【極秘口伝】正統竹内文書が伝える卑弥呼の正体!!

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TOLAND VLOG

TOLAND VLOG

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@TOLANDVLOG
@TOLANDVLOG 3 жыл бұрын
いつもご視聴いただき、ありがとうございます! 不手際でカットされてしまいましたが、1:36 の辺りには ↓↓↓↓↓↓↓↓ これが中国目線で記された歴史書「魏志倭人」でいう倭国大乱だと正統竹内文書では伝えられてるんですよ! という文言が入る予定でした。お詫び申し上げます! 只今販売中のTOLAND VLOG公式グッズはコチラから→ lin.ee/RrJArP6 【語り手サムのSNS↓】 linkmix.co/6994400 【聴き手マサキのTwitter↓】 twitter.com/happypunk8 【事務局長くどぅのTwitter↓】 twitter.com/DesignShaft
@渦巻レンジャーブラック
@渦巻レンジャーブラック 3 жыл бұрын
初めて来ました!大変興味深く面白いです!フォローしていきます😊 ただひとつ疑問が、千年以上「口伝」で伝えられてきた!のと正統竹内「文書」の、口伝と文書が矛盾するような気が?もしかして竹内家以外の誰かが文書にしたのかな? ちょっと気になったもので😄
@saki-hp8gb
@saki-hp8gb 2 жыл бұрын
これはすごい!毎回すごいけど、この推理はお見事すぎます!! 邪馬台国は大和国とは別物だという認識だったのですが、これは同一の国であり、九州説・畿内説はどちらも正しいなんて考察は…驚きつつも理にかなってるなと思います。サムさんの古事記・日本書紀と竹内文書を融合させた謎解き、最高。
@真生子-o8u
@真生子-o8u 8 ай бұрын
素晴らしいですね ありがとうございます❣️
@真田信繁-f7c
@真田信繁-f7c 3 жыл бұрын
最高に面白いです❗️正統竹内文書シリーズを一気に視聴しました。今までは古事記とかは面白いけど作り物っぽい創作の話なんでしょという印象でしたが、正統竹内文書から読み解くと、全て創作でもなく、元々あった史実などをちょっとずつぼやかしながら編集されてるんだなという印象に変わりました。 続編の藤原氏の会も楽しみにしてます❗️
@夜桜ナル-u2z
@夜桜ナル-u2z 3 жыл бұрын
淡海三船の考えた漢風諡号が、隠された古代史の謎を暴き出すヒントなのは超納得。 神の文字を冠する天皇(皇后)の共通点、武の文字を冠する天皇の共通点から見えてくる物が有るのはこれまでに何度か見かけて、とても興味深く思っている。 そして今回初めて孝の文字の解説と出合ってとても興奮しているが、九州に押し戻されたから孝の名前を宛てられた、と言う説明が飛躍しすぎていてまだ腑に落ちない。
@user-batako33
@user-batako33 3 жыл бұрын
大和国そのものが移動していた⁉︎凄いです👏✨今回も面白かったです♡いつもありがとうございます😊
@ぐりん-u2g
@ぐりん-u2g 3 жыл бұрын
いつも有り難う御座います♪ 今日も楽しかったです♪
@hirobiro8965
@hirobiro8965 3 жыл бұрын
楽しみです♪ありがとう😊 ワクワクしてます! 私の想像が如何になるか、ビックリでも、楽しみ❣️
@apiacere825
@apiacere825 3 жыл бұрын
なるほどー。鹿児島神宮の近くに卑弥呼神社がある理由が分かった気がします😊✨
@藤田宏-j3m
@藤田宏-j3m 3 жыл бұрын
崇神天皇は 兵庫県の高砂にある 日本三奇として有名な 石の宝殿にまつわる話 に関わっていたり 高砂の石切り場は 古墳の石として 出荷されていた伝承があります。 又、 上森三郎さんのヒミコ説と 色々な事がリンクしてると 鳥肌立ちました。 びっくりしました。 かなり、ぶっ飛んだ説なので エンターテーメント的に 解説してくれたら嬉しいです。
@kryokl2938
@kryokl2938 3 жыл бұрын
ヒミコは職業名で祭事を取り仕切る人。卑弥呼を奉った神社が存在しないのは当たり前ですね。
@小松永
@小松永 3 жыл бұрын
息子小一が日本の歴史(まんがですが)に興味を持ち始め、学校教育に洗脳される前に、サムさんの語るとても筋が通って系統立って合点のいく説を教えてやれるので、とてもありがたいです。
@sutemarucat
@sutemarucat 3 жыл бұрын
若くして国史に興味を持たれる息子さん、素晴らしい!! 日本が好きになる!歴史授業 の、斎藤武夫先生もオススメです♡
@tawaman-kuwaman-miwakenin
@tawaman-kuwaman-miwakenin 3 жыл бұрын
三王朝交代説や超能力者マクモニーグルさんが言ってた卑弥呼の二拠点移住説などありますがあながち間違ってないかもしれないですね
@ioriyuzuaable
@ioriyuzuaable 3 жыл бұрын
いっそのこと、ドラマ作ってくれい! 正統竹内文書基準で!
