【歴史解説】ゆっくり大江戸 その62 将軍のお仕事~十代将軍家治に見る征夷大将軍の一生~【江戸時代】

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tera sen ゆっくり大江戸

tera sen ゆっくり大江戸

4 жыл бұрын

今回のお題は「将軍のお仕事」です。将軍の仕事というと真っ先に政治や儀式を思い浮かべるかと思いますが、江戸時代の将軍は健康に生き、無事次代につなぐ事、それが大変重要なお仕事だったのです。今回そんな将軍の一生を田沼意次を重用した事で有名な十代将軍家治公の生涯を参考に将軍の仕事、将軍の一生というものについて解説していきたいと思います
江戸時代の年中行事の詳細についてはこちらの動画↓↓
春夏  • 【歴史解説】ゆっくり大江戸 その52~お江戸...
秋冬  • 【歴史解説】ゆっくり大江戸 その53~お江戸...
この動画はゆっくりキャラ素材の【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい
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Пікірлер: 130
@TomoTanSan
@TomoTanSan 4 жыл бұрын
これを見てると「将軍になりたくなかった」徳川慶喜が最後の将軍になったのは不憫でしかないと感じる…
@user-sy6dr3rm2e
@user-sy6dr3rm2e 4 жыл бұрын
家治は大好きな正室の倫子女王か家基が生きていれば 趣味に没頭することもなく、仕事やってたのかもしれない。
@user-kx2wg9zv6l
@user-kx2wg9zv6l 3 жыл бұрын
いつも楽しく視聴させております。 「家治」はどうしても田沼意次などの影に隠れがちな印象が強かったので、「家治」の人物像が解かってよかったです。 今回は「将軍のお仕事」というより「家治」自体にスポットが当たった感じがしました。 ありがとうございました。
@user-mf3nw7yj3o
@user-mf3nw7yj3o 3 жыл бұрын
家治は趣味に生き、正室を愛した珍しい将軍だった。正室との間に女子二人もうけた後男の子が生まれないので 田沼に言われて渋々側室を持ち、二人男子をもうけた後は全く通わず、生まれた男子も正室に育てさせている。 せっかくもうけた男子も毒殺疑惑で殺されてしまうし、愛妻も早くに亡くしてしまうし、運がないというか 周りの環境が良くなかったというか、不運な将軍だ。
@tmuj8257
@tmuj8257 4 жыл бұрын
徳川家の家系図についてもお願いします。 御三卿が出来、一橋家の子孫が増えた結果、江戸後期は水戸家以外の徳川家は全て一橋家出身の人物が継ぎ、松平や外様大名まで養子に出した程で、明治以降の徳川家は将軍職になれない水戸出身が1番多くなり、なかなか面白い話だと思います。
@yh6146
@yh6146 4 жыл бұрын
結局、吉宗の血筋は田安家だけになった。
@inahonetomi60
@inahonetomi60 3 жыл бұрын
あと10年生きていたら田沼の改革が完成し、後世の評価は全く違ったものになっていたかもしれない。
@moityubu
@moityubu 3 жыл бұрын
前説っていうの?挨拶?イイわあ。ゆっくりキャラにどんどん親しみを持ってしまうw
@user-zj1qv1yc2u
@user-zj1qv1yc2u 4 жыл бұрын
幼少の時利発で祖父吉宗に大変期待された孫でしたが、趣味の世界に没頭したイメージが強い人ですね。吉宗と違い大奥の箱庭のような環境に育ったのが原因だったかも。暗愚と言われる家重ですが、能力がある人に正しく任せるというのも主君として必要な能力だと思います。
@user-op9dg7je4i
@user-op9dg7je4i 4 жыл бұрын
言うことないね。面白かった
@abbtk14
@abbtk14 4 жыл бұрын
かつて田沼=汚職、家治=暗愚でしたが、再評価がなされてずいぶん印象が変わりました。時代劇での描かれ方も変わるだろうなんて思ったら、時代劇はドラマも漫画も風前の灯火ですね…。
@max_hirota
@max_hirota 4 жыл бұрын
「ねこまた。」も終わったね。お江戸じゃなくて京だけど。
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 4 жыл бұрын
昔は時代劇マンガの専門誌なんてなかったから、マンガに限って言えば風前の灯火というのは少々言い過ぎでは?
