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零戦の武装の実力はどれほどあったのか 過去動画「零戦の機銃は使えたのか」加筆リメイク版
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TheGyspsw24
Күн бұрын
Пікірлер: 72
@大東亜解放神-d8p
11 күн бұрын
発動機が4000回転なんてあり得ないよ。 栄発動機は最高で2700回転。 それを超えると過回転になり不調をきたします。 0ブ―ストまで回してもせいぜい2850回転くらいです。 ハミルトン式定速ペラですからおのずと回転数には上限があります。 高回転型の誉21型ですら最高回転数は3000回転です。 それ以上回すとプラグが焼損します。 機首機銃が難しいというのは、きちんと調整しないと同調不良が起きてプロペラを貫通する恐れがあったためです。
@フロムフロム
11 күн бұрын
動画の通り、長銃身にすると反動が強くなる為に機体強度の足りない零戦は反動を吸収し切れず2号銃の命中率が下がってしまった可能性があります。 一方で1号銃は銃身が短い為に直進距離が短く坂井三郎氏は「ションベン玉」と言っていました。 同氏のガ島戦の記述を読むと7.7mmで戦っていた様に思えます。 2号銃を有効に使えたのは雷電や紫電改の様に機体強度を高めた機体と考えられます。 何れも4丁装備があるので日本軍機では最強の火力だったのではないでしょうか。
@jx6004
11 күн бұрын
雷電は1号銃が余っていたため2号銃と混載というバカげたことをやっていますね。紫電も最初はそうだったかな。 坂井三郎は尾翼の破壊での撃墜を狙っていたので7.7ミリで十分だったそうですが、かなり接近して撃っていたようなので敵が高速化した大戦末期だったらどうだったかなというところでしょうか。
@フロムフロム
11 күн бұрын
@@jx6004ご連絡有難う御座います。坂井三郎氏も癖のある方なので全ては鵜呑みに出来ないのですがガ島でのサザーランド大尉(間違えていたらごめんなさい)のワイルドキャット撃墜時の描写を見ると7.7mmで攻撃している様です。20mmは撃ち尽くしたのか当たりにくいので使わなかったかは不明です。
@mr.chin-chyan
11 күн бұрын
20mm機銃は相当近付かないと、命中精度に信頼性が無いと搭乗員からは不評だった。 しかし命中した際の威力に関しては文句なしで、中国戦線や初期の太平洋戦線では超接近しての20mmで戦果を上げるパイロットもいた。
@黑き史
11 күн бұрын
零戦の武装は何故あの様になったのか?は、「十二試艦上戦闘機計画要求書」を見れば解る。十二試艦上戦闘機(零戦)の目的は「攻撃機の阻止撃攘を主」とし尚「観測機の掃蕩に適する」艦上戦闘機となっている。つまり味方艦隊を攻撃せんとする敵攻撃機を「一撃で墜とす」ための主翼20㎜機銃であり、敵艦隊の砲撃を支援する敵観測機が相手の場合は─今まで通り─機首7.7㎜機銃だったわけです。 しかし、いざ零戦が実戦配備されると、搭乗員達は機銃の「使い分け」をせず、貴重な20㎜弾を激しく機動する敵戦闘機にも容赦無く撃ち込むものだから、装弾数が足りないと思うのは当然のことで、ソレを知った海軍当局者達は頭を抱えただろうことは想像に難くない。だから装弾数増加に血眼になり最終的に「ベルト給弾」へと向かった。 あと時々沸いて出て来る「20㎜駄目だった論」の元凶は元搭乗員だった坂井三郎氏の一方的な評価が大元で、しかも戦後暫く経ってから突如言い出したものだから極めて要注意。私個人的には「鵜呑み」にしてはいけない暴論だと思う。
@コウダイ-r1v
10 күн бұрын