@山田剛-g5r
@山田剛-g5r 2 жыл бұрын
映画化お願い致します。
@ch.8194
@ch.8194 2 жыл бұрын
朝のテレビ小説枠でやってくれたら毎日見れる
@ちりめん居坐
@ちりめん居坐 Жыл бұрын
異世界風なアニメで作らないと、学会につぶされるかも?
@翔愛とわ
@翔愛とわ 3 жыл бұрын
うおー‼️次回も私の興味あるもんばっか‼️もう最高すぎかよ‼️
@今野麻美-c5n
@今野麻美-c5n 3 жыл бұрын
今回も最高に面白かった✨🤣✨ 次回も超超超超楽しみー🧡
@たま-w2j
@たま-w2j 3 жыл бұрын
箸墓古墳があり、元伊勢神社もある、三輪山の東隣には、出雲という場所がありますね。それも不思議🙂
@tegelucky
@tegelucky 2 жыл бұрын
すごいでー。この人。。歴史学者なれるわ。てかなってくれ。
@spvol2mongen778
@spvol2mongen778 3 жыл бұрын
平安初期の「古語拾遺」で忌部氏は神帳(かみのふだ)各地の祭祀実態を記録した帳簿を作った折 中臣氏が権力に任せ小さな神社でも縁ある者は取り上げ、大きな神社でも中臣氏と縁ないものは切り捨てられた。とある。天児屋根命、武甕槌命、天智等か。配神に天児屋根は多い印象。
@peanuts358
@peanuts358 3 жыл бұрын
最高でした♪ ムッちゃん先生の古事記の暗号を再度読み直してみようと思います! いつもわかりやすく伝えてくださり、ありがとうございます😊
@ほたて-c1q
@ほたて-c1q 3 жыл бұрын
畿内の熊野周辺と九州南東の日向地方とで、地名と位置関係が酷似してるって話があるので 拠点が2つあって、同じような地名を付けて生活してたのかもしれないね。
@YouTuber-ke8yb
@YouTuber-ke8yb Жыл бұрын
卑弥呼→古代のアイドル 鬼道→歌と踊り 戦に疲れた王達は卑弥呼のコンサートに癒やされて戦いをやめた。 そんな古代を想像してほっこりしてる私 飛鳥も飛ぶ鳥。移動都市アスカ。カッコいい
@noptoto4940
@noptoto4940 Жыл бұрын
言葉足らずですけど、すごく楽しいしか言えない❤
@ぴーまん-l3x
@ぴーまん-l3x 2 жыл бұрын
ムチャクチャ面白いです!
@高松拳人
@高松拳人 3 жыл бұрын
最近「正統竹内文書」ってフレーズが関西弁で時々脳内に響くようになってきた
@loverocks1127
@loverocks1127 3 жыл бұрын
そして、天照大御神をその身に降ろすことのできる祭祀王の役割が、伊勢の斎王に引き継がれていったんですかねー。 いや興味深い。
@369yukichan3
@369yukichan3 3 жыл бұрын
次回も楽しみです😍いつもワクワクするお話しです😍ありがとうございます😆❤️
@tsukadaonomi8534
@tsukadaonomi8534 3 жыл бұрын
面白かったです。次回も楽しみ❣️
@いわとあまの
@いわとあまの 2 жыл бұрын
天才的推理ですね。なるほどと思いました。
@TV-rd8uj
@TV-rd8uj 2 жыл бұрын
勉強になりました、、次の動画も楽しみに待ってますね👍👍
@気まぐれ坊や高柳
@気まぐれ坊や高柳 2 жыл бұрын
古事記とかの話聞いてるとたまにあれ?ってとこもあるけど偽書とされてる竹内文書とかの話聞くと凄く納得するんだよなぁ💦 凄く勉強になりました!ありがとうございました!