@user-wh2vi4cy7t
@user-wh2vi4cy7t 4 жыл бұрын
コミック乱とコミック乱ツインズをみんなで買って読もう
@user-jx6kl1jh7t
@user-jx6kl1jh7t 3 жыл бұрын
時代劇漫画は風前の灯どころか専門誌がありコンビニ廉価本も売れていて活況ですね。るろうに剣心(花慶を推したい世代ですが)から鬼滅にいたるジャンプ漫画も時代劇です。老人にも売れるし、子供にも歴史漫画なんかはどこの学校の図書室でも大手ふるって読めるから鉄板でしょう。
@nyanzosannyanzosan6618
@nyanzosannyanzosan6618 4 жыл бұрын
ほんと分かりやすくて為になるチャンネルだよなあ。 毎回楽しみにしてますよー。
@masako2297
@masako2297 4 жыл бұрын
大変為になりました、有り難う❗️🖐🏻😊✨
@mocchi2643
@mocchi2643 4 жыл бұрын
政治を配下に委ねた場合でも、自分が積極的に行った場合でも結果が吉と出れば「名君」とされ、駄目だったら「暗君(配下に委ねて駄目だった場合)」、「暴君(自分が積極的に行って駄目だった場合)」となるからな・・・。
@ookucyan
@ookucyan 4 жыл бұрын
待ってましたよ
@baatarismbaatarism9209
@baatarismbaatarism9209 4 жыл бұрын
蘭学や国学は後でまとめて紹介できるけど、この時代でしかやれないのが平賀源内なので、取り上げて欲しいです。
@MUSASI40
@MUSASI40 3 жыл бұрын
この人と意次主従の最大のしくじりはオットセイ将軍家斉を後継者にしてしまった事だね
@user-zf7hk5gu4h
@user-zf7hk5gu4h 3 жыл бұрын
結局物の見方でいい人か悪い人かは変わってしまう
@oendanku
@oendanku 4 жыл бұрын
崩御は天皇▪皇后などの敬称が陛下の方、薨去は皇族▪三位以上の敬称が殿下の方 でしょう
@user-ux4tg1mr8g
@user-ux4tg1mr8g 4 жыл бұрын
更新待ってました~。 武家のトップ・征夷大将軍とは……。 (ん?所々…?)
@hiroyukis537
@hiroyukis537 4 жыл бұрын
楽しかった。ありがとう
@user-gz3uv5pt2c
@user-gz3uv5pt2c 4 жыл бұрын
家治と田沼の関係は、三国時代の蜀漢での劉禅と孔明の関係みたいだね。
@user-ni7ri9fz3u
@user-ni7ri9fz3u 3 жыл бұрын
毎回ながら為になる
@yutaa2725
@yutaa2725 4 жыл бұрын
もう少し長生きして田沼意次のいい部分が評価されていればもう少し評価が上がっていたんだろうけどね 運悪く災害も多い時代だったのもあるし
@user-fl2lo4nt3q
@user-fl2lo4nt3q 3 жыл бұрын
Yuta A この頃になると光格天皇即位の影響で朝廷の権威も復活していくからね…
@user-vc6ty6fq1v
@user-vc6ty6fq1v 3 жыл бұрын
分かりやすいよね
@anewreturner1
@anewreturner1 3 жыл бұрын
「骨は語る」の中で印象的だったのが徳川家茂の虫歯を放置してボロボロになった顎の骨でいくら身分が高くても虫歯も治療出来なかった江戸時代には憧れを持てないです。他にも同じような顎の写真がありました。
@ae3779
@ae3779 4 жыл бұрын
徳川十五代と言うけど、実際、初代(創始者は別格)は兎も角、二代(法治国家でがんじがらめにしたのはこの時)、三代(参勤交代や鎖国、など主要なことはこの時代)、五代(犬将軍で有名。赤穂浪士の討ち入りもこの頃)、八代(米将軍で有名。大岡越前が仕えた将軍。大奥の人員整理に成功もしている。)、十五代(大政奉還をした将軍。唯一の皇族の血筋を受け継ぐ。)と、有名どころでも十人十色。
@givenchyofficial9580
@givenchyofficial9580 Жыл бұрын
骨は語る。とてもいい本ですよ。 私は図書館で発見して結構前に閲覧したのでみなさんもぜひ見て欲しいなって思います。 私は徳川家治自体はある程度明君だったと思ってるし 家基が生きてたらきっとその後の時代も変わってたんだろうなと思うと感慨深くなるのでこの歴史の授業であまり触れられないこの時期について知るのはすごく好きだったりします😊
@AF-zq6ln
@AF-zq6ln 3 жыл бұрын
分かりやすくて遠い世界を身近に感じる。まさに温故知新。 授予富裕的知识
@yuichikishimoto5427
@yuichikishimoto5427 4 жыл бұрын
拝見しました。 【新訂増補】戦災等による焼失文化財 2017 (日本語) 単行本 - 2017/6/20 もオススメですよ!