なんか動画主の空想が入ってるな。 まず零戦開発前から20mm機銃の単発機搭載は百害あって一利なしと言われていたため、海軍は試作機でふんだんにテストを行い、その弾道の集束率に満足しています。弾が高価だからテストしなかったなんてないです。 さらに零戦はハミルトン定速プロペラを搭載していて、このプロペラは出力を上げると舵角を増やして回転数はそのままに推力を増やすプロペラです。機銃同調機構はカムとワイヤーを用いた複葉機時代から使われていたありきたりで信用性の高い装置であって高回転で使用制限とかはないです。 ちなみに零戦に限らずこの時代の星形エンジンには遊星ギアを用いた減速機によってプロペラはエンジンより減速されて回転してます。
@kix4878
11 күн бұрын
同じ九九式二十粍機銃でも零戦二二甲型から搭載された二号銃は全くの別物。発射速度がやや低下した物の砲口初速が大幅に上がった事で弾道特性と威力が上がり現場では高評価を得ています。
@to-boesuruinu
11 күн бұрын
ノモンハン事変の時に陸軍機がソ連の重爆撃ち落とすのに全弾使ってやっと落とせたって戦訓があるから7.7mmの威力不足は認識されてたとか
@skalplatoonraven
10 күн бұрын
ドイツ空軍のエリコンMG FFは、電気式同調装置や電動装弾・排莢装置採用によりモーターカノンでなくとも機首機銃や主翼付け根といったプロペラ圏内に複数のMG151/20を装備出来る。(APIプローバック方式のエリコン系20㎜機銃は発射タイミングが微妙にずれるのでプロペラと同調できず機首銃にすることは出来ない。) また弾頭は驚異の鋼板プレス加工により弾頭内の有効スペースを増やし、弾頭重量と炸薬比が80%という超強力なMinengeschoss弾頭が標準で使えるMG151/20の完成までの繋ぎであり、MG151/20の量産が進むとエリコンMG FFは順次第1戦から退き。 20㎜機銃より格段に強力な30㎜ベルト給弾式のMk108の開発が終わるまで、Minengeschoss弾頭が発射可能なように小改造され、夜間戦闘機の斜銃といった操縦者以外の搭乗員が順次弾倉を交換出来るので、狭い機内での再装填に便利な弾倉式のままフェードアウトしていきます。 つまりドイツでは、MG FF系のベルト弾倉式への改造自体は可能だったかもしれないが、より進化した新型機銃の開発が進んでおり、日本のように旧式銃を魔改造する必要は無かったのです。
@GTSチャンネル
11 күн бұрын
結局、やはり有効だと思います。零戦もその他の機種も結局20mmを装備しているので、それがすべてでしょう。
@fulful-y6j
6 күн бұрын
12〜13mmで弾数増やした方がチャンスあるんじゃない?60発を何回で使うイメージだったのだろう
@Mukutan777
11 күн бұрын
7.7mmと20mmでは想定された使用目的が異なります。動きの素早い戦闘機相手には7.7mmを、装甲の厚い大型爆撃機には20mmを使用します。 ただとっさにこれらを切り替えて使い分けるのは練度の低いパイロットには難しいものでした。
@三角形二等辺-y9v
11 күн бұрын
エンジン2700rpm/減速比0.6875≒3927rpmらしい。九九式二十粍一号機銃二型は13mmクラスより軽く零戦が要求された迎撃機としての運用を考えると攻撃力と重さのバランスが良い。少なくとも栄21型の登場までは軽くて良い武装だったと思う。ただし有効射程が短く一撃離脱のと相性は良くない。これは威力不足で近づかないとダメージが入りにくい7.7mmも同じ。
@黑き史
11 күн бұрын