@uy6137
@uy6137 Жыл бұрын
tolandさんのお話は面白くて、ついつい聴き入ってしまいます。ところで 卑弥呼さんについて  ANYAチャンネルさんが興味深い考察動画⑪を出されていますよ。 阿波国の水銀朱というものに着目しておられるみたいです。 これからも配信楽しみにしております。
@after567
@after567 3 жыл бұрын
どの説よりも深い。竹内氏の著書も分かりやすい物を紹介して欲しいです☆
@柴尾正博
@柴尾正博 Жыл бұрын
いつも拝見するばかりで初めて書き込みさせて頂きました。豊の国は宇佐より、川を遡り行きつく先に「日出生」と言う地名が在ります。東に日向山を望み西に八幡山や岩室と言う地名。西のはずれには、奈良時代の718年に創建、全国八幡宮の総本社「宇佐神宮」の分霊を奉じている「宝八幡宮」や7世紀初頭頃の築造と推定されている「鬼ヶ城古墳」が存在ます。戦前は日本軍の演習場として使われ戦後は日米合同訓練場として使用されてたままの「日出生台」が邪馬台国が存在していた場所ではないのだろうか考察している次第です。「日出生台」に繋がる言葉をどこかでお聞きになった事は在りませんか?邪馬台国想定論楽しみにしまた拝見させて頂きます。
@コテチ-z8e
@コテチ-z8e 2 жыл бұрын
説得力ありすぎて、それが真実だと思えました。誰か本当のこと話してくれ~💦
@gulululutube
@gulululutube 3 жыл бұрын
こんばんわ(^-^) 相変わらず凄い切り口ですね。 色々と合点のいく内容でした。 記紀に記された三つの嘘もとても解る気がします。 邪馬台国の九州畿内説も、移動しているなら両方とも邪馬台国ですから、どちらも間違いではないとなりますね(; ゚ ロ゚) 今回もワクワクしました。 次もまた楽しみです!
@pinktopaz91
@pinktopaz91 3 жыл бұрын
旧事本記の尾張系図でも役職のヒミコではなく、ヒミコと呼ばれたであろう二人の女性が居ますが、尾張系図って名前自体知らない人が多数です。ヒミコ自体が天照国彦に繋がる事、そしてその系図では今の皇統に繋がらない事など様々な矛盾が生じてしまうのです。およそ3000年も国家をを運営するには、時に柔軟な対応も必要だったのだと思います。例を挙げれば、持統天皇の時代に側近が女性天皇の治世を円滑にするために、神様の性別を偽ったというものがあります。まさにこれは天照大神女神説の元ネタでしたし。
@sntk4086
@sntk4086 2 жыл бұрын
原始、女性は太陽であったという一文は、何かを知っていたのでしょうかね…ただの比喩に過ぎないのでしょうかね
@北斗七星-w5q
@北斗七星-w5q 3 жыл бұрын
若いのに、よく勉強されてますねえ❗
@大原信子-q9w
@大原信子-q9w 2 жыл бұрын
いつも楽しく見ています♪ 絵がキレイですね〜 説明が分かりやすいし〜
@川俣晃一郎
@川俣晃一郎 3 жыл бұрын
愛子さまが祭祀王になれば日本が平和になりますねぇ🤗
@jutenmu
@jutenmu 3 жыл бұрын
そういう流れなのかも知れません ね。 問題はその「あと」ですね。 皇室の伝統を壊そうとする輩が 煩くなりそうです。
@DominantMotion
@DominantMotion 2 жыл бұрын
以前、スサノオが世界中で気に入った土地に「スカ」の音が入った地名をつけ、そのなかに飛鳥があるとありましたよね。この口伝はあくまで地名に対して名前をつけているようですが、王がいる場所をヤマトといいその首都を飛鳥というという口伝は、矛盾するように思います。他にも矛盾するような場所などあれば、それだけで特集とかしてくれると興味深いです。
@トミヤマ-c6r
@トミヤマ-c6r 3 жыл бұрын
ヤマトトトヒモモソ姫、箸墓の被葬者ですが箸墓は大きさから言っても王以上の古墳ですからね。
@pinpondash3596
@pinpondash3596 2 жыл бұрын
このイスキヨリヒメや宗像三女神の絵はどなたが描かれたものですか?
