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杉山政美(作詞)都倉俊一(作曲) 1978年2月5日リリース
#レイジー#高崎晃 #樋口宗孝 #影山ヒロノブ #井上俊次 #田中宏幸
#昭和歌謡 #ジャパニーズロック #lazy #AkiraTakasaki #MunetakaHiguchi #NobuhiroKageyama #ShunjiInoue #HiroyukiTanaka #Loudness #japaneserock
【曲のエピソード】Wikiより
前作「カムフラージュ」が周囲の期待ほどには売れ行きが伸びず、事務所から「次で売れなければ契約打ち切り」と最終通告されたレイジーが起死回生として発売したシングルで、彼らにとって初の大ヒット曲となった。
逆を返せば、レイジーのメンバーたちは「このシングル3枚目が売れなかったら、契約を解除されハードロックバンドに戻れる」と、希望的観測をしていた(特に高崎、樋口)が、希望を裏切られアイドルグループとしての活動を継続させられる羽目になってしまった。その苦い思い出から、再結成後の「ライヴでの演奏封印」に繋がった。
ピンク・レディーの振付師で知られる土居甫による振り付けがつけられ、カラフルな衣装を纏うなど、当時の彼らが要求されていたベイ・シティ・ローラーズ風の路線を色濃く反映した曲となった[1]。20万枚以上の売り上げを記録し、初めてオリコンの全国ランキングにランクインした。1978年3月5日発売のアルバム『This is the LAZY』に収録、ベスト・アルバムにも必ず収録される代表曲である。
後年、タッカンによると赤頭巾に限って自分達がレコーディングで演奏していない事を暴露。理由について「ある日オケが上がってきて歌だけ入れて、実際、デビュー曲とかは自分らでも演奏してみたんだけど、やっぱりスタジオ・ミュージシャンとかに任せた方が全然上手いし」「ディープ・パープルの曲とかをある程度のレベルで演奏できてもポップスを演奏するのは難しかった。まだみんな下手糞やったんですよ。そこでプロの厳しさを知ったし、シンプルなことほど難しいねんな、と気付かされたわけです」と事務所判断で差し替えされた事を明かしている。
2017年の高崎・影山・井上の対談では、再結成で演奏しないことについて、高崎は「いい曲なんやけど、やらん」「普通にあれをやってるんだったら『ええ曲やね』って思うんやけど、派手なジャンプスーツ着てさ、ピンク・レディーみたいに足をパカパカやったり」と、楽曲自体は評価しつつも、振り付けと衣装に違和感を感じていたことを述べ、影山も「タッカンは、曲だけじゃなくて、衣装とか振付とかその当時の黒歴史がともに甦ってくるのが嫌なんだよね」とその心情に理解を示していた。
LAZY was formed in 1973 by young classmates Hironobu Kageyama, Hiroyuki Tanaka and Akira Takasaki. They soon recruited, from their own school, drummer Munetaka Higuchi and keyboard player Shunji Inoue to complete the line-up. The name Lazy was taken from Deep Purple's song of the same name and the music the new band wanted to play was orientated towards hard rock. Managers and producers instead envisioned the young musicians as ideal prototypes for pop idols and created, through the use of monikers, costumes, and well-balanced singles, a successful "boy band" for the Japanese teenage market. Lazy made their debut with the single "Hey! I Love You!" on July 25, 1977.
The song became a huge hit, selling over 200,000 copies, and the band's profile and popularity rose. Takasaki and Higuchi were established as musicians and later became the mother of LOUDNESS. When LAZY was formed, the average age of the members was 16.