Good morning from San Diego!! Thank you for your new episode!! What a great day to start with your channel!! I am so excited to watch next episode!! I am interested in the life stories of yasumasa sakakibara. Could you please introduce us?! 🐶💕💕💕🇺🇸🇯🇵
@donttellmearai4 жыл бұрын
OK I`ll search it
@akikojenks26354 жыл бұрын
@@donttellmearai whohoo!!
@まる子-y9f3 жыл бұрын
33333333333+868693
@eeeg3 жыл бұрын
Can you understand japanese? Im interested in you.
インパール作戦がどのような背景で行われ、どんな経過で敗北して行き、その原因は何だったのかを分かり安く動画でとても勉強になりました。 昔対戦国側ではインパール作戦はどうだったのかが気になり探したところ、イギリスの第二次世界大戦を取り扱ったドキュメンタリーの「The world at war」という作品を知り、その作品のビルマ戦線の回(日本のビルマ侵攻からインパール作戦終了までの1942年〜1944年を解説しております。)を見たところによるとインパール作戦における最激戦地はコヒマの「テニスコートの戦い」(上記のドキュメンタリーにてビルマ方面最高司令官マウント・バッテン将軍が当時のコヒマの戦い状況をとても激戦だったと解説しております。)だったそうです。 上記のドキュメンタリーにてコヒマで戦っていたイギリス軍達の心境は捕虜になったところで、虐待されるか殺されるかのどちらかしかないと知っていたから逃げることが出来ず、戦うしかなかったという状況だったみたいです。 インパール作戦中の日本軍の物資補給が悪かった理由の一つに日本が占領していたビルマにイギリス軍の空挺部隊「ティンディット部隊」(名前を間違えているかもしれません)が既にビルマ領内侵入していて、日本軍の補給物資を運ぶ列車を攻撃したり鉄道を破壊していたことも挙げられることと、インパール作戦が始まる少し前にアメリカ(イギリス軍からメリルの略奪者達と呼ばれておりました。)中国連合軍が日本軍の支配していた「ミートキイナ」という飛行場を目指し進撃していた時期であり、そちらへも兵力を割かなければならなかった事情もあったと思います。 今回の大人の教養TVの解説と上記の状況を合わせるとビルマの防衛もままならない状態で開始したまさに最悪な作戦だったと言えると思います。