【歴史解説】鎧兜の歴史!日本独自の進化を遂げた?!【MONONOFU物語】

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【歴史解説】MONONOFU物語

【歴史解説】MONONOFU物語

Күн бұрын

Пікірлер: 56
@eeebee5116
@eeebee5116 Жыл бұрын
大陸的な鎧からこれ程多種多用にローカライズするという事は、それだけ古代から戦が続いてたって事でしょうね。
@umiushi11
@umiushi11 Жыл бұрын
おじいちゃんの所に古い鎧が有ったけど兜はなかったので理由を聞いたら「ご先祖様がご維新の時に負けて逃げる時に無くした」って言われた。マァ冗談だろうけどね。
@sideforest36
@sideforest36 Жыл бұрын
素晴らしい✨
@ryuseijp2446
@ryuseijp2446 Жыл бұрын
歴史は繰り返すのか現代戦のボディアーマーなんかも最新の物になると収斂進化なのか何処となく昔の武者鎧っぽくなってきてて謎の感慨を感じてます やっぱ飛んでくる物に対して効果的な防御をしようとすると似てくるんだなぁって
@日本語に出来るらしい
@日本語に出来るらしい Жыл бұрын
長時間付けながら行動するし機動性と防御を考えると結局そうなってくんだろうね
@miyotukushitv2475
@miyotukushitv2475 Жыл бұрын
飛び道具が主流で機動性確保となるとやっぱり日本の鎧型がベストなのかもしれません。
@柴田明人
@柴田明人 7 ай бұрын
頭形兜なんて、まんま形が戦闘ヘルメットだしな
@drankark.k6563
@drankark.k6563 Жыл бұрын
時代の変遷とともに姿、形を変化させていった鎧。参考になりました。 昔の武士にあやかろうと端午の節句には、床に兜を置いてます。結構するんだよなあ。でも、ひな壇よりは値がしなかったと記憶している。
@sayaandmasa
@sayaandmasa Жыл бұрын
時代まつりのバイトで着たことあるけど、持つと重いのに着ると重さを感じなかった。
@中島読子
@中島読子 Жыл бұрын
重いし、夏場は相当暑かったでしょうね…
@こんばんこ-j5l
@こんばんこ-j5l 5 ай бұрын
今ほど夏は暑くなかった。戦は農閑期にかけてなので暑さはあまり関係ない。主戦場は足軽、徒士兵なので陣笠、胴丸、脛当ての軽装備。
@デビやん
@デビやん Жыл бұрын
岡山県の国道二号線沿いに在るドライブインに併設されてる展示館が在るんだけど(もう長い事行って無いから現在も在るのか不明ですが)、そこには女性用の鎧が展示されてました。 日本では甲冑を着るのは、伝統的なイベント位になってしまったけど、一般家庭でも残ってる物が有るんですよ! それが端午の節句で飾られる物で、私も兜だけの物ですが家に有ります。 そうやって日本の技術が残されてるんですよね!
@スズキ-k2h
@スズキ-k2h Жыл бұрын
欧州から影響を受けた満智羅(語源はオランダ語)など襟を立てたような格好の良い物もありますね
@正男加藤-l3c
@正男加藤-l3c Жыл бұрын
鎧兜は矢や槍を防ぐもので実戦では鎧兜の上から打撲を負わせる。動きの鈍くなったあいてを組伏せて喉を小刀で突き刺すのではないでしょうか?西洋の甲冑は身体に会わなくて動きも鈍かったそうです。
@HasegawaNobutame
@HasegawaNobutame Жыл бұрын
魚釣り用のライフジャケットにも、肩にかかる重さを軽減するために腰で重さを支えるタイプが近頃ふえています。 鎧を参考にしたのかな?
@TH-ul4gd
@TH-ul4gd 3 ай бұрын
余裕をもって弾込めができるような距離だと実際に跳ね返せるのかもしれない
@dice-koz206
@dice-koz206 10 ай бұрын
大鎧も基本は挂甲がベースでは?挂甲に仏具の製造技術と合わさり日本独自の鎧に進化したのです。 挂甲は中国、さらに正確には北方騎馬民族由来であり、大鎧を着用していた鎌倉時代まで武士の基本的な戦い方が弓騎兵なのもその名残です。
@まま-j3w
@まま-j3w Жыл бұрын
大鎧で八艘飛びやったら 人間じゃねーやろ
@キャベツ太郎-z9k
@キャベツ太郎-z9k Жыл бұрын
短甲ってヨーロッパのプレートアーマーみたいな感じだけど、挂甲みたいなラメラ―アーマーのような方が日本では主流になっていくのが不思議。やっぱり地形や環境の違いとかで動きやすさを重視したのかね。
@日本語に出来るらしい
@日本語に出来るらしい Жыл бұрын
可動域と量産性じゃね? 挂甲は同じ鉄板をある程度量産すれば良いから
@TH-ul4gd
@TH-ul4gd 3 ай бұрын
幅広の鉄板を造り加工するのが難しかったからでは? 当世具足には短甲に似たものもありますから戦国時代になって量産する技術ができたのでしょう
@rockkazu7537
@rockkazu7537 Жыл бұрын
鉄砲で撃って防御力テストをさせていたとされているのが伊達政宗で仙台市博物館に所蔵されてる鎧に銃弾の跡が残ってますよ
@toshichika720
@toshichika720 Жыл бұрын
胴丸かっこいい👍義経
@windysquall5405
@windysquall5405 Жыл бұрын
実際付けて演武してるのみると伝統工芸品というよりは戦闘用装備そのものよ。パワードスーツに近いものを感じる。
