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鈴木孝政投手は、全盛時は150キロを超えていた?ストレート押しのピッチングは圧巻!その姿にパ・リーグを代表する速球派山口高志(阪急)村田兆治(ロッテ)と並んで当時の子供たちは140キロや~いや145キロや~と言ってその姿を見てはワクワクしていた。
75年からの3年間は今では考えられないような投手起用で先発もあるしリリーフエースもしっかりこなすというスタイルで75年67試合76年60試合77年57試合ですべて規定投球回にも達すると言ういわゆる酷使状態だった。
そんな中でも快速球を武器に75年21Sで最多セーブ76年26S、77年18勝9Sで2年連続最優秀救援投手に。76年は防御率2.98で最優秀防御率のタイトルも獲得。77年は20勝の高橋里志と2差で救援と最多勝のあわや2冠になるまで活躍した。
その後ヒジ痛で成績も下降するが、それでも試合はかなり投げていて今の時代ではそんなに投げれるの?と思うくらいだ。そして先発転向し80年代は技巧派へと変身を遂げ活躍する。1984年には先発で16勝をあげカムバック賞も。
通算成績・タイトル・表彰
586試合 124勝94敗96S 1006奪三振 防御率3.49
最優秀防御率1回 最多セーブ1回 最優秀救援投手2回
カムバック賞