20㎜機銃の装弾数が少ない─ドラム型弾倉60発─というのは、何も零戦だけの話ではなく、欧州列強国戦闘機─当初はモーターカノンとして装備─の殆どが60発だったことも留意した方が良い。零戦と同じエリコンFFを主翼装備した独空軍Bf109Eも60発であり、欧州列強諸国の戦闘機パイロット達からも「装弾数が少ない」と不満が溢れるが、此れはドラム型弾倉に起因するもので、装弾数を多くすると其の分「大型化」するのでエンジン後方や主翼内に収まり難く、弾倉装着で整備兵が扱うのに適当な大きさ重さが「60発入りドラム型弾倉」だったのが理由でもある。
@七誌権兵衛-p3f
11 күн бұрын
チョット違う、API ブローバックのエリコン20mmのドラム弾倉にはゼンマイが仕込まれており給弾機構を動かすガス圧の不足を補っておりました。ベルト弾倉はゼンマイが無いので各国でエリコンのベルト給弾化が失敗した理由です。99式2号の創意工夫の詳細はわかりませんが、日本がベルト給弾化に成功した唯一の例なのでかなり苦労したのでしょう。
@黑き史
11 күн бұрын
@七誌権兵衛-p3f 様 エリコンのAPI機構がベルト給弾に不向きなのは存じています。ですから此処ではドラム型弾倉が「60発」なのは、エリコンだけでなく、モーターカノンとして使用されたHispano-Suiza HS.404も当初はドラム型弾倉が一般的で且つ装弾数が「60発」だったことを説明したわけです。
@murotachin2520
9 күн бұрын
20ミリ機銃で射撃訓練してないなんて事は真実ではありませんよ。
@零戦太郎-h7v
10 күн бұрын
初期の零戦(11型、21型)は20粍はドラム給弾なので最大でも60発。 実際には50弱だったと聞きます。 空戦ではバリバリ撃ったら数秒で撃ち尽くし、その後は7,7粍で戦闘せねばなりません。 紫電改でもベルト給弾で各銃200発でしたが、空戦が長引き、撃ち尽くしてしまいその後包囲され撃破。 グラマンの13粍は20粍並の破壊力あるそうです。 坂井三郎もグラマンの13粍が羨ましいと証言してました。 弾が切れた銃はただの重量物体。 日本海軍は零戦開発時に大半のユーザーの下士官兵の意見を全く取り入れてませんでした。
@spitfiremk99rr
2 күн бұрын
坂井三郎さんは12.7mmをバリバリ撃ちまくってくるグラマンが羨ましかったと言ってるから、対戦闘機戦闘では米国式のほうがよかったのだろうね。20mmは対重爆用には有効だろうね。
@ryuseijp2446
11 күн бұрын
開戦当初の想定通り精鋭揃いの海軍航空隊が扱うなら間違いなく正解だったんだと思う 戦争が長引いて練度の低下に後継機の開発失敗が後を濁したなと 42年中盤までに52型相当、43年には烈風に更新開始で以降は順次2線級に下げてくって感じでやれてればなぁ… 将来的には20mm級が標準化して防弾装備で鈍重化するなら身軽さを、って考えもベテラン航空隊の機材と思えばまぁまぁ…と思えるし ただ何が最大の誤算ってあのアメリカが使い勝手の良い20mm級航空機関砲の開発に失敗してM2の多連装化で妥協したのが最悪だったと思う 当然豊富な装弾数で気軽にばら撒けるから命中機会に恵まれる で対戦相手の零戦は先の通り20mm想定の防御無しだから簡単に火を吹いて墜ちてくと 高出力発動機が作れる基礎工業力がなぁ 江戸幕府、将軍お侍様から百年で此処まで発展したと思えば凄まじい偉業ではあると思うんだけどね…
@rainbow-v6k
6 күн бұрын
ドイツにい経ってはmk108 30mm機関砲登場させてるし、対航空機はmg151 20mm機関砲の方が良かったらしいですが、零戦に搭載されてた20mmはサイクル遅く反動のみ強く装弾数も控えめ、練度と気合でカバーしてたんでしょう。
@セカイK1
11 күн бұрын
零戦五二乙型、零戦五二丙型、零戦五四丙型に搭載された13.2×96mm弾の三式十三粍固定機銃は?