@user-eq9jw8vh8v
@user-eq9jw8vh8v 4 жыл бұрын
君臨すれども統治せず この時代はこれが実は一番安定した体制だったかもしれませんね。
@user-fl2lo4nt3q
@user-fl2lo4nt3q 3 жыл бұрын
熱男 いつの時代も天皇が君臨すれども統治せずです。 この時代は後桃園天皇・光格天皇→徳川家治→田沼意次と正治の実権は田沼意次に任せてました。
@Kaito5327
@Kaito5327 4 жыл бұрын
征夷大将軍は、思ったよりも窮屈で大変なお仕事。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
五代将軍の綱吉が、さる大名からあてがわれた女性との同衾で気が緩んで、その大名に百万石に加増すると約束してな 幕府内部がもめた事があり それ以降、将軍は夜、女性と同衾するときも、監視が着くようになったそうだ
@kleenex9981
@kleenex9981 4 жыл бұрын
その時々の権力者の都合の良いように書き換えられますからね。歴史は。
@user-fr8zh4mb3c
@user-fr8zh4mb3c 4 жыл бұрын
漢の劉邦もさほど優秀ではないけど優秀な部下を手足の如く使った事が挙げられる。
@user-pk9lb6gj9o
@user-pk9lb6gj9o 4 жыл бұрын
「上司の仕事は部下を使う事」ってことなんでしょうねえ😙
@tai1068
@tai1068 3 жыл бұрын
トップがしゃしゃりでる組織はうまく行かないイメージがある。家治みたいなので十分だと思う。
@user-vr5it3jo2q
@user-vr5it3jo2q 4 жыл бұрын
正室がすんごい不細工だったり性格が悪かったら、そりゃぁ側室に行っちゃうよなぁ。 選べないなんてつまらないからね。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
徳川十五代将軍の中で正妻から生まれた将軍は、家康・家光・あと慶喜くらいではなかったかな それも将軍の正妻から生まれたのは、家光だけだったと思う 将軍の正妻は公家の出身だったり、雄藩の姫君だったりするが。正妻は嫁いでから子供を産む事もない事が多い 家光は摂関家の鷹司家から嫁いだ公家出身の妻を嫌っていたのは知られているが、他の将軍もそうなのだから これは個人的な好みというより幕府の方針だった可能性が高い。 将軍家の体裁上、正妻はしっかりした家柄から選ぶが、淀君のように母親が権勢をふるっても、外戚として妻の実家が幕政に介入しても困るから それなりの家の正妻の子供に将軍位を継がせるどころか、子供を産ませるような事も避けていたのではないかと思われる
@yosshy99837
@yosshy99837 4 жыл бұрын
確か、寛永寺は江戸の表鬼門、増上寺は裏鬼門にあたり、死後、江戸を見守るという、風水的なことを考えての埋葬なんですよね
@ctakabe
@ctakabe 4 жыл бұрын
25:12家基が家宣になってますよ
@kappanouen
@kappanouen 4 жыл бұрын
23:34~は『銀河英雄伝説』で皇帝ラインハルトに対し側近のオーベルシュタインが「結婚するよう」勧めたのに対し ラインハルトもすかさず「お前も結婚してへんやんけ!(半ギレ)」と言い返したシーンを彷彿とさせますね
@user-kj4gi1ol4y
@user-kj4gi1ol4y 4 жыл бұрын
正確には御七段目(七段相当)だけど、作った詰め将棋集を見るに四段から五段はあったとされてますね。 ただこの時代だと二段階サバ読むと大変ですよ、最低香車一本強い手合いて指すことになりますから
@jardins-du-cosmos
@jardins-du-cosmos 4 жыл бұрын
乳母 うばと言うより 〝めのと〟の方がしっくりきます。
@user-nu2yp7oz2q
@user-nu2yp7oz2q 4 жыл бұрын
毛利敬親とか大山巌とか、部下に任せきることも能力がいるのよね。
@ERJ-170_NKM
@ERJ-170_NKM 3 жыл бұрын
毛利敬親は、明治維新による版籍奉還を伝えにきた桂小五郎に対して「了解。反乱が起きるかもしれんから、うまく時期を見計らうように」 島津久光は、明治維新による版籍奉還を伝えにきた大久保利通に対して「で、いつ俺は将軍になれるん?」
@woomin-troll
@woomin-troll 3 ай бұрын
抜群の能力を持っていても、それを職務に使わず 部下(家臣)任せ、趣味嗜好にだけ熱心なのでは 暗愚と変わらない😱
@user-hc8pl4is7v
@user-hc8pl4is7v 5 ай бұрын
評価は、時代で変わるし、お飾りな傾向には、有ったけれど、
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t 4 жыл бұрын
家継の正室も皇室出身だったけど物心つく前に婚約していたから 一生、独身のままという人生を送ってしまったもんな!
