般若心経の作者は、芸術家肌の直感的感性で「空っぽ」即ち「空」に気が付いています。 一切は「空っぽ」。意識知覚しているイメージ(色)は、自らの欲望が生じさせた実体のないものです。「空っぽ」です(色即是空)。「空っぽ」のもの、それが意識が知覚しているイメージです(空即是色)。、、( Image is empty. Empty is image.) これを理解する為には、現代では、まだ未知の新しい知識と向き合う必要があります。 意識は感覚器官です。その知覚対象は、脳内部の事象です。我々知的生命体の感覚器官は、「眼耳鼻舌身意」の六つから構成されています。これを仏教では「六根」と呼んでいます。 意識感覚器官の知覚対象を、仏教では「色」と呼んでいます。現代語に翻訳すると、「イメージ」が感覚的にピッタリします。 意識感覚器官が知覚しているイメージは、自らの欲望が脳内部に生じさせた実体のないものです。でも、人々は、それが、自らの欲望によって生み出されたが故に、余計、その欲望に執着しています。拘っています。「存在する実体だ」と。 一切は空なり。( Everything is empty. It was the result of my own desires. ) 意識知覚しているものは、蝉の抜け殻と同じで、言葉の殻は持っていても、中身は「空っぽ」です。人々が期待している実体など入っていません。