@taka7218
11 күн бұрын
製造数の半分くらいは13ミリに置換していったわけで7.7ミリが全く通用しないF6Fの脅威に全く対抗できていない訳でもありません。
@真哉斎藤
12 күн бұрын
また、MGFF導入の経緯ですがRAFは「要撃機は侵入機の約1.5倍の速度を要する」とBoBの頃に結論づけていますが、その論のはしりみたいなものの影響は考えられないでしょうか。
@弘行稲川
10 күн бұрын
日本海軍は機銃の取り付け調整時、銃身からの目視のみであった。米海軍は実射により調整していた。実射調整をしていれば、翼の剛性不足によるバラツキも弾道低下も補正できた。実射による確認を開発時すらやっていないのは手抜きである。
@mitsunobunoguchi2567
10 күн бұрын
少なくとも20ミリ2号銃が出来るまで7.7ミリ片翼4丁装備なら?どうだったろう(ドイツが開発したが20mmに移行したので生産され無かった15mm初速950mを輸入装備、米軍12.7ミリに威力命中精度が勝ってたら)さらに雷電は無駄なので次期零戦に早期着手して迎撃も兼任させ、せめて二式水戦の時に金星搭載型を開発して防弾も充実させてれば、ベテラン搭乗員を温存できて戦局を有利に運べたのでは?と思う。
@猫大好き-c9g
9 күн бұрын
武装については艦隊直掩機としては弱すぎたと思います。 ドーントレスを阻止できていないから武装は力不足だった。7.7ミリでは威力不足。20ミリは接近しないと当たらない。球数も足りない。だからドーントレスの突撃を阻止できなかった。 (レーダーや通信の欠陥はどうにもならないので議論の対象から外しますが、)ゼロが弾道性に優れるブローニングのような機関砲を4〜6門搭載出来ていたらドーントレスの突撃に対してもっと有利に戦えたと思う。 南雲艦隊は6隻の空母の集中運用による300機を超える艦載機数の暴力でよるものが大きいと思う。南雲艦隊は真珠湾からインド洋までの戦いで艦載機を集中運転する事で勝ってきた。ミッドウェーで空母6隻が集中運用され(山本五十六本体の支援と龍龍、隼鷹その他小型空母の参加も必須)ていたなら暗号解読されていようが、南雲艦隊の圧勝に終わったははず。あの数を集中運用にされたら搭載機の性能差なんて関係ないと思いますよ。 参加空母が2〜4隻に減らされた珊瑚海やミッドウエーではゼロはドーントレスの突撃を阻止できず、ミッドウェーでは南雲艦隊は壊滅させられてしまった。ガダルカナルを巡る南太平洋海戦などでも大きな被害受けていますね。要するに数が足りないんです。 私が思う零戦の最大の強みは航続距離。一式陸攻と戦爆連合を組んでの戦いに注目すべきだとおもう。陸上から発進して一式陸攻を護衛しての戦いでは部類の強さを発揮し、(連合軍の反撃体制の不備もあって)フィリピンからラバウルまでの敵を駆逐する活躍をみせました。 でも戦いは甘くない。珊瑚海で勢いを止められ、ガダルカナルを巡る戦いでは(ミッドウェーで航空艦隊が壊滅していたので)、多数の空母艦載機をへ戦場へ投入できなくなり、陸攻隊による艦船への(散発的な)魚雷攻撃が無力化され、消耗を重ねていくうちにパイロットが足りなくなり、虎の子の真珠湾からの生き残り母艦パイロットまで投入する消耗戦へ巻き込まれ込まれ、連合軍の物量に押し切られる形で制空権、制海権を失い戦争に敗れた。
@yoikowadati7053
11 күн бұрын
同調の調整は作業後、責任者がきちんと試射を含めた動作確認をとり整備記録にも残すため、調整不良はまず起こり得るものではなく、整備の難度だけから同調機銃に言及するのはやはり浅慮でというものでしょう。ちなみに同調射撃の不調は火薬の劣化による遅発、連続射撃による機銃の過熱からの自発火、動作設定範囲を超えたプロペラ回転での射撃が原因と既存の書籍に記されており整備性とは別の話。もちろん、海軍は同調伝達機構を油圧式からワイヤ式に変更し直接撃針を制御し機構の安定動作を得ていたことも書かれていますよ。ちなみに12.7mmには炸裂弾もあったとか。
@七誌権兵衛-p3f
11 күн бұрын
12.7mmに炸裂弾装弾できたのは独自改良した日本とイタリアだけ。米軍のm2は最後まで爆裂弾を運用出来ませんでした。もともとドゥーエの空中艦隊理論に各国同様踊って、40mm航空機関砲や75mm航空砲を開発し、空中戦艦(制空用途にも使える予定の重爆)に搭載する予定でしたので時代遅れと考えられた単発機用の航空機銃が無く、第一次世界大戦時の対戦車火器を無理やり航空搭載したものです。もとが陸戦用で横Gを掛けると6割の高確率で装弾不良を起こし爆裂弾がないので致命部への直撃以外は穴が開くだけ。発射速度に劣り、20mm機関砲に手数も威力も劣るのにそれより重い欠陥機銃に米軍が頼らざるを得なかった理由です。米パイロットからは不評が多いですよ。他人の芝生は青く見えるのです。
@yoikowadati7053
10 күн бұрын
@@七誌権兵衛-p3f ウィキペディアやら何やらに出ていそうな話を精一杯羅列して満足したかい? となりの芝生?意味わからん。
@l.d.v7064
5 күн бұрын
ブロ12.7mmが パクるのが 遅かったから 20mmになった
@藤崎幸一-w7j
11 күн бұрын
日本の最大のウイークポイントは自力では高出力、高回転エンジンを開発量産できなかったこと シュナイダートロフィーレースなどで切磋琢琢磨し続けていた欧米に対して辺境アジアに位置する 日本ではその流れに乘れ無かった 重武装も高速飛行も重防御も不可能だったこと だけど当時自力でエンジン開発が出来た国家がどれだけあったかと考えると 仕方ないことかも
@unithouse1
10 күн бұрын
欧米人は経験則から銃は狙って当たるものではないということを知っていたから、多数機銃装備を重視したんだと思う 特に連隊師団規模で公算射撃を繰り返す戦列歩兵を、歴史として経験しているか否かが方針を決した観がある 日本人って、今でも銃や砲は「狙って撃つもの」と思い込んでいるでしょ?