@yh6146
@yh6146 4 жыл бұрын
綱吉の養女の竹姫は何度も許嫁に先立たれたのに、島津に嫁いだのにな。
@shinpeikitajima7115
@shinpeikitajima7115 4 жыл бұрын
動画内で紹介のありました本の著者が中心になって編纂した「増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体」というより人類学的に深く掘り下げた報告論文集なんてのもありまして、私はこちらを図書館で読みました。 内容はアレな写真が多い上に、論文集ということもあって相当難解ではありますが、興味のある方は図書館等(たいてい閉架書庫にしかないと思いますが)こちらもご一読を。
@user-vl2po1lh9u
@user-vl2po1lh9u 3 жыл бұрын
迷君かしら、暗君か名君か迷う時はね。
@aamm11111
@aamm11111 4 жыл бұрын
こと江戸幕府に置いて、そうせいこう が新政策を持った寵臣を長く登用する場合、その政策に裏付けを与えられるほどの支配力と批判に耐える判断力を持っていた、と言う話がありますね。 50歳は晩年と言うには若すぎますね…。 政宗公は、大河で唯一の「ご本人登場」例として有名ですね。(そりゃそうだ) 仙台城(私事ですが、故郷の城なのですが1年前の事件の事情で二度と雅称では呼ばないことにしました。)も石垣に威容を残すのみで、 大手門はアメリカ軍がトラックを通すためにぶっ壊したとかなんとかで、その破壊工事を請け負ったという老人と話したことがあります。(記録ではそれは別の門のハズなのですが…) 以前も書いたでしょうか、松島に3代(になるはずだった英邁な若君と言われる)光宗公の霊廟が当時のままで残っています。 流石に将軍家の規模とは違うと思います、夭折した若君の廟所ですし…しかし、諸々の事情で大事な建築だったらしく、密度の有る桃山時代様式はなかなか見応えがありました。 色々と曰くがある意匠が多く、それ故に江戸時代ずっと秘廟とされていたため保存状態も良好で、中まで見学することが出来ます。 見学時に定時ごとに集まって行われる無料ガイドの地元の方がいたのですが、解説は大変名調子で内容も興味深く、庭や建物の説明は大変聴き応えがありました。(数年前で、既にご高齢ではありましたが…)
@user-ov4ew1ti2y
@user-ov4ew1ti2y 4 жыл бұрын
将ちゃん(将軍)もストレスがスゴかったんだろうな…
@HK-rs2xn
@HK-rs2xn 4 жыл бұрын
歴代将軍の身長と言うと愛知県岡崎の大樹寺に等身大に作られた位牌でも確認できます。 その中で一目で誰のか分かるのは綱吉で他よりも小さいので一目瞭然ですw
@uotamickey4970
@uotamickey4970 3 жыл бұрын
124センチだった
@veranda-sparrows
@veranda-sparrows 4 жыл бұрын
やっと後期ですが、ペリー来航を迎える前に平和な時代の江戸幕府の外交関係やエピソードの特集をお願いします。唯一の外交関係があったオランダとの関係・エピソードに興味があります。
@jardins-du-cosmos
@jardins-du-cosmos 4 жыл бұрын
オランダが欧州で危機を迎え国旗を掲げられるのは、船と出島しか無かった時期があったとか。だからオランダ人は日本大好きと言われた事があります。詳しく知りたいですね。
@user-gv2pl2vg1d
@user-gv2pl2vg1d 11 ай бұрын
@@jardins-du-cosmos 東京裁判では1番ノリノリで処刑したがってたけどな
@user-dd7hy2fb6m
@user-dd7hy2fb6m 3 жыл бұрын
田沼を重用した家治を評価するなら見出だした家重を評価しないのはおかしくない?
