【『狂気の歴史』Part① -社会編】“狂気と非理性、着せられた汚名”{現代思想・フーコー哲学 #1}

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ボナハート

ボナハート

Күн бұрын

Пікірлер: 15
@user-wc7fp2hm7u
@user-wc7fp2hm7u 7 күн бұрын
現在の教育も医療も理性/非理性の構造の延長にあってそこを打破する道の発見を急がねば、人間の存在意義が分からなくなる時代がやってきますね… とても分かりやすい動画をありがとうございます😊
@naokiheya7314
@naokiheya7314 11 ай бұрын
非常に楽しみにしておりました! 今回もわかりやすくも濃い内容で大変ありがたいです。
@bonaheart_164
@bonaheart_164 11 ай бұрын
そう言っていただき、嬉しいです。ありがとうございます!!
@ホワイトカバー
@ホワイトカバー 11 ай бұрын
配信ありがとう御座います、予備知識として知と権力です、次回楽しみです。
@bonaheart_164
@bonaheart_164 11 ай бұрын
こちらこそ動画をご覧いただきありがとうございます🫡
@youth4613
@youth4613 11 ай бұрын
待ってました!
@bonaheart_164
@bonaheart_164 11 ай бұрын
初回の動画から期間が空いてしまったのにも関わらず……、ありがとうございます!!!!
@jk-dw2lz
@jk-dw2lz 11 ай бұрын
わかりやすく、要領よくまとめられており、大変勉強になりました 障がい者施設で働いていますが、今の制度との比較や歴史的に人が障がい者にどう向き合ってきたか、などの視点を持つことできました。ありがとうございます。仕事で役に立でます。
@テコナ
@テコナ 10 ай бұрын
前近代も精神病の人はそんなに寛容に扱われていたわけじゃないみたい、村に被害を出さないレベルなら無関心で放置されていたけど害が及ぶようになると容赦なく袋叩きにされたりして、そのまま路上放置で凍死したり精神病の人は中世でもそれなりに過酷な人生が待っていた
@田中太郎-e1i1q
@田中太郎-e1i1q 11 ай бұрын
動画拝見しました。非常にわかりやすく楽しい時間を過ごすことができました。 質問が一点ございます。 ルネサンス期において、キリスト教徒の思想により狂人への寛容的な態度が生じたと動画内でありましたが、 この頃のキリスト教は、神からの見返りを良しとしているのでしょうか。 私の学がないもので、理解が間違っていたら申し訳ございませんが、キリスト教徒いえば聖書を読む限り神からの見返りというものは、絶対に認めてはならないものとされていると思います。 一つだけ引っかかるものがあるとすれば、良きサマリア人の例えです。 しかし、これについても方針であって、神の見返りを説くものではのありません。 これらのことから、ルネサンス期の狂人への寛容な態度は、キリスト者が皆心から優しい思想を持つ聖者であったことによるのですか? もしデフォルトでキリスト者に利他性があるのならば納得するのですが、投稿者様いかがでしょうか。
@bonaheart_164
@bonaheart_164 11 ай бұрын
ご指摘ありがとうございます。 また、返信が遅くなってしまい申し訳ございません。 はじめに、「キリスト教徒の思想により狂人への寛容的な態度が生じたと動画内でありましたが」の部分について、動画内では、「狂人に対して寛容な態度を示す社会を醸成するひとつの要因としてキリスト教の影響があった(と考えられる)」ということを言おうとしています。その点が伝わっているようであれば安心です。 さて、本題ですが、ご指摘の箇所は動画内の「当時のキリスト教的な価値観では、生活に困っている人に手を差し伸べることによって、神様に認められ、自分自身にも善い行いがもたらされると信じられていたのです」の部分でしょうか。 確かに、キリスト教においては相手に見返りを求めることに関して難色を示しているようであり、それゆえに、狂人や貧民に対して慈善を施した際に狂人や貧民に見返りを求めることはしていなかったのではないかと推察されます。 一方で、当時のキリスト教信者が以上のような困っている人に対する慈善をおこなっていたのは(あるいは、神の言葉を真摯に受け止め、それを素直に実践する動機は)、宗教的な動機(例えば、自身の救霊や死後に天国に行くことなどでしょうか)であるはずで、それはつまるところ、神様に「君は教えを守る善い信者だ」と認められることではないかと解釈しています。 聖書における「神からの見返りは絶対に認めてはならない」という記述を直接確認しておらず、また、当時のキリスト教が神からの見返りを良しとしていたかどうかは分かりかねますが、いずれにせよ第三者視点からややシラけた態度で見れば、宗教の実践は事実上、神に救い(つまり、見返り)を求めているような側面がいくらかあると言えるのではないかと考えています。 以上のような考えの元、動画内での発言に至りました。長文になってしまい、申し訳ございません。回答になっていれば、嬉しいです。
@田中太郎-e1i1q
@田中太郎-e1i1q 11 ай бұрын
@@bonaheart_164 拙劣な文であるにも関わらず、このようにご丁寧な返信いただいたこと誠にありがとうございます。 回答拝見いたしました。 神の見返りについてはともかく、善の施しが宗教的な動機に基づくものであることがわかりました。 今後とも大変面白い動画を楽しみにしております!
@bonaheart_164
@bonaheart_164 11 ай бұрын
とんでもないです。 困窮者への慈善の施しが宗教的な動機に基づくものであったことについて、当時、貧民は「キリストの貧者」と考えられていたそうです。 ありがとうございます。 頑張ります!
@user-df5ym9dx8t
@user-df5ym9dx8t 10 ай бұрын
うがった見方かも知れませんが、生きがいについての本に少し共通するところがあるように思える。
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