思いと必死な 愛が届いて本当本当にに良かったです…。 😢
@taisuke-invest
@taisuke-invest 3 ай бұрын
ディズニーのソウルフルワールドを見た時、「あ、僕たちは地球に遊びに来てるんだ。」って思いました。当たり前に見える、景色一つ一つ、瞬間瞬間が貴重でありがたい、ここでしか経験できないもので。 来世があるかどうかは実はどうでもよくて、大切なのは「今とここ」を作業にしてしまうのではなく、貴重な瞬間として見えているか、味わえているかな気がします。 スティーブ・ジョブスは「毎日明日死ぬ」って思って生きていた、って言ってた。確かにそれなら「今ここ」を味わえるでしょう。でも、そんなネガティブな生き方は嫌だ。実際、死を引き寄せてるし。 代わりに、朝、目が覚めた時「あ、今日も地球に遊びに来れた。今日は地球で何しよう」って考えるようにしています。景色が違って見えるし、全ての人、出来事が貴重に見える。 ま、みつろうさんが伝えたいメッセージとは違うだろうけど、僕はこっちが好きです^_^
@yoshi8033
@yoshi8033 3 ай бұрын
素晴らしい!本当にそうですね!
@888chiya6
@888chiya6 3 ай бұрын
なんか共感です❤
@KKK-iq8qu
@KKK-iq8qu 2 ай бұрын
素敵💓ありがとう😊
@tama3077
@tama3077 3 ай бұрын
私はもう人生の大半を生きて来ました。けっこういい加減でけっこう自分本意で生きて来たので、自分が今電池切れをしたら最高だと思います。 けれども、まだ健康寿命で生きねばならないのです。保護猫達が私を頼りに生きているからです。 彼らを見送るまでは死にたくありません。 この世にたったひとつ誰にでもある宝物命。 彼らの生を全うさせるためになんとしても生きたいと思っています。
@airipengin8093
@airipengin8093 2 ай бұрын
ネイティブアメリカンの教え「明日死ぬように生きなさい!」を16歳の時に学び、半世紀生きて来ました。お話し、深く納得です。石垣島🏝️在住のオバーより🔥
@ふで楽
@ふで楽 3 ай бұрын
約20年前に難病になり、「死」を自分ごととして深く考えるようになりました。生きてたからこそ、マスターマインドメンバーにも出会えて幸せです😊
@中-x5q
@中-x5q 3 ай бұрын
ナオキマンさんの動画から知り、最近さとうみつろうさんの動画を見るようになりました。 自分は現在19歳です。 小学4年生の頃おじいちゃんの家でトイレをしていた時、何故それを考えたのか分かりませんが、急に自分が死ぬということを考えました。死んだあと自分が何も無くなるただただ何も無いと考えて大泣きしてしまい、おじいちゃんが心配してトイレに来ました。 なぜ小さかった頃の自分がそんなことを考えたのかずっと疑問でした。そして、ほんとに怖く悲しくその頃から、あまり「死ぬ」ということを考えないようにしてきました。 死ぬということを考えたからかは分かりませんが、小さい頃お店のものをこっそりお店で食べて家族全員を泣かせたような小さい自分が、小学5年生あたりからどんな人にも優しく接するようになり、最近とあるかたから、お前は他人には興味無いのに他人に優しくするタイプだよなって言われ確かに、何で自分はこうなったんだろうと思っていました。そんな時この動画を見て、記憶にずっと残っている、上に書いた思い出が当てはまり、死について考えたことがありますかという質問をされて、このことかなと思い送らせて頂きました。 長々とすみません。 これからも、楽しいでもなく悲しいでもない何とも言い表せない気持ちでさとうみつろうさんの動画を見させていただきます。このなんとも言えない気持ちは多分ポジティブな方です。 長文失礼しました。
@mitsu-low
@mitsu-low 3 ай бұрын
若い頃のその原体験は あなたの中心で力強く居座ってくれているでしょう。 素晴らしい。
@重松耕治-w5d
@重松耕治-w5d 3 ай бұрын
子供のころ友達と夕日を見ながら「いつかはみんな死ぬんだ」と話していたら急に淋しくなり大泣きしてみんなに迷惑を掛けたことがありました。その思いは今もありますが魂の存在を信じて心の奥に仕舞ってます。
@聡竹下
@聡竹下 3 ай бұрын
これは逆説もありで、「死後がないなら生きてるうちにどんなに汚い事や人に迷惑をかけても良い」という事になる。「死んだら終わり」だから。
@healing-b9z
@healing-b9z 2 ай бұрын
その通りです。私は隣の人間に詐欺的工事をされました。隣の入婿が建物関係の仕事をしていて何度も嘘をつきその度にお金が高くなる。あの世があり悪い事をしたらジゴクに行くと言う考えが無い人間は酷い事を平気でします。ここのチャンネル主は若いから偏った考えをしてる様に思います。
@yakunarumi9734
@yakunarumi9734 3 ай бұрын
