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宮城県女川町の離島、出島(いずしま)と本土の間に架けられた「出島大橋」が12月19日に開通します。出島は女川町の北東に浮かぶ島で、ギンザケやホタテの養殖が盛んです。橋の開通は、女川町にとってまさに40年来の悲願で、島の人たちは、期待と不安を胸に開通を待ち続けています。
「出島大橋」開通で変わる島民の生活
女川町の沖合に浮かぶ出島は、本土との距離はわずか300メートルほど。出島に船で通う漁師:
「今まで通いで大変だったが、出島大橋を通行することで交通の便が良くなる」
島民:
「期待感もあれば不安感もある、にぎやかになると思うが、ほっとできる場所であればいい」島の人たちが待ち望む「出島大橋」。12月19日、ようやく開通します。長さは364メートル。事業費はおよそ167億円です。生活、医療、産業、防災…、島民の生活は大きく変わります。須田善明女川町長:
「いよいよだなという感慨を持っている。急病で亡くなる人もたくさんいたし、直接知っている人もいた。安心して島で暮らしていけるという安心感の向上がある」
東日本大震災で動き出した出島架橋事業
海が荒れて船が出せなくなると、病に苦しむ島民の命を救えない。1979年、「命を守る道路」の整備に向けた島民主体の期成同盟会が設立されて、国や県への要望活動が始まりました。その後は一向に実現のめどが立たなかったものの、2017年、出島架橋事業が動き出しました。東日本大震災の発生で橋をかける必要性が再認識されたからです。出島の島民代表(2017年当時):
「本当に感無量、しけの時は船が出せないのが一番のネックだから橋が架かれば本土並みの生活ができる」
震災で一時、すべての島民が本土に避難
出島地区の漁師、酒井実さん(82)。島で生まれ育った酒井さんも、開通を待ちわびていた1人です。酒井実さん:
「長年の夢。架かって万歳だ。みなさんのお陰でなんとか無事に開通することをうれしく思う」震災前、出島にはおよそ500人が暮らしていました。しかし、津波で建物の8割が被災、ライフラインが寸断されて、一時、すべての島民がヘリコプターで本土に避難しました。2年後には小中学校も閉校し、人口は90人余りにまで減りました。酒井実さん:
「子どもたちも学校がなくなりみんな本土に行き、若い人たちも行って子どもの面倒を見る。当たり前のこと」
開通に向け、民宿の跡地にサウナ施設を開業
こうした中、増加が見込まれる観光客の受け入れ態勢を整えようという人もいます。塩釜市出身の2人の若者は、地域おこし協力隊として島に移住。今年8月で営業をやめた民宿の跡地にサウナ施設を開業させます。橋の開通に合わせ、今月19日にプレオープンします。地域おこし協力隊 大山海渡さん:
「自然もすぐ目の前にあり、海を上から眺められる場所で、非日常的な体験をしてもらいたい」
地域おこし協力隊 鹿又陸さん:
「来年民宿も改装し宿泊とカフェ営業もしていきたいという思いがある」
島民が抱く不安とは
一方で不安も浮かび上がってきました。石巻警察署 赤間博之署長:
「事件や事故のない安全で安心な島であってほしいという願いとそのような島にしなければならないという使命がある」大勢の人たちが島を訪れるようになれば、犯罪や事故が増えるかもしれないというのです。このため、島の人たちは、去年11月から月に1回、開通後の環境の変化を見越した話し合いを重ねてきました。この日のテーマは「防犯」です。
良いことも悪いことも五分五分
島民:
「岸壁で釣りをする車、釣りをする人のところに船を寄せることでトラブルになるのが怖い」
「盗難防止や防犯対策を兼ねて橋に防犯カメラを」
町役場の担当者:
「町の方で検討した結果、来年度の予算で何とか防犯カメラ費を確保したい」出島の酒井さんも、期待と不安のはざまで葛藤していました。酒井実さん:
「開通すれば、人の行き来が多くなる。にぎわいはあると思う。それは確かだと思う。良いことも悪いことも五分五分だな」女川町にとって40年来の悲願となる出島大橋の開通。島の人たちは、さまざまな思いを胸にその日を待ち続けます。40年来の悲願の達成により、島民の暮らしは大きく変わることになりますが、出島大橋は女川原発で重大事故が起きた時の避難路としての役割も担っています。12月19日の開通式では航空自衛隊松島基地のブルーインパルスによる展示飛行も華を添える予定で、一般車の通行は午後3時からとなります。
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