切腹という日本の武士文化の特徴として昭和40代、よくアメリカの評論に取り上げられたのは、、恥じ文化と対応していた。 日本人の恥じ文化,恥じらい文化史がどうも、、アメリカ人には特異的に感じるらしく、批判的に述べられるものが通常だった。。 ただ、、昭和50夏に1ヶ月だけですが、英国イングランドで旅行した時、 英国人が実はとっても日本人独特の恥じらい文化を男女ともに持ってることを感じ、実は,.ホームシックにさえならなかった。。ただ、、スコットランドに移動した途端、ホームシックで胸が痛くなりなかなか寝付けることができなかった。。イングランド,アイルランド?、ウェールズって、結構,日本人的な感覚が結構,共有できていた。言葉にできず、口ごもってるけれど、思いやり、気の毒に思う気持ち、敬愛、怒り、、、大正世代で美智子皇太后の双葉幼稚園,聖神女学院の一期生の滝川辰雄氏のご子息の春雄教授夫人は、国語以外は全て英国人の先生により英語で授業,試験(クイズ)されたと万点の答案用紙を見せてもらったのですが、彼女たちシスターやブラザーって、何か話そうとする時,まず、I beg your pardon?と口早につけて話す習慣があったそうです。また、北イタリアから開戦直前に本来は母国のファシズムで長男長女はアメリカへ亡命させることになっていたのに、日本に来てたチマッティ神父様がローマ教皇に何度も交渉して,日本に交換留学生として来られ、戦時中,ずうっと、、捕虜のようにエリアを決められながら、結核と闘病しながらいらしてた。。 聖神女学院のシスターたちも戦時中、ずうっと、日本に滞在され続けていらして、アメリカからマッカーサー繋がりで、ヘレン・ケラーが戦時中に2度,来日された時、滝川夫人が学生代表として通訳に対応され、どうも、、阪神大震災、911テロ以降は、そのあと、韓国へヘレンケラーは行ったことになってるが、、彼女はマッカーサーの密使として来日し、つまり、、原爆勢力のファシズム人脈を抑えることがアメリカで難しくなってること。。