正観先生は全てシナリオ通りとおっしゃってました。そうなんだと思います。
@inari07
@inari07 3 ай бұрын
何回も死に直面した事がありましたが、いつも何かに守られていて助けてもらってる氣がします。死ぬ事が怖いとは思った事はないですが、今は自分を守ってくれて生きている事に感謝して生きようと思います。
@P子-j9e
@P子-j9e 3 ай бұрын
私は幼稚園児の頃から死に対する恐怖が強く、毎晩「死ぬのが怖いよー!」と大泣きしていたのを今でも覚えています。 そして小学生なってからは、もし神様がいなくなったら…から始まり、宇宙も消えて地球も消えて自分という存在も意識も全てなくなるとしたら…と考えるようになり、毎晩恐怖で寝付けなかったです。 これは大人になった今でも、夜中に目が覚めてしまった時にふと頭に浮かび、恐怖に襲われる事があります。 私にとってこの恐怖心に対する解決策は「自分が死んでも亡くなったらご先祖様の所に行くだけ、ちゃんと魂は残るから大丈夫、来世にいくだけ」と思う事でした。 なので、私の場合ハイデガーの理論に当てはめて考えると、これから先の人生死ぬことに対する恐怖で鬱になってしまいそうです…😭 何か良い解決策はないでしょうか…。
@わーちゃん-y4t
@わーちゃん-y4t 3 ай бұрын
魂は最終的にある集合体に入って溶け込むのかなぁ?って思っています。 具体的には分かりませんが心が暖かく透き通った光のような存在で還りたいと思っています😊
@rererenore---
@rererenore--- 3 ай бұрын
私なりに理解しているのは、輪廻転生という前世と来世の考え方は近いけど少し違ってて、死んだら魂がワンネスにドッキングして還る(その人生で経験した出来事や思い出はアカシックレコードに貯蔵され、水しぶき一粒が海と一体化するように魂はワンネスへ)。そして、また形を変えた(別の役割をもった)別の魂として生まれてくる。だからソウルメイトやツインレイといった考え方があって、前世のとき”私の魂”だった一部が別の魂として存在しているわけですね。面白いですよね、目の前にやるべきことが日々あって・・それぞれの人生がある。だから呼吸して生きてるだけでいいような、何かしたくなったらやればイイだけのような気がします。
@佳子福富
@佳子福富 2 ай бұрын
生まれてから半世紀を大きく越え、色んな情報を追求した結果、@rererenoreさんと同様の境地です。 今世の経験を同朋たちと共有するために、肉体を持って味わったことを手土産にする感覚です。 今この肉体が、意図したこと、不意に経験させられたことなど、余す所なく味わうのです。 実際に、この変化、変動、覚醒、転換期の日本から世界の有様の時代を選んで生まれさせて頂いたことの意味も含め、時代の証人でいられることを楽しんでます。 そう思うと、いずれは来た場所へ帰るだけなので(と思い込むことで)死の恐怖も無くなりました〜笑
@na-bt6nb
@na-bt6nb 3 ай бұрын
孫が出来て、この子の為にこれから何が出来るかと、就活を考えるようになり、肉体は無くなっても私の言う事を子供から孫に伝えていけるのが生きた証と思ってます。 何故なら 出会ってないお爺さん、お婆さんの話を父から聞いて心に残っているからです。
@sayo-mn8qv
@sayo-mn8qv 3 ай бұрын
死を意識し、50歳で小さな素敵な樹木葬🌳を購入しました。朝生まれ夜眠りにつく。永遠の眠りはこの場所でと決めたら、とても安心して穏やかで楽しく暮らせています。たまに行くわたしが入っていないお墓参りは、なんとも心身ともにリセットされる時間なのです😊✨わたしの樹木葬の隣に、母が眠りの場所を決めました🌳🌳記憶が残らぬ幼い時に、生き別れし数年前に再会した母です。
@mayumanu6486
@mayumanu6486 3 ай бұрын
ちょうど1週間前に父が他界しました。 父の死をきっかけにまさにこの1週間いろんな感情の波が押し寄せてくる中自分の生き方を見直していたところでした。 魂は無限♾️でもこの体は有限✨ だからこそやりたいと思ったことは躊躇せずそして執着せずその日がくるまでたくさんの経験をしていこうと思ってます。
@rim-cv9tu
@rim-cv9tu 3 ай бұрын
明日が必ず来るとは限らない そう思って毎日生きています❤ 大病を患って肉体の死を考えました 人生は有限であると意識すると 怒りや絶望がなくなりますね😊 みつろうさんに会える日を 楽しみに生きてます🎉
@仁美-h7m
@仁美-h7m 2 ай бұрын
いつも配信ありがとうございます☺️ みつろうさんはみるだろうな笑 強い恐怖を与えられた時しを意識しました。 頭を打って意識を失った時にも、とてつもない孤独の箱に入った記憶があります。 私は生きているけど誰も私の存在を知らない世界。そこに永遠にいる感覚。その感覚を思い出すと何でもできる気がします!