@sea-horsearchipelago8785
@sea-horsearchipelago8785 6 ай бұрын
おもしろいです
@aoba6055
@aoba6055 3 жыл бұрын
じゃあ、卑弥呼に唯一会うことのできていた男性ってその時々の天皇だったのかな…? 統治していた場所が大和国、、、。確かに今のわたしたとにはない感覚。 めっちゃ最終回気になる💭👀✨次回めっちゃ色んな人が出てくる笑
@soundtrackmusic9111
@soundtrackmusic9111 Жыл бұрын
タイムスケジュールで話して欲しくなりました✨
@user-yw3jg9tv8h
@user-yw3jg9tv8h 3 жыл бұрын
昔ゲームで『火魅子伝』というゲームがあり、くな国は大和から九州に攻めて行くんだけども、これ見てあながち間違ってはいないんだなって思いました。自分が死ぬ前までには邪馬台国がどこにあったか本当のことがわかるといいな。
@sutemarucat
@sutemarucat 3 жыл бұрын
どこにあったか実はわかっているけど学会の派閥の関係で明らかにされない、と聞いたことがあります…。 医学で言うと、血液は骨髄ではなく腸壁か作られるという千島森島学説が葬られている、みたいな…
@f山門-z3f
@f山門-z3f 2 жыл бұрын
なるほど。鋭い。
@ぱぼぴ
@ぱぼぴ Жыл бұрын
最近TOLAND さんの正統竹内文書シリーズに出会い、齧り付くように楽しませていただいております。 竹内睦泰さんが大学の講義で話されている動画で、「卑弥呼は1人じゃないんです。複数人いるんです。本当は。」と笑顔で断言されていたシーンがありました。 卑弥呼も役職名で、何代にも渡って人が入れ替わっていたのかなぁと感じました。 その辺の考察もこの後出てくるのかなぁ«٩(*´ ꒳ `*)۶»ワクワク
@大宅政基-z1d
@大宅政基-z1d 4 ай бұрын
大変面白かったです ちなみに私は 大宅 と言う苗字です孝昭天皇の子孫です😄
@kikuryu
@kikuryu 3 жыл бұрын
この説は面白いなあ。
@CATNEKO02
@CATNEKO02 2 жыл бұрын
鬼ヶ島は実は隠岐島と言う話もあり、宝はメノラ(ヤマタノオロチ)との説もありますね!(出雲大社の御神体)
@asa01053
@asa01053 2 жыл бұрын
飛鳥昭雄
@チャンネル底辺-s9x
@チャンネル底辺-s9x 3 жыл бұрын
面白い!最高です。
@ヒカル原人
@ヒカル原人 3 жыл бұрын
楽しく動画を見ております。 最近からこの動画を見ておりますが 過去の動画を見ていて最初は3人だったけど途中で2人になってますが これは大人の事情なのか闇が隠れていますね😓
@rockbolnatification
@rockbolnatification 3 жыл бұрын
3ヶ月前に脱退の動画出されてますよ…?
@ヒカル原人
@ヒカル原人 3 жыл бұрын
@@rockbolnatification 実はまだその過去動画まで見てませんでした😓
@tadano1zinnminn
@tadano1zinnminn 10 ай бұрын
崇神天皇は1度九州に戻りそこから再び奈良に戻った天皇であるコトが影響してか、神武天皇と共に「ハツクニシラススメラミコト」の称号が与えられている❗🫡👍
@るた-q4g
@るた-q4g 3 жыл бұрын
藤原氏って本当に良いイメージないね笑
@たべやりの
@たべやりの 3 жыл бұрын
内政せずに権力争いばかりしてたからね、まあ、当時の政治は祭祀だったといういい方もできるけど(だから政治をまつりごとという)、権力者がまずやらないといけない治水事業をやってたって聞かないしね
@spica1jp
@spica1jp 2 жыл бұрын
邪馬台国が奈良じゃなかったら・・・ 出発地点洛陽から距離・方位誤差が無い説が出現しています。 近畿説や九州説とは全く異なり、最終到着地は、関東の鹿島神宮です。 魏志倭人伝の読解は、私には大変難しいことなので・・。 ミステリー事件簿 さんの動画で、詳しく説明されています。kzbin.info/www/bejne/r5uplIyboN6ajpY
@32ra-YH
@32ra-YH 3 жыл бұрын
面白かったです!
@shikigamihagun1
@shikigamihagun1 2 жыл бұрын
孝って漢字使うってとこ、当時漢字あったんだと言う素朴な疑問
@wh-kr6cm
@wh-kr6cm 3 жыл бұрын
バカ面白い
@岩井啓子-y2y
@岩井啓子-y2y 8 ай бұрын
倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)ですよね
@春巻ちょー
@春巻ちょー 2 жыл бұрын
ひのみこ様!頭にゴッツイの乗せてんなwww
@ドクトゥスハーミー
@ドクトゥスハーミー 2 жыл бұрын
明治維新前まではそれでしたよ。祭祀の為に巫女や宮司が勤めて居た話が在りますよ
@djjocool4812
@djjocool4812 3 жыл бұрын
辻褄が合うのは古事記や日本書紀ではなく正統竹内文書⁉️
@コウダイ-r1v
@コウダイ-r1v 3 жыл бұрын
【「邪馬壹國」(新字体:邪馬壱国)と表記されているが、晩唐以降の写本で誤写が生じたものとするのが通説である(台の旧字体「臺」は壱の旧字体「壹」と似ているため。誤写ではないか、とする異論がある)。現代人の著作の多くは、それぞれ「壱」「台」で代用している】 壹は【と】と読んでいたそうなので、邪馬台国はヤマト国じゃないのか? ちなみに魏志倭人伝の倭の一字でもヤマトと読ませる。大倭でもヤマト、倭は和となり大和となったのでは?
@ちょこっとんせんせー
@ちょこっとんせんせー 3 жыл бұрын
コメント数がめっちゃ増えてる! 自分の事のように嬉しい〜!