@2001banekuro
11 күн бұрын
エリコンの20mm機関砲は、ボルトが完全に薬室を閉鎖する前に、実包のプライマーを打つという独特のメカニズム。 発射時点ではまだ前進しているボルトとの相殺で反動が軽減されるので、期間法本体を軽量化出来るというのが売り文句であった。 ただしあくまで地上で通用する理屈であって、激しい機動をする航空機に向いているメカニズムではなかった。 アメリカ海軍は艦艇の近接防御用として20mmエリコンを多用したが、航空機に採用しなかったのはこのような要因がある。 いずれにせよ当時の日本には、航空機用機関砲を自力開発出来る能力が欠けていた。
@真哉斎藤
12 күн бұрын
二号の20mmになり初速が向上したのにもかかわらず命中率が上がらないとはどういう事でしょうか。定量評価したデータを添付していただけると幸いです。
@jx6004
11 күн бұрын
原因は主翼の強度不足のせいではないかと動画の中でも語られていますが、見ずにコメントしているので? 同じ2号銃を使った紫電改の方が命中精度が良かったという話もあるようです。
@大東亜解放神-d8p
11 күн бұрын
零戦は52型になると、それまでは0.6mmのジュラルミンで表皮を覆っていたのを0.8mmのジュラルミンを多用するようになり、無理のきく機体となったようです。 主翼の剛性も上がった事から主翼の機銃の命中率も改善されたようです。 200機を撃墜したと言われる岩本徹三氏は52型を使い、2号機銃に関してはなんら不満を言ってません。 おそらく52型でもっとも生産された丙型が重量過多となり、機動性の不足から敵機の優位の位置取りが難しく焦って撃ったために命中しなかったんだと思います。 それにそもそも搭乗員は20mm機銃の射撃練習はやってないんだから命中するワケがない。
@shou-d2p
11 күн бұрын
そもそも当時の命中率に関する「定量評価したデータ」が存在しているのかどうか、という点はどうお考えで?ぶっちゃけ不満があるなら他人に頼まず要求せず自分で探して提示するのが筋だろう。
@zubizuberpapa
11 күн бұрын
全て馬力の余裕の無い、その場限りのようなギリギリの機体を開発した為ですね。そのしわ寄せが機体強度・防弾装備・武装に響いたんですね。 拡張性・発展性の余地が少ない戦闘機を開発するなら、堀越技師が望んでいたように、最初から金星エンジン若しくは火星エンジンを使った機体にすれば良かったのですが、そういったところにも技術力だけでない当時の日本の航空機開発のノウハウの浅さが見えますね。 20mm機銃は対大型機用で、7.7mm機銃は96艦戦時代と同様に対戦闘機用と言うコンセプトだったのでしょうが、対戦闘機用ならば隼の機首12.7mm機銃×2の方が向いていますね。
@鈴木むめお
11 күн бұрын
雷電がまともに作れなかったんだから無理でしょう
@zubizuberpapa
11 күн бұрын
@鈴木むめお さん 補足修正すると一番ネックだったのは、技術陣よりも陸海軍の用兵サイドですね。雷電の開発難航は海軍側の紡錘形への固執でしたし。
@藤田博嗣
11 күн бұрын
零戦の欠点は機体、防御の脆弱性と、当たらないうえに携行弾数が少なすぎて数秒で弾切れする機銃では、戦力として???