@Rira1179
@Rira1179 2 ай бұрын
みつろうさん✨いつもありがとうございます🙏🏻✨ 「死」を意識する事はやはり普段はほとんどないです。今を生きる 事に一生懸命な気がします😅現実的には厳しいですが、心はいつも自由でいたいです❣️もう65才ですが、心はピュアな自分がいます🤣笑 自分には何が出来るだろうか⁉️と、お迎えが来るまで頑張ります〜❣️✨✨
@ヒサコ-z4q
@ヒサコ-z4q 3 ай бұрын
初めまして! 私は今世、死の記憶が2つあります。一つは病気で(多分肝がん)で痛み苦しみが強かったのが死んで肉体を抜けた瞬間それまで感じていた苦痛が消えてアレって驚いた事😮 それは透明感のある肉体です。(霊体?) 二つめは山のような場所で高い所から落ちたときです。落ちる途中で透明な肉体がスッと抜ける体験の映像でした。 これはあくまで私の記憶にある映像です。 ある時は透明感のある肉体が重なって実際に見えたことがありました。 魂はこれとはまた別の体験があります。 人生で必要なことだったといまでは解ります。 ご縁に感謝します。
@市田綾
@市田綾 3 ай бұрын
その通りです。幽体離脱と似てます。死は、完全に肉体から切れた時です。ただ、それだけの話しですよね。魂は永遠ですね。
@user-happy10.22
@user-happy10.22 2 ай бұрын
30代の頃、父親が亡くなり、お葬式の日に火葬する時間が迫ってきて 永眠する父に手を合わせ、 お父さん今までありがとう... と祈り涙が溢れた瞬間、 もう二度と父には会えない... 人は死んだら人生の幕が下りて全て終わりなんだと痛感したことを覚えています...。 火葬後、父の遺骨が入った遺箱を抱えた時、いつか自分も死を迎える日が来て、人生で大切な人と過ごせる時間は限られているんだと実感しました...。父の死を経験して悲しみに暮れていましたが時が流れて、心の中で父を想う気持ちを大切にして過ごしていくうちに、悲しみから解放されて少しずつ前に進めるようになりました...。 多彩な才能溢れるみつろうさんが今後も様々な分野で素敵な世界観を発信してくれることを心から楽しみにしていますので、 みつろうさんが黄色い本📖を読んで、ガビーン😢な気持ちにならないよう、早急にメールで想いを伝えてくださった心優しい素敵な方に感謝申し上げます✨ どうか黄色い本📙を読みませんように✨🙏✨ 今回の動画を何度も視聴していくうちに、必ず訪れる死を迎えるその日まで一度きりの人生を大切に生きていきたいと思いました✨ 大切なお話を聴かせてくださりありがとうございます✨
@Chandelier385
@Chandelier385 2 ай бұрын
とても憧れる素敵なストーリーですね。人生において大切な人がいるって、素晴らしいと思います。羨ましいな😅
@ありす37
@ありす37 3 ай бұрын
みつろうさん 一昨日、職場の人が亡くなりました。 そんな事もあり、ここ2、3日死について、考えてました。 死んでも魂は、残ると思います。 そして、黄色い本がでてきたら、みつろうさんは、みると思うし、計算もするだろうと思ってます。 でもさぁ…生きてるんだから、生きることを楽しみましょう
@hizuki2577
@hizuki2577 3 ай бұрын
死んだら終わりってことが真実なら、逆に私は死にたくなりますけど…  生きる意味が消えちゃうんですよ、今生きることが辛すぎる境遇なので。  魂は死なない。という概念があるおかげで私は自死を選ばずに生きてるんです。  こういう人もいます。  たぶん、来世があるから死を選んだ人はどこにもいけないと思います。  気づくまで。
@らぶばむ
@らぶばむ 3 ай бұрын
同感です
@tomo0312natural
@tomo0312natural 3 ай бұрын
私もそう思います。 辛くて苦しいけれど 今の人生を生き切ることはきっと魂に刻まれて、来世に繋がっていくんだと信じています。
@amaoto5334
@amaoto5334 3 ай бұрын
@hizuki2577 生きることが辛すぎる人生を送られているということは、あなたが霊性の高い魂をお持ちの方だからだと思います。 今世はきっと、高いハードルを設定して生まれて来られているんじゃないでしょうか。 私もどん底の時期が長く、ずっと辛かったです。 今は少しマシです。 きっといつか良くなる時が来ると信じています。
@esegsu5ju
@esegsu5ju 3 ай бұрын
同じです。死んだら自分がいなくなるなら、絶望。 魂の入れ物だけが死ぬ、ということなら、現世で存分に体を使うことを楽しもうと思える。
@みくみく-v1b
@みくみく-v1b 3 ай бұрын
話しは少しズレますが、江原さんの本で、ふて寝していてもいいから、死を選ばずに、生きていくことを選んで下さいというメッセージがあり、ふて寝していてもいいなら私も生きていけると思い、何かというと不安になり死へ向かいたくなってしまう思いを食い止められるようになりましたm(_ _)m。