@soundtrackmusic9111
@soundtrackmusic9111 Жыл бұрын
いろいろあるからタイムスケジュールで話して欲しい笑
@剣心西京
@剣心西京 3 жыл бұрын
卑弥呼は巫女で間違いなが、中国から派遣したと倭人伝が記す。日本に来たときの航路もある。再々帰って来たとあるので、再々、帰る距離を考えると伊都国(糸島市)に仮住まいがあったようだ。
@山香-k7m
@山香-k7m 9 ай бұрын
今の時代で言ったら、正しく愛子様が祭祀王になられたら今の日本はもっと穏やかな日本になりそうですね。
@BeautyMirror01
@BeautyMirror01 Жыл бұрын
キリストの弟は「イスキリ」だという正統竹内文書ですからね・・
@tunemori099
@tunemori099 3 жыл бұрын
魏志倭人伝では卑弥呼の後継者は台与(トヨ)となっている。邪馬台国はヤマ''ト''コクと読むのが自然
@かるいし-l4p
@かるいし-l4p 2 жыл бұрын
色々検索しても台に「と」の音読みは見つからない。「タイ ダイ イ」までだな。 色々おかしいよなあ。 Wikiで台与のページ見ると「台」で「と」の音に関しては「同義反復に過ぎない」として両断している。 そもそも「と」と読むべきではないのではないか…
@ninomae1000cc
@ninomae1000cc 3 жыл бұрын
いつも分かりやすい考察感謝です!次回も楽しみにしてます .‹‹\(´ω` )/››
@上原洋-j7v
@上原洋-j7v 2 жыл бұрын
素朴な疑問があります。「魏志倭人伝」の「倭国大乱」って、「本当に今の日本列島(北海度・本州・四国・九州)」だけなのか?いろいろ「縄文時代から邪馬台国」にかけての「動画」をいっぱい見ました。「当時」「倭人」の「生活」は「海岸」での「魚・あわび」をとった狩猟生活みたいで、もし「今の福岡県糸島市」が本当に「今でいう税関」みたいな「役割」を果たしていた土地だったら、「朝鮮半島」「遼東半島」「北朝鮮とロシアの国境地域」って、「海岸沿い」の「行動範囲」ではなかったのか?すごく近いです。たぶん「東京都」「仙台市」に行くより、はるかに近いです。まして「歩く」ではなく「船異動」だったら、なおのこと。上述した範囲も対象として捉えて「倭国」なら「大乱」表記も、あながち頷けるのですが。勝手な推測です。長文ですみません。
@新倉美装有限会社
@新倉美装有限会社 2 жыл бұрын
色々な説をKZbinで観て来ましたがこの考察を聞いて感動しました。ありがとうございます。1つ気になったのですが、8代孝元天皇の娘ヤマトトモモソヒメは、長生きで何代か祭祀王務めた人で 箸が陰部に刺さって亡くなった 7代孝霊天皇の娘のヤマトトトヒモモソヒメと同一人物なんでしょうか? そこ深掘りして欲しいです。
@like3239
@like3239 3 жыл бұрын
不比等…… 一昔前の小説 「宇宙皇子(うつのみこ)」 にて、かなりの曲者として描かれていて、この時代では大津皇子と同じくらい記憶に刻まれてますが、 ここに来て正史の改竄疑惑かぁ〜〜 宇宙皇子からの不等人を知っている視点だと、あり得る〜〜〜♪ 全ては国のため、王(天皇)の為、ってイメージ
@110nari8
@110nari8 2 жыл бұрын
こっそり昔の動画に書き込みますねw 正当武内文書は、出雲口伝と対比すると、一部では時の権力を怖れ隠されている部分がありますね。 これを便宜上「記紀服属」と表現する事にします。 それは、初代武内宿祢である武内太田根(たけしのうちおおたね)が、魏書に朝貢したメンバーとして出ている事です。 そう、つまり、武内家は邪馬台国事件の当事者であり、邪馬台国の本質も、卑弥呼の事も全てを知る一族なわけです。 武内宿祢は、魏書にある様に、「たけしうえつ」は戦闘開始後に朝貢し、魏の長官オウキに「狗奴国と交戦中だ」と発言しています。 前回の動画へのコメントにある様に、狗奴国は前政権、村雲の政権の子孫である大彦と息子のヌナガワワケの国の事です。 7/2追記 つまり、狗奴国→日高見国になるわけです。 「時間の嘘」とは、あの時代の事としては、正に邪馬台国事件を隠すために、動画でも少しだけ言及してらっしゃる「複数回の東征」である二度目の東征が、邪馬台国事件そのものだったから、ごまかす必要性が出た為につかれた嘘です。 