@user-jt1iw1vs3b
@user-jt1iw1vs3b 2 жыл бұрын
徳川家で正室の子がなかなか生まれなかった理由については、所説ありますね。 その中の1つは公家として宮中で暮らしていた彼女たちは歩行方法が独特であり、その歩行のために骨が曲がっていたことが原因とする説でした。 足の骨が変形するほどの歩行をしていたので当然腰などにも悪影響、結果、公家の女性は子どもがそもそもできにくかったのではないかということのようです。 真偽は永遠に謎でしょうが、そもそも子どもができにくかったというのはありそうですよね。
@user-uu5kc7ur9b
@user-uu5kc7ur9b 4 жыл бұрын
守役ではなく、傅役ですね。
@user-jz7un4vo2n
@user-jz7un4vo2n Жыл бұрын
流れが分かると本当に面白い、江戸後期は商が工を動かす現代と殆ど同じ時代だったんですね。 田沼もこのままじゃどうせ沈むから幕府主導で経済活動しようとしたと。 現代日本と照らし合わせても時代の末期なんですね、盛者必衰諸行無常です。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u 4 жыл бұрын
最後近く、将軍は薨去後に等身大の位牌を作ったので、身長はほぼわかつています。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u 4 жыл бұрын
結果は家継の遺骨は失われていて、身長、顔貌は不明、家茂は発掘時に墓地陥没で、顔貌は潰れて不明、身長も推測です。 増上寺墓所は日本電波塔建築時に改葬され、電波塔の脚が立っています。
@43zdcpc26
@43zdcpc26 3 жыл бұрын
陥没していたのは秀忠では? 最後にオススメで出て来た本では家茂の綺麗な状態の頭骨の写真が載っていました。
@user-uk7yx6ji9u
@user-uk7yx6ji9u 3 жыл бұрын
@@43zdcpc26 秀忠の墓所は寛永寺では?。
@43zdcpc26
@43zdcpc26 3 жыл бұрын
@@user-uk7yx6ji9u 増上寺で間違いないですよ。 例のオススメの本を熟読されればわかります。あの本には寛永寺の仏に関する記述はありません。図書館に置いてある事が多いので、ちょっとドクロの写真がいっぱいであれですが一読されることをオススメします。
@zencyanaiti4967
@zencyanaiti4967 2 жыл бұрын
将棋は、強いお方だったね。
@Falken0014
@Falken0014 3 жыл бұрын
将軍はこんなにハードスケジュールなのに殆ど冷めた飯と不味い酒しか口に出来ないのは辛いねぇ まぁそれしか知らないならまだ良かったけど、落語のネタみたいに不意に暖かな料理とか食べたら既存の食事じゃ一生満足出来なくなるだろうからなぁ・・・
@user-ux6jh1ze6x
@user-ux6jh1ze6x 3 жыл бұрын
銭湯できないんじゃこの時代は大変だな
@user-nq1fn6wq2i
@user-nq1fn6wq2i 4 жыл бұрын
その本アマゾンでハードカバー本で5500円大判が30000円高い
@user-co9jz4tp8d
@user-co9jz4tp8d 4 жыл бұрын
どの時代も孫は可愛い(笑) まぁー育てる責任ないからね。
@caither2413
@caither2413 4 жыл бұрын
天皇の血を引く徳川将軍って、吉子女王の息子である慶喜だけなのかな?
@yh6146
@yh6146 4 жыл бұрын
源氏とか臣籍降下した皇族の末裔を含むなら、十代家治の母親は側室だったけど、公家の娘で実家は村上源氏の久我家の分家。
@user-od5mn9zu7j
@user-od5mn9zu7j 4 жыл бұрын
徳川慶喜家が公爵なのも皇族血縁者ってのも関係あるかもね。
@caither2413
@caither2413 4 жыл бұрын
@@yh6146 いや、そこまで遡ってしまうのは数えてないですね。源氏平氏入れてしまうと高位武家なんてどこかで多少は皇族の血が混ざってるでしょうから。
@mm-ot7nw
@mm-ot7nw 4 жыл бұрын
渡部さんも江戸時代の将軍であれば側室を多目的厠で済ませお役御免しても炎上しなかったのに...