@marukomarumaru7784
@marukomarumaru7784 3 ай бұрын
2年前まで病気だったから、諦めて生きてきましたが、医学が追いついてきて幸い完治しました。 前向きに生きるようになりました。 アガスティアの葉を開けようか凄く迷いましたが、今現在開けてません。 ですが、自分で自分に余命宣告しました。 残りの年月魂を輝かせて生きる😀毎日幸せです。感謝です。
@kyoko416
@kyoko416 2 ай бұрын
みなさんのコメントを読んで、改めて生きることと死ぬことについて考えたりしています。私自身は今年の元日の地震で、限りある命を改めて実感しました。
@hh-hq1by
@hh-hq1by 3 ай бұрын
一昨日自死した同僚の通夜が今日でした。 ほんとに急でした。 相談したり飲みに行ったり まだまだ一緒の時間を過ごす予定でした。 今日会えると思っていた人。 死ぬなんて考えてない人が死んでしまうこと。 いなくなる理由がわからないなんてことがあること。 はじめてでした。 今日から死ぬということの意識がガラッと変わりました。 生まれ変わったとしても、 今この状態で会えることはもうない。
@naomihayashi3777
@naomihayashi3777 3 ай бұрын
小学生低学年のころ、今から45〜6年くらい前(!)、「あれ?死んだら家族と離れ離れになるな?目の前にいなくなるな?死んだら目をつむった時とおなじかな?みんなのこと忘れるのかな? じゃあ、なんで生まれてきたんだろう?なんでなんで?生まれてきた意味あるの???何もかも消えてなくって忘れるのに?」 と、ふと考えた時があって、かなり思い詰めました。辛かったです。 確か母親に聞いてみたような気もしますが、忘れました。納得のいく答えはもらえなかったのだと思います。 私の方も、うまく言語化できなかった。 悲しくて、寝る前や、夜によく泣いていました。 わからないし、説明も上手くできないし、悲しいのでなるべくそのことを考えない様にして過ごしました。 そして、小学3年生の時、家の本棚で丹波哲郎の死後の世界のことが書いてある本を見つけ、読んでみると「魂を磨くために、あの世から旅に来ているのであって、私たちは本来、あの世で過ごしている」 と書いてあり、死後の世界の存在を知り、嬉しくて、ほっとして号泣したのを今も覚えています。 あれから色々考察したり、本を読んだりしていくうちに、意識はそもそもどこからきたのか?なんでありつづけるの?集合意識に統合されるとしても、なんで?という、新たな疑問にぶつかってしまっています。 いつか死ぬことは、子供の頃から知っていて、自分や人が死ぬ事を深刻に考えて、でも自我はなくなると思ってました。 自我も含む一個の意識だけはそのあともあり続けるんだ、と考えています。 肉体があるうちに色々経験すればいいんだな、ということもわかっています。 でも、がむしゃらに生きてはいません。むしろだんだんなにもしなくなりました。 もっとゆっくりのんびり、ぼんやり過ごしたいです。私は私のやりたい様に生きたいなぁ。 ひょっとして、これは、まだ真剣に考えてないのか? みつろうさんは、きっと、黄色い本が戻ってきたら読んで、計算するんじゃないかな??どうやろ? ずっと生き続けるなんて、初めから思ってもいないけど、そう思ってるようなふりをして、演技をして生きているのが、この世だとおもいます。 みんな、かわいいよね。
@DoryokuShirazu
@DoryokuShirazu 2 ай бұрын
子どもの頃に大好きな祖父母がいつか死んでしまうことばかり考えて泣いていました🤭 大人になってから姉に打ち明けたら、姉もそれを考えていたそうで泣いていたそうです😂 最期の頃は祖父はボケており、かつ老老介護状態でしたので、祖母に相当な負担がかかっていたため、亡くなったときには何故か私がホッとしていました。 ボケて亡くなると悲しみよりも安堵があって、人がぼけるのは亡くなる時の悲しみを少し減らす効果もあるんだなどと思っていたのを思い出しました。 大人になって色々とあって辛くて、楽になりたくて死にたくて仕方なかった時に、そうだわいっぺん死んだと思って生きれば良いんじゃんって思って、今まで生きています。 全部嫌なことはやらない、逃げる、捨てる。 決して無責任になるのではなくて、自分を殺してまでやっていたことや考え方をやめるということでした。 それは自由を得ることでありかつ責任を持つということでした。 人は誰しもが哲学者で、自分が自分を導くと信じてやまないのですが、ハイデガーにとても興味を持ちました。本を読んでみようと思います。 ありがとうございます😊
@yorico8975
@yorico8975 3 ай бұрын