実際には、ヤマトの王権は近畿から移動はしていません。逆で、物部氏が二度東征したから、移動したようにも解釈できるのでそう伝えているのだと思われます。つまり、政権交代があったわけです。(物部氏は一度目の東征で失敗し、かなりの勢力が九州に戻っています。この事と混同があるのかもしれません)逆に、畿内ヤマトが移動しなかったからこそ、東征が複数回起きたわけです。 因みに二度目の景初の東征もほぼ失敗し、垂仁の次の大君は、九州に帰っています。それが大陸の史書にも書かれてしまったので記紀の作者は仕方なく、景行の親征として、九州征伐が書かれることになったらしいです。 東征が一度しか伝承されてない場合は、「記紀服属として」一部を秘密にしているのだなと分かるわけです。 記紀は、政権交代があったので、二度にわたる物部東征を神武東征として、一つの出来事に圧縮しました。 ここで「人間の嘘」が出てきます。 一度目の東征の先祖であるニニギは、前二世紀の事であり、中曽大根彦を二人の人物に分け、大彦と、ナガスネヒコに。 つまり、二世紀(180年代)の大彦を、前2世紀のニニギが切る話になっている訳です。 つまり、ナガスネヒコが出てくる歴史書は「記紀に服属して真実を隠している」と分かるわけです。 神武以前の事を書いているという古文書がありますが「スサノオ」「ナガスネヒコ」が出てくる書物は、記紀成立後に、それ以前の歴史としてまとめたという一つの指標になります。 神功皇后を卑弥呼に偽装する必要は本来はありませんでしたが、中臣家や藤原氏の後ろについていたのが「摂津の息長家」であったため、ヒボコ渡来を垂仁3年(邪馬台国時代)に後退させ、辰韓時代のヒボコを新羅時代に。逆賊として最終的に垂仁に討たれたヒボコの末裔のタジマノモリを忠臣にし、神功皇后紀に魏書の引用をして箔をつけたと考えられます。当時は、天皇家(天智天皇)と中臣家の共通の敵が北陸蘇我家(石川家)=三国国造家=継体天皇系の勢力(のちの天武天皇)だったからです。中臣藤原陣営のバックに息長家がありました。(舒明大君である田村王は息長家出身でした) 記紀は、大陸の歴史書に書かれたことは書く方針にしましたが、誰を当てるかは非常に気を使ったと考えられます。でなければ大陸に提出する歴史書としては「渡来人や、属国の歴史をわざわざ書くことになり、かえって大陸から軽く扱われるからです」 明らかに記紀の作者(柿本人麻呂と、太安万侶)は魏書に目を通していました。 トヨという女性を、金印の倭王の後継者として大陸の役人に過ぎない張政が指名するなどという行為は、親魏倭王のハンコをやる(承認)とは別次元のとんでもない大騒ぎで、大陸が我が国の権力の継承に介入して、後継者を指名している訳であり、絶対に記紀にかけない案件です。 更に記紀は、卑弥呼が複数人居た事を隠す必要が出てきた際に、魏書では単に「卑弥呼」としてしか書かれてないことに目を付けました。 「時間の嘘」はよく考えれば誰でも分かります。 倭国大乱は147~188年ですよね。つまり、少なくとも景初の前には最低もう一つ(もしくは複数?)大きな戦いがあったと言う事になる。当然一代では収まらない。景初朝貢が239年。8年後に卑弥呼がなくなり、トヨが13才。大陸では「年長大」は35歳を超えてからになります。 最短で計算する。 歳長大が35歳だとして、卑弥呼が亡くなったのは戦闘開始後の6~8年後で、43歳=トヨ13歳となる。 逆算すると卑弥呼最短で35歳、トヨ5歳の時に朝貢の景初年間である トヨを産んだのが当時30歳とはあまり妥当では無い。でも可能だったとする しかし、卑弥呼が生まれたのが204年となるので、倭国大乱期の最後である180年代には到底間にあわない訳です 「戦死した卑弥呼ではできない役割」が「戦乱を収めた卑弥呼」となるわけです。 どう考えても卑弥呼は二人必要になる。 出雲伝承では戦乱を収めたほうの卑弥呼が、大乱期後半のモモソ姫。景初の卑弥呼が、九州宇佐八幡の社家の実家、宇佐家の姫になります。(ウサツ姫) 独身のはずの卑弥呼の弟を無視して、タジマノモリやイクメに銀のハンコを与えたことに違和感を感じながらも、誰しもが「宗女」トヨの母親の卑弥呼に考えが及ばないほど、記紀の偽装の出来は良かったと考えらえます。 これなら、日本書紀を提出するにあたって、大陸も騙せて我が国の独自性を主張出来ますよね。自国民ですらだまされるわけですから。 具体的には、二回目の東征の卑弥呼のウサツ姫を丸々消して、一回目の東征の時の卑弥呼に入れ替えます。