@user-is9gx8ij5k
@user-is9gx8ij5k 3 жыл бұрын
生きてる時代を違えましたね
@leytonhouse
@leytonhouse 4 жыл бұрын
「そうせい」が「早世(早逝)」かと思ったら「左様せい」だった
@junjun5127
@junjun5127 3 жыл бұрын
早世も間違いじゃないんだよな。短命な将軍多いし。
@o-matsusan9183
@o-matsusan9183 4 жыл бұрын
崩御って、将軍には使わないんでは?あと御連中ではなく、御簾中ですよ。 細かくてすいません🙏 いつも拝見させていただいてます。おもしろいです。今後も期待してます。
@ODOKUMIYAKU
@ODOKUMIYAKU 4 жыл бұрын
細かくなくて当り前のご指摘でしょう。 薨去は従三位以上の官位にある者に使う言葉だし。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
@@ODOKUMIYAKU  徳川将軍の官位は、正二位・内大臣兼征夷大将軍だからな 例外はあるようだが、だいたい、徳川将軍の官位は正二位が最高だ
@ODOKUMIYAKU
@ODOKUMIYAKU 3 жыл бұрын
@@user-ke1xz7lw3m 自分の知合いで江戸川区に住んでいる奴は奥州栗原藩の藩主の末裔で官位は従五位下ベッチョ守です。 今でも会話をする時には官位でベッチョ守様と呼称しております。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
@@ODOKUMIYAKU 徳川御三家とか加賀藩前田家などの雄藩藩主とか幕府が重視する親藩・譜代など別とすれば、諸大名の官位は従五位下侍従が多いです。この辺は色々あって詳しく書けば長くなるので止めますが。 何々の守というのは旧律令制で国司の事です。六位相当程度ですね 有力旗本や大名家にはその官位を頂いているのが多いのです だから正確には侍従兼何々の守が官位だったはずです。
@ODOKUMIYAKU
@ODOKUMIYAKU 3 жыл бұрын
@@user-ke1xz7lw3m 松平伊豆守の菩提寺の平林寺では毎年4月に半僧坊祭と言う雲水の卒業に際する祭礼があります。 催しものの中で伊豆殿行列と言うものがありますが地元の人は今でも伊豆守を伊豆殿と官位で呼んで遺徳を偲んでおります。 自分の知合いは大名の末裔が多いのでベッチョ守とかボボ守とか官位で呼ばないと立腹するので困り果てておりますが最近は自然に官位で呼べるようになった次第です。
@kuo1830
@kuo1830 3 жыл бұрын
従二位権大納言は、家重ではなく家光ですね
@user-ks1nx8qx6y
@user-ks1nx8qx6y 4 жыл бұрын
世子家基は毒を盛られたと言われているけど不明。次の家斉の正室は薩摩の島津重豪の 娘。
@ae3779
@ae3779 3 жыл бұрын
そうですよね🎵初めての大名出身の御台所・茂姫が誕生したことで、のちの篤姫に繋がりました。 大部分は、天皇家に連なる宮家か、御摂家を始めとするお公家さん。 和宮に連なる橋本家があります。聞いたこともないほどのお公家さんで、笛でもってお仕えしていたが、それで食べていけるわけでもなく、何かと徳川将軍家と所縁の深いお家柄です❤️ 十一代将軍の時、和宮の母の一番近い親戚である、姉小路(女中としての名)は、上臈(ろう)御年寄として権力を持っていた、とあります。和宮の母も、女御・更衣に準ずる女官と思われ、寵愛を受けて内親王を産み、従五位の追贈を受けています。和宮ご本人は、政治の犠牲になった御降嫁とは言え、有栖川宮家と婚約していたり、菊と葵の架け橋として活躍しました。 棚からぼたもちではなく、自らの運命を切り開くように思われます🍀
@kkcombipl
@kkcombipl 3 жыл бұрын
崩御は日本だと天皇・皇后・皇太后・太皇太后・上皇・法皇に対して使われた言葉で、 将軍は三位以上の公卿に当たるので薨去が正しい表現となります。
@nuruosan4398
@nuruosan4398 4 жыл бұрын
ひらがなで「そうせい」様って書かれると、「左様せい」なのか「早逝」なのか迷っちゃうな(´・ω・`)?