父が医師に余命宣告受け私も一緒に聞いてましたけど、それまでをどう過ごすかを考えてと言われた時、そうならない様に必死に治療する事を考えた。 永遠の向き合わなければならないテーマスピリチュアルに逃げてる自分がやっぱりいます。 明日死んでもいい様に生きなきゃと頭の何処かでは分かってるけど😅
@epichanel369
@epichanel369 2 ай бұрын
有限性についての説明、非常に勉強になりました。その反面、この世界に人が決めてきた死ぬという事との矛盾に気づきました。決めて来たとする前の世界と死ぬと全て個が無くなる世界、初めはあるのに終わりはない。では、無限の始まりは、なぜあるのか?無相する題材が生まれました。ありがとうございます😊
@山-n2d
@山-n2d 3 ай бұрын
大人になるまで、死んだら「無」だと思っていました。Eさんのテレビを見たり本を読む様になって、死んでも体以外は生きているとしたら?と考える様になりました。続きがあると思ったら、嫌になったからやーめた(若い頃、死を簡単に考えてました)と終わらせる事は出来ないと考えるようになりました。
@izumia5691
@izumia5691 2 ай бұрын
もういなくなりたいな、と思ったことはあるけれど、 その気持ちも頭のどこかで「そうは思っていても、結局は本当に向こうにいくわけではない」と感じていたような気がします。 当時は心底辛くて、いなくなりたいと思っていましたが、先に旅立った友人を見送った日を思い出しては、 周囲の人をあんな気持ちにさせるわけにはいかない、と踏みとどまっていました。 それでも、やっぱりどこかで本当の終わりを考えていたわけではないと、そう思います。 また、どちらかというと 「実は魂だけが器から抜け出てしまうだけで、そのまま意識は続いていたりするのではないか?そうだったら面白いな」 ということを考えるようなタイプだったので、この自我・自意識がふつりと糸が切れるように終わりを迎えることについて、 リアルに考えたこと、恐怖を覚えたことはなかったように思います。 いま一度、この世界での過ごし方を考えてみようと思いました。きっかけをありがとうございます。
@ひろぴー-r6p
@ひろぴー-r6p 3 ай бұрын
人生一度きりと思ってるけど、まだ先だよなーと勝手に楽観している自分に気づきました😅
@tamami5241
@tamami5241 2 ай бұрын
死にたいと思っていた思春期もありましたが、本当に無くなってしまうと思ったことは一度もありません。良い気付きをありがとうございます🙏✨
@MHcraft-p3z
@MHcraft-p3z 3 ай бұрын
10年以上前の超社畜時代、辛すぎて表参道の交差点に突っ込んでしまおうかと、ボーーーっと歩道から車を眺めました。真夜中にオシャレな青山で大泣きしたら、なんだかバカバカしくなってスッキリして、すぐに転職して、今はとても幸せに過ごしています。 あの辛かった時の事、上手に蓋をしてすっかり忘れていたのですが、先日思い出してしまう事件が起きてさっきまで落ち込んでいました。みつろうさんの動画を見て、そうか、今ある命を思い出させてくれるためだったのかーと腑に落ちました。本当にありがとうございます。
@Sakura-ij2eg
@Sakura-ij2eg 3 ай бұрын
同じです! 大泣きして怒って泣いて音楽の音を最大で流し続けて飽きるまで泣いて…こんなに泣き散らかしたの初めてで何やってんだかと思ったのですが、 そしたら何故か気持ちはケロっとしてきてました。 これで良かったんだ。。。😅 体験談ありがとうございます。
@miraino_kakera
@miraino_kakera 2 ай бұрын
生まれる前にやる事を決めてくる場所があるなら、死んでからもその人生を見返す場所があるんじゃ無いかと考えてしまいます。
@doremi.1219
@doremi.1219 3 ай бұрын
寝る時にいつもこれでこの人生が終わりかもしれない‥と、考えています。 だから朝目覚めたら今日をどう生きようかと考えます。 そうすると、つまんないことをくよくよ考えたりはしませんし、一回一回の呼吸も大切に感じ、ご飯一口も、相手とどのように接するかも決まってきます。 イヤなことを嫌々ながらやるなんてことは明日死ぬならやらなくなります。 毎日いつもの綺麗な景色を見て、会う人も一期一会。 こう考えるようになったのは2年前に夫が自死して少ししてからでした。 ワタシの人生はそれから見る景色の色彩も吸っている空気の味もお水の味も人への愛おしさも変わりました。 夫はたくさんの借金がありワタシは破産しましたが 夫に感謝しています。 夫の死を持って私はこのように明日死ぬとしたら‥と考えて生きるようになれたので。
@彩り-f2s
@彩り-f2s 3 ай бұрын