ウサツ姫はミマキイリヒコの後妻さんでしたが、そのまま時代を遡って豊玉姫に。 同じく一回目の東征の時代の彦五瀬兄妹も調整して日向神話の時代にし、後年であるはずの宇佐の豊玉姫を先祖の血縁に遡らせました。 この点を利用して、最初から山幸彦が神武になったように圧縮している訳です。 「空間の嘘」とは、邪馬台国の戦闘は、奈良や九州の単独地域で起きた事ではなく、九州から奈良への攻撃という大きな地域での戦闘をごまかして局地的な話にしたことだと考えられます。 今言われているような九州説、畿内説は、全く意味がないことになります。 正当武内文書でも言及していない嘘を一つ上げます。それが「認識の嘘」です。 既に朝貢していた畿内ヤマトを倒すために立ち上がった九州勢。しかし、滅びた後漢とはいえ、大陸の承認をすでに受けているヤマトを攻撃するとは言えません。それは大陸の権威にたてつくことになるわけです。 九州勢は、後漢の正統後継である魏国に対し、自分たちの国名をヤマトと嘘をつきました。 そして大陸の張政は、畿内ヤマトを、武内宿祢のオウキへの報告通り、「最後まで狗奴国と勘違いしたまま」大陸に帰国してしまいました。 邪馬台国とは、あくまで大陸側から見た、九州勢の自己紹介を丸呑みした認識上の国名なわけです。 大陸視点の邪馬台国は既に朝貢していた畿内ヤマトであり、私たち日本人が知りたがっている邪馬台国は、九州に集結した東征軍の事です。 ね?九州勢がヤマトを名乗ったのであれば、政権が九州に移動していた様に見えるでしょ?w 武内文書は「認識の嘘」をまだ我々に公開していません。 それにしても、すんごい動画をあげちゃってますね~、大丈夫ですか?ww怖い人が来たりしてませんか~ww超ヤバい案件扱ってる気がするww
@masato8408
@masato8408 2 жыл бұрын
動画とこのコメントでようやく話が完成するくらい面白かったw
@GMT-i7v
@GMT-i7v Жыл бұрын
日巫女さん、すごい美女。ロマンやな〜。
@稲垣秀宣-w2k
@稲垣秀宣-w2k 2 жыл бұрын
邪馬台国は、四国阿波だよな。 古代、丹とれたの四国だし、後に邪馬台国は、四国から奈良に移ったんだじゃね。
@tadano1zinnminn
@tadano1zinnminn 10 ай бұрын
倭迹迹日百襲姫命の墓は日本最初の前方後円墳である箸墓古墳である❗😁👍 名前の由来は彼女が陰部に箸が刺さって亡くなったコトが由来らしい❗🤔
@AnneKate-e1l
@AnneKate-e1l 3 жыл бұрын
さいこう!!
@すまいるでびる
@すまいるでびる 3 жыл бұрын
もしかして、祭祀王は今も、いつの時代も…いるの?それとも藤原氏によって制度ごと消されたのか……
@かるいし-l4p
@かるいし-l4p 2 жыл бұрын
今は天皇が神道の最高位にいるはず、つまり祭祀王だよね。江戸自体にすでに古史古伝のいう祭祀王いなくなってないか? それ以前に記紀にははっきりとした祭祀王に準ずる役職名が無い気がするが。
@maoh0212
@maoh0212 2 жыл бұрын
自分的に50年ぶりに、しっくりくる答(応)なきがする。中学の近畿説の教科書に、試験時わざと九州説と書いて教師に論争をふっかけて、楽しかったなぁ。 とまれ、少し納得、魏は日本から鉄器を輸入し、他二国に優位を取ったらしいので、女王がいたのは間違いなく、一応の正史(?)では近辺に女王がいないという矛盾も解消。飛鳥時代の君臨すれども統治せずの確立は、もっと早い時代に既に確立してた。とすると、持統天皇と聖徳太子は復古だった。と、すれば随の皇帝に宛てた国書は、記された聖徳太子の身分は誤りなく、身分作称の越権行為でなく事実だったことになる。
@mlkankagi261
@mlkankagi261 3 жыл бұрын
面白いですね。卑弥呼や邪馬台国が何だったのかがよくわかりました。祭祀王と統治王の二人に分けるっていうのは、今の天皇制と内閣政治に通じるのでしょうかねー。女性天皇もよいかもしれませんね。
@クマスギタカオ
@クマスギタカオ 3 жыл бұрын
現代の祭祀王は誰なんでしょうね。
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 3 жыл бұрын
黒田清子さんじゃないですか?