@こてつまにあ
@こてつまにあ Жыл бұрын
いや元から戦闘用装備です。鎧は防具じゃなく武器。
@umiushi11
@umiushi11 Жыл бұрын
つけて闘う為には人一倍 パワーがいるなぁ たしかに…
@黑き史
@黑き史 Жыл бұрын
幕末に勃発した当初の戦争─長州征伐以降─では多くの武士が先祖伝来の甲冑を身に付け出陣した。然し「会津戦争」の頃には殆ど廃れてしまったのは、海外から輸入された洋銃(ライフル銃)が火縄銃と比べものにならないほど、長い射程距離と命中精度そして高威力だったことが影響している。何しろ被弾したら分厚い鎧を貫通するだけでなく「鎧を貫通した」ことで「速度が落ちた」銃弾が体内に止まって暴れ、より深刻なダメージとなって─手当てもままならず─戦死する者が続出したからだそうです。
@Tエミール
@Tエミール Жыл бұрын
甲冑はロマン
@マイトガイ-w9d
@マイトガイ-w9d Жыл бұрын
欲しいですけど邪魔ですよね。飾るにしても収納でも中型冷蔵庫くらいの床面積を取りますよね。
@虎門伯昌
@虎門伯昌 Жыл бұрын
間違った内容が目立ちます。 大鎧の栴檀の板等は、腕を振る動作等で脇のガラ空きを防ぐ目的で付けられたものです。 大鎧から胴丸への変化は、攻城戦への対応、長引く紛争による新規鎧難しさ、調達や補修の材料調達の難しさが背景に有ります。 当世具足の防御力は東西地域の差が有り、西国地域では鉄砲火力の影響で防御力よりも回避機動力重視の鎧、東国では騎馬利用による防御力重視の胴構造の鎧と、利用出来る物資の差や戦術により当世具足の内容に差が出ています。
@レックウザさん
@レックウザさん Жыл бұрын
博識ですね!!偉いと思います!
@なおはる-m4t
@なおはる-m4t 8 ай бұрын
短甲は革だと昔学んだような?
@Keihinhsv
@Keihinhsv Жыл бұрын
時代劇見ると簡単に矢が突き刺さる
@こてつまにあ
@こてつまにあ Жыл бұрын
馬鹿をいうな。 鎧具足の知恵は現在は土木、建築、工業用やモータースポーツの分野で保護具に脈々と受け継がれている。
@Mitsu0602
@Mitsu0602 Жыл бұрын
小3の時着たことあるけどそんなに重くなかった。鉄砲は重すぎた。
@加藤-d2o
@加藤-d2o Жыл бұрын
義経は胴丸ではなく胴丸鎧でしょう。大山祇神社に一領、義経のものとされる胴丸鎧が奉納されています。
@HK-oo5wt
@HK-oo5wt Жыл бұрын
大鎧から当世具足まで、当時のものに触れるなら鳥取の渡辺美術館がおすすめですよ👍 あれ程の数の当世具足に触れられるのはあそこくらいだと思います。
@汰一大久保-t3x
@汰一大久保-t3x Жыл бұрын
でも中国三國時代だと青銅製の武具で それと同時期である 弥生時代では鉄製の鍬使ってましたよ?
@user-hs6oz7dn2g
@user-hs6oz7dn2g Жыл бұрын
金属加工技術は、実はかなり古代から持っていた節などもありますけどね
@会津松平家の容保
@会津松平家の容保 8 ай бұрын
伝統工芸品となった現代の当世具足は鉄板の厚さが薄くなった。
@pfficater
@pfficater Жыл бұрын
重量だけでいちいち戦えませんって断じるのなんなの? 現代人だって職種によっては3~40kgを持ち3時間断続的に小走りで移動することが可能です。 着用して行軍するなら馬が必要なら分かりますけど、戦えないと断じるべきではないと思います。
@プペランカー
@プペランカー Жыл бұрын
全身に重さが散ってるから意外と動ける
@胡椒少将-s6q
@胡椒少将-s6q Жыл бұрын
まあこの主もそうだけどyoutuberなんて適当な事言って金貰う楽な仕事だから・・・
@明石則実
@明石則実 Жыл бұрын
ま、着たことない人だったら何とでも言えるわな。
@wright2128
@wright2128 5 ай бұрын
現代でも歩兵は30kの背嚢担いで移動するからぬ
@あいとよ
@あいとよ Жыл бұрын
またまた古い間違った仮説での説明・・・勘弁して!
@wright2128
@wright2128 5 ай бұрын
やはり初期はキングダムのような中国の鎧に似てるな。
@kid7544
@kid7544 Жыл бұрын
鉄砲の弾はもちろん矢ですら簡単に貫通しちゃってたんでしょ?まあ侍の記号的なもので見かけだけでつけてないよりまだマシって程度なんですかね?
@user-dl6ex8fw7v
@user-dl6ex8fw7v Жыл бұрын
大鎧にしても胴丸にしても、手持ちの盾を不要とした構造に何故解説がないのか。片手落ちの解説ならない方が良いのでは?
@クンよし
@クンよし Жыл бұрын
やっぱり大鎧よりも当世具足の方が 大好きです😍😍😍
@chevalier0316
@chevalier0316 Жыл бұрын
仏胴の画像仏胴じゃなくて草。雪の下胴やろあれ
@胡椒少将-s6q
@胡椒少将-s6q Жыл бұрын
え?弥生時代の武具が石と木材?木材はまだしも石?"稲作"が"広まっている"時代に石の武器?本気で言ってる?歴史習った?
@jacky5996
@jacky5996 Жыл бұрын
鎧兜の歴史的変遷は嘘ではないが、その理由は嘘や妄想でしかないものばかり。投稿する前に、もう少し、まじめに勉強しなさい
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