いつもいつも解りやすく、楽しく興味深く拝見しております。ありがとうございます。 感謝しております。 私の親族は、心臓に持病があった為、“いつも死と隣り合わせ”と。 ゙いつ心臓が止まるかわからない”と。見た目は、健康に見えるのに…。 今やれる事は、今やる。といいながらも、長生きするんだ なんて言っていました。 そして、“ああ、いい人生だった。面白い人生だった”と思って逝きたい。と…。 そんな人が近くにいた為か、死について考える事も多かったように思います。 結局、今辿り着いている思いは、一人一人、何かを学びに、何かをする為に、生きているのかな?と そして、自分の寿命に向かって、走っているのかと。 そして、私も、“ああ、良い人生だった。面白い人生だった”と思えて逝きたい。と思っています。 いつも、学ばせていただきありがとうございます。
@miriya7142
@miriya7142 3 ай бұрын
ある時ふと、人生折り返したなと思いました。 その時からやるべきことをやらないといけないと思ってます。
@不破伸一
@不破伸一 Ай бұрын
私の両親は、早く亡くなりましたが、その時、寺の和尚様に同じような話を聞きました♬ 「人は生まれた瞬間に死ぬ事が決まります、死んだ事のない人間なんて世界に一人も居ないのだから、今日一生懸命に生きる事に意味が有るんです、生きたくても生きられない人、生まれた瞬間い死んでしまう人、でも、運命を変える事は出来ません、死ぬ事は決まっています、だから、今、一生懸命に生きる事に意味が有るのです、出来る事を全てやる事、後悔しないためにも、死ぬ事は決まっているのだから♬」
@sora1814
@sora1814 3 ай бұрын
一昨年に母が亡くなってから死というものを意識するようになりました。最初は怖さもありましたが、今は自分が死んだあとに子どもたちが困らないようにと突然死したときにどうすればいいかとか、子どもたちに言い残しがないように手紙を書いたり、やってみたい事は今のうちにやっておこうとやっています。自分が真剣になれることに時間を使うことが受けた命をまっとうし、限りある人生をちゃんと生きていると感じることができます✨
@チョモランマユキエ
@チョモランマユキエ 2 ай бұрын
9歳で空と言う概念(仏教)に出逢い、その頃から全て無い世界、全て消えてなくなると感じ、全てが虚しく頑張らない人間になりました。「どうせ無くなるなら好きな事しまくろう!」とはならなかった。 いつ死んでも良いと思いながら、3.11で死にたくない!と初めて思ったけど、今も毎日漠然と明日も目が覚めると信じて先延ばしにしてる事だらけ。本気で死を意識出来てないんだとも感じます。
@クボヤマトマト
@クボヤマトマト 3 ай бұрын
私は昔から死はこわくなかった。肉体を脱ぐと霊の自分があって何にも変わらないと思っていたから、亡くなった人も目には見えないけど存在があってそれが本来の場所だと思うから。肉体をまとっていると制限が多くて生きづらい事が多いけど、それもこの人生のおもしろいところかな〜なんて🤣変な人間かな? 23:30
@K似顔絵工房笑空
@K似顔絵工房笑空 2 ай бұрын
「死」については、私も子供の頃からボヤっと考えていて最近深く考えるようになりました。 もし仮に来世があったとして、それはもう自分ではないと考えています。 結論として「死」は自分と言う存在そのものが跡形もなく消えるんだなと考えるようになり、この動画で答え合わせができたなと思いました。 だからこそ「死」は怖いと思います。 現状どんなに苦しくても私は「死」を選択肢に入れることができません。 生きる大変さよりも、自分の存在が跡形もなく消える恐怖の方が上まってしまい何があっても人生を全うできらたらと思います。 この動画で、より「死」と言うものに対して向き合える気がしました。 「今」を生きることは大変ですが、見えない「明日」よりも見える「今」にしっかり目を向けて生きようと思います。 長くなりましたが、動画をアップして下さりありがとうございます。
@takurokiyosawa8510
@takurokiyosawa8510 3 ай бұрын
小学校2年くらい はっきり場面、感情まで覚えてるのだが、夕飯中に死ぬと言う事が何故かとても怖くなり 急に泣き出しもっていた箸を噛んでおってしまった。 母親に死ぬのが怖いって泣きながら言うと、しばらく考えて母が「歳取るとね、死にたくなるのよ」と言った。今思うとなんじゃそりゃみたいな答えだが、当時は妙に安心したし、多分中学生くらいまでは、その母親の言葉が自分にとってお守りみたいだった。
@user-vj1yu2vq9q
@user-vj1yu2vq9q 3 ай бұрын
魂は永遠に生きると思っているし、自分はいつか死ぬと思っている
@山本太郎-u6d
@山本太郎-u6d 3 ай бұрын
魂はその人の思いだと思ってる。
@mymy-xq2bf
@mymy-xq2bf 3 ай бұрын
いつからかは忘れましたが、死はないと思いました。肉体は終わるけど意識は永遠にあると思っています。肉体を持つことでできること(体験できること)があるので、それを大いに楽しんで体を脱ぎたいと思っています。