@yosiyukiazuma7195
11 күн бұрын
当時としては ワイルドキャットが1200馬力台 零戦が1000馬力足らず 工業力の差を 軽量化と空力技術で乗り切るしかなかったと思います 出た当時は 攻撃は最大の防御を地でいった活躍をしました 防御の脆弱性は言われだしたのは アメリカに2000馬力級が大量に登場してからで すべては工業力 アメリカとの国力の差でした
@minejuli5902
11 күн бұрын
零戦は出来た当初から「完成された秀才」だったので、伸びしろが殆どなかったのが、改良するたびに性能が低下していった原因だと思う。
@shou-d2p
11 күн бұрын
各国空軍パイロットは往々にして撃墜される時は敵機を視認すらしていない。要は撃墜の多くはサプライズアタック。さらに言えば、米軍機の携行弾数だって数十秒も撃てたというわけでもあるまいよ。「戦力として???」って、当時で戦争の大半を海軍機の主戦力として使われていた最大生産機にそんな疑問がそもそもナンセンス。ちなみに兵器は全て欠点があり、完璧で理想的な兵器は古今東西未だこの世に一つとして存在していない。
@前田昭浩-c3l
8 күн бұрын
帝國海軍の「大鑑巨砲主義」の遺物、当たれば良いが小便玉です! 帝國陸軍の12.7mm 機関砲の、マ弾の方良かったんじゃないんですか?…
@松本幸夫-h8n
11 күн бұрын
坂井三郎氏の著書に、20ミリは使えなかったと書かれてて、宣伝と違うじゃん、と思った。
@miyamiya2237
11 күн бұрын
7.7mm 機銃は弾数は十分だが、威力不足過ぎた。3式13mm機銃2門を最初から機首に装備していれば、戦果は数倍に上がったのではないだろうか。 7.7mm機銃は浅い角度で当たると跳弾になることが96式艦上戦闘機の頃からわかっていた。 土方敏夫の手記を読んでも、20mm機銃の射撃訓練は行われず、実戦で初めて射撃して、衝撃や弾道の違いに驚いたという。20mmを命中させるためにはとことん接近するしかなかったが、F6F相手では速度が不足していたということだ。
@前田昭浩-c3l
8 күн бұрын
ボヤキの堀越二郎!
@レッドハン
11 күн бұрын
51コメ
@onukiyuta3822
11 күн бұрын
そのベルト給弾を25ミリ対空機銃にも導入していたら。
@torataroujima
11 күн бұрын
20mmの選択は先進的と言えるのだろうか。この動画でも指摘しているが、いろいろな製造・運用上のバランスを考えると、単に巨砲主義の表れだったような気もする。銃砲を船で運用する海軍は、多分に人力で運搬・運用しないといけない陸軍とは違い、その辺の想像が薄いかも。
@shou-d2p
11 күн бұрын
調べてモノ言った方がいいですよ、想像ではなく
@狛次郎
11 күн бұрын
零戦の強度,馬力、全体としては、限界ですか?
@YOSHI-I
11 күн бұрын
玉が足りなかった、それじゃ勝てないでしょう、軍隊は、無理難題、大和魂では、勝てるわけない
@arimatchch2634
12 күн бұрын
父が「11mmを超えると機関砲」と言ってました
@石橋展通
12 күн бұрын
それは陸軍の事では? 海軍では40ミリ以上を砲と呼んでいたそうです。
@arimatchch2634
11 күн бұрын
@ 多分そうです。父は昭和13年生まれの鹿児島志布志の生まれで、昭和20年に家を陸軍が宿舎にしてたと言ってました。
@石橋展通
11 күн бұрын
@@arimatchch2634 貴重な資料が残ってそうですね。
@tevalleyluckman8746
11 күн бұрын
私個人は大柄な人間が素手で構えて運用できる機関銃の中で最大級が12.7mm機銃の為、13mm以上を機関砲だと見なしています。
@minejuli5902
11 күн бұрын
大口径の機関銃は機関砲と呼ばれますが、海軍では口径に関係なく「機銃」と呼んでいました。
@marryn76k
12 күн бұрын
宇野正美氏によると ゼロ戦に積める原子爆弾を開発してたが天皇陛下が使ってはならないとしたらしい
@tevalleyluckman8746
11 күн бұрын
それは陸軍の研究ですね。 海軍は陸軍を信頼しきっておらず、朝鮮半島で研究を独自に続行し、終戦直前に実験を成功させていたそうです。 その研究者グループのたった一人の生き残りが私の妻に話してくれました。
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