@user-yc6kn2iw6v
@user-yc6kn2iw6v 4 жыл бұрын
身分に関係ないですね。吉宗も孫に甘かったか。
@user-ec6bg8by8r
@user-ec6bg8by8r 4 жыл бұрын
独裁者ってまじめにやると大変なんだよね。筆髭おやじも事務処理能力の点では誰もが賞賛しているしね。
@user-zz4tq5rh2p
@user-zz4tq5rh2p 4 жыл бұрын
明朝の皇帝は名君ほど短命で暗君ほど長命だったとか。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
意外にも江戸幕府の運営の基本は譜代大名による合議制であり。 将軍の権限は小さかったのだよ 吉宗のように精力的に政治に関わった将軍は別として、ほとんどの将軍は政治にはあまり関わらなかったようだしな
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 3 жыл бұрын
寛永寺に埋葬された歴代将軍の遺骨って調査したことあるんでしょうか?
@user-nt8kv8jt8w
@user-nt8kv8jt8w 4 жыл бұрын
家康も正室(於大の方)の子供では?
@tamon4528
@tamon4528 3 жыл бұрын
自由にエッチできないってのが生々しくて笑いましたww
@miidry1401
@miidry1401 Жыл бұрын
一兆文銭≒拾貳兆円
@user-gn8xd5dz1u
@user-gn8xd5dz1u 3 жыл бұрын
篤姫、堺雅人と宮崎あおい。お似合いだったけど家定が長生きできなかったのが残念でした。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
杉田玄白の解体新書は、書かれた当初はそれほど重視されなかったよ。外科手術が発達してなかった当時、解剖は現在ほど重要ではなかったし 徳川吉宗の長男である九代将軍・家重は、髪を整える事も嫌がるようなだらしない人物でな。それに言語障害もあり。将軍になってからも酒色にふけるような人物だった。 そのため彼を将軍に据える事には幕府内部でも懸念があった。 吉宗がそれでも家重を将軍にしたのは、長子相続が家康の時代から決まった将軍家のルールだったこと、あと孫の家治が優秀だったからと言われている。 まあ、家重の間は自分がしっかりしていれば何とかなるから、孫に期待したのでしょう。 将軍になってからの家治は、祖父の期待に応えるような人物だったようには思えないがな
@user-bg1ib7tg8j
@user-bg1ib7tg8j 4 жыл бұрын
「誠意大将軍」は、"羽賀研二"
@zencyanaiti4967
@zencyanaiti4967 3 жыл бұрын
嫡子の家基急病亡くなってからやる気なくした・・・?
@masaosugai747
@masaosugai747 3 жыл бұрын
家重女性説は何か無いんですか❔。
@user-gf3pk3lb8r
@user-gf3pk3lb8r 4 жыл бұрын
たいへん丁寧に作られていて面白いのですが、あまりにも漢字の誤変換が多過ぎます‼️ もう少しどうにかならないものでしょうか?
@user-gf3pk3lb8r
@user-gf3pk3lb8r 3 жыл бұрын
いい名づけ× 許嫁⚪︎ 打倒× 妥当⚪︎ 最小× 最短⚪︎ 総部れ× 総触れ⚪︎
@nasubichannel
@nasubichannel 2 жыл бұрын
人の墓をもっともらしい御託を元に掘り返したり遺骨を調査したり、学者のモラルの低さに呆れるばかり。
@jwk1028
@jwk1028 3 жыл бұрын
徳川幕府は家康公亡き後は実質的に伊達政宗公が辣腕を振るい、その後は名参謀なき時代が続きましたよね。
@user-qd8qm8bo3r
@user-qd8qm8bo3r 3 жыл бұрын
なぜか義務教育で習わない
@user-kq2pv8xl6b
@user-kq2pv8xl6b 3 жыл бұрын
@user-kq2pv8xl6b
@user-kq2pv8xl6b 3 жыл бұрын
知らなかったことが分かるし、なかなか面白い。ただ、白い字幕の字が間違いだらけなんだけど、あれは外せないのでしょうか?
@kuo1830
@kuo1830 3 жыл бұрын
家治は、家基が死んでからやる気がなくなってしまった。
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dednahype
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