@jutenmu
@jutenmu 3 жыл бұрын
天皇です。 政治は民間に降ろしました。 軍事は民間の執権たる政府の長、 内閣総理大臣の権限に含まれます。 昔から《幕府》がありました。
@310johnny7
@310johnny7 3 жыл бұрын
逆に魏志倭人伝に描かせる人が倭に居たのが凄い( ॑꒳​ ॑ )デスヨネ
@佐藤秀-w4m
@佐藤秀-w4m 3 жыл бұрын
猿田彦はイエスキリスト。
@nura0216
@nura0216 3 жыл бұрын
最終回動画の時間が凄い事になりそうな予感
@こんどうせいいちろう
@こんどうせいいちろう 3 жыл бұрын
さるたひこーーー!
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 3 жыл бұрын
邪馬台国論争を思いっきり大団円に解決したなあw
@ttak5432
@ttak5432 3 жыл бұрын
蘇我氏の書物を燃やしたのは、中臣鎌足では? 歴史書に何か都合の悪いことがあった。 それで息子の藤原不比等に新たに歴史書をつくらせた。
@悩める山羊
@悩める山羊 2 жыл бұрын
ムッちゃんが以前、26代継体天皇の時代、西暦511年から1年を365日余り暦を使い、以前は半年を1年とカウントしていたと云っていた。 魏の国に使いを送ったのは、垂仁天皇であり、倭命の指示によると考えられる。これで、天皇と卑弥呼の関係、時代背景の辻褄が合ってきます。
@tanatos2501
@tanatos2501 3 жыл бұрын
ヤマトトモモソノミコトって言いづらいから、ヤマ(呼び名)が治める大国でヤマタイコク、ヒメ(女)のミコトでヒミコなんじゃないかと。
@tanatos2501
@tanatos2501 3 жыл бұрын
ヤマトトモモソヒメノミコトか。
@jutenmu
@jutenmu 3 жыл бұрын
@@tanatos2501 様 早口言葉の様にすれば、子供達も 自然に覚えられそうな予感😅
@koro13ad92
@koro13ad92 2 жыл бұрын
正統竹内文書では神武天皇の皇后は姫蹈鞴五十鈴姫命、事代主の娘が正しい。イスケヨリヒメは正統竹内文書では確か神八井耳の妻だったと思います。
@ひさ-z7x
@ひさ-z7x 8 ай бұрын
沈黙の艦隊はこれをインスパイアしてたのかな
@かつ-i5c
@かつ-i5c 3 жыл бұрын
やまと ととひ ももそ姫では?
@TakaoSho
@TakaoSho 2 жыл бұрын
最近、TOLAND VLOGばかり見ています。面白いです。 しかもエンターテイナーとして見てくれと仰っているので、 もはや、正統竹内文書シリーズのネタ漫才かなと思ってしまいます(苦笑) 漫才ネタも、1人派むちゃくちゃ知ってる人(ツッコミ)と、もう一人は知らん人(ボケ)みたいな関係のネタみたいに 正統竹内文書をめちゃくちゃ知っている人と、知らない人が聞く構図は、漫才に似ているなぁーと思いました。 すごく漫才みたいにテンポよく喋って入ってくるので、普通のトーク解説している人より面白いです
@寺田龍士-x4g
@寺田龍士-x4g 3 жыл бұрын
74世は誰ですか?
@ただ-v9j
@ただ-v9j 3 жыл бұрын
なんだかなぁ〜という説ですね そもそも時間軸がおかしいのではないでしょうか 邪馬台国が奈良へ移って大和になる こうなら至極納得出来るけど 邪馬台国が出戻り移動してるってのはどう考えても変 神武天皇東征の話も奈良へ行くまでにはかなりの年数がかかってる 当然ろくな道もない時代の話だから移動だけで何十年も必要というのは容易に想像つきますよね 邪馬台国という国が奈良と九州を行ったり来たりだと言うのなら100年以上の年月がかかってるはずなのも想像つく 完全に一代でやれる範囲を超えてます 自分は九州の邪馬台国がじわじわと数百年かけて奈良の大和へ遷都した この説が自然で時間軸的にも納得出来ます
@jutenmu
@jutenmu 3 жыл бұрын
視点が違うと思いますよ? この考察に限って言えば 「国家そのものが移動」 したのではなく、統治機能が 日向に、そして大和に移った……と いう意味だと思います。 移動したのは人間と《権威》の おはします場所です。 現代日本でも、遷都の事実が無い にも関わらず、首都は東京という 事になっています。
@かるいし-l4p
@かるいし-l4p 2 жыл бұрын
縄文人でも船であちこち移動してたのに何十年もかからんやろ。
@MrHaremKnight
@MrHaremKnight 2 жыл бұрын
副島種臣の師匠、本田親徳の全集に卑弥呼は神功皇后のことって書いてあるけど。あれ何なの?
@kitakazehai
@kitakazehai 3 жыл бұрын
卑弥呼は個人名じゃなくて役職名だったんじゃないの?
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