@尾崎大地-h1e
@尾崎大地-h1e 2 ай бұрын
幼少期に死ぬことに関して誰もが一度は考えて、恐怖するけどその恐怖を何度も経験してそれでも実現しない、それを繰り返すと頭の中で死なないというか、その恐怖への耐性がついてくるんだと思う… 自分は死に関して2度ほど経験して、かつ友人や身近な死を感じて死ぬことが怖くなくなった… いいことなのかわからないけど、死を受け入れられたというかそこに何も感じなくなった… 恐怖もないし、死んだらそこで終わり、その後のことは生きてるから悩んだらするけど死んだら何も残らない、自分の小ささと責務みたいなのをまじまじと感じるし、生きた証として子供に目が向いてる。子供に託そうとかじゃないけど、これまで自分がここにいることが数百、数千のつながりであるから自分で途絶えさせるのはとも考える。 今は死に方を考えることが多い… 明日は我が身の時代じゃなくて、平和だからだと思うけど、意思を持って死にたいと思うと日常や習慣が変わった気がする… 小さいことが気にならなくなったし、優しくなれる自分がいる。 決して死にたいわけじゃないけど、死に方を考えると生き方を考えるようになったことは確かなんだよね…
@kitaru298
@kitaru298 3 ай бұрын
今日もありがとうございます 感謝しています
@inaina6711
@inaina6711 2 ай бұрын
死について子供の時に、身近な人の死をどれだけ体験しているかで変わってくると思います。私も子供のころに祖父の死に直面し、そこから母が亡くなり、叔母叔父が、18までに立て続けに亡くなりました。人の死というものをものすごく考えたのを覚えています。
@muuu358
@muuu358 3 ай бұрын
自分というものが、パチっとスイッチをOffにするように終わってしまうのはまるで想像が出来ない。 でも、こうして自分が何故か生かされてるということがありがたい事だということは分かります。 「在り 難い」 のですね♪
@ユミ-g7d
@ユミ-g7d 2 ай бұрын
ありますよ。10年以上前ですけどね。死を覚悟していた時期が。草の一本一本がとてもきれいに見えました。お釈迦さんが最後に言ったこの世は美しいだったかな。命の輝き、煌めきみたいとしか表現できませんが、本当に良くわかった瞬間でした。
@user-or-amefuri
@user-or-amefuri 3 ай бұрын
私は生まれてきてこの方、何回か死にかけました。その度に死を覚悟はしたものの生きたいという意志が湧き、私についていた龍に助けられてここまで生きてこられました。感謝です。最近死にかけた時までいた龍は今は居りません。レイビレッジのあたりを飛んでおりますかね。新たな龍とともに生きております。死にそうになったときは結局生きたいと願っただけです。
@tama-tama
@tama-tama 3 ай бұрын
私も6歳の頃に隣で寝ていた母が 亡くなっていた経験が有り、その時に『人は死ぬ』と強く認識しました。  そのせいか根が真面目なのか(笑) 分かりませんが、後悔の無いように生きようと心に決めて今に至り、みつろうさんのこの動画で改めて思い出しました(忘れてたんかい(笑))。  同じウチナーンチュとして応援しております😊  ありがとうございます!
@gogo-cv9pg
@gogo-cv9pg 3 ай бұрын
正観先生は、人生はあらかじめ全部決まっている…とおっしゃっていましたよね?だとすると、その本の影響を受ける人もそうなることが決まっていた?!という事ですよね。
@ミルククラウン-i5o
@ミルククラウン-i5o 2 ай бұрын
何十年も前 ある事故のニュースを見てから人はいつ死ぬか分からないと頭に心にすごく深く刻み込まれました だからと言って日常生活が極端に変わることもなく変えることもなかったですが 71歳になった今 いつ死んでも良いように悔いの無いよう、楽しく生きています 今ここ。刹那に生きる。です。
@ippeinigiri2535
@ippeinigiri2535 3 ай бұрын
「人は必ず死ぬ。今を意識して生きなきゃならない。」 と思うようになったのは、5年前です。 そう思えるようになってから、仕事(公務員)をしている時間がとても勿体ないと思うようになりました。 そこできっぱりと仕事を辞め、今は毎日とても充実した生活を送れております。 あのまま仕事を続けていたら、死ぬ時に「自分は仕事をするために生まれてきたようなもんだ。」ととても悔やんだと思います。 お金持ちなのに、さらに人生の貴重な時間を消費して、お金儲けに勤しんでいる人を見ると、とても可哀想だなと感じます。 ちなみに自分は無職ではなくて、個人事業主として自分のやりたい時に最低限働くというスタンスでやっております。 まさしく死んだらオ・ワ・リです!
@miek6893
@miek6893 2 ай бұрын
数日前に会社でコケました。大怪我でもなく、くろじになった程度のコケです。コケる瞬間スローモーションになりました。えっ、何?足に何か絡みついてる??スカートはだけさせたくない!!って考える余裕があるくらい。 それがあってから、あの時もし頭でもぶつけて死んでたら...私は空から皆んなの様子を見てそして何も出来ないまま消えていくんだ...っていう考えが頭に残っています。死んだら何も出来ないんだ、って。こんなにも死について深く考えた事はありませんでした。そんな時に、さとうみつろうさんのこの内容の動画がおすすめで出て来て(勿論登録はしてありますが毎回は見てないです💦)不思議な巡りあわせを感じています。
@猫まんま-n6r
@猫まんま-n6r 2 ай бұрын
乳ガン検診で引っかかった時、南海トラフ地震の注意報が出た時、近々死ぬかも…と思いました。悲しくてではなく、血の繋がった家族、今一緒に住んでいる夫が私の人生においてかけがえのない大切な人達だと今更ながら感じて涙が出ました。また、自分ができるベストを尽くして生きる努力をしよう、この世の時間を大切にしようと思いました。初めてリアルに死を意識した出来事でした。
@Amynice-cn1mo
@Amynice-cn1mo 3 ай бұрын
私たちは「永遠に行き続けるわけじゃない」そうか!!わかっていると思っていたけど…💡✨ わかっていなかった💦💦 「永遠に生きるわけじゃない」と言う言葉にハッと気付かされてスーッと息がつけました。 みつろうさん いつも本当にありがとうございます❤❤❤
@応援団-p8r
@応援団-p8r 3 ай бұрын
物心ついた頃から何度も何度もたくさん考えてましたし、今でもしょっちゅう死について考えてます。 死にたいとかではなくこの私の人生に何か意味があるのかなって。とりあえず今はやるべき事があるから元気に生きてます。 それから、毎朝、産土様に 今日もわけ御霊を頂けましたことを感謝するようにしています。
@-1000meurin
@-1000meurin 2 ай бұрын
悪魔と神様、 明日死ぬ幸福の王子 今読んでいます。 ホントにホントに 素晴らしい(道具) ありがとうございます。
@camellia__358
@camellia__358 3 ай бұрын
1度しかない人生。死んだら終わり。もし明日死ぬとしたらどう生きるか?考えてみたら、シンプルに大事なことだけが見えてくる、と思いました。一瞬一瞬を大事に今を存分に生きることが、とても大事に思えました。行く時には、人生悔いなく笑顔で行けるように☺️✨そんな自分でありたいです。とても大切なことに気付かせてくださって、みつろうさん、ありがとうございました😊✨
@nokoaki8651
@nokoaki8651 3 ай бұрын
質問の答え!! みつろうさんは死がわかった人がどんな心境になるのか、それを知って発信したりするのも面白いと思って読んでしまうかもしれませんね。葛藤の末に😂 ちなみに自分は何度も死のうとしました。水道もガスも電気も止まっちゃって、誰にも頼れなくて苦しすぎて、でもどれだけ深く切っても肉が分厚くて無理でどん底だった時に、キッチンの小窓から降ってきた月明かりに、すごく癒してもらいました。泥水飲んででもこの肉体は生きてるなら、生きようと思えました。生死は自分が決めてるようで全部宇宙さんが采配を握ってるんだと感じました。自分がこの奇跡をおわらせるなんて飛んだ冒涜だなと思えるようになりました!ありがとうございます
@MinamotonoNomitomo
@MinamotonoNomitomo 3 ай бұрын
死後に自我がなくなることを誰も確認できてませんので、同じ理屈では詐欺ですね。 無くなる個体もあったり、無くならない個体もあったりするかもしれません。
@上田あけみ-l3v
@上田あけみ-l3v 2 ай бұрын
わたしには、以前師匠がいてその方は、死んだら何にも無くなるから今を生ききれ!と言われてました。その方は去年亡くなられましたが、たしかに毎日、良心に従って生ききっていました。そこを辞めてから段々と魂は永遠!みたいな生き方に今はなっています。みつろうさんの今日の動画で、ハッとしました。たとえ魂?が永遠だったとしても今の肉体付きの私は死んだら終わりです。 どう生きるか、はっきりさせようと思いました!
@vb9265
@vb9265 3 ай бұрын
小学校低学年で死を知ってから、夜寝る時にいずれ「死」ぬんだということを思い出すと、まるで死の宣告を受けたように、気が狂いそうになることがありました。 かといって魂の存在として永遠に生き続けるのも恐怖で。 ただ「神との対話」に出会ったり、内側の探究をしたり、死への恐怖はDNAレベルで備わってるものだという考えに出会うことで、少しは緩和というか、慣れた感じもありますが、今でも心臓がキュッとなります😢
@カブちゃん癒しのおかん
@カブちゃん癒しのおかん 2 ай бұрын
なるほど! 死ぬを前提に、どう生きるかですね。 感じます。
@genki1113
@genki1113 3 ай бұрын
62歳の春の朝、「このままで死ぬのは悔しい!」と歯ぎしりしながら目が覚めました。 そこから私はヒプノセラピストをめざしました。そして今セラピストとして活動しています。 奥歯をかみしめて痛いくらいだった感触は忘れません。今の私の原動力です
@Gaiatan
@Gaiatan 2 ай бұрын
19歳の時に余命半年と言われ、みんな笑顔になってほしいと願うようになり、それを経て夢が世界平和になったな。 「きけわだつみのこえ」の遺稿でも自らの死を悟りながらも複数人が世界が平和になる方法を死ぬまで考えていたし、17歳でそれを読んだ瞬間に子供から大人になり、真の世界平和の礎を作った人も居るので、社会の教育として取り入れるべきと思う。 来世が有ろうが無かろうが、一瞬一瞬を味わい楽しんで生きるのが、必ず死ぬ生命というものの本懐。
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